第5話 友達には、絶対に見せられない
扉の向こうは、洞窟だった。
といっても暗くはない。岩の壁自体がうっすら光っていて、コンビニの駐車場くらいには明るい。天井は高く、通路は平らで、歩きやすい。
それでも、俺は完全に浮かれていた。
光る岩だ。自然に光る岩が、壁一面にある。こんなもの、地上のどこにもない。
触ってみた。温かくもなければ冷たくもない。ただの石だ。それなのに光っている。
意味が分からない。意味が分からないのが、たまらなくいい。
「思ったより普通だな!」
「初心者向けだからな。1階層は学校の教室より安全って言われてる」
藤堂が端末を開きながら言った。前を三宅が歩き、その後ろに大沢、真ん中に山吹と藤堂、しんがりが俺だ。
五人で歩くと、足音がやたらと響いた。
「でた!」
三宅が止まったのは、入ってから5分も経たない頃だった。
通路の先、岩の陰から出てきたのは、子供くらいの背丈の緑色い生き物だった。痩せていて、鼻が大きくて、手には木の棒を握っている。
ゴブリンだ。教科書でも映像でも何度も見た。
実物は、思ったより臭かった。
「下がってろ!」
三宅が前に出た。大盾を構えて、足を広げて、体ごと壁になる。
ゴブリンが叫んで飛びかかり、棒が盾に当たって、乾いた音がした。
「おっとっと、重っしょこれ!」
「そこ!」
大沢が横から回り込んだ。短剣が一拍遅れて振り下ろされ、ゴブリンの腕を浅く切る。悲鳴が上がった。
「山吹!」
「当てるよ!」
山吹の杖の先が光って、拳大の火の玉が飛んだ。ゴブリンの肩で弾けて、岩に当たって消える。
「外れた!」
「半分当たった、上出来だ!」
「左に逃げる! 大沢、回り込め!」
藤堂の声だけが落ち着いている。端末の画面を見ながら、指示が飛んでくる。
四人は、初めてとは思えないくらい回っていた。
当たり前だ。上位職が三人と、希少職が一人。彼らのステータスは、職業に見合っただけのものがちゃんとある。
「朔! とどめだ!」
三宅が叫んだ。
ゴブリンは膝をついていた。腕から血を流して、肩を焼かれて、もうほとんど動けていない。
ここで俺に回してくれたのは、優しさだ。初めての一体を譲る、という意味だ。
俺は剣を両手で握って、走った。
入ったと思った。
実際、先端はちゃんとゴブリンの胴を捉えていた。
だが、入らなかった。
刃が皮を押したところで止まって、手首に、これまで感じたことのない負荷が返ってきた。
「っ……!」
重い。剣が重い。腕が重い。相手の体が固い。
漫画だと、こういうときはすっと入る。入らないということを、俺はこの時初めて知った。
ゴブリンが、膝をついたまま俺を見上げた。
目が合った。
死にかけのゴブリンの目に、はっきりと「こいつは弱い」と書いてあった。
木の棒が振られた。
避けたつもりだった。だが、体が思った速さで動かない。脇腹の辺りに直撃をもらって、俺は簡単に吹っ飛んだ。
背中から地面に落ちて、肺から空気が全部抜けた。
「朔!」
三宅の声が聞こえる。地面を蹴る音。盾が風を切る音。
視界の端で、ゴブリンが吹き飛んだ。三宅の盾が真横から入って、そのまま岩壁に叩きつけていた。
大沢が追いついて、ゴブリンの首元に短剣を挿した。
あっけなく終わった。
耐え切れなくなったゴブリンの体が、砂みたいに崩れて消えていく。あとには、小さな牙が一本と、茶色い毛皮の切れ端が落ちていた。
ドロップだ。
「朔、大丈夫か!」
「……しんだ」
「生きてるじゃん!」
山吹が手を引っ張って起こしてくれた。藤堂が端末を向けてくる。
「骨は問題ない。打撲だけだ。防具が仕事してる」
「……悪い」
「何が?」
「とどめ、譲ってもらったのに」
言ってから、情けなさで胸が酷くなった。
四人は、誰も笑わなかった。
「初回なんてこんなもんだって!」
「俺も最初盾構えるの忘れたし!」
「それはしっかりしろよ!」
大沢がドロップを拾って、俺の手に乗せてきた。
「ほら、初ドロップ!」
「……俺、倒してないけど」
「細かいことはいいんだよ!」
こいつらは本当にいい奴らだ。
だからこそ、つらい。
……いや。
つらがってる場合じゃないな。
俺は手のひらの牙を見た。
今日、俺は何もできなかった。それは事実だ。だが、できなかっただけで、できないと決まったわけじゃない。
昨日、布団の中で確かめた。俺は十分間だけ、化け物になれる。
問題は使い方だ。
使い方さえ間違えなければ、こいつらに追いつける。
……追いつくどころじゃないかもしれない。
そう思ったら、少しだけ楽しくなった。
結局その日は、1階層を一周して、ゴブリンをもう二体倒して戻った。二体とも、俺はほとんど何もできなかった。
外に出ると、まだ明るかった。
装備を返却して、五人で駅に向かう道。ちょうどいいタイミングだと思った。
「なあ!」
俺は、なるべく軽い調子で言った。
「俺、しばらく一人で練習するわ」
四人が一斉に振り返った。
「は?」
「いやだって、今日見ただろ? 俺だけ全然ついてけてないじゃん」
「それは初回だから……」
「初回でも、お前らは回ってただろ」
大沢が口を開いて、閉じた。
彼らは優しいが、馬鹿じゃない。今日の俺がどうだったかは、全員が見ている。
「だから、もう少し人並みになってから合流する」
「一人ではやめたほうがいい」
藤堂だった。
「単独潜行は推奨されてない。事故の割合が違う」
「分かってる。1階層しか行かない。人の多い時間帯にして、ゴブリン一体やったら戻る。それならいいだろ?」
藤堂はしばらく俺を見て、眉を寄せた。
この間が、一番心臓に悪かった。
「……分かった」
思ったよりあっさりだった。
「本当は止めたいけど、お前が決めたなら口は出さない。ただ、ひとつ提案がある」
「なんだよ?」
「配信しろ」
一瞬、意味が分からなかった。
「は?」
「一人で潜るなら配信しとけって話だよ。今どき初心者でも普通にやってる。何かあったら誰かが気づくし、通報も早い」
「あー、それいいじゃん!」
大沢が乗ってきた。
「配信しとけば俺らも見れるしな! 練習の様子とか」
「見んなよ!」
「なんでだよ!」
なんでもだ。
配信。ダンジョン配信。この世界では、探索者の半分くらいが何かしら流している。うちの近所の商店街の魚屋のおっさんですら、週末に潜って配信している。
つまり、藤堂の提案は完全に常識的で、親切で、安全で、俺にとっては地獄だった。
誰にも見られないために一人で潜るのに、その解決策が全世界に向けて流せというのは、どういう冗談だ。
「……機材ないし」
我ながら苦しい言い訳だった。
「スマホでもできるぞ」
「画質悪いと見づらいだろ。ちゃんとしたの揃えてからにするわ。うん、今後は考えとく」
「今後っていつだよ!」
「今後は今後だ!」
藤堂はまた少し眉を寄せたが、それ以上は言わなかった。
「まあいい。無理だと思ったら戻れよ。誰も見てないんだから、格好つける相手もいないだろ」
何も知らないくせに、一番痛いところを突いてくる男だった。
三宅が、俺の背中を叩いた。相変わらず痛い。
「まあ、入学式までに強くなって来いよ! 待ってるから!」
「おう!」
「約束な! 入学式のあとは、五人で潜る!」
「……おう」
俺は頭を下げた。
駅で四人と別れて、ホームのベンチに座ったところで、ようやく息を吐いた。
嫌な汗が出ていた。
嘘はついていない。俺は弱い。今日の俺は、本当に何もできなかった。特訓が必要なのも事実だ。
ただ、言わなかったことがある。
一人になれば、見られない。
見られなければ、言える。
電車が入ってくるアナウンスが流れた。俺は立ち上がりながら、胸の中で、今日一日で一番厨二病らしいことを考えていた。
……今度は、一人でやる。
誰にも見られない場所で、全力で。
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