11. 洗濯屋の驚き
洗濯機が完成した翌朝、リディアは、その値段を考える前に、まず失敗する可能性を考えた。
昨日洗ったのは、レオルのシャツと布巾だけである。世の中には、それ以外にも洗濯すべきものがたくさんある。
もし大枚をはたいて洗濯機を買った客が、最初の洗濯でお気に入りの衣装を破かれてしまったらどうなるか。自分なら返品を要求するだろうし、相手が貴族ならそれだけでは済まないかもしれない。
きちんと性能を調べた上で考えるべきだ。
リディアは浮つく気持ちを抑え、そう結論づけた。
「レオル様。昨日の装置は、どこにございますか?」
朝食のあと、研究室のレオルに声をかけた。
「洗濯機か。浴室に置いたが」
「では、あれをほかの人に使っていただいても?」
「構わないが、何のために?」
「性能を確かめたいのです。私一人では分からないこともありますから」
レオルは机の上の金属片を裏返した。
「そうか。壊れたら知らせてくれ」
「直してくださるのですか?」
「原因を調べたい」
やはり、レオルは相変わらずだった。
リディアは礼を言って部屋を出た。実際、どんな場合に故障してしまうのかも、売り物にするうえでは知っておきたい。
昼前、共同井戸へ向かった。
マルタはいつもの場所で、小屋から運び出した大きな布を盥から引き上げていた。腕の動きには一分の無駄もない。隣では若い洗濯女のニーナが、石鹸を溶かした水を取り替えている。
「マルタさん。ひとつ見ていただきたいものがあるのです」
「何だい。今度は料理でも覚えたのかい」
「いえ、洗濯です」
マルタは首を傾げた。
「まだ教わりたいことがあるのかい?」
「教わりたいのではなくて……いえ、やはり教わりたいこともあるのですけれど。主人が、洗濯をする道具を作りました」
「ああ、あの布を破く機械かい」
ニーナが吹き出した。
「もう破きません!」
そう言ってから、リディアは少し心配になった。「昨日は破かなかった」と言った方が正確ではないか。
仕事がひと段落する夕方に、マルタとニーナが屋敷へ来てくれることになった。二人とも、洗濯機に多少の興味を覚えたようだった。見世物小屋へ行く態度に近い気がするのは否めないが。
リディアは屋敷に戻り、マルタたちを迎えても恥ずかしくないように、できるだけ掃除した。洗濯機の周りは特に念入りに綺麗にし、昨日洗濯機で洗ったシャツと、まだ洗っていないものを別々に積んでおく。
せっかく見にきてもらうのだから、きちんと準備しておきたかった。
昼食のとき、レオルとまた話をした。
「夕方、洗濯屋の方たちがいらっしゃいます」
「そうか、洗濯のためにか?」
「あの装置を見ていただくのです」
「性能試験ということだな。いいと思う」
「立ち会っていただけますか?」
「何か問題があったら呼んでくれ。今はほかに気になることがある」
そう言って、彼はまた研究室へ戻った。
リディアは少し不満だったが、考え直した。マルタたちを呼んだのは、自分なのだ。自分で話を聞くのが筋である。
夕方、マルタたちは約束どおりにやって来た。
屋敷の門扉を見たニーナが、ちょっと意外そうな顔をする。
「貴族の屋敷って、みんなもっと立派なのかと思ってた」
「私もです」
リディアが答えると、マルタは声を上げて笑った。
浴室へ案内し、樽のような装置を見せる。二人はしばらく黙って眺めていた。
「これが、洗濯するのかい?」
「ええ。私も信じられませんでしたけれど」
「ずいぶん大きいんだねえ」
「魔力で水を動かすそうです」
「そうです、って、リディア様もよく分かってないのかい」
「使い方は心得ています」
胸を張って答えたが、実際、それで十分だと思っていた。家の暖炉を使うのに、燃焼の原理を知る必要はない。
まずは、先ほど用意しておいた洗濯物――シャツや布巾――を十枚ほど入れた。ニーナが「これもお願い!」と、持参してきた普段着をちゃっかり入れてくる。リディアは一瞬どうしようかと迷ったものの、マルタが「好きにさせてやんな」という目をしたので、そのままにした。
装置の中で水が静かに流れ始めると、ニーナは蓋の小窓に顔を寄せた。マルタはしゃがみ、底から聞こえてくる音に耳を澄ませた。
水を入れ替えて濯ぎまで終えると、リディアは洗濯物を取り出した。
「もう終わったのかい!」
「まだ二十分くらいしか経ってないじゃん!」
マルタとニーナが目を丸くして濡れた布を受け取った。自分が作ったわけでもないのに、少しいい気分である。
ニーナが襟の汚れを確かめ、マルタは布を広げて西日の射す窓際へ持っていく。
「……へえ」
マルタは一度、布の表と裏を返し、素早く目を走らせた。
「これだけ落ちるなら、たいしたもんだ」
その声は、リディアが期待していたより静かだった。長年、プロとして洗濯をしてきたマルタらしい反応だった。
一方でニーナは、「これ、すごいじゃん!」と無邪気に歓声を上げている。
「もう一度、いいかい」
「もちろんです」
今度は薄い亜麻布も入れてみた。
マルタとニーナは、洗濯前の布の状態を軽くチェックした。さっきよりも本腰を入れて洗濯機の性能を確かめようとする姿勢が見て取れる。
洗い終わった布は、汚れも落ちて問題ないように見えた。しかしマルタは端を指先でつまみ、顔をしかめた。
「ちょっと毛羽立ってるね。これを何度もやったら、傷みそうだ」
「本当ですか?」
「ほら、ここの縁。洗う前はこうじゃなかったよ」
ニーナもうなずいた。
「でも、丈夫なものならいいんじゃない? ベッドのシーツとかテーブルクロスとか。ああいうのって腕が疲れるもん」
「たしかにね。それに普通のシャツにしたって、あたしが洗って濯ぐよりもずっと早い。特に、わざわざ一枚ずつ擦らなくていいってのが大きいよ。腕と背中がずいぶん楽になる」
リディアは胸が熱くなった。洗濯を何年も仕事として続けてきた女性が、便利だと言ってくれたのだ。
「やはり、ほかにも欲しい方はいらっしゃるでしょうか」
「そりゃあ、欲しがる人はいるだろうさ。問題は値段だよ」
話がいきなり現実に戻った。しかし、避けては通れない話題でもある。
「おいくらなら、買いたいと思います?」
マルタは少し考えた。
「銀貨を何枚か出して済むなら、ねえ。だけど、その石だけでもずいぶん高そうじゃないか」
「魔石です。どれほどするのか、私もまだ詳しくは……」
「うちも多少は蓄えがあるけど、手元の金をみんな使っちまうわけにゃいかないからね。仕事が少ない月でも、食べていかなきゃならないし」
ニーナは装置を眺めていた。
「これがあれば、仕事が結構早く終わるよね。でも、そのぶん仕事が増えるなら、やっぱり忙しいのかな」
マルタが笑った。
「仕事が増えるんなら、稼げるってことだから悪い話じゃないだろ」
「まあ、それはそっか」
ニーナが真面目な顔をしてうなずいた。
一方でマルタは、「あたしは仕事が早く、楽に終わるのが一番だけどね」と付け加えた。
「そういうものでしょうか」
「そりゃそうさ。あんただって、毎日洗濯だけして暮らしてるわけじゃないんだろ?」
「ええ」
「だったら、空いた時間がどれだけありがたいかは分かるはずだよ。それは私たち洗濯女だって同じさ」
その言葉は、リディアの胸にすんなり収まった。
最後にマルタは、魔道具を買う前に確かめたいことを次々に挙げた。どんな布に使えるか。最大で何枚くらいまで入れられるか。魔石はどれくらいで再充填するのか。故障したら誰が直すのか――。
リディアはその全てを手帳に書き取った。参考になることばかりだった。
帰り際、マルタは玄関で振り向いた。
「先生に言っといておくれ。あれ、面白いよ。洗濯屋をやってる私が言うんだから、間違いない」
「ありがとうございます!」
「ただし、値段が金貨何枚もするなら、うちじゃ買えないからね」
笑いながら念を押され、リディアも笑った。
マルタとニーナを見送った後、リディアは浴室の洗濯機を見つめた。
役に立つことは分かった。少なくとも、洗濯の専門家が認めてくれた。
けれど、欲しいと思うことと、買えることは別なのだ。
リディアは研究室の方を見た。
レオルにとっては、洗濯に使える装置が完成しただけで十分なのかもしれない。だが自分には、その先に別の問題がいくつも見え始めていた。
これは一体、誰に売るべきものなのだろう?




