その27 魔法を使わない宰相
王宮では、魔法を使うのが当たり前だ。
遠く離れた場所への連絡も、書類の照合も、記録の保管も。魔法を使えば、手間も時間も大幅に省ける。
だからこそ、魔法が使えなくなったときのことなど、普段から考えている人は少ない。
……少なくとも、私はそう思っていた。
その日、私は王女の執務室から頼まれた書類を届けるため、王宮の記録管理室へ向かっていた。
「困りましたな……。これでは確認が取れませんぞ」
部屋の中から、困り果てた男性の声が聞こえてきた。
「魔法による照合ができないのなら、どうすればよいのです?」
「復旧するまで待つしかないのでは?」
「しかし、このままでは本日の報告に間に合いません!」
何やら揉めているらしい。
私は扉をノックしようとしたが、中から聞こえる話が気になり、手を止めた。
どうやら、魔法を使った記録の照合に不具合が生じているようだ。
王宮では、離れた場所に保管されている記録を魔法で呼び出し、照合する仕組みが使われている。ところが、何らかの不具合でその魔法がうまく働かなくなったらしい。
「別の魔術師を呼び、復旧を急がせるしかありませんな」
「ですが、復旧まで待っていては、報告が遅れてしまいます」
「では、どうしろと……」
誰も解決策を思いつかず、部屋の空気は重くなるばかりだった。
そこへ、落ち着いた声が響いた。
「何を騒いでいるのです?」
イルマー宰相だった。
役人たちは一斉に頭を下げた。
「宰相閣下。実は、記録を照合する魔法がうまく働かず、作業が滞っておりまして……」
「なるほど。復旧を待つだけでは、報告に間に合わないということですか」
「はい。そのとおりでございます」
イルマー宰相は、机の上に広げられた書類を眺めた。
「照合に必要なのは、記録の一致を確認することでしょう? ならば、魔法が使えなくても確認できる方法を取ればよいのです」
「魔法を使わずに、でございますか?」
「ええ。まず、照合する記録の項目を一覧にしなさい。日付、担当者、記録番号。それぞれを紙に書き出し、二人で別々に確認するのです。一人が読み上げ、もう一人が原本と照らし合わせる。最後に双方の記録を突き合わせれば、少なくとも今回必要な確認はできます」
宰相は、手元にあった紙を一枚取り、簡単な表を書いて見せた。
「魔法が復旧したら、改めて魔法による照合を行えばよい。それまでは、この方法で作業を進めなさい」
「なるほど!」
役人の一人が声を上げた。
「それなら、魔法が使えなくても確認できますな!」
「確かに、これならすぐに始められます!」
先ほどまで困り果てていた役人たちは、たちまち動き始めた。
必要な書類を集め、記録を一覧にまとめ、二人一組で照合を始める。
驚いたことに、滞っていた作業は少しずつ進み始めた。
私は扉の前で、思わず感心してしまった。
すごい。
魔法が使えないなら、別の方法を考えればいい。
言われてみれば当たり前のことなのに、魔法を使うことが前提になっていた人たちは、そこに気づけなかったのだ。
「宰相閣下、ありがとうございます。これなら本日の報告にも間に合いそうです」
「当然のことをしたまでです。今後は、魔法が使えない場合に備えた手順も整えておきなさい」
「承知いたしました!」
役人たちは感心しきりだった。
私も、イルマー宰相は本当に頭の切れる方なのだと思った。
けれど、ふと、以前の出来事が頭をよぎった。
婚約発表会で、ディアナ王女のドレスが燃えたとき。
イルマー宰相は、周囲に救助を命じたものの、自ら魔法を使おうとはしなかった。
そして今回も、魔法に頼らない方法を、まるで最初から知っていたかのように提案した。
もちろん、魔法が使える人だって、魔法以外の方法を知っていておかしくはない。
でも……。
イルマー宰相は、魔法が使えないのだろうか?
私は、そんな疑問を抱いた。
そのとき、部屋の中から別の役人の声が聞こえた。
「しかし、魔力を持たない者にとっては、こうした手作業のほうが確実なのかもしれませんな」
「そうですな。魔法が使えぬ者にも扱える手順を整えることは、王宮全体のためにもなりましょう」
イルマー宰相は、何でもないことのように答えていた。
私は首を傾げた。
魔力を持たない者。
その言葉が、妙に気になったのだ。
王宮では、役職によって魔力の有無が仕事に影響することもある。魔法を使えるかどうかを確認するため、魔力測定を受ける者もいる。
そういえば、イルマー宰相は魔力測定を受けたことがあるのだろうか。
私は書類を届けるという本来の用事を思い出し、慌てて扉をノックした。
「失礼いたします。王女殿下からの書類をお届けに参りました」
「入りなさい」
宰相の許可を得て部屋に入ると、私は書類を担当者に渡した。
その際、記録管理室の役人が、私に声をかけてきた。
「ベル嬢、ちょうどよかった。王宮の職員名簿を確認したいのだが、魔力測定の記録はどこで管理されているか、ご存じかな?」
「魔力測定の記録ですか? 確か、魔術師の管理部門だったと思います」
「ありがとう。宰相閣下の記録も確認する必要があってね」
私は思わず聞き返した。
「イルマー宰相の、ですか?」
「ああ。以前、魔力測定を受けられた際の記録があるはずなのだが……」
役人は手元の資料をめくりながら、続けた。
「宰相閣下は魔力をお持ちではないから、魔法を使わずに処理できる方法についても、よくご存じなのだろうな」
「えっ……?」
私は目を丸くした。
イルマー宰相に、魔力がない?
あれほど頭が切れ、王宮の仕事を取り仕切る宰相なのに?
魔法が使えないからといって、仕事ができないわけではない。それは、今日の出来事を見ればよくわかる。
むしろ、魔法に頼らない方法を知っていることは、長所なのかもしれない。
私は、宰相への見方を少し改めた。
けれど、同時に不思議にも思った。
魔法が当たり前の我が国で、魔力を持たない人が宰相になる。それだけでも珍しいのに、彼は魔法に頼らない技術や手段を、あまりにも自然に使いこなしている。
いったい、どこでそんな知識を身につけたのだろう。
私はそこまで考えたものの、すぐに首を振った。
宰相になるほどの方なのだから、私の知らない経験をたくさん積んでこられたに違いない。
今の私には、それ以上のことはわからなかった。
「ベル嬢、どうかしたのかね?」
「あっ、いえ! 何でもありません!」
私は慌てて一礼し、記録管理室を後にした。
廊下を歩きながら、私はもう一度考えた。
イルマー宰相は魔力を持たない。
それでも、王宮の仕事を巧みに処理し、魔法が使えない場合の対策まで知っている。
その知識は、いったいどこから来たのだろう。
……まあ、私が考えても仕方のないことだ。
私は小さく息を吐き、王女のもとへ急いだ。
このときの私は、まだ知らなかった。
イルマー宰相が、魔法に頼らない技術をこれほど自然に扱える理由を。
そして、その知識が、我が国Gとは異なる技術を発展させてきた敵国Fと、無関係ではないことを。




