その8 魔力ゼロの王女~前編~
青年に連れられて第一書庫まで戻ってくると、そこには大勢の魔術師たちが集まっていた。
先ほどまで本棚の間を埋め尽くしていた人々が、青年の姿を見るなり、左右に分かれて道を開ける。
その視線が、一斉にベルへと注がれた。
「ハリー様、その女は何者ですか?」
「なぜ民間人がここにいるのです?」
「まさか、F国の間者では……?」
「魔法による警備を、どうやって突破したんだ?」
疑惑と非難の声が飛び交う。
ベルは思わず身をすくめた。
どうしよう。まさか、こんな大騒ぎになるなんて。
しかも、彼らの目には、私がとんでもない犯罪者に見えているらしい。
「静粛に!」
鋭い声が響いた。
人垣の向こうから、銀色のローブをまとった年配の男性が歩み出てくる。魔術学校の校長先生だ。
校長は私の前で足を止めると、穏やかな笑みを浮かべた。
「さて、お嬢さん。名前を聞かせてもらえるかな?」
「ベル・ヴァルナーです……」
名乗った途端、周囲がざわめいた。
「アルバ侯爵と婚約破棄した女か」
「アバズレ・ベルだろう?」
「王女殿下に国境へ飛ばされた侍女だ」
「そのうえ、書庫に盗みに入ったのか?」
聞きたくもない噂が、次々と耳に飛び込んでくる。
私はうつむいた。
お願いだから、もうやめて……。
やっぱり、あの婚約破棄の噂はここまで広まっているのね。
アルバ侯爵を裏切った女。
王女の命令で将軍に近づいた女。
そして今度は、王宮の書庫に忍び込んだ泥棒。
私の評判は、どこまで落ちれば気が済むのだろう。
俯きそうになった、そのとき。
「静粛に!」
校長先生の一喝が響いた。
部屋がしんと静まり返る。
「ベル・ヴァルナー。君は何を盗もうとしたのかね?」
「そ、それは……」
言えない。
ディアナ王女に命令されたなんて、口が裂けても言えない。
もし知られたら、家族がどうなるか分からないのだから。
「……本を、一冊」
「どの本だ?」
「『運命の子のすべて』です」
校長先生の眉が、ぴくりと動いた。
周囲の魔術師たちも、一瞬だけ口を閉ざす。
えっ?
なにか、まずい本だったの?
校長先生は小さく息を吐くと、机の引き出しから一冊の雑誌を取り出した。
「ならば、王女にはこれを持っていくといい」
「……え?」
差し出されたのは、華やかな表紙の雑誌だった。
「君が盗もうとしたのは禁書だ。一般の者が持ち出してよいものではない。だが、こちらなら問題ない」
「で、でも……」
「持っていきなさい。今回は不問にする」
私は呆然とした。
禁書?
あの本、そんなに危険なものだったの!?
それに、どうして校長先生は私を許してくれるのだろう。
疑問は尽きなかったが、今はありがたく受け取るしかない。
「ありがとうございます……!」
私は深々と頭を下げた。
「ハリー君」
「はい?」
「この子を王女の部屋まで送り届けてやりなさい」
「了解です」
青年は軽く手を上げた。
こうして私は、なぜか王宮の書庫から無罪放免となったのだった。
……本当に、何がどうなっているの?
◇
「君、魔術師の9割から嫌われてるね」
書庫を出てしばらく歩いたところで、青年が唐突に言った。
「…………」
分かっている。
そんなこと、言われなくても分かっているわよ!
「禁書を盗もうとしたことで、また評判を落とした。いやあ、すごいね。普通はここまで嫌われないよ」
「好きで嫌われているわけではありません!」
「へえ。じゃあ、どうして?」
「それは……」
言えるわけがない。
家族を人質に取られて、王女の命令に逆らえないからだなんて。
私は口をつぐんだ。
青年はしばらく私を見つめていたが、やがて、ふっと笑った。
「まあ、いいや。僕は君が好きさ!」
「…………は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
い、今、なんとおっしゃいました?
「君の近くにいると、何だか楽しいんだ。体の中から活力があふれてくる気がする」
青年は不思議そうに自分の胸元を押さえた。
「こんな感覚、初めてだよ。君って、いったい何者なんだろうね?」
「わ、私に聞かれても……」
そんなこと、私が知りたい。
私は魔力ゼロの、ただの侍女なのだから。
……ただの、侍女。
そう。私は何の取り柄もない人間なのだ。
なのに、この青年はどうしてこんなに楽しそうなのだろう。
「そういえば、まだ名乗っていなかったね」
青年は立ち止まり、私に向き直った。
「僕はハリー。王室専属顧問魔術師だ。よろしく、ベル」
「よ、よろしくお願いいたします……」
王室専属顧問魔術師。
そんなすごい人に、なぜ私は好かれているのだろう。
ますます分からない。
(後編へつづく)




