その9 魔力ゼロの王女~後編~
◇
やがて、私たちはディアナ王女の部屋に到着した。
扉の前に立つ侍女が、私たちを見て慌てて頭を下げる。
「王女殿下にお取次ぎいたします」
「いや、必要ないわ」
扉の向こうから、冷ややかな声が響いた。
「入ってちょうだい」
私は背筋を伸ばし、扉をくぐった。
美しい調度品に囲まれた部屋の中央で、ディアナ王女がこちらを見ていた。
その表情は、いつもどおりの気品に満ちたもの。
けれど、私を見る青い瞳には、隠しきれない苛立ちが浮かんでいた。
「ハリーさん。その子には近づかないほうが身のためよ」
開口一番、王女はそう言った。
……え?
ハリー様と私が一緒にいることが、そんなに気に入らないの?
青年は、まるで気にした様子もなく微笑んだ。
「ディアナ王女殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
「挨拶はいいわ。ベルから離れてちょうだい」
「おや。王女殿下こそ、僕たち魔術師の警護がなければお困りになるのではありませんか?」
青年の口調は軽かった。
けれど、その言葉は鋭かった。
「何しろ、王女殿下は魔法をお使いになれないのですから」
「……っ!」
ディアナ王女の肩が、ぴくりと震えた。
部屋の空気が凍りつく。
私は思わず王女の顔を見つめた。
魔法を使えない?
王女が?
そんな馬鹿な!
王族は、代々魔法を使う魔術師を輩出してきた家系のはずだ。
魔力の強さこそ人それぞれでも、まったく魔法を使えない王族など、聞いたことがない。
それなのに、ディアナ王女は何も言い返さなかった。
ただ、屈辱に耐えるように唇を噛みしめている。
……いったい、どういうこと?
「ハリーさん。あなた、少し口が過ぎるのではなくて?」
「これは失礼。では、僕はこれで」
青年は悪びれもせず一礼すると、私に向かって片目をつぶった。
「また会おうね、ベル」
そう言い残して、彼は部屋を出ていった。
扉が閉まる。
その途端、ディアナ王女の顔から表情が消えた。
「ベル」
「は、はい!」
「あなた……あの男と、何を話したの?」
「い、いえ、何も……!」
「そう」
王女は私をじっと見つめた。
その視線に耐えきれず、私は俯いた。
怖い。
この人は、いつだって私を脅し、家族を盾にして命令する。
それなのに今、私は初めて気づいた。
ディアナ王女もまた、何かを恐れているのではないだろうか。
そのときだった。
「ディアナ王女。先ほどの話ですが……」
部屋の奥から、低い男の声がした。
私はびくりと肩を震わせた。
そこにいたのは、見慣れない男性だった。
仕立てのよい衣服に身を包み、胸元には宰相の徽章。
新任の宰相、イルマー様だ。
いつからそこにいたのだろう。
まるで、私たちの会話など最初から聞いていたかのように、彼は静かに微笑んでいた。
「……ベル。下がりなさい」
ディアナ王女が命じた。
「はい、王女殿下」
私は一礼し、部屋を出た。
扉が閉まると、室内の声は聞こえなくなった。
新任の宰相とディアナ王女は、いったい何を話すのだろう。
気にはなったけれど、私には関係のないことだ。
今はただ、王女の機嫌を損ねずに済んだことに安堵するばかりだった。
* * *
ベルが去ったのを確認すると、イルマーはディアナに向き直った。
「それで、私の話を信じる気になりましたか?」
「あなたの言うことが正しいという保証は? 就任したばかりのあなたを、そう簡単に信用できると思って?」
ディアナは腕を組み、彼を睨みつけた。
イルマーは、そんな彼女の態度を気にする様子もなく、穏やかに微笑んだ。
「心当たりがおありでしょう?」
彼は一歩、ディアナに近づいた。
「あなたに魔力が皆無であること。よそよそしい両親。四歳までの記憶がないこと」
ひとつひとつ、確かめるように言葉を重ねる。
「これだけ証拠がそろっているというのに、まだ疑うんですか?」
「……でも」
ディアナの指が、衣服の裾を強く握りしめた。
「魔力がないのは、私が『運命の子』だからじゃないの?」
イルマーは、すぐには答えなかった。
ただ、笑みを浮かべたまま、彼女を見つめていた。




