その20 媚薬は一時間後に
エルンハルト将軍からの手紙を、私は何度も読み返していた。
たった数行の文章なのに、読むたびに胸が温かくなる。
将軍は、私のことをどう思っているのだろう。
ただの知り合い?
それとも、少しくらいは親しいと思ってくれているのだろうか。
考えても答えは出ない。
私は小さく息を吐き、手紙を大切なものを入れる木箱にしまった。
そのときだった。
「ベル。こちらへ来なさい」
背後から聞こえた声に、私はびくりと肩を震わせた。
振り返ると、ディアナ王女が立っていた。
「は、はい。王女殿下」
「人払いを」
王女の一言で、部屋にいた侍女たちが退出する。
扉が閉まった途端、王女の顔から笑みが消えた。
「あなた、エルンハルト将軍と親しくしているそうね?」
「……っ」
心臓が嫌な音を立てた。
「いえ、私は……」
「言い訳は結構よ。今度、将軍をお茶会に招待するわ」
王女は机の上の小箱を開いた。
中には、淡い桃色の液体が入った小瓶があった。
「これを将軍に飲ませなさい」
「これは……?」
「媚薬よ」
あまりにあっさりと言われ、私は一瞬、意味が分からなかった。
「媚薬の効果は、飲んでからきっかり一時間後に現れる。そのとき、最初に目にした異性に一目惚れするの。効果は丸一日」
「そ、そんなものを……将軍に?」
「何か問題でも?」
王女は微笑んだ。
「一時間後、将軍が最初に見るのは私。大勢の貴族たちが見守る中、将軍は私に愛を誓うのよ」
愛を誓う。
媚薬の力で?
「将軍が正気に戻ったら、そんなことは……」
「そのときには、もう遅いわ」
王女の声が冷たくなる。
「貴族たちの前で私に愛を告げ、婚約を受け入れたのよ? それをなかったことにするつもりかしら。王女の名誉を傷つけ、国中の笑いものになりたいのなら別だけれど」
私は唇を噛んだ。
将軍なら、そんな脅しに屈しないかもしれない。
けれど、王女はそれを承知で計画を立てているのだろう。
大勢の目撃者。
王女に恥をかかせたという非難。
そして、将軍自身が何を口にしたのか分からないまま、婚約を迫られる状況。
卑劣だ。
でも、私に何ができる?
将軍に知らせたら、王女は私が命令に背いたと知る。
そのとき、家族は――。
「そうそう。あなたには、もう一つ見せておくものがあったわね」
王女が水晶玉に手をかざした。
淡い光が広がり、そこに映像が浮かび上がる。
「……お父さん!」
私は思わず叫んだ。
映っていたのは、家の小さな居間だった。
父が椅子に座り、弟と妹がそのそばで何かを話している。
いつもの光景だ。
だからこそ、胸が締めつけられた。
「あなたのご家族。今のところは、皆さん元気そうね」
「王女殿下、家族には何の関係もありません!」
「関係がない?」
王女が首を傾げた。
「あなたが命令に従わなければ、どうなるかしらね」
水晶玉の映像が消えた。
私はその場に立ち尽くした。
「簡単な仕事よ。将軍に媚薬を飲ませる。それだけ」
王女は小瓶を私の手に押しつけた。
「失敗は許さないわ、ベル」
指先が震える。
将軍を裏切りたくない。
でも、家族を危険にさらすこともできない。
「……承知しました」
私は、そう答えるしかなかった。
部屋を出たあとも、小瓶の冷たさが手のひらに残っていた。
将軍に飲ませれば、王女の計画に加担することになる。
飲ませなければ、家族がどうなるか分からない。
私は廊下の窓から空を見上げた。
どうすればいいの?
そのとき、ふと、王女の言葉が頭に浮かんだ。
『一時間後、将軍が最初に見るのは私』
……本当に?
王女は、どうやって一時間後に将軍の目の前に現れるつもりなのだろう。
お茶会の招待客がいる。
給仕もいる。
将軍が予定どおりに動く保証などない。
なのに、王女は確信していた。
まるで、将軍がどこにいて、何をしていて、いつ誰を見るのかまで、すべて決まっているかのように。
私は小瓶を握りしめた。
計画には、まだ何かある。
それを見つけなければ。
将軍も、家族も、守れない。




