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王女に人生を操られていた侍女ですが、国境の将軍様だけは私を信じてくれました  作者: RiePnyoNaro


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3/11

その3 国境の将軍様

 馬の背にまたがった瞬間、ベルは顔をしかめた。


「……痛い」


 昨日まで侍女として働いていた私が、どうして馬に乗っているのだろう。


 原因は、王女ディアナの命令だった。


 ――エルンハルト将軍に近づき、軍事情報を手に入れなさい。


 そのために私は今朝から、急いで馬術を覚えさせられていた。


「もっと背筋を伸ばして!」


「は、はいっ!」


 侍女仲間に叱られ、慌てて背筋を伸ばす。


 すると、股の付け根がずきりと痛んだ。


 鞍に擦れているのだ。


 昨日まではアルバ侯爵様を傷つけ、今日は馬に乗って国境へ向かう。


 我ながら、ひどい人生だと思う。


 けれど、泣き言を言っている暇はない。


 弟たちの顔が浮かんだ。


 私は歯を食いしばった。


 ***


 数時間後。


 私は兵士の服を借り、国境近くの砦に立っていた。


 大きな石壁。


 その上には見張り台があり、鎧を身につけた兵士たちが行き交っている。


 ここに千人もの兵士が駐屯しているという。


 その全員を束ねているのが、エルンハルト将軍。


 私は胸の奥が重くなるのを感じた。


 千人を率いる将軍。


 そんな人を、私はこれから騙さなければならない。


 どうして私ばかり……。


 俯きそうになったところで、兵士に声をかけられた。


「お前、新入りか?」


「は、はい」


「将軍がお呼びだ」


 心臓が跳ねた。


 ***


 通された執務室には、一人の男がいた。


「……何の用だ」


 低い声だった。


 私は思わず息を呑んだ。


 窓から差し込む光の中に立つ、その人は――美しかった。


 整った顔立ち。


 鋭い目。


 無造作にまとめられた黒髪。


 鍛えられた身体は軍服の上からでもわかるほど逞しい。


 けれど、華美な装飾は一切ない。


 ただ静かに立っているだけなのに、近寄りがたい威圧感があった。


 この人がエルンハルト将軍。


 私は慌てて頭を下げた。


「本日よりこちらに配属された兵士です」


「そうか」


「はい」


「名前は?」


「ベルです」


「何の役目だ」


「……偵察を」


「そうか」


 会話が終わった。


 沈黙が怖い。


 私は何か言わなければと思い、用意していた嘘を口にした。


「私は以前、国境付近で暮らしておりました。ですから、こちらの地理にも詳しく――」


「嘘だな」


「え?」


 顔を上げる。


 エルンハルト将軍は私をじっと見ていた。


「その手では、まともに剣を握ったことがない」


 心臓がどくんと鳴った。


「そ、それは……」


「それに」


 エルンハルト将軍が一歩近づく。


「兵士にしては、歩き方が妙に上品だ」


 ぞくりとした。


 全部、見られている。


 私は慌てて視線を逸らした。


「申し訳ありません……」


「何を謝っている?」


「……」


 言えない。


 あなたを騙しに来ました。


 王女様に命令されたからです。


 家族を人質に取られているから。


 そんなこと、言えるはずがない。


「……何でもありません」


 エルンハルト将軍はしばらく私を見つめていた。


 そして、ふいに視線を外した。


「そうか」


 その声には、怒りよりも――何か別のものが混じっていた。


 疑っている。


 でも、追及するつもりはないらしい。


 どうして……?


 私なんかに。


 私は自分でも嫌になるほど、自己評価が低かった。


 私は美人でもない。


 頭がいいわけでもない。


 特別な才能もない。


 ただ、家族を養うために王宮で働いているだけ。


 そんな私が、将軍に興味を持たれるはずなんてない。


 きっと気のせいだ。


 そう思った、そのときだった。


「……ところで」


 エルンハルト将軍が机の上に置かれていた封書を手に取った。


 王家の紋章が押された、ディアナ王女からの書簡だった。


「これは王女からの命令書だな?」


「は、はい」


「お前を俺のもとへ寄越す、とある」


「……はい」


 エルンハルト将軍は書簡を読みながら、わずかに眉を寄せた。


「妙だな」


「え?」


「ディアナは、俺のところへ女を寄越すような真似を、以前にも何度かしている」


「……!」


 私は思わず顔を上げた。


「以前にも?」


「ああ」


 エルンハルト将軍は淡々と答えた。


「俺が誰かと親しくしていると聞けば、相手の身元を調べさせる」


「…………」


「俺に縁談が持ち上がったときなど、王女本人が口を出してきたこともある」


 それは……。


 まるで。


 まるで――。


「王女さまは……将軍のことを、お嫌いなのでは?」


「そう思うだろうな」


 エルンハルト将軍は苦笑した。


「俺も最初はそう思っていた」


「では……?」


「だが、嫌っているだけなら、あそこまで俺の女関係を気にする理由がない」


 ベルは目を瞬いた。


 エルンハルト将軍は、どこか疲れたように息を吐く。


「俺に女ができたと聞くたびに機嫌を悪くする。


 俺が王都へ行けば、誰と会ったのか尋ねる。


 なのに本人に聞けば――」


 少し間を置いて、


「『あんな無骨な男、誰が好きになるものですか』だ」


 ベルは思わず首を傾げた。


 それは……。


 もしかして。


 嫌いなのではなくて――。


「……王女さま、将軍のことがお好きなのでは?」


「まさか」


 エルンハルト将軍は即答した。


「俺が?」


「でも……」


「ありえん」


 あまりにもきっぱり言うので、ベルはそれ以上言えなくなった。


 けれど、胸の中には小さな疑問が残った。


 ディアナ王女。


 エルンハルト将軍。


 二人の間には、私の知らない何かがあるのだろうか。


 それとも――。


 王女様は、自分でも気づいていないだけで、この人を……?


 考えていると、エルンハルト将軍が書簡から目を離した。


「それで?」


「え?」


「お前は何を命じられてここへ来た?」


 心臓が跳ねた。


 まただ。


 この人は、私の嘘を見抜こうとしている。


「……その」


 私は慌てて視線を逸らした。


「王女様から、将軍のお傍に仕えるように、と」


「そうか」


 エルンハルト将軍は私をじっと見つめた。


 そして――。


「ならば、王女への報告には」


 片頬をわずかに歪めた。


「『怪しいところはない』と書け」


「え?」


「お前は俺を監視するために寄越されたのだろう?」


「……!」


 やっぱり、この人には嘘が通じない。


 私はどう答えればいいのか分からず、黙り込んだ。


 そのときだった。


「――敵襲!」


 砦の外から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。


 直後。


「敵国の軍勢です!」


 怒号が飛び交った。


 兵士たちが一斉に動き出す。


「将軍! 北側より敵兵が侵入!」


「兵を回せ」


「はっ!」


 エルンハルト将軍は一瞬で別人のようになった。


「第一隊は北門へ。第二隊は城壁上へ。弓兵は待機!」


 低く落ち着いた声が砦中に響く。


 私は呆然とした。


 これが……千人の兵士を率いる人。


 さっきまで私を見ていた目とは違う。


 迷いがない。


 恐怖もない。


 私はその姿に、思わず見惚れてしまった。


 ――格好いい。


 胸が、小さく跳ねた。


 その直後。


「逃げろ!」


 誰かの叫び声がした。


 砦の門が破られた。


 敵兵が雪崩れ込んでくる。


「きゃっ!」


 私は腰の剣を抜こうとした。


 けれど、手が震えてうまく抜けない。


 怖い。


 怖い。


 足が動かない。


 敵兵が私に気づいた。


「いたぞ!」


「ひっ……!」


 剣が振り上げられる。


 私は思わず目を閉じた。


 ――死ぬ。


 そう思った瞬間。


 ガキィン!


 金属音が響いた。


 目を開ける。


 私の目の前に、エルンハルト将軍が立っていた。


「下がれ!」


 敵兵の剣を受け止め、そのまま弾き飛ばす。


 そして一閃。


 敵兵が倒れた。


「怪我は?」


「……ありません」


 声が震えた。


 エルンハルト将軍は私の顔を見つめた。


「そうか」


 そして、私の腕を掴んだ。


「なら、ここにいろ」


 力強い手だった。


 その温もりが、妙に胸に残った。


 怖かった。


 なのに――この人のそばにいると、安心する。


 そんな感情が、自分の中に芽生えたことに驚いた。


 私は、エルンハルト将軍を見上げた。


 近くで見ると、やっぱり綺麗な顔をしている。


 けれど、その目は怖いくらい真っ直ぐだった。


 ――この人を騙したくない。


 初めて、そう思った。


「将軍……」


「何だ?」


「私……」


 言いかけたときだった。


 エルンハルト将軍が、私の手首を見た。


 侍女の仕事でできた小さな傷。


 そして、兵士の服からわずかに覗く白い肌。


 彼は何かに気づいたように眉を寄せた。


「……お前」


 低い声。


「本当に兵士か?」


「……!」


 私は息を止めた。


 エルンハルト将軍は、私の顔をじっと見ている。


 さっきまでの警戒とは違う。


 そこには、明らかな興味があった。


「なぜ、そんな顔をする?」


「え……?」


「まるで、誰かに怯えているようだ」


 胸が締めつけられた。


 その瞬間。


 私は悟った。


 この人には、嘘が通じない。


 そして――


「……家族を人質に取られているのか?」


 その言葉に、私の身体が凍りついた。


 どうして……。


 どうして、そこまで分かるの?


 エルンハルト将軍は私から目を逸らさなかった。


 そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「やはり、そうか」


 その目には――


 私への、確かな興味が宿っていた。


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