第9話:壊滅
評議会議室は物々しい雰囲気に包まれていた。人の出入りがあるたび、宵闇が映る窓を照らす灯りが小さく震える。
「被害の大きさは国境近くの……ここ。続いて、ウオリ村。最後に、ヤルヴです。最初の村は、民家などの建物の被害は壊滅的ですが、ほとんどの住民が村祭りの準備とかで山に入っていて、被害を免れています。また、今し方の報告によると、敵の移動が認められており、次に狙うのは……どちらか。もしくは、どちらもか。距離的には変わりません」
第三騎士隊の隊長であるシニエは地図を指差した。
「ならば、ウオリに向かうべきだ!」
財務大臣が甲高い声を出す。
「両方行ける!」
鎧を身につけたペルナが遅れて入ってきた。その後ろには、グレイプもいる。
「両方? 人間の村を優先――」
「どっちも同じだ! どっちもタイヴァスの民だ!」
大臣が言い終える前に、ペルナは怒鳴った。
再び、斥候からの報告が入る。
「風は北寄り。位置的には、ヤルヴのほうが狙われる可能性が高い」
「私も第三騎士隊長の言う通りだと思います。ヤルヴの方が風下に位置します。しかし、敵は魔物の群れ……読めないというのが本音です」
シニエが重々しく告げる。続いて、軍師のシトルーナが付け足した。どちらも苦渋とも、険しいとも表現できる顔をしている。
「ウオリの特産品を好む貴族も多い! そ、それに交易の中継地点にもなってる! そちらを優先させるべきでしょう!?」
「戦力を分散させてください!」
大臣とペルナの鋭い視線を受け止めてから、ヴェシメロニは地図に目を落とした。
「ウオリとヤルヴで隊を分ける。ウオリには、私が向かう。グレイプ副隊長は、私と共に。第一騎士隊長はヤルヴへ。急げ!」
そう言い切った低い声には、反論を許さない重みがある。
ペルナとグレイプは頷くと、そのまま評議会議室を駆け出した。ヴェシメロニも後に続く。
シトルーナは、国王への報告に走る。
その場には、難しい顔をして地図を睨むシニエと、ただオロオロしているだけの大臣が残された。
やがて夜の帳を切り裂くように、銀色に輝く鎧に身を包んだ騎士たちが、蹄鉄を響かせて城門を飛び出していった。
ヤルヴの村は、普段の夜とは違う時間を過ごしている。遠くに夜空を赤らめる炎と森のざわめきを見ながら、獣人たちは震えていた。
「本当に来てくれるんですか?」
守備隊の若者が弓を握りしめて、村の入り口付近を見る。
「来る。きっと来てくれるよ。信じよう」
族長は若葉色のベストには似合わない、古い灰色がかった黒革の鞘に収まった剣を握りしめて、木々の向こうに広がる闇を見つめた。
ペルナは馬を駆り立てる。風を切り、背後の景色が色を失い、闇に吸い込まれていく。魔術を施された馬は息一つ乱すこともなく飛ぶように大地を走り抜ける。
不意、遠くから爆音のような低い音が聞こえてきた。ウオリ村の方だ。だが、ペルナはまっすぐにヤルヴの集落がある先だけを見る。
やがて、湖が見え、湖畔に並ぶとんがり屋根が見えてきた。途中で何体かの魔物を斬り倒しながら進んだが、ヤルヴの集落は小屋から逃げたニワトリたちが騒いでる程度で、それらしい被害は出ていなかった。
「騎士様!」
族長は丸眼鏡の下の目を大きく見開いて輝かせた。
「村の人たちは!?」
大丈夫なのか! ペルナは馬から飛び降りた勢いのまま駆け寄る。
「だ、大丈夫です。大丈夫! 先ほど、見たことのない魔物に鳥小屋を破壊されたりもしましたが、何とか……何とか」
族長は何度も頷きながら答えた。その隣で、少しだけ自慢げに守備隊の若者が手にしている弓を目線の高さまで掲げて見せた。
「そうか。よかった……でも、魔物はこっちにも向かってる。油断はできな――」
そこまで言った時、ペルナの視界の端の遥か先で大きな爆音とともに空が燃えた。湖の向こう側、水面の彼方が赤く揺らいでいる。
住人たちが悲鳴をあげる。
「あ、あちらの村は?」
「大丈夫だ。あっちにも騎士団が向かってる。とにかく、今は住人たちを避難させるのが先だ。お前ら、手はず通りに進めろ!」
不安に声を震わせる族長に、ペルナは深く頷いてみせた。それから、部下に指示を出す。
甲冑に身を包んだ兵士たちの姿に、獣人たちは恐々としたが、すぐに信頼の視線を向けて指示に従い始めた。
「本当に、あちらは大丈夫なのですか?」
「あっちには、副団長と俺の隊の副隊長がいます。だから――」
不安そうに耳を頭の後ろに寝かせてしまっている族長に、ペルナが「大丈夫だ」と言ってやろうとした時、再び湖の向こうで大きな火の手が上がった。
そして、二回、三回と爆音が続き、水面が真昼のように明るく照らされる。
さすがにペルナも表情をこわばらせた。
「あちらに応援に行かれたほうがいいのでは?」
「いや。俺の任務はヤルヴを守ることです」
そう話し合う最中、二人の視線の先では大きな炎が対岸の木々を燃す。爆音以外の音は聞こえないはずなのに、人々の悲鳴が聞こえる気がした。
「行ってください! あちらはヤルヴよりも人が多い。子どももたくさんいます。ここは大丈夫! 皆さんがいます。あなたがいなくても、我々は持ち堪えてみせます! だから、あなたはウオリ村を助けに行ってください!」
族長は優しい声ながらも口調を強くして言った。
「今ならば、まだ間に合う! 救える命もありましょう!」
どうする? ペルナは目を固く閉じる。本来ならば指示に従って、この場を離れるべきではない。
「わかった。必ず戻ります!」
だが、すぐに族長の目を見て頷いた。
「おい! 数人ついて来い! ウオリに向かう!」
言うが早いか、ペルナは馬に飛び乗る。続いて、言われた通り何人かの兵士が速やかに馬を走らせた。
――ウオリ村に近づくにつれて煙に視界が奪われる。教会の屋根が見えてきた頃、ペルナは馬から飛び降りて、剣を抜き、戦いに加わった。
魔物と人間が混在している敵を倒しながら村の中心まで行けば、敵と交戦中のヴェシメロニの姿があった。数をものともしない戦いぶりは、さすがとしか言いようがない。飜る濃藍色の外套にさえも動きに無駄がない。
「副団長!」
ペルナは敵を掃討して駆けつける。
その姿を見た瞬間、ヴェシメロニは僅かに目を見開いた。
「何故、ヤルヴを離れた!」
そう怒鳴った直後、湖の向こう側で雷鳴のような轟音と共に猛火が天高く噴き上がった。
手綱を緩められた馬は地を蹴り、風を切って疾走する。それでも、ペルナの目には景色が少しずつしか流れていないように見えて、もどかしい。間に合ってくれ! そう何度も頭の中で繰り返す。
ヤルヴの集落は激しい炎に包まれていた。目の前、燃え上がる炎を背に木々が黒い影となって、闇に浮かんで見える。紅蓮に照らされる湖面が溶岩のように揺らいでいる。
ペルナは馬から飛び降り、変わり果てた村を前にして言葉を失った。ゆっくりと歩み寄れば、村の入り口の柵は崩れている。建物の木材が爆ぜる音に合わせて、熱風に激しく火の粉が舞う。
その場には、猛火が木を潰す以外の音はない。敵もいない。獣人たちもいない。命を感じさせるものは何もない。
不意、激しい火の粉を舞い上げて、とんがり屋根が崩れ落ちた。舞い上がる熱風にペルナの髪が揺れる。風の方へ目を向ければ、瓦礫の下に手――蹄が見えた。
そこには、誰もいないわけではない。そこかしこに村人が倒れている。
誰か……誰か、いないのか? ペルナは早まる鼓動に反して、重い足をゆっくりと踏み出す。
やがて、集落の広場まで来たところで足を止めた。弓を握りしめた若者が紅血の中に倒れている。若者だけではない。村の人々、部下の兵士たちも倒れている。その誰もが動かない。
ペルナは浅い呼吸に息が詰まりそうになる。喉が酸で焼けるように痛む。また、どこかで家が崩れた。それを合図にするかのように、再び足を踏み出す。
同じ色の残酷な景色が続く中、視界の先に見覚えがある木組みの大きな家が見えてきた。その少し手前、赤に染まりつつある若葉色のベストを着た老人が倒れている。白い毛並みは血と煤で汚れている。
ペルナは止まりかける重い足を前へと出し、そのかたわらまで進んだ。頭の中で声が聞こえる。「我々は持ち堪えてみせます」という優しく勇敢な声。族長は約束を守ろうとしたのだろう。その手には、鞘から抜かれた剣が握られている。
ガシャン。ペルナは、崩れるように膝を地面に落とした。地面についた手で、なんとか自分を支える。深く息を吸おうとするが、煙と熱が喉を焼き焦がして、うまく呼吸ができない。苦しいのに、何も感じない。
「俺は……」
……約束を守れなかった。吐き出す声も続かず、炎に飲み込まれる。目に涙が滲むが、こぼさない。ただ固く目を閉じて、何度も浅く息を吸う。
それでも、押しつぶされそうな感覚はおさまらず、ペルナは呻きながら地面に拳を叩きつける。何度も、何度も。湿った土を噛む重い衝撃音が辺りに鈍く響いた。
「隊長!」
少しして、ペルナはかけられた声に顔を上げた。
その顔を見た兵士は、思わず凍りついた。自分を見る目は、火を映しているのか、血が滲んでいるのか。目そのものも、目元も、真っ赤に染まっているように見える。
ふと、どこからか悲痛な叫び声が聞こえてきた。
二人が目を向ければ、ヒツジの母親が子どもを抱きかかえて地面に座り込んでいる。腕の中、動かない子どもに必死に声をかけている。次第にかける声から力が抜けたかと思えば、悲鳴のような泣き声が響いた。
瓦礫が崩れ落ちて風を起こせば、そのヒツジの子どもの赤く染まった頭から、黄色い花が音もなく地面に落ちた。
無情な熱をもった風が花を追いやる。ペルナは手を伸ばそうとするが届きようもなく、虚しさのままに地面を打つ。
「あの時……国王が襲われた時と同じ敵です」
報告する兵士もボロボロだ。立っているのがやっとなのだろう。それでも、なんとか堪えて立っている。
ペルナは頷きを返す。しかし、その耳には何も聞こえていない。自分でも何に頷いているのかわかっていない。ただ、その目は灰だらけの地面に転がる黄色い花だけを映している。




