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異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第03章 月影の吸血姫編

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第105話 封じる手、残る痛み


 白い月輪が、深紅の血界を裂いた。


 エルヴィーラの足元に生まれた空白へ、セレネが踏み込む。

 赤黒い霧が彼女の白い衣を掠め、髪を揺らし、細い腕に絡みつこうとするが、月光は止まらない。

 セレネの背後で、巨大な月輪が回転していた。

 満月のような白い光――清らかで、静かで、逃げ場のない光。

 それは剣のように斬るものではなかった。

 炎のように焼き尽くすものでもない。


 ――照らす光だった。


 照らし、暴き、包み込む。

 呪いも、怒りも、寂しさも、全てを白い月光の中へ引き上げる。


「エルヴィーラ」


 セレネが再度、彼女の名を呼んだ。

 彼女は逃げなかった。

 深紅の瞳でセレネを見つめたまま、血霧の中心に立っている。

 その背後では赤い月が脈打ち、棺が軋み、薔薇の花弁が血のように散っていた。


「――私は絶対に、あなたを忘れません」

「……聞き飽きたわ」


 エルヴィーラが小さく笑う。


「忘れないだけでは、何も救えないわよ、セレネ」

「はい」


 セレネは否定しなかった。


「確かに、忘れないだけでは救えないですよね」


 そのように言いつつ、セレネの月輪がさらに近づいている。

 血界が削られ、赤い霧が白い光の中で薄れていく。


「なら、なぜ言うの?」

「……今度は、逃げないためです」


 セレネの声は静かだった。

 彼女の体は震えていないが、痛みが消えたわけではない。

 静かに、エルヴィーラを見た。


「あなたを完全に救う方法を、私はまだ知りません」

「……まだ?」

「はい」

「今さら、探すつもり?」

「今さらでも……元々、考えていた事です」


 セレネは一歩、さらに前へ出る。


「私は嘗て、あなたを封じる事しかできませんでした。あの時の選択を間違いだったとは言いません。けれど……正しかったからといって、あなたの痛みが消えるわけではない」

「……」

「だからこそ、今度は閉じ込めて終わりにはしません」


 セレネの両手に集まった月光が、細い鎖のように形を変えた。

 白銀の鎖――だが、それは縛り上げるためだけのものではない。

 祈りのように、ゆっくりと、エルヴィーラの周囲へ広がっていく。

 俺は黒星と白雨を構えたまま、それを見ていた。

 援護は必要ないだろう、少なくとも今この瞬間は。


 ――これはセレネの戦いなのだから、俺が割り込んで終わらせるものではない。


 ルクスも動かず、ただ周囲の血霧を警戒しながらセレネの背中を守っている。

 エルヴィーラは月光の鎖を見下ろし、薄く笑った。


「ああ……また封じるのね」

「……はい」

「……結局、同じじゃない」

「……いいえ、同じではありません」

「前と、どう違うの?」


 その問いには、棘があった。

 けれど同時に、どこかで答えを求めているようにも聞こえた。

 それでも尚、セレネは目を伏せない。


「私は、あなたを置いていきません」


 セレネの言葉を聞いた瞬間、エルヴィーラの表情が止まった。


「……嘘」

「嘘ではありません」

「今から私を、封じるクセに」

「ええ、封じます……今のあなたをこのまま外へ出すことはできません」


 セレネの声は優しい。

 けれど、甘くはなかった。


「あなたの血界は、あなた自身も傷つけています……これ以上広げればあなたはまた呪いに呑まれる。だから、止めます、止めさせていただきます」

「ほら、やっぱり止める」

「――はい」


 セレネは静かに頷く。


「ですが、今度はあなたの夜をなかった事にはいたしませんから」


 月光の鎖が、エルヴィーラの足元へ触れ、赤黒い血霧が抵抗するように渦を巻く。

 だが、白い光はそれを無理に消し飛ばさない。

 絡み合い、形を整え、荒れ狂う夜を少しずつ静めていく。


「あなたが憎んだ事も、待っていた事も、私を恨んだ事も、救われたかった事も――全部、覚えています」


 エルヴィーラの唇が震えた。


「……そんな事を言われても、許せないわ」

「はい」

「憎いの、あなたが……あなたの隣にいる男も、あなたが進んだ時間も、全部、全部」

「はい」

「それでも、あなたに覚えていてほしかった」


 セレネは見つめているだけで。

 エルヴィーラの深紅の瞳が揺れる。


「……本当に、残酷ね」


 その声は、泣いているようだった。

 涙は流れていないし、エルヴィーラは泣かない。

 少なくとも、今この場所では――だが、その声は確かに痛んでいた。


「あなたは本当に、優しすぎて残酷ね」

「……そうかもしれません」

「否定しないの?」

「ええ、できません」


 セレネはかすかに微笑んだが、それは苦い笑みだった。


「私は、あなたを救えなかった月影の巫霊()ですから」


 セレネの言葉に対し、エルヴィーラはしばらく黙っていた。

 血界の赤が少しずつ薄れ、大広間を覆っていた夜が月輪の中へ吸い込まれていく。

 棺からこぼれる霧も、薔薇から滲む血も、ステンドグラスの赤い光も、全てが白銀の鎖へ絡め取られていく。

 だが、消滅ではないと、俺には分かった。

 血界ごと小さく畳み、月光の内側へ封じ直している。

 嘗てのように、ただ深い夜の底へ沈めるのではなく、存在の輪郭を残したまま、暴走した呪いだけを閉じようとしている。


「……大変な術、だな」


 セレネにとって、大掛かりなモノなのだろう。

 術式としても、そして感情としても。


「――ノア」

「なんだ」

「お願いがあります」


 彼女の言葉に対し、首を傾げると、セレネは笑って答えた。

 

「――少しだけ、支えてください」


 迷いのない言葉に、俺はすぐに頷いた。


「ああ」


 俺は黒星を下ろし、右手を前へ出す。

 契約の糸を通して、セレネへ魔力を流す。

 大量ではなく、今の身体で無理をすれば、また倒れる――だから必要な分だけ、細く、正確に。


「ルクス」

「はい」

「外側を押さえてれ、血霧を逃がすな」

「わかりました」


 俺の言葉に対し、ルクスの白銀の影が広がり、月光の鎖から漏れようとした血霧を囲い込む。

 エルヴィーラが俺を見た。


「あなた、本当に邪魔ね」

「ああ……よく言われる」

「セレネを奪ったくせに」

「悪いが、奪ってないぞ?」

「……じゃあ、何?」


 俺は少しだけ考えながら、答える。

 だが、この場で言うべき言葉は多分別なのかもしれない。


「俺は、彼女の隣にいるだけだ」


 エルヴィーラの目が、わずかに揺れた。


「……それが一番、腹立たしいわ」

「そうか」

「ええ、そうよ」


 エルヴィーラは、小さく笑った。

 冷たい笑みだった。

 けれど、そこにはほんの少しだけ寂しさがあった。


「次に会う時は、もっと上手に壊してちょうだい」

「断る」


 俺が即答すると、エルヴィーラは少しだけ目を見開いた。

 それから、本当に微かに笑った。


「つまらない男ね、本当に」

「知ったことじゃない」

「……でも、嫌いではないわ」

「それは困るな」

「そうよ、困ればいいのよ」


 エルヴィーラの輪郭が、月光の中で薄れていく。

 白銀の鎖が彼女の周囲に幾重にも重なり、血界を小さく折り畳んでいく。

 大広間の赤い夜が玉座と棺の周囲へ集まり、さらに一つの小さな赤い月のような形へ収束していった。

 セレネは両手を伸ばしたまま、静かに術を結ぶ。


「エルヴィーラ」

「なあに」

「私は、また会いに来ます」

「……来なかったくせに」

「今度は、来ます……必ず」


 セレネの言葉に対し、エルヴィーラは答えなかった。

 ただ、深紅の瞳でセレネを見ていた。

 憎しみは消えていないし、怒りも、痛みも、きっと残っている。

 許されたわけではないし、救えたわけでもない。

 それでも、彼女は最後に目を逸らさなかった。


「なら、覚えていなさい」


 エルヴィーラが言う。


「私の名を」

「はい」

「私の夜を」

「はい」

「私が、あなたを憎んでいることも」

「……はい」


 セレネの声が、少しだけ震えた。


「忘れません」

「――なら、少しだけ待ってあげる」


 エルヴィーラは微笑む。

 冷たく、優雅に――でも、ほんの少しだけ寂しそうに。


「次は、封じるだけでは許さないわ。月影の巫霊」

「はい」

「そして、その主も」


 深紅の瞳が俺を見る。


「あなたもよ」

「俺もか」

「ええ。あなたが隣にいるせいで、セレネは少しだけ強くなってしまったもの」

「それは悪かったな」

「本当にね」


 エルヴィーラは最後に、赤い月を見上げた。


「……やっぱり、月は遠いわ」


 その呟きと同時に、白銀の鎖が閉じ――赤い月が砕ける。

 いや、砕けたのではない。

 小さな紅い結晶へと畳まれたのだ。

 エルヴィーラの姿が消える。

 血霧も、影も、蝙蝠も、夜の一族の残響も、すべてがその紅い結晶の中へ吸い込まれていった。

 大広間に、白い月光だけが残り、同時にセレネは両手を下ろした。

 その掌の上に、小さな紅い結晶が浮かんでいる。

 深紅の奥に、淡い月の光が閉じ込められたような結晶だった。


「……終わったのか?」


 俺が尋ねると、セレネはしばらく答えなかった。

 やがて、静かに首を横に振る。


「いいえ」


 その声は、酷い苦い。


「終わらせたのではありません……ただ、封じただけです」


 セレネの指先が、紅い結晶を包む――その手は震えていた。

 俺は少しだけ息を吐く。


「それでも、今度は置いてこなかっただろう?」


 セレネがこちらを見た。

 そして、静かに頷く。


「……はい」

「なら、前よりはましだ」


 慰めにしては雑だ。

 だが、綺麗な言葉を並べても意味はない。

 セレネもそれを分かっているのだろう、彼女は小さく、ほんの少しだけ笑った。


「本当に、あなたは慰めが下手ですね」

「知ってる」

「でも」


 セレネは紅い結晶を胸元へ抱く。


「今は、それで十分です」


 その瞬間――大広間の天井に、亀裂が走った。

 赤い月が消えたことで、血界の支配が崩れたのだろう――壁のステンドグラスが次々に割れ、棺が砂のように崩れていく。

 床の月と薔薇の紋様が白く焼け、そこから黒い亀裂が広がった。


「主、崩れます!」

「だろうな……」


 ルクスの言葉に、俺は黒星と白雨を消してセレネへ視線を向ける。


「走れるか!」

「はい!」


 セレネは紅い結晶を大切に抱いたまま頷いた。

 その顔には勝利の喜びなどない、あるのは痛みと、苦さと、それでも前へ進むための静かな決意だけだ。

 大広間が崩れ始め――俺たちは、崩壊する月血のダンジョンから脱出するため、白い光の残る道を駆け出した。


読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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