第107話 ノアの帰る場所を作る【篠宮智明視点】
乃亜がまた倒れた——少しは自分が病み上がりだと言う事を考えろバカ野郎!と言いたかった。
「ノア!!」
セレネの声が鋭く響き、またルクスが即座に身体を支えており、俺も反射的に手を伸ばした。
軽い――触れた瞬間、ゾっとした。
ついさっきまで平気だの多分だのと言っていたくせに、その身体は明らかに限界を超えている。
「家へ運ぶぞ」
「あ、ああ!」
父さんの言葉に俺は頷き、ルクスと一緒に乃亜を抱え直した。
例え中身が違うとしても、乃亜は今乃亜なのだから――そのように考えながら、俺は幼い少年の体を抱きかかえた。
この身体は先ほどまで、異世界だのバケモノだのというものを相手にしていたのだ。
冗談じゃない――だが、冗談では済まないことを、俺はもう知っている。
家に戻ると、母さんがすぐに布団を敷かせた。
理央くんが毛布を運び、透花ちゃんが震える手で湯を用意する。
花宮ちゃんはスマホを握り、外の様子と電波を確認している。
先ほどまで電波がうまくできなかったけど、今はどうやら元に戻りつつあるらしい。
そのまま、乃亜を布団に寝かせると、セレネがすぐ傍へ膝をついた。
彼女は紅い結晶を胸元に抱いたまま、もう片方の手で乃亜の額に触れ――淡い月光が、身体へ染み込んでいった。
ふと、紅い結晶に視線を向けた。
「おい、その紅い結晶は……」
「色々ありましたので……あなたに話す事はノアに確認してからにします」
「ああ、わかった……乃亜は、大丈夫なのか?」
「命に関わるほどではありませんから大丈夫です。ただ、反動が強いです。魔力の消耗と、身体への負荷……先日の傷もまだ完全には癒えていませんので」
「……だろうな」
「原因は私ですので……本当に申し訳ございません」
「いや、行くって言ったのはコイツだから、アンタが謝らなくていい」
セレネの言葉に対し、俺は答える。
それを聞いて、彼女の目が見開いた。
俺は息を吐き、声を落とした。
「今謝られたら、こっちが困る……あいつが起きたら説教するから気にするな」
「……はい」
セレネは小さく頷いたのを角印した後、俺はスマホを取り出す。
何度も確認したが、やはり電波は戻っていた。
俺はすぐさま何度も繋がらなかった相手へ電話する。
数コールで繋がった。
『――智明?』
美玲の声は硬かった。
「やっと繋がったわ、はー……驚くなの?祖父母宅の近くにダンジョンが出た」
『…………は?何言っちゃってんの?』
「気持ちは分かる。俺も同じく呆れた」
『場所、民家の近くよね?自然発生?』
「普通じゃない奴だった。中にはどうやら吸血鬼みたいなやつらがいたらしい」
『吸血鬼?』
「ああ……まぁ、とりあえずダンジョンは色々あって閉じたんだが……やったのは、乃亜だ」
『どうしてアンタの甥っ子が?』
「それは色々事情があってな……まぁ、そういうのがあったって報告」
『……そう』
美玲との話をしながら、俺は再度乃亜に視線を向ける。
布団に寝かされた乃亜の前に、傍にいるセレネ。壁際に立つルクス。
不安そうに見守る理央くん、透花ちゃん、澪ちゃん——そして父さんと母さんの姿。
俺は再度、静かに息を吐く。
「色々と騒ぎになって、隠すのは無理だな……どうしたらいい?」
『なら、最低限の報告ラインを作りましょう。民家近くの一時的な空間異常、被害なしと、詳細不明。今夜はそれで通すしかないわ』
「ああ、助かる」
『そのぐらい何とかやるわよ……今度、色々奢ってもらうから』
「ああ、分かってる」
『――それと、智明』
美玲の声が少し柔らかくなった。
『……あなた、大丈夫?』
「……大丈夫じゃないな」
言ってから、自分でも少し驚いた。
どうやら俺自身が大丈夫じゃない。
寝ている乃亜の姿を見て、静かに笑いながら。
「乃亜が倒れて……俺は保護者面してるくせに、肝心なところで何もできなかった」
『あのね智明、あなたがそんな事言ったって、何にもならないわ』
「……そうか?」
『……せめて今のあなたがするのは、乃亜君が安心して帰れる居場所を作るのよ。まだ、お姉さんたちの事、解決してないんでしょう?』
「……ああ」
『乃亜君の帰る場所を、ちゃんと場所を守りなさいな』
美玲の言葉を聞いて、俺は黙った。
帰ってくる場所——確かにそうなのかもしれない。
馬鹿みたいに無茶をして帰ってきた時、怒って、寝かせて、飯を食わせる場所。
乃亜が静かにいつも言ってくる。
『ただいま、叔父さん』
いつも、乃亜はそのように言ってくれる――それも、必要な事なのだろう。
「美玲……明日、来られるか?」
『朝一で行くわよ、もう準備中!表向きは現場確認と事情聴取して、裏では記録整理と口裏合わせしとくわ!』
「頼む」
『その代わり、少しでも寝なさいよ?』
「わかった、努力する」
『約束ね?』
「……分かった。約束する」
静かに息を吐いた後電話を切ると、親父がこちらを見ていた。
「本条さんか?」
「ああ。朝一で来るってさ」
「そうか……智明、この件はもう家の中だけでは済まん。だが外へ出しすぎれば、乃亜は守れない」
「ああ」
「とりあえず、今は寝なさい。これからの事は寝た後に考えよう」
「……悪いな、父さん」
父さんはそのように言った後、そのまま奥の方に行った。
残された俺は再度乃亜に視線を向け、そしてセレネたちに目を受ける。
ふと、その時ルクスが俺に近くにいた事に気づいた。
壁際に立っていると思っていたのに、いつの間にか俺のすぐそばまで来ていたらしい。
相変わらず無駄な気配がない。
「……なんだよ」
俺が声をかけると、ルクスは布団で眠る乃亜へ視線を向けたまま答えた。
「主を運んでいただき、感謝する」
「礼を言われるようなことじゃない。叔父として当然だ」
「叔父、か……」
「なんだ。不満か?」
「いや……」
ルクスは静かに首を横に振った。
「主には、そういう存在が必要なのだと思っただけだ……前の世界でも、主は一人だったから」
「……そうか」
その言葉に、俺は一瞬返せなかった。
乃亜の身体にいるのはノアーーだが、その身体は乃亜のものでもある。
そして俺は、そのどちらにも中途半端にしか手を伸ばせていない気がしていた。
「……俺に何ができるんだろうな?」
思わず、そんな言葉が漏れてしまった。
ルクスが何も言わず、こちらを見る。
金色の瞳は静かで、けれど妙に厳しいような気がした。
「……主は戦える、私も……セレネもだ」
「ああ」
「ただ、主は休むことが下手なんだ」
「ああ、それは知ってるわ」
「頼ることも、あまり得意ではない」
「それも知ってる」
ルクスは淡々と言ってくる。
俺は静かに頷く事しか出来ない。
対し、その瞳で俺を捕えながら、答えた。
「主が倒れた時に怒り、無理をした時に止め、帰る場所を用意してほしい」
「……美玲と同じこと言うんだな」
「本当の事を言っただけだ」
それを聞いて、少しだけ笑いそうになった。
召喚獣だのなんだのと言われても、今の言葉は妙に人間くさい――いや、もしかしたら人間よりもずっと真っ直ぐかもしれない。
「お前は、いや、お前たちは本当に乃亜のことを大事にしてるんだな」
「当然だ——主は私の主……ですが、それだけではないからな」
ルクスはそのように言いながら眠る乃亜を見る。
「主は、多くを失っても前に進んでいた……しかし、だからこそずっと一人だった。だからこそ、あなたと言う存在が今必要なんだ」
「……それが俺の役目か?」
「――あなたが望むなら」
「望まなかったら?」
「それでも、あなたはやるだろう?」
「……」
「違いますか?」
クソ、違わないから腹が立つ。
俺は小さく息を吐き、布団の上の乃亜を見た。
呼吸は落ち着いている。
「やっぱり、起きたら説教だな」
「……そうしてくれ」
俺がそう言うと、ルクスはほんの少しだけ目を細めた。
笑ったのかもしれない。分かりにくいが。
ふと、窓の外は少しずつ白み始めていた。
異常な夜が終わり、普通の朝が近づいてくる。
だけど、本当に何も終わってはいない。
「帰る場所、か」
俺は思わず、小さく呟いたのだった。
静かに呟きに対し、ルクスは何も言わなかった。
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