その17 会いたい人~前編~
石像破壊事件の翌日。
私は、仕事中だというのに、何度も窓の外を眺めていた。
……いけない、いけない。
今は洗濯物を取り込まなくちゃ。
私は慌てて手を動かした。
けれど、気がつくとまた窓の外を見ている。
将軍は、今日は何をしているのかしら?
もうお怪我はないかしら?
昨日は、ずいぶん楽しそうに笑っていたわね。
……って!
何を考えているの、私ったら!
私は頭をぶんぶん振った。
昨日、エルンハルト将軍の邸宅で起きた石像破壊事件。
私が推理を披露すると、将軍は目を見開き、感心したように私を褒めてくれた。
そのあと、王宮まで一緒に歩いた。
ほんの一時間ほどだったのに。
将軍と並んで歩く道は、いつもと違って見えた。
道端の花も、街並みも、差し込む陽光さえも。
何もかもが輝いているような気がした。
……ああ、もう!
思い出すだけで、顔が熱くなる。
将軍は私を褒めてくれただけ。
一緒に歩いてくれただけ。
それだけなのに。
私は、また会いたいと思ってしまう。
「ベル? どうしたの? 顔が赤いわよ?」
同僚の侍女に声をかけられ、私は飛び上がった。
「な、何でもないわ!」
「そう? 熱でもあるんじゃない?」
「大丈夫! 本当に大丈夫だから!」
私は洗濯物を抱えて、その場から逃げるように立ち去った。
まったく。
自分でも、どうかしていると思う。
だって、エルンハルト将軍は将軍なのよ?
国境を守る英雄で、誰もが一目置く高貴な軍人。
それに比べて、私は王女付きの侍女。
身分も違うし、立場も違う。
将軍が私に親切にしてくれるのは、私を気遣ってくれているから。
それ以上の意味なんて、ないのかもしれない。
そもそも、私は王女の命令で将軍に近づいた人間なのだ。
軍事情報を偽造するために協力してもらい、禁書を盗もうとして魔術師書庫に侵入した。
そのうえ、将軍の前で何度も恥ずかしい姿をさらしている。
そんな私を、どうして恋愛対象として見てくれるというの?
「……期待しちゃ、駄目よね」
小さく呟いて、私は胸元を押さえた。
期待してしまえば、もっと好きになってしまう。
もっと好きになれば、きっと苦しくなる。
だったら、最初から会わないほうがいい。
そうよ。
将軍の邸宅に行く用事ができても、できるだけ別の人に頼めばいい。
そうすれば、少しずつ落ち着くはず。
私は自分に言い聞かせた。
けれど。
胸の奥に生まれてしまった、小さな期待。
それを消す方法だけは、どうしてもわからなかった。
◇
「……最近、ベル嬢を見かけないな」
エルンハルトは、執務机に向かったまま呟いた。
「ベル嬢、でございますか?」
傍らに控えていた副官が聞き返す。
「いや。何でもない」
エルンハルトは手元の書類に視線を戻した。
ベル・ヴァルナー。
王女付きの侍女。
彼女とは、軍事情報の偽造をきっかけに協力関係になった。
祝賀パーティでは、彼女の様子が気になって仕方がなかった。
そして昨日。
石像破壊事件を鮮やかに推理した彼女と、王宮まで歩いた。
そのときの彼女の表情を思い出す。
褒めると、困ったように頬を染めていた。
それなのに、どこか嬉しそうだった。
エルンハルトは、ふとペンを止めた。
……そういえば。
昨日、別れ際に彼女を呼び止めたとき、ベルは少し戸惑った顔をしていた。
何か、気に障ることを言っただろうか。
いや。
思い当たることはない。
「副官」
「はっ」
「王宮で、何か変わったことはないか?」
「特には。ディアナ王女殿下も、いつもどおりお過ごしだと聞いております」
「……そうか」
エルンハルトは再び書類に目を落とした。
王女が、ベルに何か無理な命令をしているのではないか。
そう考えたのだ。
彼女は家族を人質に取られ、王女に逆らえない立場にある。
以前、ベルから事情を聞いたとき、彼は彼女に協力することを決めた。
だからこそ、彼女が姿を見せなくなったことが気になった。
もしかすると、何か問題が起きているのかもしれない。
「ベル嬢は、元気にしているのか?」
「ベル嬢、ですか?」
副官が不思議そうな顔をした。
「……いや。王女付きの侍女だ。何かあれば、こちらにも影響するかもしれん」
「なるほど。承知しました。確認しておきます」
副官は一礼して退出した。
エルンハルトは、再び書類に向き直った。
これでいい。
彼女が無事なら、それでいいのだ。
そう思った。
……なのに。
なぜか、心が落ち着かなかった。
◇
数日後。
王宮で、ジョアンナ様から声をかけられた。
「ベルさん、お願いがあるのだけれど」
「はい。何でしょう?」
「将軍のお屋敷に薬を届けたいの。コニーも一緒に行く予定なのだけれど、よかったら付き合ってくださらない?」
私は、思わず固まった。
将軍の邸宅。
エルンハルト将軍。
「……あの、私は」
「もちろん、無理にとは言わないわ。ただ、以前ご一緒したでしょう? 将軍も、あなたが来れば喜ぶと思うのだけれど」
「よ、喜ぶ……?」
心臓が跳ねた。
ジョアンナ様は不思議そうに首を傾げた。
「ええ。昨日も、あなたの推理が見事だったとおっしゃっていたわよ」
「そ、そうなんですか……」
「ええ。とても感心していらしたわ」
そんなことを聞いたら、ますます行きたくなってしまう。
でも。
私は、首を横に振った。
「すみません。今日は仕事があるので……」
「あら、そう。残念ね」
ジョアンナ様は、それ以上無理に誘わなかった。
私はほっと胸を撫で下ろした。
これでいい。
将軍に会わずに済む。
……済むはずなのに。
どうして、こんなに寂しいの?
私は、うつむいた。
会いたい。
でも、会いたくない。
自分でも、どうしたいのかわからなかった。




