↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢リディアの魔道具商売 ~望まぬ結婚をしたら、夫から洗濯機をもらいました~  作者: 長月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/15

04. 好きにして構わない

 再び研究室に来たリディアは、勢い込んでレオルに声をかけた。


「レオル様。私の持参金は、どちらに記録されていますか?」


 研究室から出てきたレオルは、首をかしげた。

 そのとぼけた様子に、嫌な予感が走る。


「持参金なら断った」

「……断った?」

「ああ。特に必要なかったからな」


 リディアは帳簿を抱えた腕に力が籠るのを感じた。頭がカッと熱くなる。


「必要なかったって……! これから二人で暮らしていくのですよ。なぜ相談もなくお断りになったのです?」

「伯爵が、持参金を特別に多く持たせてやると言ってきてな」

「父が?」

「金をたくさんやるのだから、ありがたく思え、という調子だった。少々腹が立ったので、いらないと答えた」


 レオルの口調は淡々としていた。


 リディアは言い返しかけて、やめた。父の尊大な口ぶりが、容易に想像できてしまったからだ。


 それにしても、恩着せがましく申し出たことをあっさり断られて、父はどんな顔をしたのだろう?


 研究院の上層部にまで働きかけて、強引に実現させた婚姻である。簡単に破談にするわけにはいかない。そもそも破談にしたところで、レオルを喜ばせるだけなのだ。「持参金を受け取れ」と圧力をかけるというのも、いかにも妙な話である。


「……そうでしたか」


 そう言った声には、少し笑いが滲んでいたかもしれない。この風変わりな夫に困惑している父の姿を思い浮かべると、妙に愉快だった。


 しかし、面白がってばかりもいられない。リディアは家計簿へ目を落とした。


「それはそれとして、生活はどうしましょう?」


 リディアが言うと、レオルも帳簿を覗き込んできた。


「それはたしかに問題だ」


 意見が一致したところで、お金が増えるわけではなかった。


 ◇


 領収書の束をもう一度確かめていると、洗濯屋への支払い記録が見つかった。

 毎月同じ名前が書かれている。マルタという女性らしい。

 ところが、先月分の領収書が見当たらない。


 リディアは再び、そそくさと研究室に向かう。


「洗濯屋さんには、もう頼んでいらっしゃらないのですか?」


 レオルは支払い記録を覗き込んだ。


「しばらく止めている。結婚すると、何かと金が要ると聞いたからな」

「どなたに?」

「伯爵家の事務官だ。妻を迎えるには支度が必要だと」


 リディアは、先ほど整理した領収書を思い出した。

 洗濯屋への支払いまで止めて、自分を迎える支度をしていたらしい。


「それでは、お洗濯はどうなさるおつもりだったのです?」

「忘れていた」


 予想どおりの答えである。

 どうやら、そこで彼の結婚準備は終わっていたようだ。


「とりあえず当面は、私が何とかしますわ」

「そうか、頼もしいな」

「ええ、お任せください。……それと、研究資材の費用ですが」


 リディアは帳簿を見せる。

 どう言うべきか一瞬迷ったが、ことさら事務的な口調を意識した。


「先月から購入を控えていらっしゃるようですが、今後はどうなさるおつもりですか?」


 レオルは数字を見ると、初めて少し真剣な顔になった。


「必要なものは買うつもりだ。特に、この魔石は変換効率の試験に使う。代替品では誤差が出る」

「今月も必要ですの?」

「いや、まだ使い残りがある」

「でしたら、今月は生活費を優先なさってください」


 彼は帳簿を見た。


「君が管理してくれるのか?」

「ええ。よろしければ」

「助かる。細かい計算は面倒でな」

「ただし、研究費を勝手に削ったりはしません。相談します」

「そうしてくれ」


 話は妙にすんなりまとまった。


 リディアは拍子抜けした。父なら、家の金の使い道に口を出すなと言っただろう。以前の婚約者なら、妻が数字を理解しているかどうかから疑ったかもしれない。


 この男は、こちらが家計の管理を引き受けると言うと、あっさり任せてしまった。


 リディアのことを信用してくれているのか。面倒事が減って喜んでいるだけなのか――。


 やはり、よく分からなかった。


 ◇


 夕方になって、リディアは小銭を持って街へ出た。


 近くのパン屋で黒パンを買い、食料品店でチーズと生ハムを選んだ。


 店の主人はリディアの身なりを見ても、特にかしこまることはなかった。学術都市のリュンベルクは、ほかの街ほど身分に頓着しないのだ。値段を尋ねれば気さくに答え、もっとお得な品まで教えてくれる。


 リディアは店主の勧めにうなずきながらも、内心で首をかしげていた。値段はわかっても、その食材をどう料理すればいいのかよくわからない。結局、火を使わずに食べられるものばかり買ってしまった。


 屋敷に戻り、テーブルにパンとチーズと生ハムを並べる。黒パンの皮を割ると、香ばしい匂いがした。淡い黄色のチーズは塩気が強い。生ハムは少し分厚く切りすぎたかもしれない。

 切って並べただけだが、それなりの朝食らしく見えた。これは夕食だが。


 レオルを呼ぶと、彼は意外と素直に席についた。

 リディアがまじまじと見つめると、レオルは首をかしげて問いかけてくる。


「何か問題でも?」

「錠剤で済ませるのではありませんでしたか」

「食事があるなら食べる」


 リディアは思わず笑いそうになった。

 どうやら、この人は、錠剤に対して特別なこだわりがあるわけでもないらしい。食事があれば食べるし、なければ錠剤を飲む。ただそれだけのことなのだ。


 パンをかじりながら、レオルは「うまいな」と言った。


「もう料理を覚えたのか」

「買ってきただけです」

「そうなのか」

「ええ」

「良い店を見つけたな」


 褒められているのだろうか。

 リディアには分からなかった。


 それでも、彼の前にもう一切れパンを置くと、レオルは「ありがとう」と言って手に取った。貧相で素っ気なく、妙に穏やかな食事だった。


 レオルが席を立つ前に、リディアは声をかけた。


「一つ、伺ってもよろしいですか」

「何だ?」

「私たちは、これからも寝室を別々に使うのですか」

「そのつもりだが」

「……なぜですか?」


 尋ねてから、リディアは自分の声が少し硬くなっていることに気がついた。

 そんなリディアの様子には頓着せず、レオルはごく普通の調子で答えた。


「君は、自分で望んでここに嫁いできたわけではないだろう。私も望んで結婚したわけではない。無理に寝室を一緒にする理由はないと思うが」


 リディアは言葉を失った。


 レオルの言っていることは何一つとして間違っていない。リディア自身、内心で痛いほど思っていたことだ。しかし、いざ言葉にされてみると、なぜか常識を壊された気がした。


「……では、今後も私の部屋は、私が自由に使ってよろしいのですね」

「ああ。何か足りないものがあれば言ってくれ」

「分かりました」


 昨日の晩、扉の外の物音に耳を澄ませていたことが、急に恥ずかしくなった。

 少なくとも、この人は自分が望んでここへ来たわけではないと知っている。それはありがたい。


 ただ、こんなに簡単に話を済まされてしまうと、やはり少し拍子抜けするのだった。


 ◇


 食器を片づけ終えた頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 廊下の向こうで、紙をめくる音がする。


 居間を覗くと、レオルは窓際の古い肘掛け椅子に座っていた。小机には分厚い本とコーヒーカップ、コーヒーポットが置いてある。

 深みのある、香ばしい匂いがした。自分でコーヒーを淹れることはできるらしい。


「それはコーヒーですか?」

「ああ」

「砂糖などをお持ちしますか?」

「このままでいい。君は君で好きに過ごしてくれて構わないぞ」


 レオルはそう言って一口飲むと、本に目を戻した。屋敷の窓枠は傷んでいたし、椅子の肘掛けも擦り切れている。それなのに、彼はずいぶん満足げな様子だった。


 リディアはそんな彼を尻目に、台所へ戻った。まだやるべきことが残っている。


 たった二人分の簡単な食事でも、買い物、準備、後片づけと仕事が続く。その上、掃除や洗濯は手つかずだし、明日使う水も汲まなければならない。


 屋敷の管理なら教わってきた。使用人の仕事を割り振り、費用を計算し、出来栄えを確認することなら、自信がある。

 しかし、肝心の割り振る相手がいない。

 自分自身にすべての仕事を割り振ったら、いったい何時間かかるのだろう。


 リディアは台所の窓から、坂の下へ続く道を眺めた。夕方に通ったその道の先には、共同井戸があった。桶を持って行き交う女性の姿を何人も見かけたものだ。


 この街の人々は、毎日の暮らしをどうやって営んでいるのだろう。

 それを知るところから始めた方がいいのかもしれない。


 リディアは帳簿の余白に、明日の予定を書き加えた。


『水汲み。洗濯の方法を調べる』


 伯爵家で受けた教育の中には、一度も登場しなかった項目である。




※11/7改稿報告 3話との接続位置を変更しました。内容自体に変更はありません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。