その24 婚約発表会と燃えるドレス
ディアナ王女の兄君であるマルセル王太子殿下と、聖女ジョアンナ様の婚約発表会が王宮で開かれた。
王宮の大広間では、天井から吊るされたシャンデリアが輝き、壁際には燭台が並んでいる。金銀の刺繍を施した深緑のカーテンが、豪華な広間をいっそう華やかに彩っていた。
正面奥の一段高い壇には、王家の紋章を描いたタペストリーが掲げられている。その壇の両脇には王妃様や国王陛下のご兄弟をはじめとする王族、大臣たちが控えていた。
紫色のフリルを幾重にも重ねたドレス姿のディアナ王女は、イルマー宰相の隣で参列者たちを眺めていらっしゃる。
私は壁際に並んだ侍女たちの一人として、出番を待っていた。
やがて楽団の奏でる優雅な音楽が止み、侍従の声が大広間に響き渡った。
「国王陛下ならびに王太子殿下、ご入場!」
人々が一斉に頭を下げる。
国王陛下に続き、マルセル王太子殿下、そして本日の主役であるジョアンナが入場した。
ジョアンナの純白のドレスは真珠と銀糸で飾られ、結い上げた髪には王家から贈られた宝飾品が輝いている。
ああ、ジョアンナの美しいことったら!
まるで物語の中のお姫様みたい!
二人が広間の中央を進み、正面の壇に立つ。
「皆、面を上げよ」
国王陛下のお言葉に、参列者たちが顔を上げた。
「本日は我が息子、王太子マルセルとジョアンナ嬢の婚約を発表するため、この場を設けた」
「おめでとうございます!」
「おめでとう!」
広間いっぱいに祝福の声と拍手が響いた。
私も友人の晴れ姿に、誰よりも熱心に拍手を送った。
よかったね、ジョアンナ!
これであなたも王太子妃への道を歩み始めたのね!
婚約の儀式は滞りなく進み、二人が指輪を交換すると、再び大きな拍手が沸き起こった。
やがて祝宴が始まり、私は侍女として、お客様方の飲み物や食べ物を運んだり、空になったグラスや皿を片付けたりと、忙しく動き回っていた。
そんな折だった。
突然、甲高い悲鳴が上がった。
「キャーーーッ!」
私は手にした皿を落としそうになり、慌てて振り返った。
壁際に立っていたディアナ王女のドレス。その裾から、赤々とした炎が立ち上っていたのだ。
「えっ、火事っ!?」
炎はあっという間に布地を舐め、紫色のフリルを焦がしていく。
ディアナ王女は一瞬、何が起きたのかわからないといった顔で、自分の足元を見下ろしていた。
「ディアナ殿下をお救いしろ!」
イルマー宰相の鋭い声が響いた。
その声に、近くにいた貴族や侍従たちが一斉に動き出す。
「消火用の布を!」
「殿下、こちらへ!」
誰かが布を取りに走り、別の者が王女を安全な場所へ移そうと手を伸ばした。
私も助けに行こうとした。
けれど、燃え上がる炎を目の前にすると、足がすくんでしまった。
どうしよう。
早く消さないと!
ようやく我に返った私は、近くにあった厚手の布をつかんで駆け寄った。
周囲の人々が協力して炎を消し止めたときには、ディアナ王女のドレスの裾は無残に焼け焦げていた。
「殿下、お怪我は!?」
「……熱い、痛い……!」
王女の顔が苦痛に歪む。
焼けた布地に覆われていた足元には、赤くただれた火傷ができていた。
「誰か、治癒魔術師を!」
その声が上がるより早く、ジョアンナが駆け寄ってきた。
「ディアナ殿下、失礼いたします!」
ジョアンナは王女のそばに膝をつくと、火傷の状態を確かめた。
「かなり深い火傷ですわ……。まずは痛みを和らげます」
彼女の手から柔らかな光が広がった。
その光がディアナ王女の足元を包み込む。
ジョアンナは傷の状態を確かめながら、慎重に治癒魔法を施していった。さらに、侍従に回復を助ける薬を用意させ、適切な処置を続ける。
しばらくすると、王女の苦しげな表情が少しずつ和らいだ。
「痛みはどうですか?」
「……先ほどより、ずっと楽になりましたわ」
「よかった……」
ジョアンナは、ほっと胸を撫で下ろした。
その場にいた人々から、感嘆の声が上がる。
「さすが聖女様だ!」
「これほどの火傷を、短時間でここまで治療されるとは……!」
「王太子殿下は、素晴らしい方を婚約者に迎えられましたな」
称賛の声を聞きながら、私は誇らしい気持ちになった。
さすがジョアンナ!
優しいだけじゃなくて、治癒魔法の腕も一流なのね!
私の友人が褒められるのは、自分のことのように嬉しい。
けれど、ふとディアナ王女の顔を見ると、彼女はどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
「ジョアンナ嬢、助けてくださってありがとう。あなたのおかげで、大事に至らずに済みましたわ」
「とんでもございません。殿下がお元気になられることが何よりです」
ディアナ王女は、にこやかに微笑んだ。
けれど、その視線は周囲の人々へと向けられていた。
皆がジョアンナを称賛している。
自分が火傷を負ったというのに、話題の中心にいるのはジョアンナなのだ。
王女の微笑みが、ほんの一瞬だけ硬くなったように見えた。
……気のせいかな?
私は首を傾げたが、すぐに別の侍女から声をかけられた。
「ベル、こちらの片付けを手伝って!」
「あっ、はい! ただいま!」
そうだった。まだ仕事が残っている。
私は急いで空のグラスを集め始めた。
火災の原因については、すぐに調査が始まった。誰かの不注意なのか、それとも何か別の理由があったのか。今のところ、私にはさっぱりわからない。
ただ、一つだけ気になっていることがあった。
イルマー宰相のことだ。
火災が起きたとき、宰相は真っ先に王女を救うよう命じた。
それ自体は当然のことだろう。王女の命を守るために、周囲の者を動かす。宰相として適切な判断だったと思う。
でも……。
宰相自身は、王女のそばへ駆け寄ろうとはしなかった。
もちろん、燃え盛る炎に自ら飛び込む必要はない。無理に近づけば、救助する側まで危険にさらされる。指示を出すほうが合理的な場合もある。
それでも、あれほど素早く周囲に指示を出した人が、魔法を使って消火しようともしなかったのは、少し不思議だった。
もしかして、イルマー宰相は魔法が使えないのだろうか?
いやいや、まさか。
宰相といえば、王国の政治を取り仕切る重職だ。魔法が使えるかどうかだけで、その能力が決まるわけではないけれど……。
考えても、今の私には確かめようがない。
「ベル! 手が止まっているわよ!」
「す、すみません!」
私は慌てて作業を再開した。
そのころ、広間の一角では、ジョアンナが再び人々に囲まれていた。
ディアナ王女はその輪の外で、穏やかな笑顔を浮かべている。
誰も気づいていなかった。
その微笑みの奥に、消えずに残った小さな不満があることを。




