13. 私のやりたいこと
その日の午後、リディアはマルタを訪ねた。
井戸のわきにある小屋では、洗い終えた布が紐で束ねられていた。マルタは客の名前を札に書き、品物を分けている。
「今日はどうしたんだい?」
「洗濯を人に頼むと、いくらくらいかかるのか伺いたくて」
「前に渡した請求書、残ってなかったかい」
「それとは別に、貴族の大きなお屋敷ではどうなさるのかを知りたいのです」
「家によるねえ。うちのような洗濯屋へまとめて出すところもあるし、自分の家で洗濯女を雇ってるところもある」
マルタは帳簿を閉じた。
「よくある話じゃ、住み込みの洗濯女が一人あたり月に銀貨十二枚くらいの給金かね。安いけど、これは食事と寝る場所を雇い主が用意してやるからさ。そういうのも全部合わせりゃ、月に銀貨二十枚くらいが相場じゃないかね。私も細かいところは知らないけどさ」
銀貨二十枚。つまり金貨一枚である。
「洗濯機があれば、その人を雇わずに済むでしょうか」
マルタは首をかしげた。
「全部は無理だろうね。水を運ぶ人はいるし、干して畳むのも人間だ。それに、薄物は手で洗った方がいいって、昨日も言ったろ?」
「ええ」
「ただ、何人も洗濯女を雇っている大きな屋敷なら、いくらか人数を減らせるかもしれない。洗いや濯ぎの作業を洗濯機が勝手にやってくれるなら、一人で洗濯できる量も増えるしね」
リディアは、手帳に数字を書きつけた。
仮に装置一台によって毎月銀貨十枚から十五枚ほどの人件費を減らせるとする。維持費が月に銀貨一枚か二枚なら、節約は八枚から十四枚ほど。
洗濯機の値段は金貨八枚、銀貨にして百六十枚ほどならどうだろう。
決して、安くはない。だが、一年から二年ほど使えば、出費に見合うことになる計算だ。人を雇うには、お金だけでなく、何かと面倒もかかる。
もちろん、壊れずに使えることが前提である。計算は仮定だらけだった。
「金貨八枚とは、何の話だい?」
手帳を覗き込んだマルタが尋ねてきた。
「……もし、あの洗濯機を売るとしたら、という話です」
マルタは目を大きくした。
「うちじゃ、とても手が出ないよ。それを買うくらいなら、店をもう一軒始める方を考えるね」
「そうですよね」
「でも、大きな屋敷なら話は違うかもしれないね。いちいち洗濯女を何人も呼ぶのが面倒だって人もいるだろうし」
リディアは考えた。
最も洗濯に苦労している人が買えるとは限らない。むしろ、洗濯を自分でしたことのない人に、最初の一台を買ってもらう必要があるのかもしれない。
なんとも奇妙な話だった。
◇
夕食のあと、リディアは手帳を抱えて居間へ行った。
研究院から戻ったレオルは、いつもの窓際で本を読んでいる。
小机に置かれたコーヒーからは、微かにブランデーの匂いがした。お酒を嗜むこともあるらしい。初めて知る事実だった。
「レオル様、少しよろしいですか」
「何だ?」
「洗濯機のお値段についてです」
レオルは読みかけのページに指を挟んで、目を上げた。
「まだ決まらないのか」
「簡単に決まるものではありません」
「私は、値段を決めろと言った覚えはないが」
「私が決めたいのです!」
リディアの勢いに、レオルは少し驚いた顔をした。リディア自身も、自分が思いがけないほど前のめりになっていることに気づき、内心慌てて居住まいを正す。
そこでリディアは、自分が洗濯機を使って商売しようと考えていることを、レオルにきちんと伝えてなかったことに気がついた。
そもそも、あれを作ったのはレオルである。勝手に売っていいものではないし、彼がどう思うかも分からない。
それに、商売など一度もしたことがなかった。思いつきで始めて、うまくいくだろうか。思いつきで始めても、いいものなのだろうか。
一瞬だけ、父の顔がちらついた。
それでもリディアは息を吸い込んで、言葉を出した。
「レオル様」
「なんだ?」
「私、あの洗濯機は凄い価値があると思うのです。あの洗濯機で商売を始めてみても構いませんか?」
レオルは軽く首を傾げた。
「買いたい人がいるのか?」
「まだ具体的には何も決まっていませんけれど、探してみようと思います」
「そうか。構わないぞ。あれはもう、君のものだ」
あっさりそう言うと、レオルは指を挟んでいたページを開き、また読み始めた。
リディアはお礼を言うのも忘れて、その横顔に見入った。
自分がやりたいからやる。この人にとっては、それだけで十分なのだろう。自分が許可する必要すら感じていないに違いない。
考えてみれば、初めからそうだった。リディアが当然だと思っているしがらみを、この人は問題とすら感じていない。おかげで、これまでどれほど困らされたことか。
その自由さは今のリディアにとって、ちょっと腹立たしく、羨ましく、そして爽快だった。
リディアは手帳に目を戻し、先ほど書きこんだ「金貨八枚」という数字を見つめた。
数字はまだ仮のものだ。しかし、初めて売り物の値段を自分で決めてみると、不思議な感覚がした。
伯爵家では、物を買うときに金額を確かめることはあっても、何かに値段をつけて人に売ろうなど考えたこともない。よい家へ嫁ぐことが一番の仕事だと言われてきたのだ。ある意味では、リディア自身が値段を付けられる存在だったとも言える。
その自分がいま、古びた屋敷の居間で、洗濯する樽の値段を考えている。おかしいではないか。
リディアは思わず笑いかけて、やめた。
笑って済ませるには、真剣すぎる問題だったからだ。
もし本当に八枚で売れたら。レオルの一か月の給料六枚さえ超える額を、自分の交渉で手に入れられたら――。
それは、失った生活を少し取り戻すだけでなく、まったく新しい何かが始まるきっかけになるのではないか。
リディアは手帳を閉じた。
売れる相手を、探してみよう。
※11/6 改稿報告
本話後半の心理描写を一部加筆修正しました。
また、全話のタイトルに話数を付記しました。




