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第11話:余香

「今週に入ってから、水晶化の報告が増えています。少なくとも数件……しかもミュルキスでも同様の不審死が確認されているとのことです」

 シニエが書面から顔を上げた。

 騎士団寮内にある会議室は、副団長のヴェシメロニを始め、各隊の隊長と副隊長。魔術師団の代表が顔を揃えている。

 窓の外からは、午前中の淡い日差しが差し込み、訓練場からは兵士たちの修練の声が響く。だが、部屋の中は暗いばかりで活気もない。

「それなのに、ヤルヴを欲しがったのか?」

 ペルナは眉をひそめる。顔の腫れはかなり引いているが、あざは青紫色に痛々しく残っている。自国で人間が水晶化するなどという事件が起きているにもかかわらず、領土を欲しがる理由がわからない。

「そもそも、おかしな話ばかりです。ウオリ村とヤルヴ村、それぞれの兵士の話が食い違うことばかり……」

 そこまで言って、グレイプは一瞬だけ隣のペルナを見た。

「ウオリでの状況ですが、ヤルヴからは何度も爆発が起きているように見えたそうですが、実際はそんなに起きていません。敵は、人と魔物とが混在していました。しかし、数は多くても取るに足らない程度の勢力だったように思えます。また、その敵についても……ヤルヴに出現した敵は、ウオリとは違い、前国王の暗殺時と同じ幻術の類いだったとの報告もあがっています」

「つまり、狙いはヤルヴだったということだな」

 ルピッツァは、グレイプがあえて触れなかった部分をハッキリと言葉にした。

 まんまと引っかかったのか……俺は。ペルナは膝の上で拳を強く握りしめる。

「ヤルヴに何かあるのか?」

「うちの隊の調査では、何も見つかってない。だから、魔術師団に依頼したんだが……」

 ルピッツァに尋ねられて、シニエは「わからない」と首を傾げた。

「調査には、今まさに弟子たちが向かっている最中。到着次第、私も転送魔法で合流しますぞ!」

 二人が向けた視線の先、ずんぐりむっくりした黄色いカエルが机の上で腕組みをしている。

「しかし、ペルナ隊長とルピッツァ隊長は、ひどい顔をされてますな! 顔面で砲弾でも受け止めましたかな?」

 自分の冗談に、カエルは「ケロケロ」と面白そうに笑う。

 その瞬間、室内の温度が少し下がったように感じられた。


 ――同時刻、隣国のミュルキス国の王城。国王の書斎はステンドグラスから入る日差しもなく、曇天の冷たい色がそのまま室内を染めている。

「ずいぶん大きな花火を打ち上げたものね」

 王妃はアームチェアの肘掛けに優美に体を傾けた。

「麗しき王妃にふさわしい、極上の趣向を凝らしました」

 黒灰色のローブのフードを目深にかぶった男が恭しく頭を下げる。

「極上だなんて。悪趣味ね……でも、わたくし好みの素敵な一撃。タイヴァスへの宣戦布告――いいえ。見事な挨拶だったわ」

「しかし、本当に勝てるのか?」

 国王の興ざめさせるような言葉に話の腰を折られ、王妃は僅かにつまらなそうに口を尖らせた。

「疑うべくもございません」

 フードの影で氷のような殺気が光る。

「あら。メロニエル、何か言いたげね? 確か……あなたもヤルヴに同行したそうね。もしかして、情が移ったのかしら?」

「まさか。任務を全うしたのみ。王妃様がご懸念なさるようなことは、何もございません」

 メロニエルは眉一つ動かさない笑顔で、頭を垂れた。

 王妃は「そう」と短く切り捨てる。少しは期待通りの顔を見せたら、どうなの? と面白くなさそうに顔を背けた。

 やがて、国王と王妃。メロニエルは書斎を後にする。そして、男は「王の蔵書を調べたい」という理由で一人残った。それは、国王の書斎に一人残されるほどの信頼を得ているということだ。


 静寂の中、ページをめくる音だけが冷ややかに響く。黄金の獅子脚に支えられた重厚な大机の上には、何冊かの書物が積み重ねられている。

 時折、書架の前を行き来するたび、男の足がコツコツと床を打ち鳴らす。

 不意、本を落とした。男は拾い上げるために手を伸ばし、背をかがめる。その瞬間、足に激痛が走り、顔を歪めた。痛みに耐えきれず、スツールに腰を落とす。長いローブの裾を持ち上げれば、左足の膝ほどから爪先まで侵食した水晶が鈍く輝いている。

「ふぅ……」

 男は呼吸で痛みを整える。じんわりと額に汗がにじむ。

「神よ……女神よ。何故、安寧に犠牲を求める? 何故、私を苦しめる? 何故! 何故……失敗した!?」

 そして、治らぬ痛みに手にしていた書物を壁に投げつけた。


 再び、タイヴァス王国。

 騎士たちは、不穏な証拠を探るため、城内の調査を開始した。散々調べ尽くしたが、それでも座って話し合っているよりは、遥かにましに思えた。

 ペルナは王座の間の入り口に立ち、惨劇が起きた晩のことを思い出す。黒装束の者。国王に突き刺さる剣。突然現れた敵。一歩、また一歩と進むたび、それらの情景が頭の中によみがえる。

「魔術師たちの話だと、ここまでの侵入方法は魔術ではないとのことだったな。城門から歩いてきた? まあ、そうだとしても、俺たちには記憶がないから何とも言えないが」

 その後ろ、グレイプは表情を崩さず、静かにため息をついた。

「大手を振って、俺たちの目の前を歩いたんだろうな。でも、何でだ? そんな魔術が使えるなら、国王の部屋とか……そっちに行ったほうがよくないか?」

 国王と王妃を、ここまで連れてきたのか? わざわざ? ペルナは玉座に目を向ける。そのまま歩みを進めて、玉座の前、黒装束の者が立っていた場所に立った。

 不意、違和感に目を動かす。風? 髪の毛すらも揺れていないが、そっと肌に触れられるかのような微かな気流を感じた。

 感じるか、感じないかの、微妙な空気の感触を頼りに、ペルナは玉座から少しだけ離れた奥の壁の前に立った。

 深みのある青の布地に、金糸の紋章が輝くタペストリーは重厚感をそのままに微動だにしていない。

 ここから? タペストリーをめくってみる。しかし、そこにあるのは石造りの壁だけだ。

「どうした?」

 グレイプが怪訝そうにする。

「いや。気のせいみたい――」

 ペルナは言葉の途中で、壁を振り返った。風というには控えめすぎる、まるで息を潜めたような空気の揺らぎを感じた。ふと、少し前に聞いた警備強化の話を思い出す。

「グレイプ。悪い! この辺を調べてくれ! 俺は、副団長のところに行ってくる!」

 そう言ったかと思うと、雑な指示だけを残して駆け出した。


 ルシッカは、執務室で大臣たちから貴族の権力派閥についてを聞かされている。何度聞いても理解しがたい。知識よりも眉間のしわばかりが深まる。

 そこへ、扉を叩く音が響いた。

「失礼します。ルシッカ王子。よろしいですか?」

 しまった……大臣たちが一緒だったか。ペルナは表情をこわばらせる。あざだらけの顔を、大臣たちに見せるのはうまくない。事実を知っていても、知らなくても、余計な詮索の元になる。

「はい。ペルナ隊長。どうぞ。皆さんは外していただけますか?」

 ルシッカは穏やかな口調で、大臣たちを執務室から退出させた。正直なところ、助かったと思っている。

「その顔……ルピッツァ隊長と喧嘩したというのは本当だったのですね? どうぞ。座ってください」

「喧嘩ではありません。鍛錬です。失礼します」

 勧められるままに、ペルナは椅子に腰を下ろした。

「あの……副団長から王座の間について、何か話を聞いてませんか?」

 それから、ルシッカに促される前に話を切り出す。

「王座の間? 私から……警備の強化をお願いしましたが?」

「それは聞いてます」

「あと、隠し通路のことも」

「隠し通路!?」

 ルシッカの言葉を、ペルナは鸚鵡返しにした。何だ、それ? 聞いてないぞ。

 その反応に驚いて、ルシッカは目を丸くする。

「聞いていないのですか? 隊長の皆さんに伝えるようにと言ったのですが」

「聞いてません。何を話したんですか?」

 あざだらけのしかめっ面は、国王の困惑の表情にも遠慮はしない。じっと見つめて返事を待つ。

 少しの間、ルシッカは目を閉じて黙り込んだ。隠し通路のことは話せる。しかし、その他のことは話せない。王族が行っている儀式のこと。九人の犠牲。そして、今、民の身に起こっている水晶化の不審死が、儀式の失敗による制裁だということ。

「ペルナ。私は……僕は、あなたを信頼しています。だから、全部話します。でも、絶対に……絶対に! 誰にも言わないでください」

 口止めから始まったルシッカの話は、ペルナから言葉を奪うほどの衝撃があった。

「えっと……冗談ですよね?」

「いいえ。真面目な話です」

 おとぎ話か何かか? ペルナは半笑いになる。しかし、ルシッカの真剣な眼差しを受けて「なんてこった」と頭に手をやった。


 ――ポツリ、ポツポツ。ミュルキス国では雨が降り出した。

「ランド。まだ、ここにいたのね?」

 王妃は、国王の書斎の扉を押さえる侍女たちに「下がれ」と手首を返して無言の指示を出す。

 ランド――と呼ばれた黒灰色のローブの男は書物から顔を上げ、椅子から立ち上がって頭を下げた。

「タイヴァスへの進軍……陛下はあまり乗り気じゃないのよね。あなたは、どう?」

「あの忌まわしき儀式……我が身を呪いに沈めたタイヴァスを、決して許しはいたしません」

 王妃は自分の部屋であるかのように、ベルベットのアームチェアに深く腰掛け、背もたれに寄りかかった。

「それほどまでに憎いのね。わかるわ。でもね、わたくしは憎いわけじゃないの。ただ欲しいだけ。世界の理……どんな宝石よりも、私にふさわしい輝きだと思わない?」

 空をつかむようにかざした手には、ざくろのような真紅のガーネットが重々しく輝いている。

「おっしゃる通りにございます」

 強欲なことだ。ランドは、もっともらしく大きな頷きを返した。

「ねえ、ランド。世界が、わたくしの手に落ちるのは……いつかしら?」

「お望みとあらば、今すぐにも」

 欲に溺れる愚か者が。だからこそ、操りやすい。頭を垂れるフードの影、その瞳はあざ笑う。


 タイヴァス王国では、聖堂からの昼を告げる鐘が澄んだ空に鳴り響いている。

 騎士団寮内にある会議室は、午前中の会議の時よりも空気が重い。

 ペルナは、王座の間の隠し通路のことを話した。ルシッカの王命に、ヴェシメロニが従わずに黙っていたことも併せて伝えた。その他のことは、まだ話していない。まだ話さないほうがいい。そう判断した。何より、口止めをされている。

「貴様は、自分が何を言ってるのか、わかってるのか!?」

 ルピッツァは声を荒らげて詰め寄る。ペルナの言いようは、副団長であるヴェシメロニを疑うも同然だった。

「わかってる! 俺だって、完全に疑ってるわけじゃない」

「伝え忘れただけだと思いますか?」

 ペルナの否定を否定するかのように、シトルーナが口を開いた。その顔は、客観的になろうと努めている。

「副団長が伝え忘れる、なんてことがあると思いますか?」

「お前……誰だって、うっかりすることくらいあるだろ」

 あの人にはないだろうな。言いながら、自分の言葉を疑う。それと同時に、娘であるシトルーナの前でする話ではなかったと、自分の無神経さを後悔する。

「まあまあ。白黒つかない時は白って言うしさ」

 シニエが穏やかな口調で取り成す。

「シトルーナ殿まで……正気か?」

 口を真一文字に結んで「納得がいかない」と、ルピッツァは呆れと苛立ちが混じったように、鼻で息をついた。

「まだ、わからないって言ってんだろ? だいたい、副団長はどこに行ったんだ?」

 ペルナは王座の間を出てから探してみたが、ヴェシメロニを見つけることができなかった。そのため、ルシッカの元を直接訪ねたのだ。

「午前中の会議の後、ミュルキスへ行くと言っていたような気がするが? あちらの騎士団長との会談があるとか」

 目を向けられて、グレイプは答える。顔が「聞いていなかったのか?」と呆れている。

「き、聞いてた……ぞ。え、ミュルキス? じゃあ、この件にミュルキスは関係ないのか? 副団長も?」

 ペルナが間の抜けた顔で首をかしげれば、室内には沈黙が落ちた。しかし、その沈黙は数秒も続かなかった。

 ボンッ。風船を割ったような低い破裂音と同時に淡い煙が机の上に立ち込めた。一同、何事かと身構える。

「あやつめ……乱暴に送りおってからに」

 煙が消えれば、黄色いカエルが尻餅をついている。調査先のヤルヴから転送魔法で飛ばされてきた。

「おや。ちょうどいい。必要な顔が揃って……副団長殿がいないようだが?」

 集まる視線に、見ようによっては愛らしいキョトンとした表情をカエルは返す。

「その話は……まあ、後で。それで、もうヤルヴの調査は終わったのですか?」

「ええ。ええ! 終わりましたとも!」

 微妙な空気の中、シニエは苦笑いを浮かべながらも話の先を促した。

「しかも、終わっただけではありませんぞ! 魔術というものは、術師の個性が出るもの。その一つが匂い! 素人には到底わからないものですがね! だが、私は違う!」

 ビシッと、カエルは自分を指し示した。

「今でこそ、このような痛ましい姿だが、本来は隣国のメロニエル特使にも並ぶ美しさ! その上、才能は私のほうが……」

「調査の結果は?」

 ペルナは話が終わるのを待たず、口を挟んだ。

 その隣では、ルピッツァが苦虫を噛み潰したような顔をしている。まだ話が続けられていたら、カエルはわしづかみにされ、締め上げられていただろう。第二騎士隊の副隊長が、それとなくなだめている。

「結果? ああ! それ。それですぞ! 王座の間とヤルヴでは、僅かに同じ匂いが残っていましたぞ! つまり、前国王暗殺犯とヤルヴ襲撃犯は同じ!」

 再び、カエルはビシッと指を一本立てて、自慢げにポーズを決めた。

 その場の者たちは目を見合わせる。緊張感は皆無だが、その言葉は重く響いた。

「そうか。じゃあ、そいつを見つけよう!」

 ペルナは拳で机を打ち、話も空気感も仕切り直す。


 ――ミュルキス国の王城の重厚な廊下は、きらびやかな装飾をまとい、時が止まったかのように静寂の中に続いていた。

 壁の上部にある窓を雨粒が打つ。その音の合間、コツコツという無機質な音がぎこちなく響いている。

 ふと、音が止まった。

「くっ……痛い……だが、それでいい」

 しゃがれた声が、静かに呻いた。

「同じ痛みを世界も味わえばいい。ミュルキス……お前も例外ではない」

 ランドは奥歯を砕かんばかりに噛み締めて、その口元に禍々しい笑みを漏らす。

 その戦火を煽り立てるのは――終わりなき憎悪。怨念が渦巻く過去の影に他ならない。


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