第115話 透花の一歩
翌朝、教室の空気はさらに濁っていた。
昨日よりも、周りの視線が増えているような気がするのは気のせいだろうか?
俺が席へ向かうと、何人かが話をやめ、まtがこちらを見て、すぐに目を逸らす。
そのくせ、俺が通り過ぎるとまた小さい声で話し始めた。
「……あれで普通に来るんだ」
「瑠亜くん、大丈夫かな?」
「噂じゃ、実習のことは本当なのかな」
――聞こえてくるな、間違いなく。
わざと聞こえるように言っているのか、それとも自分たちの声が届いていないと思っているのか――まぁ、どちらでもいいな、面倒な事に変わりはないのだから。
俺は席に鞄を置き、椅子に座った。
花宮はすでに席についていて、スマホを伏せたままこちらを見ていた。
何か合図をするかのようにしながら、睨みつけている視線のように。
花宮、顔が明らかに引きつっているな、と思ってしまった。
同時に、理央も険しい顔をしている。
携帯をみながら舌打ちをしている様子があって――あそこまで怒らなくても良いんじゃないか、と感じながらも。
西園寺に何か言えば、もしかしたら何かが変わるのではないだろうかとも考えていたに違いない――甘いぞ、理央。そのように思ってしまった。
噂と言うモノは、一度形を持つと簡単には消えない。寧ろ、反論すればするほど、面白がる者も出る。
そして、席に座ると駆け寄ってきた人物がいた。
「……乃亜くん」
視線を向けた先に居たのは、透花だった。
ただ、彼女の顔色が悪い。
もしかしたら、昨夜何か見たのだろうか?
まぁ、俺も見ていたんだが――原因は多分、SNSのやり取りやクラスの噂の件だろう。
もしかしたら、誰かに何かを言われたのかもしれない。
「無理するんじゃないぞ、透花」
「っ……!」
俺が言うと、透花は一瞬だけ肩を揺らし、そして逃げなかった。
「……ううん……無理、じゃないから大丈夫」
「顔がそう見えないが?」
「……それでも」
透花はまっすぐ、俺に視線を向け、俺の前に立つ。
それだけで、周囲には十分な材料になるのだろう。
「三枝さんって、久城側なの?」
「瑠亜くんと幼馴染じゃなかった?」
「なんか、最近あの辺おかしくない?」
相変わらず小声が聞こえるが、透花の指が、鞄の紐に食い込んだ。
多分、怖いのだろう。
それでも、透花は俺の机の横まで来た。
「大丈夫だから……だから、その……」
声は少し震えており、少しだけ笑おうとした。
しかし、上手く笑えておらず、少しだけ引きずっている感じがした。
一生懸命頑張ろうとしている透花の背後に、後ろの方で白石玲奈がこちらを見ていた。
その目には、戸惑いと不満が混じっている。
彼女は、どうして透花が乃亜の近くにいるのか、乃亜を心配しているのか、と言う事を思っているに違いない。
透花の行動により、席に座っていた瑠亜が立ち上がった。
「透花ちゃん」
次の瞬間、透花が異常に反応してしまった。
対し、まるで何事もなかったかのように、挨拶をしてくる。
「おはよう」
「……おはよう、瑠亜くん」
「兄さんに声をかけてくれてありがとう。心配してくれているんだよね?」
「……」
「僕も心配しているんだけど、兄さんあんまり話を聞いてくれなくて……」
瑠亜のその一言で、また空気が揺れた。
自分も心配しているのに、兄は言葉すら、話してくれない。
周りが、また”侵食”されていく姿に、透花は唇を噛んでいる。
前ならここで視線を伏せていたかもしれない。
瑠亜を傷つけたくなくて、曖昧に笑っていたかもしれないのだが、今回は違った。
「うん……心配、してるよ、一緒に、あのダンジョンの事件に巻き込まれたから……”乃亜”くんのことも。ノ……久城くんのことも」
俺は少しだけ目を細めてしまった。
多分今、俺の名前を言いかけたな――危ないぞ、おい。
透花は続ける。
「瑠亜くんのことも、心配してないわけじゃないよ……でも、だからって……乃亜くんだけが悪いみたいに言われるのは、違うと思う」
透花の言葉に教室が静かになった。
白石玲奈が目を見開き、呆然としている。
対し、瑠亜は笑顔のまま固まっていた。
「透花ちゃん?」
その声は優しい声なのかもしれない。
しかし、明らかに何か”違和感”と言うものがあった。
「どうしたの? 誰かに何か言われた?」
「違うよ」
透花はすぐに首を振った。
「誰かに言われたからじゃない。私が、そう思って、言ったの……これは、私自身の”言葉”」
「でも、兄さんは最近ちょっと……」
「うん……乃亜くんは変わったと思う」
透花は俺を見た。
その目には、痛みと、後悔と、そして、絶対にそらしてはいけないと言う顔をしていたのかもしれない。
いつもと違う透花の顔に、少しだけ驚いた。
「――でも、変わったからって、今までのことを全部乃亜くんのせいにしていいわけじゃない」
瑠亜の唇が、わずかに止まった。
「私、ずっと見てなかった」
透花の声が震えていた。
拳を握りしめながら、話を続ける。
「乃亜くんが黙ってるのを、平気なんだと思ってた。瑠亜くんが困ってると、そっちばかり見てたし……ただ、乃亜くんが何も言わないから、大丈夫なんだって思おうとしてた」
教室のどこかで、誰かが息を呑んだ。
「でも、大丈夫じゃなかったかも……しれないと思ったの……多分、私が見ようとしなかっただけかもしれない」
「透花ちゃん、そんな事――」
「あるよ!」
透花は、初めて瑠亜の言葉を遮った。
小さな声でもあって、強い意志だ。
それでも、確かに遮った。
「私には、あるの」
透花の言葉に対し、瑠亜の目が揺れる。
周囲も、どう反応していいのか分からない顔をしていた。
透花は再度、大きく息を吸った。
「だから、もう見て見ぬフリはしない……私は、私の意志で、乃亜くんの隣にいるんだから」
透花の言葉は、まるで自分に言い聞かせるように、そしてそれは小さな宣言でもあった。
「乃亜くんが悪いって決めつけるのも、瑠亜くんが可哀想だからって全部そっちに流れるのも、私はもうしない」
彼女の言葉に対し、瑠亜は何も言わなかったが、ただ、笑顔だけは残していた。
同時に、瑠亜が何を考えているのか、すぐに理解出来た――多分、乃亜の双子の弟だから、なのかもしれない。
瑠亜の笑顔の裏には、苛立ち、不安が残っている。
同時に、透花が離れてしまった事もあるのかもしれない――理央動揺、透花は瑠亜の幼馴染でもあったから。
「……そっか」
瑠亜は小さく笑った。
「――透花ちゃんも、兄さんの方に行くんだね」
その言葉に、透花の顔が傷ついた顔を一瞬見せたが、すぐにいつもの顔に戻る。
同時に、教室の空気がまた揺れた。
「ひどいっ」
「瑠亜くんが可哀想じゃん」
「三枝さんまで……」
そんな声にならない気配が広がったので、思わず俺は口を開こうとした。
だが、その前に透花が言った。
「――違うよ、どっちにつくとかじゃない」
透花は瑠亜を見たまま、ゆっくりと言った。
「ちゃんと目で見るって決めただけだから」
瑠亜の表情が、わずかに消えた。
その一瞬だけ、優しい弟の顔が剥がれた気がした――すぐに戻ったが。
「……うん。分かった」
瑠亜は困ったように笑う。
その顔が、俺には嫌だと感じた。
「透花ちゃんがそう思うなら、仕方ないよね」
そう言って、瑠亜は自分の席へ戻っていった。
同時に、周囲の視線が透花へ刺さる。
透花はそれに気づいている。
顔は青いし、今にも泣きそうな顔をしている。
それでも、俺の机の横から動かなかった。
「透花」
「……っ、な、なに、乃亜くん」
「……これから、面倒なことになるぞ」
「……うん」
「分かっていて言ったのか?」
「うん……だって、怖いけど。でも、言わない方がもっと嫌だったから、もう決めた事だもの」
「……そうか」
それ以上、俺は何も言えなかった。
これは、透花が決めた事なのだから、俺が何かを言って彼女を困らせるようなことをしてはいけない。
静かに息を吐いた。
「わかった。なら、いい」
「いいの?」
「だって、お前が決めたんだろう?」
俺のその言葉に対し、透花の目が揺れる。
泣きそうな顔のまま、ほんの少しだけ笑う。
「……ありがとう」
「礼を言われることじゃない」
「それでも――嬉しかったよ。ありがとう、乃亜くん」
その時見せた透花の顔は、とても綺麗で、何処か輝いているようにも見えた。
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