その14 聖女様は噂を信じない
将軍邸から王宮へ戻った翌日。
ベルは王女ディアナに命じられ、街の薬屋へ買い物に出かけていた。
薬草や軟膏など、王女が日常的に使う品々を買いそろえるのだ。侍女の仕事としては珍しくもない。
けれど、今日ばかりはありがたかった。
将軍の顔を見ずに済む。
昨夜、眠ろうとしても、あの言葉が頭から離れなかった。
『身分の低い侍女を気に入るはずがないでしょう』
……そうよね。
わかっていたはずなのに。
ベルは小さくため息をつき、目の前の店へ入った。
「いらっしゃいませ!」
明るい声が迎えてくれた。
薬棚の向こうから顔を出したのは、栗色の髪を後ろでひとつに束ねた若い娘だった。
「王宮からのお使いですか? ご注文の品でしたら、こちらにそろっていますよ」
「ありがとうございます。ええと、軟膏が三つと、乾燥させた薬草が……」
ベルは注文書を取り出し、ひとつずつ確認していった。
娘は手際よく品物を並べてくれる。
そのうち、ベルは棚の隅に置かれた小瓶に目を留めた。
「あら。この薬、珍しいですね。普通の店ではあまり見かけませんけれど」
「ご存じなんですか?」
「母が昔、使っていたのを見たことがあるんです。確か、虫に刺されたときの腫れを抑える薬ですよね?」
「そうです! よくご存じですね!」
娘の顔がぱっと輝いた。
「この薬、うちのおじいちゃんが作り方を教えてくれたんです。でも、最近は材料が手に入りにくくて。知っている人も少ないんですよ」
「それは残念ですね。材料さえあれば、作り方を残しておけるのに」
「そうなんです! 私、いつかこの店を継ぎたいんですけど、まだまだ勉強が足りなくて……」
それからベルたちは、薬草の効能や保存方法について話し込んでしまった。
気がつけば、注文した品物はすべて袋に詰められている。
「あっ、ごめんなさい! 私ったら、つい夢中になってしまって」
「いいえ。私も楽しかったです」
ベルは思わず笑った。
王宮では、こんなふうに何の遠慮もなく好きな話をする機会など、ほとんどなかった。
「ところで、あなたのお名前を聞いてもいいですか?」
「コニーです。コニー・ミルズ。ここの薬屋の娘です」
「私はベルです。王宮で侍女をしています」
「ベルさんですね! また薬草のお話を聞かせてください!」
その笑顔につられて、ベルも笑顔になった。
すると、店の入口で鈴が鳴った。
「こんにちは。お薬をお願いしたいのですが」
入ってきたのは、淡い金色の髪をした若い女性だった。
上質なドレスに身を包み、身のこなしにも気品がある。けれど、決して近寄りがたい雰囲気ではなかった。
女性はベルたちに気づくと、柔らかく微笑んだ。
「お話し中でしたか? お邪魔してしまったかしら」
「いいえ! ちょうど終わったところです」
コニーが答える。
女性は薬屋の主人に注文を伝えたあと、棚に並んだ薬草を見つめた。
「この薬草は、煎じる時間によって効き目が変わるそうですね。わたくし、以前それを知らずに失敗してしまったことがあるんです」
「えっ、そうなんですか?」
ベルは思わず口を挟んだ。
「実は私も、以前、煎じすぎて苦い薬を作ってしまったことがあって……」
「あら! あなたも?」
女性は嬉しそうに目を輝かせた。
「それで、苦みを抑えようとして蜂蜜を入れたら、今度は薬の効き目が変わってしまって。薬というものは、本当に難しいですわね」
「わかります! 私も似たような失敗をしました!」
それからベルたちは、薬の失敗談で盛り上がった。
まさか、こんな場所で貴族令嬢と薬の話に花を咲かせることになるなんて。
やがて女性は、ふとベルの顔を見た。
「そういえば、まだお名前を伺っていませんでしたわね。わたくし、ジョアンナと申します」
「……ジョアンナ様?」
ベルは思わず姿勢を正した。
ジョアンナ。
治癒魔法に優れ、聖女と呼ばれている貴族令嬢。
王宮でも、その名を知らない者はいない。
そして、私のような侍女が気軽に話しかけてよい相手ではない。
「あ、あの、申し訳ありません! 私、知らずに失礼なことを……」
「まあ。どうして謝るのですか?」
ジョアンナ様は不思議そうに首を傾げた。
「わ、私はベルと申します。王女殿下にお仕えしている侍女です」
「ベル……?」
彼女は少し考えるようにベルを見つめ、それから、はっとしたように口元を押さえた。
「あの! 有名なベル様ですか!?」
……ああ。
やっぱり。
アルバ侯爵との婚約破棄。
将軍への接近。
禁書を盗もうとしたという噂まである。
きっと、どれかを聞いたのだろう。
ベルはうつむいた。
「はい……。おそらく、そのベルです」
ところが、ジョアンナはベルを責めるでもなく、じっと見つめたあと、にっこりと笑った。
「でも、わたくし、噂だけで人を判断しないようにしているんです」
「え……?」
「噂というのは、話す人によってずいぶん変わるでしょう? 実際にお話ししてみなければ、その方がどんな人なのか、わかりませんもの」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
そんなふうに言ってもらったのは、いつ以来だろう。
「ありがとうございます……」
声が少し震えた。
ジョアンナは、ベルの様子に気づいたのか、何も尋ねずに微笑んだ。
「こちらこそ、薬のお話ができて楽しかったですわ。ベル様、もしよろしければ、またお話ししませんこと?」
「私でよろしければ、ぜひ!」
思わず、声が弾んでしまった。
「それなら、今度はもっと珍しい薬草を見せてあげます!」
コニーが勢いよく身を乗り出した。
「実は、将軍邸のお庭に、珍しい植物があると聞いたことがあるんです。あそこなら、薬草について詳しい方もいらっしゃるでしょうし……」
「将軍邸ですか?」
ジョアンナが目を輝かせた。
「ええ。わたくしも、以前から一度訪ねてみたいと思っていましたの」
ベルは、思わず固まった。
将軍邸。
エルンハルト将軍の家。
昨日、あんな言葉を聞いたばかりなのに。
「あ、あの……」
「ベル様もご一緒にいかがですか?」
ジョアンナが、ベルの手をそっと取った。
「三人でお訪ねすれば、きっと楽しいと思いますわ」
コニーも期待に満ちた顔でベルを見つめている。
断る理由なら、いくらでもあった。
将軍に会いたくない。
顔を合わせれば、きっと昨日の言葉を思い出してしまう。
けれど。
私は、将軍に会いたくないのだろうか。
それとも、本当は会いたいのに、傷つくのが怖いだけなのだろうか。
「……わかりました。ご一緒します」
気づけば、そう答えていた。
ジョアンナは嬉しそうに笑った。
「決まりですわね!」
そのとき、コニーが何気なく言った。
「そういえば、私も魔力がまったくないんですよね。昔、魔力を測ってもらったとき、判定不能だと言われたんです」
「えっ?」
ベルは思わず聞き返した。
「それって、魔力がゼロということですか?」
「はい。だから魔法学校にも入れなくて。でも、おじいちゃんが『魔力がなくても、薬師にはなれる』って言ってくれたんです」
コニーは少し照れくさそうに笑った。
「それに、私、運命の子の候補なんだそうです。魔法が戻った日に生まれた子は、候補になるんですって」
ベルは息を呑んだ。
運命の子。
魔力が戻らなければ、魔法使いたちの魔力は失われてしまう。
その運命を左右するかもしれない存在。
私もまた、その候補だと言われている。
「コニーさんも……」
「ベルさんも、ですか?」
ベルの言葉に、コニーが目を丸くした。
ベルは小さくうなずいた。
「はい。私も魔力がなくて、運命の子の候補だと言われています」
「まあ!」
ジョアンナが驚いたようにベルたちを見比べた。
「お二人とも、そうだったのですね……」
コニーはしばらく考え、それから明るく笑った。
「じゃあ、私たち、似た者同士ですね!」
その言葉に、ベルは思わず笑みをこぼした。
魔力がないこと。
運命の子の候補であること。
誰にも簡単には理解してもらえない秘密を、こんなふうに分かち合える相手がいるなんて。
少しだけ、心が軽くなった気がした。
そしてベルは、まだ知らなかった。
この出会いが、将軍との関係を、そしてベル自身の運命を、思いがけない方向へ動かしていくことを。




