第112話 西園寺海斗
昼休みが終わる少し前――花宮から聞いた噂の内容を頭の中で整理していると、机の前に影が落ちた。
顔を上げと、そこには西園寺海斗が立っていた。
何故彼が俺の所に来るのか理解が出来ないが、顔を見てみると怒りを隠そうとして、隠しきれていない顔をしていたのだ――分かりやすい。
そして、彼が近くに来ると言う事は、間違いなく瑠亜絡みだ。
「――おい、久城乃亜」
西園寺は俺の名前を呼ぶと同時に周囲の声が、わずかに小さくなる。
さっきまで雑談をしていた生徒たちが、聞いていないふりをしながら、こちらへ意識を向けているのが分かった。
「……何だ?」
「瑠亜に謝れ」
俺はあくびをしながら返事をすると、まさかそのような言葉を言われるとは思わなかった。
教室の空気が、一瞬止まった。
随分と単刀直入だなと思いつつ、面倒な前置きがない分、まだましかもしれない。
「……何を?」
「この前の朝の事だ」
西園寺は眉を寄せながら言葉を続けさせる。
「瑠亜はお前を心配してただけだろ。それなのに、あの言い方はないぞ」
「……そうか」
「そうか、じゃない!」
西園寺の声が少し大きくなる。
だが、反応したところで何もならないので、俺はただ見つめるだけだ。
「お前、自分がどれだけ瑠亜に心配かけてるか分かってるのか!?実習の時だって、瑠亜はずっと気にしてたんだぞ」
瑠亜は気にしていた、心配していた――そして、優しい弟だ。
ずいぶん聞き慣れた形になってきたのだが、俺にはどうでも良い事で興味がない。
そのまま椅子の背にもたれたまま、西園寺を見る。
「それで?」
「それで、じゃない!謝れって言ってるんだ!」
「悪いが、断る」
短く、そのように言うと西園寺の表情が強張った。
まるで、まさかそのように断られるとは思っても居なかった、と言う顔をしているが、どうして俺が謝らなければならないのかわからない。
背伸びをするようにしながら答えると同時、呆れた顔で西園寺は俺を見ていた。
「……は?」
「悪いが、謝る理由がない」
「……お前、本気で言ってるのか?」
「ああ、本気だ」
教室のあちこちで、小さなざわめきが起きる。
ふと、理央は立ち上がりかけているので、俺は視線だけで理央を止める。
――来るな。
今ここで理央が割って入れば、話が別の方向へ転がる。
瑠亜を庇う西園寺と、俺を庇う理央――それではただの対立になってしまう。
それもそれでめんどくさいのだ。
「西園寺……お前は、瑠亜から頼まれたのか?」
「違う」
「なら、勝手に来たんだな?」
「勝手とかじゃない。俺は、瑠亜が傷ついてるのを見てられないだけだ!」
「なら瑠亜のところへ行け」
「何だと?」
「傷ついているのが瑠亜なら、俺ではなく瑠亜を慰めればいいじゃないのか?」
西園寺の目が怒りで揺れる。
しかし、西園寺は一歩も引かない。
「お、お前が傷つけたんだろ?」
「そう見えたのか」
「見えたんじゃない!そうだろう!?」
「違うな」
俺は静かに言った。
「……俺は自分の心配をしろと言っただけだ」
「その言い方が冷たいって言ってるんだ!」
「冷たいかどうかは、お前の感想だろう?」
「感想じゃない。普通、弟が心配してくれたら、もう少し言い方があるだろ!」
「……そうか、普通か」
西園寺の言葉を聞いて、同時にその言葉は嫌だと実感してしまった。
乃亜がどのように瑠亜の事を思っているのかは俺にはわからない。
少なくとも俺は、瑠亜が嫌いだ。
だって、乃亜の家族は、歪んでいるのだから。
――瑠亜は普通の弟で、優しい存在。
その普通の形に押し込められて、乃亜はどれだけ削られたのだろう。
「西園寺……俺と瑠亜の事に、外から普通を持ち込むなよ」
俺がそう言うと、西園寺は一瞬言葉に詰まった。
だが、すぐに顔を険しくする。
「逃げるなよ。お前、昔からそうだよな。何も言わないで黙って、瑠亜に気を遣わせて、それで自分だけ被害者みたいな顔して……」
胸の奥が、かすかに痛んだ。
しかし、この痛みは俺の痛みではない。
深い場所に沈んでいる、乃亜の痛みだ。
こいつは知らない。
何も知らないまま、知った顔で乃亜を刺している。
俺はゆっくり息を吐く。
ぶん殴りたい衝動を抑えようとしながら。
「西園寺」
「何だよ」
「お前は何を見たんだ?」
「は?」
「乃亜が瑠亜に何をしたところを見たか?実習で、俺が何をしたところを見たか?そして、朝、俺が瑠亜をどう傷つけたたか?」
「それは……」
「答えろ」
多分、今の俺は”ノア”の顔をしているのに違いない。
鋭く、睨みつけるようにしながら、俺は西園寺を見ている。
一方の西園寺は口を開きかけて、止まり、周囲のざわめきも、少しだけ引いた。
「る……瑠亜がつらそうだったから、その……」
「それだけか?」
「それだけって、お前――」
「それだけなんだな?」
俺は西園寺を見据える。
「お前が見たのは、瑠亜の顔だけだ。”乃亜”の事は見ていないんだな?」
「……っ」
「瑠亜が困った顔をした、だから乃亜が悪い。瑠亜が傷ついた顔をした、だから乃亜が謝るべきだ」
言葉にしてやると、ひどく単純だった。
「お前の正義は、ずいぶん楽なんだな……反吐が出て気持ちが悪い」
多分、これは俺自身の感情だ。
気持ちが悪い――目の前の男が、本当に。
何を言っても、何を訂正しても、きっとこの男は瑠亜の信者なのだろう。
気持ち悪い、と告げた俺に対し、西園寺の顔が赤くなる。
「ふざけるな!」
「悪いが、ふざけていない」
俺は机の上のパンの包み紙を畳んだ。
「謝罪が欲しいなら、理由を持ってこい。感情ではなく、事実を持ってこい。ついでに証拠があれば、やりやすいな」
「お前……!」
「それがないなら、話は終わりだ」
俺はそのまま、西園寺から視線を外した。
これ以上、相手をする必要はない。
西園寺はしばらくその場に立っており、拳を握り、何かを言いたそうにしている――だが、言葉が見つからないのだろう。
やがて、低い声で言った。
「……瑠亜が言えないだけだって、どうして分からないんだよ?」
「瑠亜が言えないことを、お前が勝手に代弁するなよ」
俺は顔を上げずに答えた。
「本当に必要なら、本人が言えばいいんだから」
西園寺は唇を噛んだ。
その時、教室の後ろの方で誰かが小さく言った。
「言い方きつ……」
「瑠亜くん、可哀想」
「西園寺くん、怒るのも分かるわー」
花宮の方から、小さく舌打ちが聞こえた。
多分きっと、悪い顔をしているに違いなと思いながら、俺は欠伸をする。
理央が今度こそ立ち上がりそうになったので、俺は再び視線で止める。
いい。
これでいい。
今のやり取りも、きっと別の形で広がる。
久城乃亜が西園寺を冷たく突き放し、瑠亜を心配する友人に、ひどい言葉を返した――そういう話になるのだろう。
なら、形に残せばいい。
誰が何を言い、俺が何を返したのか。
多分、花宮はもう、動いているはずだ。
ふと、西園寺は最後に俺を睨みつけた。
「俺は、瑠亜を傷つける奴を許さない」
「そうか」
「本気だからなっ!」
「ああ、好きにしてくれ、そんでもって勝手にやっていてくれ」
俺がそう返すと、西園寺は何かを飲み込むように顔を歪め、自分の席へ戻っていった。
教室の空気は、さらに濁っていた。
だが、不思議と俺の中は冷えていた。
同時に、胸が少し苦しい。
俺ではない、きっと乃亜だ。
乃亜が、苦しんでいる。
ふと、何気なく花宮に視線を向けると、グーサインを送っている。
どうやら”記録”を取っていたらしく、そのサインなのだろう。
俺は胸に手を置きながら、息を再度、深く吸ったのだった。
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