↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢リディアの魔道具商売 ~望まぬ結婚をしたら、夫から洗濯機をもらいました~  作者: 長月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

洗濯という名の研究課題

 研究室の扉を開けたリディアを、濡れた床が出迎えた。


 机の脚まで水が広がり、樽型の容器が床の中央で傾いている。そのそばに立つレオルは、何事もなかったかのように手帳へ何かを書いていた。


「何が起きたのです!?」

「水が溢れた」

「それは見れば分かります!」

「ちょっとした実験事故だ。問題ない」

「……この水浸しの床は問題ではないのですか」


 リディアは床の布巾を拾い上げた。渡したときには一枚だったものが、いまは二枚になっている。


「これは?」

「回転が少し強すぎたようだ」

「回転?」

「水流を使うと言っただろう」


 どうやらレオルは、魔道具を使った洗濯を試していたらしい。布巾は真ん中からきれいに裂けていた。


「あれで洗濯をすると、布が二枚になるということですか?」

「そういう装置ではない」

「ただの皮肉です」


 ため息をついたリディアを尻目に、レオルは床に落ちた金属の輪を拾い上げた。


「容器の中に水流を作れば、布を人間が擦らずに済むと考えた。だが流れが一方向だと、布が端に寄ってしまうし、汚れを落とすための摩擦力も落ちるだろう。それで向きを切り替えてみたら、急激すぎて容器に問題が生じた」

「なるほど。それで床が濡れたのですね」

「そういうことだ」

「では、床を拭いてください」

「今?」

「今すぐです!」


 レオルは少し残念そうに手帳を置いた。

 さすがに水の後始末は必要だと分かっているらしい。床に屈み、リディアが渡した雑巾を広げた。


 しかし、レオルは実験のことが頭から離れないようだ。どこか上の空だった。それで結局、リディアも手伝うことにした。


 レオルに悪びれた様子がないことに、リディアは最初むっとした。しかし、彼の頭の中は今、装置の改善方法でいっぱいなのだろう。床を濡らしてしまったのも、「実験結果その一」くらいにしか考えていないに違いない。


 とはいえ、何度も床を濡らしてもらってはリディアとしても困る。高価な本や器材を駄目にして買い直せば、さらに家計を圧迫することにもなるだろう。


 そこでレオルには、今度から庭の隅で実験してもらうことに決めた。


 それから一週間ほど、レオルは暇を見つけては奇妙な容器を庭へ運び出した。


 最初の改良型は、布を破かなくなった代わりに、ほとんど汚れを落とさなかった。

 次の型は水の流れを強めた結果、容器そのものが軋んで壊れそうになった。

 さらに次の型では、布が水に浮いてしまい、肝心の汚れた部分が洗われなかった。


 リディアは最初こそ見物していたが、やがて洗濯物の山を前にして考えを変えた。

 自分の毎日の仕事を減らしてくれるというなら歓迎したい。しかし、いつ完成するとも知れない装置を眺めている時間はない。料理も洗濯も、勝手に片付いてはくれないのだから。


 ◇


 ある日、レオルが水の渦を熱心に眺めている脇を、リディアは洗濯籠を持って通った。


「どこへ行く?」

「共同井戸です」

「ここで洗わないのか?」

「その装置では、まだ洗えませんでしょう?」

「それはそうだが」

「完成したら呼んでくださいませ」


 少し冷たく言いすぎたかと思ったが、レオルはすぐに装置へ目を戻した。

 どうやら気にしていないようだ。

 リディアは、悔しいような安心したような気持ちで坂を下った。


 共同井戸では、マルタがいつものように仕事をしていた。


「今日はずいぶん溜めたねえ」

「主人が洗濯の道具を作ると言い出しまして」

「へえ、あの先生が?」

「ええ。いまのところ、布を破くか、水を飛ばすかのどちらかです」


 マルタは大笑いした。


「そりゃあ、普通に洗う方が早いね」

「本当にそう思います」


 洗濯籠からシャツを取り出すと、マルタが手を伸ばした。


「ほら、ここの汚れは先に石鹸をなじませな。水だけで擦っても、なかなか落ちないよ」

「レオル様は、水の流れを使うとおっしゃっていました」

「それだけじゃ落ちない汚れもあるさ。布だって同じじゃないんだから」


 リディアは手を止めた。


 思えば、レオルはずっと水の動きについて考えている。だが、洗濯で重要なのは水を動かすことだけではない。石鹸の使い方や、汚れがついている場所、布の傷み方も大切なのだ。


「マルタさん。例えば、水の中で布が勝手に動く道具があったとして、どんなことに気をつけるべきでしょう?」

「布が絡まないように、だろうね。あと、色の濃いものと薄いものを一緒に入れちゃいけない。石鹸をきちんと洗い流せるかも気になるね」

「なるほど……」

「でも、そんな道具、本当にできるのかい?」

「それが、私にも分からなくて」


 マルタは笑い、仕事に戻った。


 ◇


 帰宅したリディアは、研究室にいたレオルへ、教わったことを伝えた。


「水を動かすだけでは駄目だそうです。石鹸をよく行き渡らせること、最後にきちんと濯ぐこと、それから布が絡まないこと」


 レオルは手帳を開いた。


「最後の二つは分かっている。石鹸については、まだ十分に試していなかったな。研究室の粉砕機でもっと細かく砕いてみるか……」

「それに、薄い布は強く擦ってはいけないのです」

「なら、布の種類に応じて流れの強さを変えられるようにすればいい」

「簡単におっしゃいますけれど」

「難しいかどうかは、これから調べる」


 表情こそさして変わらないものの、レオルは楽しそうだった。

 リディアは、その顔を見て初めて、彼が何に熱中しているのかを少し理解した気がした。


 リディアにとっては、洗濯という大変な仕事を楽にすることが大事である。しかしレオルにとっては、布を傷めずに汚れを落とす水の流れを作ること自体が、取り組むべき課題なのだ。


 研究者としては、それが面白いらしい。よくわからない感覚だが。


「そういえば、不思議ですわね。魔法でこんな道具が作れるのなら、どうして今まで洗濯に使う魔道具を見かけなかったのでしょう? 照明や火起こしの魔道具などはあるのに」

「誰も興味がないからだろう」

「……興味?」

「ああ」


 リディアは少し考えた。


 たしかに自分自身、伯爵家にいた頃は、洗濯を楽にする道具が欲しいと思ったことなどない。洗濯という仕事について、考えたことすらなかったのだ。

 おそらくは、世の中の魔術師も同じなのだろう。そしてマルタたち洗濯女には、魔道具を作る技術も財力もない。


「……そうかもしれませんわね」


 うなずいて顔を上げたときには、すでにレオルは手帳に目を戻していた。


 ◇


 その夜、リディアは台所でスープを温めていた。


 食卓に二人分の皿を並べたが、レオルはなかなか来ない。呼びに行くと、彼は机に頬杖をつき、金属の輪を見つめていた。


「お食事です」

「ああ」

「今、いらっしゃいますか?」

「あとで」


 リディアは言葉を飲み込んだ。この家に来たばかりの頃なら、食事の時間は決まっているのだから席につくべきだ、と言っただろう。

 しかし、今のレオルに何を言っても上の空であることは分かる。彼は彼で、何かがうまくいかず困っているらしい。


 リディアは台所に戻り、自分の分だけ先に食べた。


 すっかり食べ終え、皿の片づけをしていたら、レオルがやってきた。鍋に残ったスープは、まだほんのり温かい。

 この程度の時間なら、レオルが来るのを待てばよかったか。ちらりとそう思った。


「さっきの料理は、まだあるか」

「ありますわ。温め直します」

「助かる」


 温め直して出すと、レオルはパンで皿の底の汁まで拭って食べた。特に感想はない。咀嚼しているあいだも、何かを考えているようだった。


 リディアは、腹立たしいような、けれど少しおかしいような気持ちになった。


 自分もいつか、人に呼ばれても上の空になるほど何かに熱中することがあるのだろうか。


 そんな日が来るとは、想像もできなかった。


 ◇


 翌日、レオルは改良した容器を庭へ持ち出してきた。


 リディアはそれを尻目に共同井戸へ行こうとしたが、せっかくなので試してみてほしいと呼び止められる。珍しいことだった。


「今度はちゃんと動くのですか?」

「前よりは」


 その返事に不安を覚えながら、古い布を入れてみた。レオルが、砕いた石鹸の粉を加えて蓋を閉め、起動紋を押した。


 樽の中で、水が静かに回り始める。


 しばらくすると向きが変わり、布がゆっくり翻る。以前のような大きな音もしない。


 リディアは思わず身を乗り出した。


 五分ほど経ったところで、水流が止まる。リディアは早速洗濯物を取ろうとしたが、「まだだ」とレオルに止められた。


 レオルが樽の下部にある排水弁を開き、水を抜く。それからまた樽に水を入れ、再起動させた。


「これで石鹸を洗い流す」

「ええ、濯ぎが必要でしたわね」


 ところが、洗い終わって布を取り出すと、まだ石鹸の泡が残っていた。リディアはさっと布に視線を走らせる。


「これでは濯ぎが足りません」

「そのようだな」

「それに、裾の汚れも残っています」

「……なるほど」


 レオルは布を受け取り、真面目な顔で眺めた。


 実際の洗濯に使うにはまだ物足りない。それでも、これまでの試作品より、はるかにまともだった。


「惜しいところまで来ていると思いますけれど」


 気づけば、リディアはそんなことを言っていた。


「そうか?」

「ええ。だって、私が手で擦らなくても、これだけ汚れが落ちたのですもの」


 レオルは少し考えた。


「まだいくつか改善する必要があるな」

「どんなことですか?」

「水流はもう少し強めてもいいだろう。あとはその流れを、もっと長く、安定して持続できれば……」


 彼は手帳に新しい図を描き始めた。


 リディアは、今度ばかりは急かさなかった。

 数日間の試作の末に、初めて、この装置が本当に洗濯に使えるかもしれないと思ったからだ。


 ただし、今日は夕食の時間になったら、研究室から引きずり出すつもりだった。一人で取る食事は、どこか味気なかったのだ。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

少しずつですがブックマークや評価もいただけて、大変励みになっています。


第一部もそろそろ折り返し地点です。

次回でサブタイトルをようやく回収できます。


引き続きお楽しみいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。