その32 人気者の告白
翌朝、王宮に出勤したベルは、いつもと違う空気を感じていた。
廊下ですれ違う魔術師たちが、ちらちらとこちらを見てくるのだ。
(……何かしら?)
ベルが不思議に思っていると、向こうからハリーが歩いてきた。
「おはよう、ベル!」
「おはようございます、ハリー様」
いつもどおりの挨拶を交わしただけなのに、近くにいた魔術師たちが一斉にこちらを向いた。
「お、おい。今のが例の……」
「そうだ。ハリー様が告白したという侍女だ」
「本当に彼女なのか?」
小声のつもりらしいが、まる聞こえである。
ベルは思わずハリーを見た。
「……あの、ハリー様。何か噂になっていませんか?」
「うん。なっているね」
「どうしてそんなに平然としていられるんですか!」
「だって、僕は本当に君に告白したんだから」
ハリーは悪びれもせずに笑った。
「それに、隠すつもりもないよ。僕はベルが好きなんだからね」
「ここで言わないでください!」
ベルが慌てて周囲を見回すと、魔術師たちは聞き耳を立てていたことを隠そうともせず、目を輝かせている。
「ほ、本当だったのか……」
「ハリー様が女性に告白するなんて!」
「しかも、あのハリー様が返事を待つとおっしゃったそうだぞ」
「いったい、どんな女性なんだ?」
ベルは頭を抱えた。
(お願いですから、これ以上話を広げないでください!)
しかし、願いもむなしく、その日のうちに噂は王宮中へ広がった。
ハリー・ハルマンといえば、若くして王室専属顧問魔術師にまで上り詰めた天才である。容姿も整っており、魔術師たちの間ではもちろん、王宮で働く女性たちにも人気があった。
そのハリーが、王女付きの侍女に恋をした。
しかも、相手は魔力を持たない普通の女性だという。
「いったい、どんな魅力があるのかしら?」
「ハリー様が選んだのだから、きっと何か特別な才能があるのでしょう」
「でも、魔法も使えない侍女でしょう?」
そんな声が聞こえてくるたび、ベルはいたたまれない気持ちになった。
もちろん、ハリーが自分のことを評価してくれたのは嬉しい。
けれど、彼の告白がこんな騒ぎになるとは思ってもいなかった。
*
昼過ぎ、ベルが王女の部屋で仕事をしていると、侍女仲間の一人が封筒を持ってきた。
「ベルさん。あなた宛てのお手紙よ」
「私に?」
差出人の名前はない。
不思議に思いながら封を切ると、中には短い文章が書かれていた。
『ハリー様に近づかないでください。
あなたのような身の程知らずが、ハリー様の隣に立てると思っているのですか?』
ベルは目を瞬かせた。
「……これは?」
「どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
手紙を持つ手に、少し力が入った。
(ハリー様のファンの方かしら……)
怒りというより、困惑のほうが大きかった。
自分はハリーに告白されたからといって、彼の恋人になったわけではない。返事だってしていないのだ。
それなのに、どうしてこんな手紙が届くのだろう。
「ベルさん、顔色が悪いわよ?」
「大丈夫です。少し驚いただけですから」
ベルは手紙を畳み、仕事に戻った。
ところが、その日のうちに二通目、三通目が届いた。
『ハリー様を誘惑したのでしょう』
『あなたが身を引けば、誰も不幸にならずに済みます』
『返事をする前に、よく考えなさい』
どれも差出人は書かれていない。
(皆さん、ずいぶんと心配してくださるのね……)
ベルはため息をついた。
ハリーが人気者なのは知っていたが、まさか告白された相手にまで、こんな手紙が届くとは思わなかった。
*
その日の夕方、ベルが王宮の廊下を歩いていると、前方からハリーがやってきた。
「ベル、ちょうどよかった。少し話があるんだ」
「ハリー様。あの、お願いがあります」
「何かな?」
「私に告白したことを、あまり人に話さないでいただけませんか?」
ハリーは少し考えるように首を傾げた。
「それは、君が困るから?」
「はい。実は、こんな手紙まで届いてしまって……」
ベルが一通を見せると、ハリーの表情から笑みが消えた。
「これは誰から?」
「分かりません。差出人が書かれていないんです」
ハリーは手紙に目を通し、静かに息を吐いた。
「ごめん。僕のせいだね」
「ハリー様が謝ることではありません。人気者なのですから、こういうこともあるのでしょう」
「人気者だから、か。そんな理由で君に嫌な思いをさせるのは困るな」
ハリーは手紙をベルに返した。
「でも、告白したことをなかったことにはしないよ」
「えっ?」
「君に僕を頼ってほしいって言っただろう? それは変わらない」
ハリーはいつもの笑顔に戻った。
「だから、ベルも気にしすぎないで。僕が君を好きだということは、別に悪いことじゃないんだから」
そう言って、彼は軽やかな足取りで去っていった。
ベルは手紙を握りしめたまま、その背中を見送った。
(悪いことではない……そうですよね)
ハリーに好意を持ってもらえたことは、素直に嬉しい。
けれど、そのせいで誰かに恨まれるのは困る。
ベルはもう一度、手紙に目を落とした。
そのとき、廊下の向こうで二人の女性がこちらを見ていることに気づいた。
ベルと目が合うと、二人は慌てて視線をそらし、足早に立ち去っていった。
(……気のせいかしら?)
ベルは小さく首を傾げた。
このときのベルは、まだ知らなかった。
ハリーの告白によって、自分に向けられる嫉妬が、これからさらに大きくなっていくことを。




