その26 運命の子に選ばれたい王女
婚約発表会で起きた火災の騒ぎも、数日が経つと少しずつ人々の記憶から薄れていった。
王宮では、焼け焦げたドレスの処理や会場の修繕が進められ、王女付きの侍女である私にも、ようやくいつもの忙しさが戻ってきた。
ただ、一つだけ、最近よく耳にする話題があった。
――運命の子。
魔法が復活したこの世界で、魔法使いたちが魔力を失わずにいられるかどうか。その鍵を握る存在だという。
もし運命の子がいなければ、魔法使いたちの魔力は再び失われてしまう。
魔法が国の防衛や生活を支えている我が国Gにとって、それは王国の存続にも関わる重大な問題だった。
だからこそ、王宮では運命の子の候補者を探す調査が進められている。
そんなある日のこと。
「レオン、運命の子について、もう一度詳しく説明してくださらない?」
ディアナ王女が、専属顧問魔術師のレオンに尋ねた。
私は王女のそばで茶器を整えながら、その会話に耳を傾けた。
「もちろんでございます、殿下。以前にもご説明いたしましたが、現在、運命の子を特定するために用いている条件は三つございます」
レオンは手元の資料を開いた。
「一つ目は、魔力が復活した際に定められた、特定の日に生まれていること。二つ目は、魔力測定の結果が『測定不能』となること。そして三つ目は、その人物の意識レベルが低下した際、魔法使いたちの魔力が大幅に低下することです」
「意識レベルが低下すると、魔法使いたちの魔力まで……?」
「はい。運命の子と魔法使いたちの魔力には、何らかのつながりがあると考えられております。もっとも、三つ目の条件については、実際にそのような事態が起きなければ確認できません」
レオンは少し表情を引き締めた。
「もちろん、条件を確かめるために、誰かを意図的に昏睡させるようなことはいたしません。あくまで、自然に生じた事態から判断するしかないのです」
「なるほど……」
ディアナ王女は、考え込むように口元へ手を添えた。
レオンは資料を閉じ、念を押すように続けた。
「また、二つの条件に該当したからといって、運命の子だと確定するわけではございません。候補者を絞り込むための条件であり、最終的な判断には慎重を期す必要がございます」
「ええ、わかっていますわ」
王女は頷いた。
けれど、その瞳はどこか落ち着かないように見えた。
「……レオン。わたくしは、指定された日に生まれているはずよね?」
「はい。出生記録によれば、そのとおりでございます」
「それに、わたくしの魔力は測定不能だった……」
「はい」
ディアナ王女は、膝の上で両手を重ねた。
その指先に、ぎゅっと力がこもる。
「では、わたくしにも可能性があるのですね?」
「可能性だけで申し上げれば、否定はできません。ただし、殿下以外にも候補となり得る方はおられます。現段階で、どなたが運命の子であるかを断定することはできません」
レオンの答えは慎重だった。
けれど、王女の表情には、かすかな喜びが浮かんでいた。
魔力がないこと。
それは、ディアナ王女にとって長年の悩みだったのだろう。
王族でありながら魔法を使えない。魔力を測定しようとしても、通常の魔力量としては測定できない。
それがもし、運命の子である証拠の一つだったとしたら?
魔力がないことは、欠点ではなくなる。
誰もが自分を特別な存在として認めるようになるかもしれない。
王国の魔法を支える、誰にも代わることのできない存在として。
「そう……。わたくしにも、可能性が……」
王女は小さく呟いた。
私は、茶器を置く手を止めた。
運命の子。
そんな大切な存在が、本当にいるのだろうか。
もし見つからなければ、魔法使いたちは魔力を失ってしまう。魔法を使って国を守っている人たちも、魔法で生活を支えている人たちも、今までどおりではいられなくなるのだ。
そう考えると、急に不安になった。
私には魔力がない。
魔法を使えないことには慣れているし、魔力がないせいで困ることがあっても、毎日の仕事をこなしていくしかないと思っていた。
父の怪我が治るわけでもないし、弟や妹がお腹を空かせなくなるわけでもない。
魔力がないというだけで、私の生活が変わることはなかった。
でも、運命の子は違う。
その人がいなければ、国中の魔法使いたちが魔力を失うかもしれないのだ。
……なんだか、責任が重すぎる。
もし私が運命の子だったら、どうしよう。
いやいや、そんなわけがない。
私は王女付きの侍女で、魔法も使えない、ごく普通の人間なのだから。
「ベル?」
「は、はいっ!」
突然名前を呼ばれ、私はびくりと肩を震わせた。
「お茶のおかわりをお願いできるかしら?」
「も、もちろんです、殿下!」
慌ててポットを手に取る。
いけない、仕事中なのに考え込んでしまった。
私はディアナ王女のカップにお茶を注いだ。
「ありがとう」
王女は微笑み、カップを手に取った。
そして、ふと独り言のように呟いた。
「もし、わたくしが運命の子だったなら……」
その声は、とても小さかった。
けれど、私には聞こえてしまった。
「……きっと、誰もわたくしを軽んじたりできなくなるわね」
王女はすぐに口を閉じ、何事もなかったかのようにお茶を口に運んだ。
私は何も言えなかった。
ディアナ王女が、魔力のないことをどれほど気にしていたのか。私には、すべてを理解することはできない。
ただ、運命の子であれば、自分の価値を誰もが認めてくれる。
王女は、そう考えているのかもしれなかった。
運命の子が見つからなければ、魔法使いたちは魔力を失う。
それは国にとって、決してあってはならないことだ。
けれど、もし運命の子が見つかったなら。
その人物は、いったいどんな人生を送ることになるのだろう。
私はカップを片付けながら、そっとディアナ王女を見た。
王女は窓の外を眺めていた。
その横顔には、いつもの気品ある微笑みとは違う、何かを強く願うような表情が浮かんでいた。
――ディアナ王女は、運命の子である可能性を捨てきれなくなったのだ。
まだ、確かな証拠は何もない。
それでも、その可能性は王女にとって、あまりにも魅力的なものだった。




