その4 私は「運命の子」?
エルンハルト将軍の執務室を出たあと、私は砦の中を案内してもらった。
国境に近い砦だけあって、兵士の数は多い。
廊下を歩けば、鎧を身につけた兵士たちとすれ違う。
中庭では、何人もの兵士が剣を振っていた。
私には、どれも縁のない世界だった。
王宮にいた頃の私は、毎日決まった時間に王女ディアナ様のお世話をしていた。
朝食を用意して。
髪を整えて。
衣装を選んで。
お茶を淹れる。
それだけ。
剣も振れない。
馬にも乗れない。
魔法も使えない。
私は、生まれつき魔力がなかった。
このG国では、魔力を持って生まれる者と、持たずに生まれる者がいる。
そして私は、後者だった。
しかも、それだけではない。
頭もあまり良くない。
体力もない。
運動神経も悪い。
要するに――私は、何をやらせても人並み以下なのだ。
だからこそ、侍女という仕事だけは頑張ってきた。
私にできることは、それくらいだったから。
そんな私でも、王女付きの侍女になれた。
それだけは、自分の誇りだった。
……もっとも。
ディアナ様に命じられた今の仕事は、侍女の仕事とは到底呼べないけれど。
「ベル?」
「はい?」
振り返ると、エルンハルト将軍がこちらを見ていた。
「どうした。ぼんやりしているぞ」
「あ……すみません」
「疲れたのか?」
「いえ、大丈夫です!」
慌てて首を振る。
するとエルンハルト将軍は、少しだけ眉を寄せた。
「無理をするな」
「……はい」
その言葉が、妙に胸に残った。
今まで、私にそんなことを言ってくれる人はいなかった。
ディアナ様から命令されれば、できるかできないかなんて関係ない。
やるしかない。
失敗すれば、家族がどうなるかわからない。
だから私はいつも、
――できます。
そう答えてきた。
できなくても。
怖くても。
死にそうでも。
できると言うしかなかった。
けれどエルンハルト将軍は、私の「大丈夫」を疑っている。
そのことが、なぜか嬉しかった。
「ところで、将軍」
「なんだ?」
「この国とF国は、どうして戦争をしているんですか?」
エルンハルト将軍は少し考えてから答えた。
「国境の土地と資源を巡る争いが大きい。だが、それだけではない。両国には長い因縁がある」
「因縁……」
「G国は魔力を持つ者が多い。魔法を使える者は、軍事や生活の様々な場面で重宝される」
私は頷いた。
それは知っている。
王宮でも、魔力を持つ貴族は珍しくない。
「だが、F国は違う」
「魔力がないんですよね?」
「ああ」
エルンハルト将軍は窓の外を見た。
「以前、F国がこの国へ攻め込んできたときのことだ。奴らは最後まで魔力をほとんど使わなかった」
「どうしてですか?」
「使えなかったからだろう」
私は目を丸くした。
「では……F国には、魔力を持つ人がほとんどいない?」
「そう考えられている」
「それなのに、どうしてG国と戦えるんですか?」
エルンハルト将軍は答えなかった。
代わりに、机の上に置かれた一冊の本を手に取った。
「錬金術だ」
「錬金術?」
「ああ。F国では、錬金術から発展した別の学問が盛んらしい」
「別の学問?」
「『科学』と呼ばれている」
聞き慣れない言葉だった。
私が首を傾げると、エルンハルト将軍は苦笑した。
「私にも詳しいことはわからん。ただ、魔力を使わずに火を起こしたり、物を動かしたり、遠くの人間と情報をやり取りしたりする技術があるらしい」
「魔法を使わずに……?」
「ああ」
私は思わず唸った。
魔力がない。
だからこそ、魔力に頼らない方法を発達させた。
そう考えると、なんだか不思議だった。
「では、F国の人たちは……魔力がないことを、恥ずかしいとは思っていないんでしょうか?」
「さあな」
エルンハルト将軍は肩をすくめた。
「だが、少なくとも我々より優れた技術を持っていることは確かだ」
その言葉に、私は少しだけ俯いた。
魔力がない。
それだけで、私はずっと自分を劣った人間だと思っていた。
けれど。
魔力がなくても、何かを生み出せる人たちはいる。
魔力がないからこそ、発展した国だってある。
なら――。
「……私にも、何かできることがあるのかな」
思わず口からこぼれた。
「何か言ったか?」
「い、いえ! なんでもありません!」
慌てて誤魔化す。
そうだ。
今は悩んでいる場合じゃない。
ディアナ様から命じられたのは、エルンハルト将軍の近くにいて軍事情報を手に入れること。
もう、私はエルンハルト将軍のすぐそばにいる。
つまり――。
あとは軍事情報を聞き出せばいい。
それだけだ。
楽勝じゃない!
私は心の中で拳を握った。
エルンハルト将軍は無口で不愛想だけど、私に敵意を持っているわけではない。
むしろ、私を気遣ってくれている。
少しくらい質問すれば、いくらでも情報を教えてくれるかもしれない。
そう。
私は王女ディアナ様の命令を果たして、家族を守る。
それでいい。
その夜。
私は客人用の宿舎に用意された部屋で、柔らかな寝台に横になっていた。
「ふあ……」
今日は色々ありすぎた。
馬に乗らされて。
エルンハルト将軍に正体を見抜かれて。
敵国の兵士に襲われて。
そのうえ、国同士の戦争の話まで聞かされた。
疲れた。
目を閉じる。
明日は、もっとエルンハルト将軍と話をしよう。
軍事情報を聞き出して。
ディアナ様に報告して。
そうすれば――。
家族は無事でいられる。
私は、そのまま眠りに落ちた。
――だから。
気づかなかった。
窓の外に、人影があることに。
鍵が、静かに外された。
扉が開く。
誰かが部屋に入ってくる。
「……こいつだ」
「間違いないのか?」
「ああ。エルンハルト将軍の近くにいた女だ」
私は眠ったままだった。
「しかし、こんな女が……?」
「命令は確実だ。連れていけ」
身体を持ち上げられた。
「ん……?」
そこで、ようやく目が覚めた。
「――っ!?」
声を上げようとした口を塞がれる。
何が起きているのかわからない。
男が二人。
いや、三人いる。
私は必死にもがいた。
「暴れるな!」
「んんっ!」
怖い。
怖い。
怖い!
私は力いっぱい男の腕を噛んだ。
「痛っ!」
拘束が緩む。
その隙に身体をひねった。
「離して!」
「こいつ!」
「騒ぐな!」
私は廊下へ転がり出た。
助けを呼ばなきゃ。
エルンハルト将軍――!
そう思った瞬間。
「いたぞ!」
男の手が私の腕を掴んだ。
「この女がそうなのか?」
「たぶんな」
「なら、間違いない。『運命の子』かもしれん」
――運命の子?
何、それ。
聞いたことのない言葉だった。
私が振り返ろうとした、そのとき。
「殺すんじゃない!」
男が叫んだ。
「弱らせるだけだ。生きたまま連れていけ!」
背筋が凍った。
殺さない。
つまり――。
私を、どこかへ連れていくつもりなのだ。
「いやっ!」
私は思いきり暴れた。
男の腕が外れる。
その勢いで、身体が廊下の外へ投げ出された。
「きゃああああっ!」
視界が反転する。
砦の外。
夜の闇。
そして――。
遥か下にある地面。
「うそ……」
落ちる。
このままでは、死ぬ。
「ベル――――っ!」
聞き覚えのある声が響いた。
エルンハルト将軍だ。
彼がこちらへ駆けてくる。
片手を伸ばした。
「くそっ!」
エルンハルト将軍の身体から、魔力が噴き出した。
風が渦を巻く。
私の落下速度が、ほんの少しだけ緩んだ。
けれど――。
「足りない……!」
エルンハルト将軍の顔が歪む。
「俺の魔力じゃ、止められない!」
さらに魔力を放つ。
それでも、身体は落ち続ける。
「くそっ……!」
その瞬間だった。
ふっと。
身体が軽くなった。
「……え?」
落下速度が、明らかに変わった。
エルンハルト将軍も目を見開いている。
「なぜだ……?」
彼の魔力が、急に強くなったように見えた。
「俺の魔力が……上がった?」
エルンハルト将軍の手が、私へ伸びる。
「なぜ急に――」
次の瞬間。
強い腕に抱きしめられた。
「……っ!」
エルンハルト将軍だった。
地面に落ちる寸前、彼が私を抱えて受け止めてくれたのだ。
「ベル!」
「しょ、将軍……」
「怪我は?」
「ありません……」
「本当に?」
エルンハルト将軍の顔が近い。
息がかかりそうなほど近い。
私は顔が熱くなるのを感じた。
けれどエルンハルト将軍は、それどころではないらしい。
私を抱えたまま、険しい顔で砦の上を睨みつけていた。
「……敵の間者が入り込んでいたのか」
そして。
私の顔を見つめる。
「ベル。お前は……何者だ?」
「え……?」
心臓が、大きく跳ねた。
その問いに答えられない。
私はただの侍女。
魔力もない。
頭も悪い。
体力もない。
何の取り柄もない、普通の女。
――そう思っていた。
けれど。
さっきの男たちは、私をこう呼んだ。
『運命の子』。
あの言葉は、一体何なのだろう。
そして。
なぜ私が狙われたのだろう。
私は初めて、自分自身について知りたいと思った。
――『運命の子』。
その言葉の意味を。




