第114話 善意【白石玲奈視点】
――瑠亜くんは、優しい。
それは、クラスの誰もが知っていることだと思う。
成績が良いし、探索者としての評価も高いし、そして誰にでも笑顔で接してくれる。
困っている人がいれば声をかけるし、自分のことより周りを優先する。
なのに、瑠亜くんは時々すごく寂しそうな顔をする。
特に、お兄さんのことになると。
――久城乃亜くん。
瑠亜くんの双子のお兄さん。
前は、正直あまり印象がなかった。
暗くて、目立たなくて、どこかおどおどしている感じ。
何を考えているのか分からなくて、話しかけても反応が薄い人。
でも最近は違う。
雰囲気が変わったし、目が怖くなったり、言葉が冷たくなった。
そして何より、瑠亜くんを傷つけている。
朝の事だってそうだった。
瑠亜くんは、ただ心配していただけなのに。
体調は大丈夫かって、無事でよかったって、そう言いたかっただけなのに。
なのに、乃亜くんは冷たい顔で突き放した。
瑠亜くんは笑っていた――大丈夫だよ、と言っていた。
でも、私には分かった。
あれは、我慢している顔だ。
私は放課後、スマホを見ながら小さく息を吐いた。
クラスのグループでは、まだ今日の話が続いている。
『西園寺くん、ちょっと言いすぎじゃなかった?』
『でも瑠亜くん可哀想だったよ』
『久城くん、最近ほんと変だよね?』
『実習の件も何かあったんでしょ?』
私は画面を見つめる――噂はもう出始めていた。
実習ダンジョンで、久城くんが何かしたんじゃないか。
それで瑠亜くんたちが巻き込まれたんじゃないかって話。
もちろん、確かなことは知らない。
学校も詳しく説明していないし、先生たちも曖昧にしか言わない。
でも、何もなかったなら、あんな空気にはならないはずだ。
それに、瑠亜くんがあんな顔をするはずがない。
私はSNSの投稿画面を開いた。
実名を出すつもりはないし、学校名も書かない。
ただ、少しだけ、みんなに考えてほしいだけ。
『身近に優しい人ほど我慢しちゃうタイプの子がいるんだ。周りが気づいてあげないと、ずっと傷ついてても笑ってるんだよね』
そこまで打って、指を止める。
これだけなら、誰のことか分からない。
でも、分かる人には分かる。
私は少し迷ってから、続きを打った。
『兄弟だからって、何を言ってもいいわけじゃないと思うのよ。心配してくれる人を冷たく突き放すのって、普通にひどい』
そのまま投稿すると、すぐに反応がついた。
『分かる』
『優しい子ほど損するよね』
『もしかして例の双子?』
『弟くんの方?あの子いい子だよね』
胸の奥が、少し熱くなった。
そう、みんな、ちゃんと分かってくれる。
瑠亜くんが悪いんじゃない、優しすぎるだけ。
お兄さんを庇って、自分が傷ついていることにも気づかないフリをしているだけ。
だから、周りが言ってあげないといけない。
私はさらに別の投稿を見つけた。
『某探索者学校の実習トラブル、原因作った側が普通に登校してるってマジ?』
誰が書いたのかは分からないけど、私はそこに直接反応する代わりに、少しだけ言葉を選んで投稿した。
『何があったかは知らないけど、巻き込まれた側が気を遣って、原因っぽい人が平然としてるの見るとモヤる』
「……だよねぇ」
思わず、呟いてしまった。
同時に、私は感じている事を書いただけだ。
それなのに、また反応が増える。
『それな』
『弟くん可哀想』
『兄の方、前からちょっと怖かったんだよね』
『誰かちゃんと言ってあげなよ』
私は画面を見つめながら、ぎゅっとスマホを握った。
これは悪口じゃない、瑠亜くんを守るためだ。
乃亜くんが本当に悪くないなら、ちゃんと説明すればいい。
瑠亜くんに冷たくしなければいい。
心配してくれる弟を、あんなふうに突き放さなければいい。
――それだけの話だ。
なのに、どうして瑠亜くんばかりが我慢しなきゃいけないんだろう。
画面の中で、通知が増えていく。
誰かが私の投稿を引用していた。
『これ、うちの学校の話かも』
『やっぱりあの兄弟?』
『弟くん、本当にいい子だから守ってあげたい』
守ってあげたい――その言葉を見て、私は少しだけ安心した。
私だけじゃない、みんな、同じことを思っている。
瑠亜くんを守りたい。
あの優しい笑顔を、曇らせたくない。
だから、これは正しいんだ。
私はもう一度、投稿画面を開く。
『優しい人が我慢してる時に、周りが何もしないのって違うと思う。見て見ぬフリはもうしたくない』
送信する前に、少しだけ指が止まった。
――見て見ぬフリはしない。
今日、榊原くんもそんなことを言っていた気がする。
でも、榊原くんは乃亜くんの側に立っていた。
だから私は瑠亜くんの側に立つ。
ただ、それだけだ。
どちらが本当に傷ついているかなんて、見れば分かる。
瑠亜くんは、いつも笑っている。でも、その笑顔の裏で傷ついている。
私は、それに気づいた。
だから、私が動くんだ。
私は、投稿ボタンを押した。
その瞬間、胸の奥にあった迷いが少し消えた。
私は悪いことをしていないし、誰かを傷つけたいわけじゃない。
ただ、瑠亜くんを守りたいだけだ。
登校したと同時に、スマホの画面に、また通知が増える。
私はそれを見ながら、小さく息を吐いた。
「大丈夫だよ、瑠亜くん」
誰にも聞こえない声で呟く。
「ちゃんと、みんな分かってくれるから」
夕方の教室は、少しずつ人が減っていた。
窓の外では、校庭に長い影が伸びている。
私はスマホを鞄にしまい、立ち上がった。
明日になれば、きっともっと多くの人が気づく。
瑠亜くんがどれだけ我慢しているのか、乃亜くんがどれだけ冷たいのか。
これは、私たちが見ている現実なのだから。
そう思いながら、私は教室を出た。
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