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第8話:安穏

「どういうことなんだい!? そんな話、あたしは聞いてないよ!」

 タイヴァス王国。ヴォントレット城内の廊下には、早朝から普段はあまり聞かない類の怒鳴り声が響いていた。

「じゃあ、あんたらが代わりに掃除してくれるっていうのかい!?」

 ひっつめ髪の年輩の侍女はモップを片手に、小さな体が出すにしては大きすぎる声量で衛兵を怒鳴りつけている。

「おいおい。朝から何の騒ぎだよ?」

 ペルナは朝食の最中に呼び出されて、そのまま廊下を走ってきた。だから、食べかけのパンを持っている。

「ペルナ隊長! ちょうどよかった! この人らがね、王座の間の掃除をさせてくれないんだよ!」

 侍女は目を吊り上げている。一目で、怒っているということが十分に伝わる。

 その剣幕に、ペルナと一緒に走ってきた騎士見習いのマノは足を一歩後ろに引いた。

「わかったよ。わかったから、落ち着いて。どういうことなんだ?」

 ペルナは侍女をなだめてから、兵士に目を向ける。

「はい。王座の間の警備を強化するように仰せつかっております」

「この部屋には、一人で入っちゃいけないんだってさ! あたしたちだって、いつもは三人なんだよ? だけど、今日は一人が腹痛。もう一人が熱出して寝込んじまってるんだよ! だから、あたしだけしかいないの。それなのに、この人らときたら、あたしだけじゃ入れられないって言うんだよ!」

 兵士の一人が説明しようとするが、その役割を侍女が電光石火の切れ味で奪い取った。

「一人で入っちゃいけない?」

「あの……安全確保と相互監視のため二人以上でなければ、王座の間には入れないように――との指示を」

「誰から?」

「今朝の引き継ぎの際に……そう聞いております」

 ペルナの怪訝そうな顔を見て、兵士は自分に落ち度があったかと不安そうにする。

「そうか。で、掃除だっけ?」

「そうだよ! こっちは、まだまだ仕事が山積みなんだよ。油売ってる暇なんてないんだから!」

 怒鳴りながらモップを握りしめている侍女の姿が、オーガが棍棒を持っているようにも見えてきた。

「あ、じゃあ。マノが手伝うよ。それで王座の間に入れるし、掃除の負担も減らせるし。な?」

「え! ボクがですか!?」

 ペルナに肩を叩かれて、マノは思いきり不満そうに口を尖らせる。

「さすが、ペルナ隊長だね! 部屋に入れて、人手も借りられるなんて申し分ないよ!」

 侍女は表情を輝かせる。この顔を見たら、もはや発言を撤回することはできない。

「掃除も鍛錬になるぞ」

「でも、ミュルキスの特使が来るんですよね? ボク、あの人に会いたいんです!」

 そういえば、そうだったな。ペルナは言われて思い出した。そんな話を朝食の席で聞いた気がする。

「でも、明後日だぞ?」

「あんた、明後日まで掃除する気かい!? そんなに、のんびりしてらんないよ! 午前中のうちに終わらせるんだよ!」

 ペルナを上回る声量で、侍女は呆れる。

「ほら、そのバケツを持って! 行くよ!」

 そして、扉の両端に立っている兵士に「フン!」と鼻を鳴らして、王座の間へと入っていった。その後ろを、マノはしょんぼりとついていく。

「とりあえず解決だな」

 大きく頷いて、ペルナは持っているパンをかじった。それと同時に、昨晩、副団長から「警備強化についての指示を出した」と言われたことを思い出す。ここのことだったのか。まだ書類を見ていないせいもあり、すっかり失念していた。


 ――翌々日。ミュルキス国からの特使一行が到着したのは、太陽が西に傾き始めた頃だった。

 評議会議室には紅茶の香りが漂っている。

「とてもいい香りがしますね。道中の疲れが癒やされます」

 メロニエルは蜂蜜をたっぷり注いだカップを口元に運んだ。

 蜂蜜を飲んだほうがいいんじゃないか? 壁際に立ち、ペルナは真面目くさった顔で思う。

「本日は、どのようなご用件ですか?」

 少しの間をおいて、ルシッカがにこやかに尋ねた。対面も二度目となれば、少しは心にもゆとりがある。

「単刀直入に言わせていただきます。国境付近に位置するヤルヴという集落――かの地を賜りたく存じます」

 それでも、このメロニエルの遠慮のない物言いには面食らった。

 ルシッカは受け取ったばかりの書状に目を通す。ミュルキス国王からの個人的な手紙と聞いていたが、一方的な要求が書かれているだけの内容だった。

「今でこそ、ヤルヴはタイヴァスの保護下となっておりますが、元々はミュルキスが放棄した土地。そうではありませんか?」

 同席している法務大臣が冷ややかな視線を向ける。

「おっしゃる通りです。それゆえ、我がミュルキス国王は失策を正し、本来の理に戻したいとお考えなのです」

 メロニエルは表情を一切動かさない。政治の話をするには優美すぎる空気をまとっている。

「王妃様の愛らしいご愛嬌ですかな?」

「王妃もそれを願っておられます」

 それが、大臣は面白くない。皮肉を意に介さない態度も気に入らない。

「ヴェシメロニ副団長。ヤルヴの地域情勢はどうなっていますか?」

「安定している、と聞いております。もっとも、騎士団としては長らく足を運んでおりませんが」

 ルシッカが尋ねると、ヴェシメロニは即座に答えた。その答えを聞いて「なるほど」と口元に手をやって考え込む。

「それでは、こうしましょう。まずは騎士団で検分に向かってください。現状を知りたいですし、ヤルヴの人たちの意見を聞いてみるのもよいと思います。どうでしょうか?」

 しばらくの沈黙の後、やや遠慮気味な口調ながらも特使に対して真っ直ぐに視線を据えた。

「非常に興味深い着眼点かと思います」

 メロニエルは言葉通り面白そうに目を細める。国王になって日が浅いと見くびっていては手痛いしっぺ返しを食らう――そう自分ではない誰かに対して思う。

「それでは、現地の検分に関しては騎士団に一任します。領土の移譲については、騎士団の報告を聞いてから改めて話す機会を設けましょう」

 決して和やかとは言えない雰囲気の中、ルシッカの穏やかな口調で会議は締めくくられた。


 その後、場所を移すことなく評議会議室では、騎士団が現地検分について話し合っている。

「明日、隊長を含む第一騎士隊の数名でヤルヴに向かってもらう。メロニエル特使も帯同するので失礼のないように」

 表情を変えないヴェシメロニの隣、ペルナは言葉にこそ出さないが思いきり顔をしかめた。

「何故、そのような顔をするのですか?」

 メロニエルは鋭く指摘する。

「生まれつきの顔です」

「お気の毒に」

 ペルナは笑顔を返したが、さらなる追撃にあい撃沈した。


 ――翌朝、ペルナたち視察隊は日の出とともにヴォントレット城を出た。

 天気にも恵まれたこともあり、馬を駆ること数日で、原生林のような森を抜けた先に湖を見ることができた。

 深緑の山々に囲まれた湖は、まるで宝石のように水面をキラキラと輝かせている。その景色が、まるで一枚の美しい絵画のように見えて、ペルナはため息を漏らした。深く息を吸えば、涼やかな空気に体が清められるようにさえ感じた。

 湖畔に沿って視線を移せば、とんがり屋根の集落が遠目に見える。

「行こう」

 再び、馬を走らせた。


 ヤルヴは素朴な村落だ。村そのものは決して大きくはないが、生きるための豊かさには満ちている。土と草の匂いの中に、焼きたてのパンの香りが漂う。

「ようこそ。お待ちしておりました」

 ペルナたちを迎えたのは、ヤギの姿をした族長だった。顎の下に長く伸びた白いひげ。頭頂部に湾曲した大きな角。そして、丸眼鏡と若葉色のベストがよく似合う老人だ。

「まずは、お茶でも飲んで旅の疲れを癒してくだされ」

 族長に案内されて村の中を進めば、木組みの大きな家の横、湖を一望できる陽だまりのデッキに食事が用意されていた。

「温大なる歓待に感謝します」

 メロニエルが柔らかく微笑めば、族長の向こう側で村の女たちが頬に手をあててうっとりとする。

 全然、悔しくないぞ。ペルナは自分よりも注目を集めている隣国の特使を苦々しく見やった。自分の隣に色男がいるなんてことは、とっくに慣れている。

 そんなことを思っていると、ふと膝のあたりをトントンと叩かれた。視線を下ろすと、小さなヒツジの子どもが恥ずかしそうに上目遣いに見ている。

「どうした?」

 屈んで、目の高さを同じにしてやる。

 ヒツジの子は、やはり恥ずかしそうに笑う。そして、何も言わず、手に持っている黄色い花を差し出した。白く愛らしい頭に飾られている花と同じ、黄色い花。

「俺に?」

「ようこそ。ヤルヴへ!」

 花を受け取ったペルナに、それだけを言うとヒツジの子はキャッキャッと走っていき、近くで見守っていた母親に抱きついた。

「子どもは見る目がありますからね」

 クスクス。メロニエルの楽しげな声を頭の上に聞く。

「ありがとう!」

 ペルナは立ち上がり、花を持ち上げて声を投げた。


 一通りの食事を終えた頃、お茶が運ばれてくる。

「なるほど。つまり……この土地の持ち主が変わる、ということですな?」

 族長は驚きよりも、言葉を受け止めたままに口に出した。

「私が生まれてから今日まで、ヤルヴが争いに巻き込まれたということはありません。大国に守られているということは重々承知しています。しかし、この村の者たちの大半は、森に守られていると思っています。今更、土地の持ち主が変わったからといって……あ!」

 そこまで言って、族長はハッとした。

「どうしました?」

 ペルナは尋ねる。メロニエルも僅かに表情を動かした。

「話す際、語尾にメェとつけるのをすっかり忘れていました。村の若者らに、ヤギらしさを出したほうがいいと言われていたのに……メェ」

 族長は自らの失態を恥じるように頭を抱えている。

「あの……大丈夫です。ヤギらしさは十分に伝わっていますから」

 何を言うのかと身構えたが、ペルナは表情を苦笑いに崩した。しかし、族長の人柄や、村人たちとの距離感がわかり、ヤルヴを少しだけ理解できた気がする。

「ヤルヴは、村として防衛の手段はお持ちですか?」

 メロニエルは緑色の茶が入ったカップを口元に運んでから、話を戻した。

「防衛? 何人かの若者らで守備隊を構成しています。ここは、野生の動物も多くいる場所。まあ……滅多にはないことですが、魔物が出ることもありますから」

「魔物が?」

「何年も前に、ゴブリンが迷い込んで大騒ぎになりました」

 へえ、ゴブリンか。ペルナも数えるくらいしか遭遇したことがない。だが、族長が大げさに言っているわけではないことがわかる。村が大騒ぎになるのはわかる気がした。あれは意外に厄介だ。

「この美しい景色にゴブリンも惹き寄せられたのでしょう」

 メロニエルの瞳の中で、湖が青空を落としたかのように涼やかにきらめいている。

 風が優しく吹き抜ければ、緩やかに水面が揺れた。

 村の中、ヤギとヒツジの子どもたちが笑いながら走り回っている。大人たちは仕事の合間に冗談に笑い合う。先ほど話に出てきた守備隊だろう若者たちは、こちらを意識しながら剣の稽古をしている。小さな村ではあるが、その日常は城下町の景色となんら変わらない。

 ふと、族長は背筋を伸ばし、深く息を吸い込んだ。優しげな目元に厳しさが増す。

「人間は、憎しみや恨みなどの情をもたずとも殺すことができる生き物です」

 そこまで言って、息を吐き出した。

「かつてのヤルヴ……獣人らの土地は、そうした不幸に幾度となく襲われてきました。しかし、今は静かに暮らせています。その生活を変わらずに続けられるのでしたら、土地の持ち主が変わろうとも我々はかまいません」

 陽の光が眼鏡に反射した。その奥の瞳は、誠実さを求めている。

 不思議な目だな。ペルナは自分を見つめる目に思った。優しさと鋭さが共存している。それでいて、謙虚さが感じられる。

「わかりました。その言葉、国王に必ず届けます」

 だからこそ、自分も姿勢を正した。信頼には信頼で応えたい。

 それから、視察に村の中を歩いた後、ペルナは守備隊に少しだけ剣の稽古をつけてやった。

 一方、メロニエルは緑色の茶についてを族長に尋ねている。もっとも、答えているのは村の女性たちばかりだ。

 それぞれの時間を過ごし、夕方になる前に視察隊はヤルヴの村から帰路につく。

 村人が総出だったのではないかというほどの盛大な見送りに、互いが小さくなっても振る手は止まらなかった。


 往路と同じだけの時間をかけて、ヴォントレット城に戻れば、心なしか土と草の香りが懐かしく感じられた。

 厩舎係に馬を預け、王城の入り口に差し掛かった時、メロニエルは足を止めて、城門を振り返った。視線は、その先に向いている。

「望まぬ者ほど、戦禍に巻き込まれる」

 日差しの手前、影を映す横顔が憂いに目を細めた。

 ピョーピョーピョー。鳥が忙しない鳴き声をあげて、空の高くへと波を描くように羽ばたく。

「どうかしました?」

 遅れて厩舎からやって来た、ペルナが尋ねる。憂いの声は聞こえていない。

「いいえ。何も。緑のお茶をたくさんいただいたので、あなたにも少し差し上げましょう」

「あの緑色の?」

 柔和というには整いすぎた笑顔でメロニエルが言えば、真逆の表情でペルナは「お気づかいに感謝します」と返してから足早に城内へと入っていった。

 その後ろ姿、剣帯に控えめに飾られている黄色い花は、すでに色を失いかけている。


 数日後――遠く、深い緑の向こうで、赤い光が瞬いた。

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