第13話 僕の知らない兄さん【九条瑠亜視点】
朝、兄さんは早く家を出た。朝食も食べずに。
だからこそ、今日はもう来ないのかもしれないと少しだけ思った。
あのままどこかで拗ねて、勝手に休むのかもしれないって。
でも兄さんは、ちゃんと学校に来た。
別に遅刻したわけでもない。
目立つことをしたわけでもない。
教室に入ってきて、自分の席についただけ。
それだけなのに、妙に引っかかった。
(……何だろう)
瑠亜はクラスメイトと話しながら、視線だけを兄さんへ向けた。
顔色はまだ良くない。
身体も薄いし、見た目だけなら相変わらず弱そうだ。
少しつつけば折れそうな、頼りない兄さんのままのはずだった。
でも何かが違う――前みたいな、触れたらすぐ崩れそうな感じがない。
兄さんはいつも分かりやすかった。
視線を向ければ怯むし、少し煽れば顔に出る。
瑠亜が困ったように笑えば、周りは自然に兄さんを責める方へ流れていく。
そういう風に出来上がっていた。
兄さんはそういう役だった。
――なのに、今は違う。
教室に入ってきた兄さんは、周りの目に気づいていないわけじゃないのに、わざわざ反応もしなかった。
怯えているようにも見えない。かといって、開き直っている感じとも少し違う。
ただ静かだった。
その静けさが、瑠亜にはひどく気持ち悪かった。
花宮澪が朝から例の召喚配信の話をしている。
瑠亜も少し前に切り抜きを見た、正体不明の召喚士。
戦い方が妙に冷たくて、でも妙に目を引く。
教室のあちこちでその話題が広がっているのを聞きながら、瑠亜は兄さんの様子を観察していた。
兄さんは配信の話に特に興味を示さない。
でも、まったく無関心という感じでもない。
どこか距離を取っているようで、でも耳はちゃんと拾っているような、そんな曖昧な反応だった。
朝比奈が兄さんに話しかけているのも見えた。
あの学級委員は、ずっと兄さんのことを面倒な問題児として扱ってきたはずなのに、今日は少しだけ様子が違う。
花宮もそうだ。面白がってはいるけど、前みたいに一方的に兄さんを消費する感じじゃない。
教室の空気が、ほんの少しだけ変わっている。
それが、瑠亜には気に入らなかった。
(何で?どうして?)
兄さんはもっと分かりやすかったはずなのに。
もっと扱いやすかったはずなのに。
何で今さら、周りが少しずつ【あれ?】みたいな顔をするの?
その違和感は、休み時間にもっとはっきりした。
真田たちが兄さんの机へ行った時だ。
あれはいつもの流れだった。
真田がちょっかいを出して、西園寺が笑って、兄さんが反応して、空気が兄さんに不利な方へ転がる。
――そうなるはずだった。
けれど、兄さんは違った。
「それで満足か?」
その声を聞いた瞬間、瑠亜は目を細めた。
怒鳴っていない。
声を荒げてもいない。
でも、前よりずっと冷たい。
しかも、真田の方が一瞬たじろいでいた。
兄さんは机を揺らされても騒がなかった。
被害者ぶることもしない。
ただ淡々と、相手のやってることがくだらないと突きつけた。
そんな事、今までの兄さんはしなかった。
兄さんはもっと単純だった。
嫌がらせをされれば顔に出るし、追い詰められれば黙るし、少し責められればすぐに空気に呑まれた。そうやって下にいてくれるから、周りも動かしやすかったのに。
なのに今は、うまく転がらない。
真田が怒って手を出しかけた時、朝比奈が止めに入った。その時も瑠亜は本気で驚いた。
朝比奈は兄さんじゃなくて、真田の方を見ていたからだ。
さらに花宮まで。
「今の、別に久城くん悪くなくない?」
なんて言い出す。
教室の空気が揺れた。
大したことじゃない。
本当に、ほんの少しだ。兄さんへの評価が一気にひっくり返ったわけじゃない。
でもそれでも、瑠亜には十分気持ち悪かった。
今までなら、こんな風に流れなかった。
兄さんが何をしても、何を言っても、結局は“兄さんが悪い”で終わったはずなのに。
視線の先で、兄さんはずれた教科書を何事もなかったように戻していた。その時、初めて兄さんと目が合う。
――ぞくり、とした。
何がとはうまく言えない、でも、前とは違う。
今の兄さんの目は、瑠亜を見て怯えない。
痛そうにも、苦しそうにも見えない。
ただ、まっすぐ見てくる――それが嫌だった。
昼休みも、兄さんは妙だった。
透花がプリントを落としかけた時、兄さんがさっと手を伸ばしたのを見た。自然すぎて、一瞬だけ目を疑った。
――何で?
そんなふうに動けるなら、もっと前からそうしていればよかったじゃないか?
今さらそんな顔をされても困る。
透花も何か感じたらしく、兄さんを見ていた。
昔みたい、そんな顔をしていた。
瑠亜はその時、胸の奥にちくりとしたものを感じた。
兄さんが変わるのは嫌だ。
兄さんが自分の知らない場所へ行くのも嫌だ。
兄さんにあんな目を向けられるのは、もっと嫌だった。
兄さんはずっとそのままでいればよかったのに。
弱くて、扱いやすくて、瑠亜の隣でちゃんと下にいてくれれば、それでよかったのに。
放課後になる頃には、その苛立ちはかなりはっきりした形になっていた。
――兄さんは変だ。
でも、何が変なのかをちゃんと言葉にできない。
違うのは雰囲気。目。反応。声。立ち方。全部少しずつなのに、全部が前の兄さんじゃない。
だから、確かめたくなった。
人の少ない階段のところで兄さんを呼び止めたのは、殆どは衝動だった。
「――兄さん」
兄さんが足を止める。
振り返った顔は、やっぱり前と違った。
瑠亜は笑顔を作ったまま近づく。
でも、たぶん目の奥までは取り繕えていなかった。
「ここ数日、本当に変だね」
兄さんは何も言わない。その沈黙すら前とは違う。
前ならもっと居心地悪そうにしたのに、今はただ静かに聞いているだけだ。
「前はそんな顔、しなかったのに」
「……」
「もっと分かりやすかったよね。すぐ怒るし、すぐ傷つくし、すぐ黙るし」
言いながら、自分でも少し変だと思った。
どうしてこんなに、前の兄さんの反応を細かく覚えてるんだろう?
どうしてそれが変わった事に、こんなにざわつくんだろう?
でも、言葉は止まらなかった。
「最近の兄さん、前より面白いよ」
これは、本音だった。
今の兄さんは、前よりずっと気になる。
何を考えているのか分からないし、何を見てそういう目をするのかも分からない。
だから見ていたくなる。
でも、それと同じくらい気持ち悪かった。
「でもさ」
僕は少しだけ声を落とした。
「――僕の知らない兄さんになるのは嫌だな。だって僕たち双子でしょう?」
その瞬間、兄さんの空気が少しだけ冷えた気がした。
(ああ、やっぱり……)
今までの兄さんなら、その言い方で揺れたのに。
今の兄さんは、そこでもう揺れない。
「……勝手にしろ。俺はお前に合わせる気はない」
その返しに、瑠亜は一瞬だけ笑みを止めた。
――合わせる気はない。
そんなこと、前の兄さんなら言わなかった。
言えなかった。
言う前に折れていた。
なのに今は違う。
「そっか」
甘い声で返しながら、胸の奥では何かがじわじわ濁っていくのが分かった。
兄さんは変わった。
変わってしまった。
でも、何で?
誰かに何か言われた?
外に何かできた?
それとも、本当に壊れた?
「じゃあ、もう少し見てようかな」
そう言って一歩引く。
兄さんはそれ以上何も言わず、そのまま階段を下りていった。
追いかける気にはなれなかった。
というより、追いかけても前みたいに反応しない気がした。
背中を見送る。
兄さんは、もっと分かりやすかったのに。
前の兄さんは、もっと簡単だった。
痛がる顔も、黙るタイミングも、怒る線も、全部分かっていた。
だから扱いやすかった。だから安心できた。
――でも今は違う。
自分の知らない兄さんが、少しずつそこにいる。
それが、ひどく気に入らなかった。
誰にも渡したくない、と思った。
兄さんは兄さんなのに。
僕の知ってる兄さんでいてくれないと困るのに。
勝手に知らない顔をして、勝手に変わっていくなんて、そんなのは駄目だ。
僕はしばらく階段の上に立ち尽くしたまま、兄さんの消えた先を見つめていた。
胸の奥にあるのは怒りなのか、不安なのか、自分でもよく分からない。
ただ一つだけ、はっきりしていた。
このまま放っておくのは嫌だ。
兄さんが何を隠しているのか。
どうして変わったのか。
どこでそんな目を覚えたのか。
ちゃんと知らないと、落ち着かない。
だから――もう少し見ていよう。
今までみたいに壊れるのか。
それとも、どこまで変わってしまうのか。
その答えを知るまでは、絶対に目を離してやらないから。
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