その16 壊された石像と、将軍の本音~後編~
ベルが
「私、ですか?」
「ああ。君が何かに気づいたのだろう?」
胸がどきりとした。
将軍は、私の考えを聞こうとしている。
身分の低い侍女だからと、軽く扱っているわけではない。
……でも、それは、私を特別に思っていることとは違う。
ベルは気持ちを切り替えた。
「石像を壊したのは、人間ではなく、地面に潜る魔物ではないかと思います。台座の周囲だけ土が乱れていますし、穴の縁にも爪痕があります。それに、折れた腕の断面は、何度も揺さぶられたように崩れています」
「揺さぶられた?」
「はい。もし人が壊したのなら、道具で叩いた跡が残るのではないでしょうか。でも、ここにはそれらしい跡がありません。
魔物が地面の下を通り、台座の下を掘ったことで石像の土台が不安定になった。その状態で、何かがぶつかって腕が折れたのではないかと」
言いながら、私は自信がなくなってきた。
ただの推測にすぎない。
「もちろん、確かめなければわかりませんけれど……」
「いや、筋は通っている」
将軍は即座に答えた。
「庭師、台座の周囲をこれ以上掘り返さないように。魔物が潜んでいる可能性がある。兵を呼んで調べさせよう」
「かしこまりました!」
庭師が走り去る。
将軍は、もう一度ベ私を見た。
「よく気づいたな、ベル」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、胸の奥が熱くなった。
褒められたことが嬉しい。
それ以上に、将軍が私の考えをきちんと聞いてくれたことが嬉しかった。
私は、慌てて視線をそらした。
「たまたま気づいただけです」
「たまたまでも、気づける者はそう多くない」
将軍の声は、いつもどおり真面目だった。
「君は、自分が思っているよりもよく周囲を見ている」
そんなことを言われたら、期待してしまうではないか。
ベルは唇を引き結んだ。
「……ありがとうございます」
その後、駆けつけた兵士たちが庭を調べた結果、台座の裏から小型の魔物が掘ったと思われる穴が見つかった。
石像の破損は、地面を掘り進んだ魔物が台座の下を崩し、傾いた像の腕が折れたことによるものらしい。
人間が故意に壊した証拠は見つからなかった。
将軍は、街に出没した魔物との関連を調べるよう兵士に命じた。
ひとまず、石像破壊事件は解決したのだった。
「ベルさん、すごいですわ!」
ジョアンナが、目を輝かせてベルの手を取った。
「ちょっとした違和感から、あそこまで考えられるなんて!」
「いえ、そんな……」
「私もびっくりしました! 薬草の話をしていたときも思いましたけど、ベルさんって、よく気がつくんですね!」
コニーも嬉しそうに笑った。
二人に褒められて、ベルは少しだけ照れくさくなった。
けれど、将軍の視線を感じると、また胸が痛くなった。
私は、将軍に認めてもらいたかったのだろうか。
それとも、ただ、嫌われていないと確かめたかっただけなのだろうか。
「ベル」
将軍が、ベルを呼んだ。
「少し、話せるか?」
ベルは一瞬、迷った。
けれど、ジョアンナとコニーが気を利かせて少し離れてくれたので、断る理由がなくなってしまった。
「……はい」
将軍は庭の端にあるベンチへベルを促した。
「先ほどから、私を避けているように見えるのだが」
いきなり核心を突かれ、ベルは息を呑んだ。
「そ、そんなことはありません」
「そうか?」
「はい」
将軍は、納得していない顔をしていた。
「ならばいい。だが、何か気に障ることをしたのなら、言ってほしい」
ベルは、うつむいた。
言えるはずがない。
あなたが私を何とも思っていないと知って、傷ついたのです、なんて。
「……何もありません」
「ベル」
将軍の声が、少しだけ柔らかくなった。
「私は、君が何かを隠しているときの顔くらい、わかるつもりだ」
その言葉に、胸が締めつけられた。
将軍は、私のことを見てくれている。
それだけで嬉しいと思ってしまう自分が、どうしようもなく情けなかった。
「……将軍は」
ベルは、思わず口を開いていた。
「私のことを、どう思っていらっしゃいますか?」
将軍が目を見開いた。
しまった。
こんなこと、聞くつもりではなかったのに。
「あ、いえ! 今のは忘れてください!」
ベルは慌てて立ち上がろうとした。
けれど、将軍が静かに言った。
「大切な協力者だと思っている」
ベルは動きを止めた。
「君は、危険を承知で私に協力してくれた。君の家族が人質に取られていることも知っている。だからこそ、私は君を守りたいと思っている」
将軍は、まっすぐ私を見つめた。
「少なくとも、君を軽んじるつもりはない」
……大切な協力者。
それは、恋愛感情とは違う。
でも。
将軍が私を軽んじていないと言ってくれたことが、嬉しかった。
「ありがとうございます、将軍」
今度は、少しだけ自然に笑えた。
将軍も、ほっとしたように表情を緩めた。
「よかった。ようやく、いつもの顔に戻ったな」
その言葉に、私は思わず顔を赤くした。
いつもの顔。
将軍は、私のいつもの顔を覚えていてくれたのだ。
それだけのことが、どうしてこんなにも嬉しいのだろう。
そのとき。
「将軍! お客様がお見えです!」
執事の声が庭に響いた。
「誰だ?」
「王室専属顧問魔術師の、ハリー・ハルマン様です」
「ハリーが?」
やがて、黒髪に黒縁眼鏡の青年が、悠々と庭へ入ってきた。
「やあ、エルンハルト将軍。お邪魔するよ」
ハリーは軽く手を振り、ベルを見つけると、にやりと笑った。
「おや? ベルじゃないか。君までいるとは、珍しいね」
「ハリーさんこそ、どうしてこちらへ?」
「近くまで来たから、将軍の顔でも見ておこうと思ってね。……おや、庭が騒がしいようだけど?」
ハリーは、折れた石像と地面に残る穴に目を向けた。
「街に現れた魔物が、庭にも入り込んだらしい。石像の破損も、その魔物が台座の下を掘ったせいだとわかったところだ」
将軍が説明すると、ハリーは納得したようにうなずいた。
「なるほど。魔物の仕業なら、君の屋敷に忍び込んだ犯人を探す必要もないわけだ」
「ああ。念のため兵士に庭を調べさせたが、ほかに異常はなかった。街の魔物については、引き続き討伐隊が対処する」
「それなら安心だね」
ハリーはベルに視線を戻した。
「それにしても、ベルが事件解決の手がかりを見つけたんだって? なかなかやるじゃないか」
「たまたま気づいただけです」
「たまたまでも、気づける人間は貴重だよ」
ハリーは意味ありげに笑った。
「ねえ、将軍。彼女をもう少し大事にしたほうがいいんじゃないかな?」
「……何を言っている」
将軍の眉間に、深いしわが寄った。
「私は彼女を大切な協力者だと思っている。それ以上でも、それ以下でもない」
その言葉に、ベルの胸が小さく痛んだ。
けれど、先ほど将軍が言ってくれた言葉も、確かにベルの中に残っている。
――少なくとも、君を軽んじるつもりはない。
今は、それで十分だ。
「さあ、皆さん。そろそろお茶にいたしましょう」
ジョアンナの明るい声が響いた。
コニーも嬉しそうにうなずく。
「私、将軍のお屋敷のお茶って、どんなものか気になっていたんです!」
「大したものではないが、ゆっくりしていってくれ」
将軍がベルたちを屋敷へ促した。
ベルはその背中を見つめ、そっと微笑んだ。
昨日、将軍の言葉を聞いたときは、もう二度と顔を合わせたくないと思った。
けれど今は、もう少しだけ、この人のそばにいたいと思っている。
恋愛感情ではなく、ただの協力者としてでもいい。
いつか、私自身が胸を張って将軍の隣に立てるようになるまでは。
ベルはそう願いながら、将軍の後を追った。




