第111話 噂の形
噂というものは、形がない。
誰が最初に言ったのか、どこで生まれたのか、そしてどの時点で別の意味に変わったのか。
それを追うのは、思ったより面倒だ。
前の世界にも噂はあった。
王国を裏切っただの、他にもいろいろ噂のようなモノがある。
どれも、誰かが口にした時には、もう事実のような顔をしていた。
真実かどうかは関係ない――人間は、信じたいものを信じる。
そして、一度広がった噂は、剣で斬っても消えない。
――だから面倒なんだ。
昼休みの終わり際、俺は購買で買ったパンを半分ほど食べ終え、窓の外を見ていた。
「いいですか?無理は絶対にしないでくださいよ、良いですねノア?」
「あ、はい」
今日の朝、そのように言われた。
ルクスも同じように、視線がそのように言っていた事を思い出す。
分かっている、分かってはいるが、だからといって学校が待ってくれるわけではない。
教室の中では、いつも通りの声が飛び交っているのは前から変わらない。
だが、昨日からその声の流れが少し変わっていた。
(……考えれば、乃亜はよくこれに耐えていたなぁ)
思わずそんな事を考えてしまった。
だが、好奇心と疑いが混じった視線は、十分に不快だった。
「やっほー久城くん」
「おう」
声をかけてきたのは花宮だった。
いつも通りの花宮だったのだが、間違いなく顔が笑っていなかった。
「ちょっといい?」
「……内容による」
「多分、よくない内容だよ?」
「なら聞きたくないな」
「うん、私も言いたくない」
花宮はそう言って、俺の机の横に立った。
手にはスマホを持っており、画面は伏せられていたが、その指先に少し力が入っていた。
(……珍しいな)
こいつは普段、こういう時ほど軽く笑う。
面倒なものを見つけても、冗談で包んでから差し出すのだが、今は違った。
「……何だ?」
「……噂」
「噂?」
花宮は短く言った。
「昨日の夜くらいから、ちょっと変な話が回り始めてる」
「俺のことか」
「うん」
予想はしていたからこそ、驚きはない。
ただ、変わらず面倒だと思っただけだ。
「……内容は?」
花宮は一度、周囲を見た。
視線の先には理央は少し離れた席で、こちらに気づいており、透花も不安そうにこちらを見ていた。
瑠亜は自分の席で西園寺と話しているように見えるが、意識はこちらに向いている。
教室の空気は、薄い膜のように張っており――花宮は声を落とす。
「先日の実習ダンジョンで、久城乃亜が何かしたんじゃないかって話」
「……何か、とは?」
「そこが曖昧。だから厄介」
花宮はスマホの画面を俺に見せた。
そこには短い投稿がいくつか並んでいた。
学校名は伏せられているし、実名も出ていない。
だが、わかる者には分かる書き方だった。
『某探索者学校の実習でトラブル?』
『体調不良で休んでた生徒、実は原因作った側らしい』
『双子の片方が巻き込まれたって聞いた』
『優秀な弟くんかわいそう』
『兄の方、最近なんか変って話あるよね』
俺は無言で画面を眺めた。
直接名前は出さないし、断定もしていない。
ただ、分かる者には分かるようになっていると感じた。
うん、これをルクスたちに見せたらどんな顔をするだろうかと考えてしまった。
残っていたパンを口に入れ始めている俺に対し、花宮は何処か呆れた顔をしながら答えた。
「これ、昨日の夜から急に増えたんだよ……最初は一つか二つ。でも今朝にはクラスでも似た話が出てる。『久城乃亜が実習で何かやらかしたらしい』って」
「根拠は?」
「ないよ」
それを言った瞬間、花宮の声が低くなった。
「ないのに広がってる……チッ」
めずらしく、花宮が舌打ちをした。
近くの生徒が驚いたようにこちらを見ているが、花宮は気にしなかった。
「ごめん。今のは隠せなかった」
「……花宮、怒っているのか?」
「まぁ、怒ってるよ……・だって、おかしいでしょ!実習の件は学校も協会も説明してない、普通の生徒が誰が何をしたかなんて知るわけないのに、急に『久城乃亜が何かした』って方向だけ広がってるんだよ!」
花宮はスマホを握り直す。
再度、また舌打ちをした。
「誰かが流したか、流れやすいように置いたか……どっちにしても気持ち悪い」
「お前がそこまで怒るとはな」
「私だって怒る時は怒るよ。それに、これは笑って済ませちゃ駄目なやつだと思う」
その視線が、俺ではなく、俺の奥を見た。
多分、こいつは考えている。
この身体の本来の持ち主が今までどんな噂に囲まれてきたのか、そしてどんな空気の中で黙っていたのか。
「久城くん……こういうの、前にもあった?」
「俺か、それとも乃亜か?」
「……乃亜くんの方」
「正確には知らない……だが、珍しくはなかったんだろうと思う」
「……やっぱり、そうだよね」
「人間は分かりやすい悪者を好む……ここには、ちょうどいい相手がいた」
「ちょうどいいって言い方、嫌すぎる」
「まぁ、事実だ」
「うん。だから腹立つ」
花宮はもう一度スマホを見る。
「発信元はまだ分からない。でも、拡散してるアカウントのいくつかは学校関係者っぽい。あと、白石さんの周りがちょっと怪しい」
「白石……ああ、白石玲奈か、いたなそんな名前」
「久城くん……はぁ、まだ断定はしない。断定したらこっちが負ける。でも、瑠亜くんを心配する投稿に反応してる人の中に白石さんと繋がってるっぽい子が何人かいる」
「空気を作っている可能性はある、か」
「うん。クラス内でも同じ。瑠亜くんを心配する言葉の後に、自然と久城くんが悪いって話になる」
分かりやすい――分かりやすいからこそ厄介だ。
瑠亜が直接命じる必要はない。
瑠亜が傷ついた顔をする、兄を庇う、周囲が勝手に怒る。
そして乃亜は、悪者になる。
「まぁ、あいつは昔からこうだったんだろうな……タチが悪すぎて何も言えん」
花宮はすぐには答えなかった。
「……多分。全部見てたわけじゃないけど、似たようなことはあったよ……瑠亜くんが悪い顔をして、久城くん……乃亜くんが悪者になるってやつ」
「便利だな」
「便利すぎて、最悪……まぁ、私もその一人だったんだけど」
花宮は舌打ちしそうな顔をして、飲み込んだ。
「だけど、今回は放っておかない」
「何をする気だ?」
「記録……誰が何を言ったか。どの投稿がいつ出たか。誰が広げてるか。スクショとログを取る。学校内の噂の流れも見るの」
そのように言いながら、花宮は少しだけ笑った。
けれど、その笑みはすぐに消える。
「でもさ久城くん。こういうの、平気なふりしなくていいからね」
「安心しろ、全然平気だ」
「うん。そう言うと思った」
花宮は呆れたように息を吐き、そして最後静かに呟いた。
「……でも、乃亜くんの方は平気じゃなかったかもしれないでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、わずかに痛んだ。
俺の痛みではない――この身体の奥深くに沈む、久城乃亜のものだ。
「ああ……そうだな」
短く答えると、花宮はそれ以上踏み込まなかった。
「まあ、私こういうの得意分野だから。任せて」
「得意分野が嫌な方向に偏っているぞ?」
「まぁ、現代っ子なので」
フフ、と笑うようにしながら、花宮はポーズを見せる。
その姿を見て、静かにため息を吐いていた、その時だった。
教室の端で誰かが言った。
「やっぱりさ、実習の件って久城乃亜が原因なんじゃないの?」
「瑠亜くん、朝もなんか可哀想だったし」
「兄の方、前からちょっと暗かったよね?」
「最近は怖いよね、何考えているかわからないし」
花宮の顔から、完全に笑みが消えた。
俺はそちらを見ず、見る必要はない。声だけで十分だった。
何事もないかのように、パンをもきゅもきゅと食べながら椅子に座っている。
――噂はもう、形を持ち始めている、久城乃亜が悪い、と。
花宮の顔が歪みながら呟いた。
「……腹立つ。すっごい腹立つ」
「おい花宮、顔に出ているぞ」
「出してるのっ!」
花宮は俺の机に軽く指を置いた。
「久城くん、これ絶対に記録するから!わかった!?」
「あ、ああ」
「あと、無理に一人で受けないで」
「……それは約束できない」
「そこは約束してよっ!」
「状況によるわ」
「……はぁ、本当、そういうとこだよ」
花宮は呆れたように言ったが、目は真剣だった。
俺は再度、窓の外を見る。
窓の外に目を向けながら、眠っている本来の体の持ち主――久城乃亜の事を考えた。
慣れてきたと思っていたのだが、どうやら俺が考えている以上に、乃亜は学校でこのように追い詰められていたのだろう。
乃亜、お前は、これをずっと受けていたのか。
胸の奥に返事はない――ただ、沈んだ場所で何かがかすかに震えた気がしたので、俺はパンを飲み込んだと静かに呟いた。
「本当、くそったれだな」
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




