第108話 弟の空白【久城瑠亜視点】
3部完結いたしました。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
相変わらず、変わらない日常——ただ一つ変わっている事は兄さんたちが学校を休んでいる。
その事実だけで、教室の空気は少しだけいつもと違っていた。
いつも通りの教室のはずなのに、どこか落ち着かない。
理由は分かっている。
この前のダンジョン実習で起きた事をみんながまだ引きずっているからだ。
僕も、その引きずっている一人でもある。
兄さんと理央、
透花ちゃんと花宮さん。
あの四人は、今日も変わらず学校に来ていない。
先生は「体調不良と事情確認のため」とだけ説明したけれど、それで納得している人なんてほとんどいない。
噂が噂を飛びかかっていた。
実習中に何かが起き、久城乃亜が何かをしたのではないだろうか?
理央たちはそれに巻き込まれたのではないだろうか?
そんな空気が、教室のあちこちに漂っている。
僕は自分の席に座りながら、机の端を指でなぞっていた。
——兄さんが、いない。
あの時、兄さんが倒れたことも知っている。
血を吐いて、膝を折って、それでもまるで誰かを守るかのように——でも、そのことを深く考えると胸の奥がざわざわした。
心配、不安、そして怖さ。
あれは、そういう言葉で片づけられるものではなかった。
――兄さんが遠くなった気がする。
前の兄さんなら僕が少し困った顔をすれば、必ずこちらを見た。
僕が泣きそうな声を出せば、周りは僕の味方をして兄さんは何も言えなくなった。
それが当然だったのだ。
兄さんは、僕より下にいる人だった。
僕の方を見て、僕に気を遣って、僕が傷つかないように黙る人だった。
なのに、今の兄さんは違う。
僕を見ない、僕に合わせない、そして僕が泣いても、困った顔をしない。
兄さんなのに。
僕の兄さんなのに。
まるで、別人で――。
「――瑠亜」
声をかけられて顔を上げると、海斗くんが僕の机の前に立っていた。
彼はいつも僕のことを気にしてくれる、クラスの中心にいる男子。
海斗くんは周囲を一度見てから、少し声を落とした。
「お前、大丈夫か?」
「え?」
「いや、最近ずっと疲れてるみたいだからさ。あの実習のこともあるし」
「ああ……うん。大丈夫だよ」
僕は笑った。
ちゃんと、いつもの顔で、心配をかけないように。
でも、少しだけ無理をしているように見えるくらいに。
「兄さんたちも休んでるし……少し、心配だよね」
そう言うと、海斗くんの眉がぴくりと動いた。
「瑠亜は優しいな」
「えー……そんなことないよ」
「いや、優しいよ。普通なら怒っていいだろ?」
「怒る?」
「だって、久城乃亜のせいで実習めちゃくちゃになったんじゃないのか?」
教室のざわめきが、ほんの少しだけ近くなる。
周りが聞いていないフリをしながら、こちらを気にしているのが分かった。
僕はすぐに否定しなければいけなかった。
兄さんのせいじゃないのなんて、まだ分からない。
勝手な事を言わないでほしい――そのように、普通なら言うべきなのかもしれない。
けれど、言葉はすぐには出なかった。
いつもと同じに、僕は優しい弟を演じる。
「……兄さんにも、事情があったんだと思う」
僕はそのように答えた。
完全に否定している言葉でもはないのだ。
それを見た海斗くんは、少しだけ悔しそうな顔をした。
「お前……また庇うのかよ」
「庇うとかじゃないよ。ただ……兄さんも悪気があったわけじゃないと思うからさ」
「悪気がなければ何してもいいわけじゃないだろ」
その声に、近くの女子が反応する、彼女は白石玲奈さんだった。
玲奈さんは僕の方を心配そうに見てから、海斗くんに同意するように頷いた。
「私もそう思うよ瑠亜くん、いつもお兄さんのこと庇うけど……でも、瑠亜くんが苦しそうにしてるの、見ててつらいよ」
「白石さん……」
「だって、そうじゃない?乃亜くん、最近ちょっと変だし。瑠亜くんに冷たくない?」
冷たい——その言葉が、胸に引っかかった。
兄さんが僕に冷たい。
そうだ、そう見えるのだろう。
周りから見ても、今の兄さんはそうなのだろう。
昔の兄さんは、僕に冷たくなんてしなかった。
僕が困れば譲ってくれたし、泣けば黙ってくれた。
僕が望めば、周りは自然に兄さんを責めた――それが、当たり前だったのに。
「兄さんは……最近、少し変わっただけだよ」
また、否定しきらなかった。
それを見て、玲奈さんは唇を噛む。
「瑠亜くん、そうやってまた我慢してる」
「我慢なんて」
「してるよ。だって、前からそうだったじゃん。乃亜くんが何かしても、瑠亜くんはいつも笑って許してた」
違う。そう思った。
兄さんが何かしたから、僕が許していたわけじゃない。
僕が困った顔をすれば、周りがそう判断しただけだ。
――乃亜が悪い。
――瑠亜は可哀想。
――瑠亜は優しい。
そういう形に、いつの間にかなっていただけで僕がそうさせたわけじゃない。
そう、思いたかった。
まぁ、それを誘導しているのは多分僕なのかもしれないけど。
「――瑠亜」
低い声が割り込んだ。真田颯真くんが声をかけてきた。
彼は一つ年上だけど、探索授業や部活動の関係でよく顔を合わせる。
海斗くんよりも感情が表に出やすくて、すぐに行動するタイプだ。
いつの間にか僕たちの教室に来たのだろうかと考えつつも、彼は腕を組んで、僕を見た。
「お前、あんまり我慢すんなよ」
「大丈夫だよ、真田先輩」
「大丈夫な奴は、そんな顔しねえ」
そんな顔――僕は今、どんな顔をしているのだろう?
もし、そう見えているのなら、きっとそれでいい。
「久城乃亜が戻ってきたら、俺が話つけてやる」
「えっ」
それを聞いて、僕は慌てたように顔を上げてしまった。
まさかそのような言葉が出るとは思わなかった。
「そんなの駄目ですよ!兄さんにも事情があるし、僕は別に……」
「瑠亜はそう言うと思った」
颯真くんは少し笑った。
「でも、誰かが言わなきゃ分かんねえだろ。ああいうタイプは」
ああいうタイプ——昔の兄さんなら、そんな言われ方をしたら俯いただろう。
何も言い返せず、ただ困ったように笑ったかもしれない。
でも、今の兄さんは違う。
颯真くんが何か言っても、きっと兄さんは動じないだろう、そんな気がする。
冷たい目で見て、「邪魔だ」とか「知ったことじゃない」とか言うのだろう。
それを想像すると、胸の奥がまたざわついた。
腹が立つけど、怖い。
でも、少し見てみたいとも思ってしまった。
みんなが兄さんを責めるところを見てしまいたいなんて。
兄さんがそれでも平気な顔をしていられるのかをみたいなんて。
「……でも、本当にやめてね」
僕はそう言った。
ちゃんと止めているように一応声をかけた。
「僕は、兄さんと喧嘩したいわけじゃないから」
「ああ、分かってるよ」
海斗くんが優しく言う。
「瑠亜は悪くない。俺たちも別に喧嘩したいわけじゃない。ただ、あいつがまたお前を傷つけるなら黙って見てる気はないってだけだ」
玲奈さんも頷いた。
「そうだよ。瑠亜くんが言えないなら、周りがちゃんと言わなきゃ!」
颯真くんは、もう決めたような顔をしていた。
僕は困ったように笑う。
「……ありがとう。でも、あまり大ごとにはしないでね」
その言葉に、三人はそれぞれ頷いた。
多分、彼らは僕の言葉を優しさだと思った。
兄を庇う弟の言葉だと受け取った。
でも、本当にそうだったのかは、自分でも分からなかった。
僕は止めたよ、ちゃんとやめてと言ったから。
だから、もし何かが起きても、それは僕のせいじゃない。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった——けれど同時に、どこか空っぽになった。
ホームルームのチャイムが鳴る。
それと同時に、周りにいた三人は離れていく。
先生が教室へ入ってきて、そしていつも通りの朝が始まる。
でも、教室の空気はもう少しだけ変わっていた。
兄さんがいない場所で、兄さんの話が進んでいく。
兄さんの知らないところで、兄さんの形が決められていく。
昔も、そうだった。
だけど、今度は少し違う。
昔の兄さんなら、ただ黙っていたけど、今の兄さんは、きっと反発するかもしれない――いや、そもそも。
――今の乃亜は、お前の思い通りにはならない。
あの時、静かに目で僕に言った兄さんの顔が忘れられない。
怖くて、腹立たしい。
その日の放課後、僕は一人で教室に残っていた。
窓の外では、部活動へ向かう生徒たちの声が響いており、夕方の光が机の上に伸びて、誰もいない教室を薄い金色に染めていた。
スマホを開くと、メッセージがいくつも届いている。
内容はだいたい同じだった。
——瑠亜は悪くない。
——無理するなよ。
——久城乃亜が戻ってきたら、ちゃんと話そう。
——あの件、やっぱり変だよね。
——瑠亜くん可哀想。
僕はそれを見つめる。
”可哀想”——その言葉は嫌いではなかった。
可哀想でいれば、みんなが僕を見てくれる。
僕の味方をしてくれるし、兄さんを責める理由になる。
僕は何も命令していない。
僕はただ、困っているだけ。
兄さんを心配しているだけ。
なのに、みんなが勝手に動いてくれる——それは、少しだけ安心できる事だった。
ふと、スマホの画面が暗くなる。
そこに映った自分の顔を、僕はしばらく見ていた。
その顔は、まるで、可哀想な弟の顔——しかし、何処か歪んでいる顔をしているようにも見えた。
その時、黒く沈んだ画面に、僕の顔とは別のものが映った。
金色の瞳と、獣のような、細い瞳孔。
『上手だね』
「……え?」
声がした気がして、僕は顔を上げた。
教室には誰もいないが、廊下からも遠い足音しか聞こえない。
窓の外では、いつも通りの学校の音がしている。
気のせい、そう思おうとした。
けれど、スマホの画面の奥で、金色の瞳がもう一度細くなる。
『君は、手を汚さずにお兄さんを囲える――そんな君のお兄さん……僕は欲しいなァ』
「は……?」
返事はない、ただ、画面に映った金色の瞳がほんの少しだけ笑ったように見えた。
次の瞬間、スマホの画面が普通に戻る。
そこには、僕の顔だけが映っていたので、思わずスマホを握りしめる。
「……僕は、何もしてない、よね?」
そう呟いた声は、自分でも驚くほど弱かった。
第3部「月影の吸血姫」完
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




