第117話 抑えきれなかったもの
その日の夜に智明の家に戻ってから、俺は今日の出来事を説明した。
いや、正確には説明させられた。
苛立ちを露わにしながらこちらに視線を向けつつ、同時にリビングのソファに座らされ、正面には腕を組んだ智明――壁際には、人の姿を取ったルクスが静かに立っていたが、明らかに様子がおかしい。
俺に、視線を向けてくれない。
もしかして何かに対して買収などさせられた、とか考えてしまったが違うらしい。
「――で?」
智明が低い声で声をかけてくる。
不思議だ――俺は色々と修羅場を潜り抜けてきたはずなのに、なぜだろう?
「学校の廊下で上級生に絡まれて、鞄を落とされて、言い返して、窓ガラスにヒビを入れて、そのまま逃げた、と」
「ああ、要約するとそうなる」
「要約すんな!悪化して聞こえるだろ!!」
「割ってはいない」
「そういう問題じゃねえんだよ!!」
智明は深くため息を吐いた。
対し、多分俺はそっぽを向いていたんだと思う。
「姉貴から連絡が来て、内容を知った……窓ガラスにヒビが入ったってな乃亜?ついでに、お前がその場から走って逃げたことも聞いた」
「逃げたというより、戦略的撤退だ」
「呼び方を変えるな!」
「では、事故現場からの離脱だ」
「もっと悪いわ!!」
智明は叫んだ後、額を押さえた。
俺は黙って再度、視線を逸らす。
ああ、失敗だった自覚はある。
窓にヒビを入れた後に、その場から離れた事を。
結果的に、相手に材料を与えたのだから――うん、どれも褒められた行動ではない。
「……反省してるのか」
「してる」
「本当か?」
「……疑いすぎだ」
「普段のお前を見てれば疑うだろ」
智明の言葉を否定する事が出来なかった。
俺は一度、自分の手を見た。
あの時、拳を握っていた。
魔力を使うつもりはなかったし、感情を表に出すつもりもなかったんだ。
だが、感情が爆発してしまい、思わず窓にヒビが入った――自分自身の力が漏れたのだ。
「……窓の件は、俺の不注意だ」
「本当に、それだけか?」
智明の声が少し鋭くなり、俺は言葉を止めた。
それだけではない――俺は、怒っていた。
真田颯真のあの言葉に。
瑠亜のためだと言いながら、乃亜を当然のように悪者にする態度に、証拠もなく、知った顔で責める声に。
俺は、思った以上に腹を立てていた。
「……感情を制御できなかった」
そう答えると、智明は少しだけ黙った。
ルクスの金色の瞳が、静かにこちらを見る。
「……主は、本当に心から怒っておられました」
「ああ」
「それも、主ご自身の怒りだけではないように見えました」
俺はルクスの視線を向けてしまった。
「……どういう意味だ?」
「久城乃亜の痛みに、主の怒りが重なったのではないかと」
それを聞いた瞬間、一瞬で驚いた顔をすると同時にリビングが静かになる。
その言葉は、思ったより深く刺さった。
真田は言っていた、瑠亜とは大違いだ。
あの言葉は俺に向けられたものだったが、本当に刺されたのは俺ではない。
――この身体の奥に沈む久城乃亜にだ。
乃亜は、ああいう言葉を何度も聞かされてきたのだろう。
比べられ、責められ、謝らされ、黙るしかなかった。
だからこそその事が、どうしようもなく腹立たしかった。
「……そうかもしれない、な……俺は、乃亜の代わりに怒ったんだ。腹が立って、ムカついた」
「それ自体は悪いことじゃねえだろ」
智明が再度ため息を吐いて、言ってきた。
俺は首を振る。
「――悪い」
「何でだよ?」
「怒ること自体はともかく、制御を失った……俺はこの身体を借りているし、傷つけるわけにはいかない」
この身体は俺のものではない、乃亜に返さなければならない。
なのに、俺が感情に引っ張られて魔力を漏らし、余計な問題を起こした――本末転倒だ。
「乃亜を守るために怒って、乃亜の身体を危険に晒すなら意味がないな」
言葉にすると、胸の奥が重くなった。
智明は静かに俺をじっと見ていた。
「そこまで分かってるなら、まだいい」
「いいのか?」
「普通ならよくはねえよ……でも、窓にヒビ入れて逃げたやつが、何がまずかったか分かってるだけまだましだ」
「褒めているのか?」
「褒めているように聞こえるか?」
智明は大きくため息を吐いた。
「明日……学校には俺から連絡する。姉貴たちには任したくねぇしな……窓の件は謝るぞ。ただし、真田って上級生の件とは分ける」
「分ける?」
「当たり前だろ?お前が窓にヒビを入れたことと、相手が肩ぶつけて鞄を落としたことは別問題だ……混ぜたら、お前だけが悪いことにされる」
確かにその判断は正しい。
俺は小さく頷いた。
「俺もそう思う」
「だったら逃げるなよ、悪いのがお前になっちまうからな?」
「……それは失敗だった」
「おい、素直で気持ち悪いな」
「反省していると言っただろ?」
「普段からそれくらい聞き分けよくしろ」
智明は無理な事を言うなと感じながら、俺は視線を落とした。
胸の奥に、まだ重さが残っている。
怒りの残滓や、後悔、そして、乃亜への申し訳なさ。
「……悪かった、乃亜」
俺は眠っている乃亜に静かに謝罪する。
ふと、ルクスが静かに目を伏せる。
「……主」
「何だ」
「怒りを否定する必要はありません。ただ、次は我らを使ってください」
「学校の廊下でお前を出せと?」
「必要であれば殺ります」
「おい、必要ないぞ、やめろ、絶対に出てくるな。ついでに強制召喚もするなよ?頼むぞ、マジで」
目をキラキラさせながら答えたルクスに対し、嫌な予感を覚えた俺は急いで前のめりになっているルクスに告げるのだった。
流石の智明もルクスの輝いている姿を見て、顔を引きつらせる事しか出来ないらしい。
再度深いため息を吐いた後、俺に声をかける。
「今日はもう休め……学校との話は明日やるぞ」
「分かった」
「それと、反省はしていいが、一人で考えて、変な行動起こすなよ、いいな?」
「……分かった」
とりあえず、智明の言う通りにしようと考えた。
今回は間違えてしまった――次は間違えてはならない。
静かに息を吐きながら、俺は明日の事を考えるのだった。
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