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第10話:雲間

 夜明けの風が、焼け焦げた木材の匂いをかき混ぜた。倒壊した家は黒煙を燻らせており、散乱した食料。ニワトリの死骸。土に染み込んだ血痕――そこにある砕かれた日常、変わり果てた村の姿を朝日が容赦なく照らし出す。

 ウオリ村から駆けつけた者たちは、その惨状に言葉を失った。

「状況は?」

 グレイプは村の入り口辺りで、かろうじで生き残った住民数名と一緒にいる兵士に声をかけた。

「隊長は……間に合わなかったんです」

 兵士はヤルヴの集落に起きたことを淡々と告げていったが、最後を吐き出すように言い終えた。ペルナが到着した時には、すでにヤルヴの集落は死んでいた。それだけが事実であるかのように。

「そうか……わかった」

 村の中へと行こうとするグレイプの腕を、兵士は掴んで止める。そして、何も言わずに首を横に振った。


 村の広場では、ただ一人、ペルナが住人たちの遺体を焦げた木材や瓦礫の下から運び出して安置している。

 グレイプは足を止めた。まだ何メートルも先にペルナはいる。しかし、それ以上は近づけなかった。大丈夫か? そう言えばいいのか? 声のかけかたがわからない。


 ガチャリ。土を踏む鉄靴の音がした。足音は、立ち尽くすグレイプの横を抜け、まっすぐにペルナの元へと向かう。

「第一騎士隊長。報告を」

 また一人、ペルナが遺体を運び出して地面に横たえたと同時、ヴェシメロニは言った。

 ペルナは、ありのままを短く報告する。

 ヴェシメロニは何も言わない。ただ、ペルナのことを見ている。何を言うわけではない。非難するわけでもない。ただ、いつもと変わらぬ目で見る。

 だが、ペルナは耐えきれず俯いた。

「そうか」

 そう言うと、ヴェシメロニは踵を返した。

 こうも簡単に……。木材の焦げる匂いと血の匂いが鼻を突くのもそのままに、その足は不快そうに無機質な靴音を打ち鳴らして歩いていく。


 ――ウオリ村、ヤルヴ村の襲撃から一週間が過ぎた。

 騎士団の空気は重い。時計の針でさえも重く引きずりながら時を進めているかのように感じる。

 早朝の訓練場では剣を振る音が響いている。

「ペルナ隊長……最近、ずっとあんな感じだな」

「ヤルヴの件だろ?」

 警備の交代に向かう途中、兵士たちが小声で話す。

 騎士団は、通常の業務に戻っている。

 先の会議で、ヤルヴのミュルキス国への移譲についての話は白紙に戻された。

 また、評議会議での「ヤルヴ壊滅は残念だが、ウオリ村の損害は軽微。交易の中継地点が機能すれば、大きな問題ない」という大臣の発言が、騎士たちの胸に棘として残っている。


 騎士団寮内の食堂は、普段通りの光景が広がっているが普段通りではない空気感に包まれている。朝ということもあるが、まるで活気がない。

「グレイプ!」

 朝食の最中、グレイプはかけられた声に、カップを置いてから顔を上げた。

「おはようございます。シニエ隊長」

 立ち上がろうとするが、先にシニエが隣の席に座り、出先から戻ってきたばかりの荷物を椅子の脚元に置いたので立ち上がることができず、そのまま頭を下げる。

「おはようございます。じゃないだろう? どうなってるんだよ。ペルナのヤツは?」

 シニエも大体の話はわかっている。それでも、一番近くにいる者の話が聞きたかった。

 その名前を聞いて、グレイプは僅かに目を伏せた。銀色のまつ毛が、涼やかな瞳に憂いの影を落とす。

「ほとんど口も聞かず……仕事。鍛錬。それだけです」

 それは客観的であり、ありのままの表現だ。ペルナは、いつ眠って、いつ食事をしているのかもわからない時間を過ごしている。ただ日々の仕事をこなし、鍛錬に剣を振るっている。それの繰り返し。

「それだけって……なぁ」

 椅子の背もたれに寄りかかり、天井を仰いで、シニエは大きく息を吐き出す。

「それで、お前は大丈夫なのか?」

 それから、視線を自分の隣に戻した。

 大丈夫なのか? 俺は大丈夫だ。大丈夫だろう? グレイプは返事に詰まる。まさか、自分が心配されるとは思っていなかった。

「ご心配をありがとうございます」

 どうしていいのかわからない。それが本音だ。だが、それを言葉にはせずに感謝だけを伝えた。

「あのな。駄目な時は駄目って言ってもいいんだぞ。まあ、そうだな。あいつを一番近くで見てたら言いにくいだろうけどさ……それでも、だ。な?」

 シニエは苦い表情で笑う。これが第一騎士隊だ、と思った。だからこそ、第一騎士隊なのだろうとも思う。

「あ、副団長はどんな感じ?」

 立ち上がり、荷物を取ってから思い出したように尋ねる。

「普段通りです」

 グレイプが即答すれば、シニエは「だろうな」とだけ言って、慌ただしく食堂から出ていった。


 午後の日差しが差し込む聖堂。白い女神像は輪郭だけの顔を優しく微笑んでいるかのように、柔らかい光の中に映し出している。

「で?」

 話を聞き終えると、ルパレは眉根をギュッと寄せた。

 ……相談する人を間違えたな。一瞬で、グレイプは察する。

「司祭様のお知恵を拝借できれば、と思ったのですが」

 ペルナのことを相談した。シニエに言われたからではないが、これ以上は隊の士気にもかかわる。時間にだけ任せて、何もしないわけにはいかない。

 少しの沈黙の後、ルパレは小さく息をついた。

「お前は、どうしたい?」

 そして、さらに数秒を経てから口を開いた。

 どうしたい? グレイプは頭の中で繰り返す。わからない。ただ、この状態が長引くことは望んでいない。

「お前はさ、待ってたいんだろう? だったら、待ってればいい。ペルナは潰れるかもしれない。でも、それで終わるなら、それまでってことだ」

 ルパレの言葉は、あまりにも遠慮がない。

「そう本気で思っていますか?」

「女神に仕える者だぞ。嘘は言わない。少なくとも女神の前ではな。優しいことを言ってほしかったなら、人選を誤ってる。そういうのは大司祭の担当だ」

 グレイプは薄い表情の中、少しだけ冷ややかに目を細めた。聖堂の長椅子に座り、それらしい顔をしている黒髪の眼鏡姿は、確かに司祭らしく見える。言っていることはともかく。

「お前は、何て声かけたらいいかわからないだけだろ? それなら、わかるまで待て。そうやって一緒に苦しんでやるのも、人間らしくて……俺はいいと思う」

 それだけを言って、ルパレは立ち上がる。

 グレイプは、それを目で追う。

「何だ、その目は。俺も、それなりに忙しいんだよ」

 眼鏡の奥の瞳が、柄にもないことを言ったと少し照れているようにも見える。

「ルパレ司祭は、心配ではないのですか?」

「全然。何で、俺が? だって、ペルナだろ?」

 あまりにもきっぱりとした口調で言い返されて、グレイプは驚きに目をパチクリとさせた。だが、すぐに「ははっ」と笑ってしまった。

 その笑いを面白くなさそうに見やって、ルパレは「じゃあな」と大聖堂の奥へと引っ込んでいった。

「それで終わるなら、それまで……か。よく言う」

 それは、あまりにも雑な言い方だが、心配している。そして、信じてもいるのだろう。それがわかってしまい、グレイプは笑う。優しくもないし、答えもくれなかった――でも、やはり相談する相手は間違っていなかった。


 ――夕方。騎士団寮のすぐ隣にある訓練場として作られた平坦な空地では、兵士たちが打ち鳴らす金属のぶつかり合う音や、木剣で打ち合う音。弓の弦を引く低い音からの、的を射抜く音。それらが傾いた太陽に照らされつつ鳴り響いている。

 敷地の端、ペルナは鉄の塊のような大剣を頭上に振り上げては、振り下ろす。それを繰り返している。その度に剣が空を切る重苦しい風切音が響いた。

「隊長。何時間、続けるつもりだ?」

「さっきグローブを外してるところ見たけど、手が血まみれだったぞ」

 その様子を遠巻きに見ている兵士たちが小声で囁く。

「第二騎士隊長すら気になるみたいだな」

「そりゃあ、そうだろ。案外、出し抜くチャンスとか狙ってるかもだぞ?」

 兵士たちは離れた所で腕組みをしているルピッツァを見ながら、さらに小さな声で言い合う。


 何て声をかけるか? グレイプも近づかずに遠くから見ている。わかるまで待て、か。そう悠長なことも言ってはいられない。何もできず、ただ見ているだけの自分が、とてつもなく底の浅い人間であるかのように思えてくる。

 それでも、声をかけなければならないと足を踏み出そうとした――その時、誰かに追い越される風を感じた。

 グレイプの目の前、肩を怒らせて歩くルピッツァの背中が一直線にペルナへと向かう。

「おい! もう一週間だぞ。いつまで死人みたいな顔してるんだ!?」

 野太い声が訓練場に大きく響いた。

 周りの兵士たちは、何事かと手を止める。だが、成り行きを見守ることしかできない。

 ペルナは一瞬だけ動きを止めて目を向けたが、何も言わず、再び剣を振り始める。

「貴様は一生そのままのつもりか!?」

 さらにルピッツァの怒声が大きく響いた。

「そんなに剣の鍛錬がしたいなら、俺が相手になってやる」

 近くの兵士から修練用の鈍剣をひったくると、ペルナの足元に投げた。そして、自分用にも奪い取る。

「俺は本気だぞ」

 まだ無視を続けるペルナに向かって、ルピッツァは剣を振り上げる。いくら刃が潰されているとはいえ、剣の形をした鋼の塊だ。鎧を身につけていない体に叩きつけられれば、大怪我をする。

 ガキィン! 重い金属音が響いた。ペルナは今まで持っていた鉄の塊のような剣で受け止めるが、衝撃と自分が持つ剣の重みに耐えられず、そのまま地面に落とした。その代わりに、すぐさま屈み込んで足元に転がっている鈍剣を手に取る。

 だが、その剣を拾い上げても構えることはしない。何事もなかったかのように、落とした鉄の塊に手を伸ばす。その瞬間、ルピッツァが二撃目を繰り出した。ペルナは鈍剣で、それを受け止め――打ち合いが始まった。

 最初から、剣の修練というには激しいくらいに乱暴な打ち合いだったが、両者の熱は徐々に上がり決闘の様相を呈してきた。

「その顔をやめろ!」

 交差する剣を押しつけながら、ルピッツァが怒鳴る。

 兵士たちは固唾を飲んで見守る。それと同時に、隊長同士の本気の打ち合いから目が離せない。


「止めなくていいのか?」

 グレイプは背後からかけられた声に、体ごと振り向いた。

「あなたなら止めますか?」

「止めないね」

 逆に聞き返されて、シニエは少しだけ呆れたように笑う。

 本当は止めなければならない。騎士団内での私闘は厳禁だ。しかし、これはそれとは違う。

 だから、二人は視線を戻す。


 再び鉄が鉄を叩く音が止まる。ペルナとルピッツァは合わせた剣を押し合う。力と力のせめぎ合いだ。

「やればできるじゃないか」

 ルピッツァは鼻で笑う。

「……うるせぇよ」

 お前に何がわかる。ペルナは、むっとした表情に目を鋭くする。そして、ぐっと足に力を入れて踏ん張り、上半身で剣を押しやった。そのままの勢いで目の前の剣を弾き、さらに素早く弧を描くように振り上げる。

 ルピッツァの鈍剣は跳ね上げられた。

 見ている者たちは「勝負あり」と誰もが思った。

 しかし、ルピッツァは勢いに逆らわずに剣から手を放した。そうかと思うと、ペルナに体当たりを食らわせる。その勢いで二人は地面に転がった。

 そこからは取っ組み合いだ。もはや、剣の修練ではない。ペルナに馬乗りになったルピッツァは容赦なく拳を振り下ろす。剣を握っていた時と激しさは変わらない。音が鈍いものに変わっただけ。

 何度も上下の位置が目まぐるしく変わる。互いの顔は血まみれだ。

 ルピッツァが頭突きを食らわせて、何度目かの馬乗りになった。

「お前まで死んでどうする!」

 振り上げた拳をそのままに叫んだ。

 一瞬、抵抗するペルナの力が緩む。目に弱い光が揺らぐ。次の瞬間、右の頬に思いきり重い拳を食らった。

 睨み合う二人の間には荒い呼吸の音だけがある。

「その顔も気に入らないな」

 つかんでいる胸ぐらから突き放すように手を離して、ルピッツァは立ち上がる。そして、倒れたままのペルナを一瞥したが、すぐに騎士団寮の方へと歩き出した。

 視線の先にグレイプとシニエを捉えると、血だらけの腫れている顔で不満げに眉をひそめる。

 すれ違いざま、グレイプは頭を下げた。その隣で、シニエは小さく微笑んで頷いてみせる。


 ペルナは地面に倒れたまま動かない。仰向けの姿勢で、大きく呼吸をしながら濃い橙色の空を仰いでいる。

 その耳元に、地面を踏む足音が聞こえた。

 ペルナの顔は、ルピッツァよりもひどい。赤紫に腫れ上がった頬、血の滲む唇、鼻血、目も半分しか開いていない。そんな顔を覗き込むようにして、グレイプは見下ろす。

「立てるか?」

 そう尋ねるが、手は差し出さない。

 一度、ペルナは目を閉じた。

「……ああ」

 数秒後、半分しか開かない目で、空と自分の間にある顔を、きまりが悪そうに見返す。

 ゆっくりと上半身を起こして「痛ぇ」と呻くように口元の血を拭う。それから、さらにゆっくりと立ち上がった。ふらふらだが、どうにか自分の足で立っている。

「おかえり」

 そのひどい顔が自分と同じ位置まで持ち上がるのを待ってから、グレイプは言った。なんとなく、ルパレの「わかるまで待て」という言葉を思い出す。俺は、この時を待っていたんだ。

 やはり、ペルナは「ああ」とだけ言った。

「さて、夕飯の時間だな」

 グレイプは歩き出す。

 その背中に無言で頷いて、ペルナも足を踏み出した。

 成り行きを見守っていた兵士たちも自分たちのやるべきことに戻る。途端に日常の音が色を取り戻した。

 茜色に染まる空の下、聖堂から響く鐘の音はいつもよりも少しだけ長く澄んだ音を鳴り響かせているように聞こえる。きっと、それは気のせいではないだろう。


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