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月でつくる未来につき、  作者: 中本すい
戦争前夜編
37/44

37.Blowback 02

 しばらく歩き続け寮の自室にたどり着いた。いつも通りVT(ヴィーティー)がリオを迎えた。シャワーを浴び、部屋着に着替えダイニングに行く頃には、温かく美味しそうな食事が並んでいた。


「おいしい……」


 繰り返される日常の風景。宇宙に殖民都市は数多あれど、肉も野菜も魚に至るまで、地球並みに揃うこの環境はありえないほどの贅沢であった。


 この恵まれた環境も未来の力のおかげか……。


 食事をするリオを見て微笑みを浮かべるVT(ヴィーティー)のマシナリー特有の美貌を見ると、ベネラの最後を思い出した。食事により少しだけおさまっていた焦燥感がまた燻り始める。


「明日からどうしよう」


 今の緊迫したセランの状況のせいか、役職のあるアンジェやミールは忙しそうに動き回っていた。しかしリオには任せられるような仕事はなく、手持ちぶさただった。戦争すら起きかねない今の状況では、政府にとって外交関係以外のことはどうでもいいのだろう。


 特に表向きは外務省職員であり、貴重な超能力人材であるアンジェは引っ張りだこらしい。連邦の相手だけではなく、各国の大使館の相手も含めて、今のセランを取り巻く外交関係はぐちゃぐちゃだった。


 あまりの忙しさと準有事体制ということで、インターン扱いのリオの受け入れは正式に停止された。


「まあ、そんな余裕ないよね……」


 食べ終わった食器を片付けるVT(ヴィーティー)に視線を向けた。


「ねえ」

「なんでしょうか、リオ様」


 いつものVT(ヴィーティー)だ。しかし今用があるのは――


「見てる? 変われる?」

「……? なんの話でしょうか」


 その言葉の意味が理解できないようで、器用に手を動かしながらリオを見つつ、VT(ヴィーティー)は首を傾げていた。


「流石にいつも私を見てるわけないよね……」


 相手は一応この都市のトップ。今の情勢で自分ひとりに構ってられないか……。


 突如VT(ヴィーティー)が持っていた食器をテーブルに置いた。そして一瞬動きが止まったかと思うと、目が緑色に光り始め表情が変わった。


「私に用かな? 昼間も会ったと思うけど」

「本当に出た……」

「君が呼んだんだろ? 失礼だな」


 VT(ヴィーティー)の体を乗っ取ったエメスは不遜な態度でリオの対面に座り、呆れ顔で見てきた。


「今こんなんだから忙しいと思って」

「私は実際の政治にはほとんど関わってないからね」

「つまり最高評議会の他のメンバーが頑張ってるってこと? 気の毒……」


 議長は少し思案顔になり、何か納得したのか口を開いた。


「あーそういうことか。そんなとこかな。ここの官僚は優秀だからね。彼らだけで成り立つように仕組みはできてるよ」

「おかげでアンジェは過労で死にそうだけど」

「彼女の本業はOSIだけどね。今はそっちの仕事がほとんどないから仕方ないか」


 リオは椅子の上で両膝を抱えた。「行儀悪いね」とエメスに小言を言われるが、姿勢はそのままであった。


「諜報の仕事はないの?」


 皆が忙しそうなのに「自分は何もしていない」という罪悪感と焦燥感からリオは仕事を求めていた。


「君たちは名前こそ機密情報局だけど、諜報はメインじゃないからね。そっちは情報省が頑張ってるよ。たぶん」

「たぶん?」

「OSIのマクシミリアン――君たちがマクシィと呼ぶ彼がスパイなことも見抜けなかったからね。案外仕事は適当かも。彼らがエージェントの身辺調査とかすることになってるから」


 それは議長やミールにも責任があると思うけど……言わないでおこう。


「で、わざわざ私を呼び出したのは雑談? まあ、君なら付き合ってあげてもいいよ」


 その言葉にリオは抱えていた膝を下ろし、議長を指刺して声をあげた。


「そこだよ!」

「何が?」

「なんであなたたちは私を重視するの?」


 議長はほんの少しだけテンポが遅れて返事をした。


「君は稀有な能力者だから――」

「違う! 私は超能力者だけど、その力もミールみたいに無二の存在じゃない。貴重かも知れないけどいなくもない程度の存在。ベネラもあなたも私を特別扱いしてる。なんで? 私は未来人にとって何!?」


 彼女は今まで思ってたことを感情のままに、溢れ出たそれを議長に叩きつけた。


 感情が昂ったせいか、気づけばリオは椅子から立ち上がっていた。少し冷静になり「ごめん」と一言述べ座り直す。それに対して議長は頬杖をつきつつ、余裕を持って応えた。


「言ってもいいけど……それじゃ意味がないからね」

「言う気ないんだ」


 まただ。はぐらかせれてる……。


「そうだね。ミールからもなんの説明もなかったんでしょ?」

「なんでそこでミールが……」

「ベネラ……予言者を名乗る奴との会話は覚えてる?」


 リオはベネラとの会話を思い返した。彼女がミールを指していた言葉――それを口に出した。


「『特異点』……?」


 議長は少しだけ目を見開いた。そのあと少しだけ口元が歪んでいた。


「思ったより奴は核心を喋ってるね。詳細は知らないはずなのに」

「知らないって? あなたの同胞でしょ?」


 首を振ってエメスは答える。


「制約を破った裏切り者だ。我々とはこの時代で何のコンタクトもとっていない。我々のことはほとんど知らないはずだ」


 議長の雰囲気が少しだけ変わった。軽薄さが消えてまるで、次元の違う超越者のような雰囲気だ。だがその雰囲気はすぐに消え去った。


「……そんな奴にめちゃくちゃにされすぎでしょ」

「ほんと困っちゃうよ」


 嘘くさく笑いながら議長は言う。大して困ってなさそうにリオは感じた。


「特異点が何かも教える気はないんでしょ?」

「そうだね。その気はないよ」

「そう……」


 その態度から教えてくれるとは思っていなかったが、リオは落胆を隠せなかった。


「聞きたいことは聞けたかい?」

「聞いたよ。答えてくれなかったけど」

「それは残念」


 そう言いながら、議長は立ち上がってVT(ヴィーティー)の体を乗っ取った最初の位置に戻った。


「君がすべてを知ることを我々は期待しているよ」


 そう言って緑に輝く目の光が消えていく。いつものVT(ヴィーティー)に戻ったようだ。


「なら答えてくれればいいじゃん」


 リオの言葉に、何も知らないVT(ヴィーティー)は首を傾げるだけであった。


――――――――――――――――――――


 いつも通りの朝が来る。太陽光を模した光がリオを目覚めさせた。


 ベッドからもぞもぞと這い出て、VT(ヴィーティー)の用意した服に着替える。そのまま寝ぼけ眼で顔を洗いに行くが、ナノマシンにより覚醒が促され急速に眠気が消えた。


 突然頭がスッキリするのは相変わらず慣れない……悪くないけど。


 ダイニングテーブルにつき、用意された朝食を口にした。リオはミールが今日何をしているのか気になり、回線を繋げようとした。


「まだ朝早いし、たぶん繋がるはず……」


 そんな彼女の思惑とは裏腹に、コールを繰り返す音が頭に響いても繋がる気配がなかった。


「繋がらない……任務? 寝てる?」


 しばらくすると回線が突如繋がった。しかし、相手はミールではなくOSIにいるマシナリーの一体だった。


『ミール室長の代わりに戦闘オペレーターの「エイダ」が対応いたします。リオ室官、どうされましたか?』

『ミールは今出れないの?』

『はい。ミール室長は今極秘の作戦行動中であり、直接の会話が非常に困難な状況です。私が代わりに承りますが』

『いいや。室官の私には言えない任務?』

『確認します――部分的開示可能。ミール室長は現在メンテナンス層にて戦闘オペレーション中です』

『え? 戦闘?』

『はい。現在メンテナンス層を通じて、自由連邦軍がセランに対して侵攻を開始しております。それに伴い、「共和国」、「ユーラシア同盟」、「新ヨーロッパ連合」を含んだ武装勢力も便乗しています。ミール室長の任務はその迎撃です』

『戦争はまだ……』

『水面下の非公式なものは始まっております。これ以上の開示は許可されておりません』

『邪魔して、ごめん。切るね』

『ご理解感謝致します』


 予想もしてない内容にリオは食欲が消えてしまった。


「……ミール大丈夫かな」


 彼のとてつもない力を思い出し、たぶん大丈夫だとは思う。彼だけでなくSPDの警備部門も動いているはずだ。それにセランの軍事力は他の国を凌駕する質を持っている。


 月面都市のインフラの大半はセランが維持していた。特に地下のメンテナンス層は月面中の都市に繋がっている。ここは他国含めたすべての都市の要だ。公衆の目がないとは言え、既に武力衝突が始まっていることにリオは驚きと戸惑いを隠せなかった。


 また、ミールがその殺し合いに参加しているかもしれないと思うと、彼女の胸が締め付けられた。その根元にあるものは、はっきりしない。彼に人を殺してほしくないのか、彼が危険だからなのか。自分が蚊帳の外だからなのか。


 そして、今の自分は何ができるのか――


 OSIは小さな組織だ。戦闘を主に担うのはマクシィとミールしかほぼいないことをリオは聞いていた。マクシィが消えた今、ミールだけが自分たちの中で戦っている。むしろあれくらいの力がないと、本格的な戦闘では足手纏いだということはリオにも想像がついた。


 自分の足元の向こう側を想像した。入り組んでいるメンテナンス層に宇宙船は入ってこれないだろうが、ガンシップやHAF(軍用フレーム)みたいな兵器は容易に展開できるはずだ。それらと共に歩兵もやってくる。そこで作られる白兵戦による地獄は、リオの想像を絶するものであろう。


 窓から見える都市の姿は普段通りであり、飛び交ういくつものHV(ホバービークル)が今日も忙しそうだった。空中ディスプレイに映していた番組をリオは変えていく。戦争を煽るような番組や、淡々と世界情勢を伝えるニュース、全く関係のないバラエティもあった。


 みんな他人ごと。あのコメンテーターも本気じゃない……。


――――――――――


 今日も意味もなく、シャイアンにあるOSI本部にリオは来ていた。エージェント用の執務室には誰もいなかった。アンジェやミールも寄った形跡がなかった。

 

 オペレーターたちや事務員は忙しそうに動き回っていた。メンテナンス層での戦いのせいだろうか。ミールはあれから帰って来ていない。


 シャイアン内の至る所も空気が徐々に変わっていった。


 官僚たちは顔を青ざめながら走り回っており、訓練によく来ていたSPDの人たちはほぼいなくなっていた。代わりにすごい勢いで弾薬や武器が右へ左へ流れていた。聞けばシャイアンの外壁は核兵器にすら耐えられる仕様らしく、物資集積所として活用するとのことだ。


「これで開戦していないって……嘘みたい」


 医療施設も充実してるシャイアン内には、毎日のように血まみれの装甲服を着たSPD隊員が運ばれてきていた。そこにはすでに手遅れな人もいた。リオにやれることはなく、ただ離れて見ていた。他部署の人間が下手なことをすれば緻密に作られたシステムを狂わすからだ。


 明らかに戦争は近づいていた。


――――――――――


 リオは毎日のようにOSIに来て、閲覧可能な情報をとにかく読み続けていた。手を(かざ)し、自身の電脳のスペックによるゴリ押しでデータを処理していった。


 何か目的があるわけではなかった。何もできない自分が嫌で、「何か」見つけられないかと、ただひたすらに打ち込んでいた。


 リオが今、他者より勝っている点――それは未来人を知っていることだった。そしてこの戦争の起きた原因も知っていた。また、詳細は彼女自身も把握していないが――


「私は何かの重要な要素(キー)か……」


 何か戦争を止める手段はないか。リオは必死に探し、思いつく限りの情報を精査していた。集中しすぎて、過負荷による鼻血がコンソールを汚すこともあった。


 マクシィに会えればもしかしたら何かできるかもしれない。ミールのように戦えないなら何か――


――――――――――――――――――――


 日々焦燥感だけが募った。役に立つ情報が見つからない。無力感だけがリオに溜まっていった。

 

 あれから何度かアンジェを部屋で見かけることがあった。疲れ切っており、隈が化粧でも隠せておらず、目が虚だった。


 彼女は備え付けのシャワーを浴びて、ソファに倒れ込むように寝ていた。脱いだスーツは脱ぎ捨てられており、いつもは几帳面できっちりしたアンジェらしくなかった。脱ぎ捨てられた彼女の服などは、OSI所属のマシナリーたちが綺麗に整頓し、寝巻きも着ずに寝息をたてる彼女自身も整えていった。


 外交関係者にとって容姿は立派な武器であり、大事であるが、今のアンジェにそれを気にする余裕はなさそうであった。

 

 それに反して、リオはそこそこ健康的で規則正しい生活ができていた。自寮に帰る余裕すらあり、自分だけがぬくぬく生きてることも、彼女の罪悪感が増すことを促した。


――――――――――


 ある晩、久々にミールがOSI本部にやって来た。ここ最近、リオは泊まり込みで調べ物をしてることが多く、彼に鉢合わせることになった。


 ミールの格好は軽装な戦闘服であり、煤と血に(まみ)れボロボロであった。左肩のあたりが肉ごと抉れている。血は思ったほど出ておらず、白い液体が溢れていた。多すぎるナノマシンが原因であろう。なぜ普通に立っていられるのか、おかしな見た目であった。


 その姿にリオは座っていた椅子を倒すほど慌てて立ち上がり、ミールに駆け寄った。触っていいのかもわからず、どうすれば良いか戸惑っていた。目元には気づけば涙が溜まっており、自身の腕が取れたときよりも心は乱されていた。


「ミール! 大丈夫!? どうしよう――」


――とにかく救護班を呼ばないと!


 そのリオの慌てた様子にミールは目を丸くして驚いた。普段の彼らしくない間の抜けた顔であり、その後、微笑みながら「大丈夫」と彼女に声をかけ、緊急コールボタンを押そうとするのを止めた。


「え!? でも……」


 まったく大丈夫そうにはリオには見えなかった。彼女は急いで壁に備え付けられた救急キットの所に行く。そして中から止血パッドなどを取り出した。


 冷静に考えれば戦場からここまで帰ってこられてる時点で、それなりに大丈夫な状態なことはわかるだろう。

 

 使い慣れていない為、止血パッドの包装をうまく開けずにいるリオの手を、ミールが怪我とは反対の腕を動かして手を重ねた。


「大丈夫だよ、リオ。これくらいで僕は死なないから」


 部屋の中にOSI専属の医療用マシナリーたちがいつの間にか入って来ていた。ミールにいくつかの注射器のような物を渡しており、彼がそれを自身の首元に刺していく。抉れていた肩から白い液体がより溢れきたかと思うと、肉がどんどん盛り上がっていった。数分も経たないうちに、まだ色合いに違和感があるものの、怪我そのものがなくなっていた。


 あり得ない。セランでもこんな医療用ナノマシンなんて……これが未来人の技術なんだ。


 リオは目の前で起きたあり得ない現象を、表に出ていない未来の技術だと考えた――自由連邦が戦争してでも欲しがっている力の断片。


 ミールが治った肩を回して調子を確かめながらリオに声をかけた。


「リオはこれを打っちゃダメだよ。たぶん死んじゃうから」

「ならミールはなんで平気なの」

「……僕は特別だからね」


 彼から痛みと苦しみの感情が伝わってきていた。


 痛いんだ。痛くないわけないよね。それなのに何で……。


「もうSPDの人たちが――セランの軍隊が戦ってるんだよね? なんでミールが戦わなくちゃいけないの? その人たちに任せれば――」


 ミールはボロボロの装備を外しつつ、マシナリーが持ってきた新しい戦闘服に着替えながらリオの言葉に答えた。


「今回の騒動はうちのマクシィが原因だしね。それにメンテナンス層は重要な施設だらけ。僕は強いからね、行かないわけにはいかないよ。それに――約束だから……」

「約束?」

「? ……ああ、なんだっけ。……もう、行くね」


 ミールの星空の瞳がまた強く光っていた。その様子はリオに彼が限界なのではないかという疑念を抱かせた。そして彼は新しい装備を整えると、すぐに部屋を出て行ってしまった。


――――――――――――――――――――


『自由連邦月軌道艦隊に対してセラン政府は都市領域外への退去要請――それに対して連邦政府は自治領の領分を越えた発言だと――』

『共和国政府は連邦とセランの緊張を月面秩序に対する挑戦であると警告。両者冷静になるように――』

『連邦宇宙軍はラグランジュポイントに駐留させていたスターファイター2隻を月軌道に移転させ――これは月の軍事プレゼンスの大幅変更が――』

『セラン政府はセラン保有の月面マスドライバーの連邦軍艦の使用を制限。これにより連邦政府は大幅な――』


 マクシィの裏切りから一ヶ月が経っていた。街中で流れるニュース番組では、今も戦闘は始まっていないことになっていた。


「まるでまだ外交しかしてないフリ……気持ち悪い」


 リオは今、外務省に向かって街中を歩いていた。HV(ホバービークル)は出回っており、リオのわがままでチャーターするのは(はばか)られた。


――――――――――


 外務省で昼休み中のアンジェにリオは会いにきていた。外交関係は一旦落ち着いたみたいで、アンジェは多忙さから解放されていた。


「この前より余裕がある感じだね。もしかして、良い方向に向かってる?」

「逆ね。もう外交ではにっちもさっちもいかなくなって暇になった感じだわ」


 アンジェの目の隈が無くなっていることから、暇なのは本当のようであった。


「悪いニュースだね。でも、ニュース番組のコメンテーターは戦争になるわけないって言ってるよ。月のインフラを支えるセランを、民主主義の守護者である自由連邦が攻めるはずがないって」

「そんなわけでないでしょ……あの自称有識者が好き勝手言ってるのはいつものことだけど、今は引き金を引きたくなるくらいイラつくわね」


 知らないくせに適当ばかり言うあのコメンテーターに苛立ちがあるのはリオだけではないようだった。


 リオはアンジェの向かいの席に座った。いつもキッチリとした格好で座っていたため、私服で座るのが新鮮であった。少しざらついた革製の表面が肌に触れてひんやりした。


「ねえ、マクシィはなんで裏切ったと思う?」

「それを聞きに来たの? ……わからないわ」


 アンジェは背もたれに体重をかけて天井を眺めた。


「私と過ごした数年も、そのあとも、彼は誠実な良き同期だったわ。変に熱血なところとかは鬱陶しかったけど」

「彼が連邦の月面都市出身なことは?」

「もちろん知ってたわ。でもあなたも連邦出身でしょ? 地球だけど」


 それにリオは頷きながら執務机の上に資料を置いた。資料には連邦の月面都市のひとつについてと、「マクシミリアン・エバーランス」について記載されていた。


 アンジェは視線を天井から机の上の資料に移し、それを手に取った。


「マクシィの出身は連邦の『デルタポイント』っていう古い都市。『エバーランス』っていう町工場で子供の頃から働いてた」

「よく調べられたわね」

「前にフットボールで同じ出身者がいたから聞いたの」

「あのときの……今その人は?」


 その言葉にリオは肩をすくませた。


「きな臭くなってすぐに出国したみたい。会社ごとね」

「素晴らしい嗅覚だわ。普通に考えたら連邦と戦争なんて――セランが消えてなくなるもの」


 皮肉げにアンジェは言った。褒めつつも、そのフットワークの軽さに思うところがあるのかもしれない。


「でも、ベネラ……予言者の言うことが本当なら――」

「そうね。ここが本当に未来の力で作られた都市なら、私たちが知らない隠し球でも持ってるんでしょう。でも、連邦を打倒できるほどの力なんて……バレれば世界の敵にでもなるんじゃないかしら?」


 悲観的なアンジェの言葉はあり得る未来であった。超大国の一つかつ、その筆頭である自由連邦。小さな自治領でしかないセラン。対抗できることそのものが危険視されかねなかった。


「マクシィがなんの情報をあのサーバーから持ってったと思う?」


 アンジェは資料を読みつつ、手を遊ばせている。その指先では机の上で小さな金属片がクルクル回っていた。


「未来人の情報じゃないかしら。あのあとの調査でサーバー内のデータはクラッシュされていたことがわかったわ。だから想像でしかないけど、連邦が食いつきやすいようにセランが未来の技術を持ってるっていう証拠付き情報じゃないかしら」

「つまりマクシィや連邦はさ、未来人の本当の目的は知らないんじゃない? その力や技術のデータだけ貰ってるなら」


 その言葉にアンジェは眉をひそめた。


「宇宙の未来を救いたいっていう話? 私も大して信じてないけど……」


 リオは少し間を空けて話す。


「私は本当だと思う。ベネラはそれを全て壊したかったみたいだけど」

「そんなはるか未来の行末のために今、私たちは殺し合うことになるなんて……迷惑な話ね」


 アンジェの言葉はどこか投げやりで諦観が含まれていた。この一ヶ月間、外交で散々な目に遭ったであろう彼女もまた、全てが嫌になってるのかもしれかった。


「連邦政府は未来人のことを知って、その技術や知識を狙って侵略しようとしてるんだよね?」

「そうでしょうね。情報を大統領まで知ってるかはともかく、月の軌道艦隊司令はすべてを把握してるはずよ」

「じゃあ大義名分は何?」

「それは自治権の返還と、セランによる重力インフラの独占が――」


 表向きに連邦が主張し続ける内容を述べようとしたアンジェの言葉をリオが遮った。


「それは公のでしょ。それにしても動きが早くない? もし未来人たちが曲がりなりにも、はるか未来の宇宙の死を覆すことが目的と知ればもう少し躊躇しない?」

「まあ多少はね。権力者にどこまで善性があるか知らないけど」

「でもマクシィが情報を待ってった次の日には――連邦は強硬的になった」


 アンジェは先ほどよりも話に興味を持ち始めたのか、吸い寄せられるようにリオの方へ向き直ると、少しだけ身を乗り出していた。


「つまり彼らはその情報は知らないと言いたいの?」

「わかんないけど……未来人が現代人を未来技術で支配しようとしてる! とかそんな話になってるんじゃない?」


 リオの語る内容はどこまでいっても推測の域を出ていなかった。アンジェはその真偽を量るように静かに考えを巡らせていた。


 しばらく経ちアンジェは口を開いた。


「まあ、その可能性は(いな)めないわね」


 アンジェに自分の案を認められて、少しリオの表情に希望がさした。その勢いのまま考えの続きを語り始めた。


「本当の理由をマクシィを通して連邦の指導者、せめて今の侵攻の命令をしてる人たちに届けられないかな」


 リオのあまりに楽観的な提案に、アンジェの顔に苦々しい色が広がった。


「そんな話で権力者が動くと思う? 希望を見過ぎよ。……いい? 知ったところで国家なんて変わりはしないわ。彼らにとって重要なのはただ一つ、セランが宇宙文明レベルの未知の技術を保持しているという事実だけ。それを奪取すれば連邦はかつての『本当の意味の超大国』に返り咲ける。そんなチャンスを逃すわけないじゃない」


 否定されてもリオの瞳に宿る熱は消えていなかった。


「そうかもしれない。でも、今の私に思いつく『戦争を止める唯一の方法』はこれだけなの。それに勘違いされたままマクシィと殺し合いなんてしたくないでしょ? 私は嫌だよ。『世界の敵』なんて思われながらマクシィに殺されるのは」

「はあ……。それで、そのマクシィにどうやって会うつもり? もう敵なのよ」


 アンジェは深くため息を吐くと、呆れたように再び背もたれに体を預けた。


「デルタポイント。ここのエバーランス社製のパーツが、先月セランへ輸入されているのが確認された。つまりまだ工場は動いてる。少なくともここ最近までは」


 アンジェの視線が再び険しさを帯びた。


「まさか会社に乗り込みに行くの? 渡航制限こそまだないけれど今この時期に連邦都市をうろつくセラン市民なんて不審でしかないわよ。それにマクシィを通して私たちがエージェントなことは連邦に割れてるはずだわ」

「だからこれを使うの」


 リオの言葉と共に短い起動音が室内に響いた。瞬間、リオの輪郭が歪みそのまま空中に溶けて消えていった。


「大胆ね。光学迷彩で不法入国しようっていうの?」

「やれることはなんでもやる。使えるものはなんでも使う。――でしょ?」

「あなたのそういうところは尊敬してるわ」


 アンジェの唇からつい笑みがこぼれた。もはや呆れを通り越し、リオの危うい行動力とどこまでも前向きな大胆さに、皮肉ではない本物の敬意を抱かざるを得なかった。


「じゃあ決まりね!」


リオはその場で回線を開き、次の手を打ち始めた。


『議長…お願いしたいことが――』


――――――――――


 リオの視界に飛び込んできたのは、地下に広がる巨大空間――「トランスポート層」だった。


 天井ははるか高く、三次元的に組まれた高架と路線を何十本もの無人リニアが絶え間なく往来していた。貨物を満載した車両の列は、各国の都市を支える地下の動脈であり、物流経済を支えていた。


「……暇だからって、本当についてきてしまうなんてね」


 アンジェはいつものスーツを脱ぎ捨て、体のラインに馴染むスポーティーな装いに身を包んでいた。対してリオは、いつものパーカーにショートパンツ姿。一見いつもと変わらぬラフな私服だが、その脚を包むストッキングは弾丸すら通さない防弾仕様だ。


 何より異質なのは、ふたりの腰に備えられた小型のデバイス――光学迷彩装置だった。


「まさか物資輸送リニアに乗り込むことになるなんて、盲点というか、まだ動いてたことに驚きよ。それに、こんな最新鋭のステルス装備をあっさり引き出すなんて。あなたのコネ、一体どうなってるのよ」


 アンジェは腰のデバイスを指先で確かめ、呆れ半分、感嘆半分といった様子で呟いた。このサイズの光学迷彩装置はセランの技術力を持ってしても異常であった。


 リオはそれには答えず、ただ気まずそうに苦笑いを浮かべた。


 議長に頼んだらあっさりくれたなんて言えなかった。


「宇宙港からは検問が厳しい。でも都市間の貿易用リニアはまだ止まってなかったの。経済的なダメージが大きすぎて最後まで止められないんだと思う」


 そのリオの分析に、アンジェは意外そうな顔を向けた。


「意外と頭が回るのね」

「私に搭載された補助脳は優秀だからね」

「ふーん。私もナノマシンのアップデートしようかしら」


 凄まじい速度で疾走するリニアの振動に身を任せ、ふたりはしばらく他愛もない話を続けた。目的地が近づくにつれ、車内を流れる空気は徐々にその質を変えていった。セランとは違う別の都市の臭いだ。


――――――――――


 光学迷彩を起動したふたりは、荒廃した街並みを音もなく歩いていた。互いの姿はマーキングにより、陽炎のような輪郭として視界にぼんやりと投影されている。


 目の前に広がる光景は錆と埃の街だ。風が吹くと不快な金属臭が鼻腔をつく。


『――何とかデルタポイントには入れたけど。殺風景ね、死んだ街のようだわ』


 念のためふたりは直接口を開かず、暗号回線により直接脳内で対話を続けていた。それに、こんな汚染された空気の中で無闇に口を開きたくなかった。


『もともと古い都市だし、開発に失敗して棄てられた街らしいよ。金持ち連中はとっくに脱出済み。残ってるのは移動する金も意思もない人たちばかり』

『エバーランス社の場所は分かるの?』

『古めのマップデータだけど見つけてあるから、それに従う。そっちにも送るね』


 廃墟の隙間を縫うように進むふたりの間に、しばしの沈黙が流れる。やがてアンジェが言葉を投げかけた。


『マクシィに本当に会える思ってるの?』


 その問いにリオは自信ありげに彼女の「根拠」を述べた。


『デルタポイントの宇宙港は今日が疎開船の最終便。だから今が一番マクシィが現れる可能性高いと思う。それに今、月軌道艦隊はデルタポイントの宇宙港にいるから』


 顔は伺えないが、アンジェの足取りが止まったことから驚愕していることがわかった。


『正直驚いたわ。段取りがいいなんてレベルじゃない。まるで……百戦錬磨のエージェントって感じよ』

『私もわからないけど……慣れてきたのかも』

『それだけ? そんなレベルじゃないと思うけど』


 突如、街を震わせるような音量でアナウンスが響き渡った。


『本日午後六時の便が疎開船最終便です。連邦市民権をお持ちの方はID提示手段を用意して、宇宙港へお急ぎください――繰り返します――』


 街のあちこちに設置された錆び付いたスピーカーが何度も繰り返していた。セランよりも戦争を意識している。


 空調管理すらまともに稼働していない街は風がいささか強く、無人の街をゴミが飛んでいた。アナウンスの音量に反して、それを届ける相手はもうこの街にいないのだろう。


『とりあえずエバーランス社に急ぎましょう。マクシィのことを知ってる人のひとりくらい残ってると期待して』


 アンジェの促しに肯定を返すリオは、彼女を追いかけるように歩く速度を上げた。そんな中リオは思う。


 議長に頼んだ調査結果が事実だとすると、マクシィはおそらく――

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