その15 壊された石像と、将軍の本音~前編~
将軍邸を訪れると決めたものの、ベルはずっと落ち着かなかった。
隣を歩くジョアンナとコニーは、これから訪れる屋敷について楽しそうに話している。
「エルンハルト将軍は、国境で何度も敵の襲撃を退けた英雄なのですよね?」
ジョアンナが尋ねると、コニーが大きくうなずいた。
「そうなんです! 街でも将軍の話はよく聞きますよ。魔物が現れたときも、真っ先に討伐に向かってくださるそうです」
「まあ、素晴らしいですわね」
「……そうですね」
ベルは曖昧に答えた。
英雄。堅物。誠実な人。
私が知っている将軍は、そういう人だ。
だからこそ、昨日の言葉が胸に刺さった。
『身分の低い侍女を気に入るはずがないでしょう』
将軍は何も間違っていない。
私のような人間が、将軍に特別扱いしてもらえるはずがないのだから。
そう自分に言い聞かせながら歩いているうちに、立派な門が見えてきた。
「こちらが将軍のお屋敷ですわね!」
ジョアンナが感嘆の声を上げる。
門番に来訪の目的を告げると、ベルたちはすぐに中へ通された。
庭には手入れの行き届いた植え込みが並び、奥には石造りの邸宅がそびえている。軍人の屋敷と聞いて想像していたよりも、ずっと落ち着いた雰囲気だった。
玄関で出迎えてくれたのは、白髪交じりの執事だった。
「ようこそお越しくださいました。ご用件を伺いましょう」
「ジョアンナと申します。こちらは薬屋の娘のコニーさん、そして王女殿下にお仕えするベルさんです。将軍にお目にかかりたいのですが」
ジョアンナが丁寧に挨拶すると、執事は申し訳なさそうに頭を下げた。
「それが、申し訳ございません。将軍は街に出没している魔物の討伐に出かけておりまして、いつ戻られるかもわからないのです」
「あら……」
コニーが残念そうに肩を落とした。
ベルは、むしろほっとしていた。
会わずに済むのなら、それでいい。
昨日のことなど忘れて、普通に話せる自信がなかった。
「あの、では……」
ベルは一歩前に出た。
「ベル・ヴァルナーです。将軍とは面識がありますので、念話で直接お尋ねいただけませんか?」
執事は目を丸くした。
「念話、でございますか?」
「はい。将軍なら使えると思います」
「……失礼ながら、将軍は討伐中でございます。お取り込み中でしょうし、念話に応じてくださるかどうか」
「無理だと思いますけど……」
執事は困ったように眉を下げた。
「それでも、一応、お願いできませんか?」
ベルは自分でも驚くほど、きっぱりと言った。
将軍に会いたいからではない。
……本当に、そうなのだろうか。
執事はしばらくベルを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「かしこまりました。では、試してみましょう」
彼は目を閉じ、意識を集中させた。
念話は、魔法使い同士が離れた場所でも言葉を交わせる魔法だ。もっとも、相手が応じなければ会話は成立しない。
しばらくすると、執事の眉がぴくりと動いた。
そして――。
「……えっ?」
執事は目を見開いた。
今度は口を半開きにして、ベルをまじまじと見つめる。
「ど、どうかなさいました?」
コニーが不安そうに尋ねる。
「いえ、その……」
執事は咳払いをひとつした。
「将軍は、お会いになるそうです。討伐を部下に引き継ぎ、すぐに戻られるとのことです」
「まあ!」
ジョアンナが嬉しそうに手を合わせた。
「お忙しいのに、ありがたいことですわね」
コニーも笑顔になる。
ベルは、何も言えなかった。
だって。
討伐中の将軍が、わざわざ帰ってくる?
私たち三人に会うために?
いや、ジョアンナは聖女と呼ばれる方だし、コニーは薬屋の娘だ。薬草について何か相談したいことがあるのかもしれない。
それに、私だって将軍の知り合いではある。
ただし、あくまで任務上の知り合いだ。
そうに決まっている。
……なのに、胸の奥が落ち着かなかった。
どれくらい待っただろう。
玄関の外から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「お客様がお見えだと聞いたが!」
聞き慣れた低い声。
ベルは思わず顔を上げた。
扉の向こうから現れたのは、黒髪を乱し、軍服の上着に土埃をつけたエルンハルト将軍だった。
いつもの隙のない姿とは違う。額には汗が浮かび、息も少し弾んでいる。
「将軍、お帰りなさいませ」
執事が頭を下げる。
「魔物はどうなりましたの?」
ジョアンナが尋ねると、将軍は短く答えた。
「部下に任せてきた。街の被害は大したことがない。じきに片づくだろう」
それから、将軍の視線が私に向いた。
「……ベル」
「お久しぶりです、将軍」
ベルは丁寧に頭を下げた。
将軍が、わずかに眉を寄せる。
「久しぶり、というほどでもないだろう。先日、会ったばかりではないか」
「そうでしたね。失礼いたしました」
ベルは笑顔を作った。
けれど、将軍の顔をまっすぐ見ることができない。
将軍は何か言いたげにベルを見つめていたが、やがてジョアンナとコニーに向き直った。
「ジョアンナ嬢。コニー嬢。ようこそ。大したもてなしもできないが、どうぞゆっくりしていってくれ」
「突然お邪魔して申し訳ありません。お庭に珍しい薬草があると伺ったものですから」
「薬草か。私は詳しくないが、庭師なら知っているだろう。あとで案内させよう」
将軍はそう言って、ベルたちを庭へと招いた。
ベルは最後尾を歩いた。
将軍が隣に並ぼうとするたび、さりげなくジョアンナやコニーのほうへ移動する。
何をしているのだろう、私は。
将軍に気に入られていないとわかったからといって、こんな態度を取るなんて。
けれど、あの言葉が頭から離れなかった。
――身分の低い侍女を気に入るはずがない。
そのときだった。
「た、大変です!」
庭の奥から、年配の庭師が血相を変えて駆けてきた。
「将軍! 庭の石像が……石像が壊されております!」
「何?」
将軍の顔つきが一変した。
「案内しろ」
ベルたちは庭師に続いて、屋敷の裏手へと向かった。
そこには、蔦の絡まる古い石像があった。
剣を掲げた騎士の像だ。台座は苔むしているが、騎士の顔や鎧には細かな彫刻が施されている。
その右腕が、根元から折れていた。
掲げていた剣も地面に落ち、二つに割れている。
「これは……」
ジョアンナが息を呑んだ。
「昨日までは何ともなかったのです! 今朝、庭の手入れをしていたときには、確かに無事でした!」
庭師は青ざめていた。
「誰かが壊したのか?」
将軍が尋ねる。
「わ、わかりません。門番に確認しましたが、昨夜は不審な者は入っていないそうです」
「この像は古いものだ。簡単に壊れるようなものではない」
将軍は折れた腕を見下ろした。
確かに、石像はかなり大きい。人が手で押した程度で、こんな壊れ方をするとは思えなかった。
「まさか、魔物が入り込んだのでしょうか?」
コニーが不安そうに尋ねる。
「可能性はある。だが、まずは現場を調べよう」
将軍は庭師に、昨夜から今朝までの状況を詳しく尋ね始めた。
ベルは少し離れた場所から、石像を眺めていた。
何かがおかしい。
そう思ったのだ。
「ベルさん、どうかなさいました?」
ジョアンナが小声で尋ねる。
「いえ……」
ベルは石像の足元に目を向けた。
折れた腕と剣の破片は、石像のすぐ近くに散らばっている。
けれど、騎士像の台座の前だけ、地面が妙に乱れていた。
土が掘り返されたような跡がある。
そして、その脇には小さな丸い穴がいくつも並んでいた。
「庭師さん。ここは、昨日も掘り返しましたか?」
「え? いえ、そこは何もしておりませんが……」
「では、最近、庭に何かを植えたり、土を掘ったりしましたか?」
「この一帯ではありません。ただ、少し離れた花壇に、新しい苗を植えました」
私はもう一度、地面を見た。
小さな穴。
掘り返された土。
そして、石像の折れた腕。
もしかすると……。
「あの、将軍」
ベルはそっと声をかけた。
「石像を壊した犯人を探す前に、ひとつ確認していただきたいことがあります」
将軍がこちらを振り向いた。
「何だ?」
「この石像の周りに、魔物が通った跡がないか調べていただけませんか? 特に、台座の裏側を」
将軍は一瞬、意外そうな顔をした。
けれど、すぐにうなずいた。
「わかった。見てみよう」
彼は台座の裏へ回り、しゃがみ込んだ。
そして、そこにあったものを見て目を細めた。
「……これは」
台座の裏には、土が盛り上がった小さな穴があった。
その縁には、細い爪で引っかいたような跡がいくつも残っている。
「庭師。このあたりで、小型の魔物を見かけたことは?」
「小型の魔物……? そういえば、先日、花壇の苗が何本か倒されていたことがございました。土の中に何かが潜っているようだと、別の庭師が申しておりましたが……」
「なるほど」
将軍は立ち上がり、庭全体を見渡した。
「街に出た魔物と同じ種類かもしれないな。地面に穴を掘って移動する、小型の魔物がいると報告を受けている」
「では、石像を壊したのは……」
コニーが言いかける。
「まだ断定はできない」
将軍はそう言って、ベルを見た。
「ベル。君は、どう考える?」
突然尋ねられ、私は戸惑った。




