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第34話 何かいいことあった?

 目が覚めた瞬間、ステータスを開いた。


```

Lv:100

```


 夢じゃなかった。


「へへ」


 布団の中で、変な声が出た。


 100。三桁。


 スキル欄の一番下には、昨日増えた二つが並んでいる。


 【召喚】

 【鑑定】


 召喚のほうは、まだ試していない。昨日は帰りのバスの中でずっと考えていたが、家で試すのはやめておいた。何が出てくるか分からないものを、自分の部屋で呼ぶ勇気はない。いきなり龍とか出てきたら、家が消える。


 だから、今日の放課後に、ダンジョンで試す。


 そう決めたら、もう駄目だった。顔が勝手ににやける。


 布団の中で足をばたつかせてから、起き上がった。


---


「おはよー」


「おはよう。……朔、朝からご機嫌ね」


 キッチンで、母が振り返った。


「え、そう?」


「顔が完全に緩んでる」


「気のせいだって」


「昨日帰り遅かったけど、何かいいことあったの?」


「んー、ちょっとね」


 言いながら、また顔が緩んだのが自分でも分かった。


 母は、それ以上は聞かなかった。「そう、よかったわね」とだけ言って、目玉焼きを皿に乗せてくれた。こういうとき、深く聞いてこないのがうちの母だ。


 テーブルでは、聖奈がトーストをかじっていた。


 俺を見て、動きを止めた。


 それから、椅子ごとちょっと後ろに下がった。


「うわ、キモ!」


「朝一でそれかよ」


「なんでにやけてんの? ちょっと、キモいんだけど!」


「にやけてない」


「にやけてる! 鏡見て! すっごいキモい!」


「キモいを二回言うな」


「え、なに、彼女でもできた!?」


「できてない。なんでそうなる」


「じゃあ何?」


「レベルが上がった!」


「それだけ!?」


「それだけとは何だ。大事件だぞ」


 聖奈は、がくっと肩を落とした。


「なーんだ……兄さんって、ほんとダンジョンのことしか頭にないよね!」


「そうだよ」


「開き直った!」


「開き直る以外にないだろ」


 聖奈が「つまんなーい」と言いながらトーストに戻ったところで、階段から足音が降りてきた。


 お姉ちゃんだった。部屋着のパーカーで、髪は洗いざらし。いつもの朝の姿だ。


 お姉ちゃんは、俺の顔を一目見た。


 それから、何も聞かずに、冷蔵庫から麦茶を出した。


 コップに注いで、一口飲んで。


 俺のほうを見ないまま、一言だけ言った。


「おめでと」


「え?」


 何が、とは聞けなかった。


 お姉ちゃんは、それ以上何も言わなかった。麦茶をもう一口飲んで、口の端だけで少し笑った。


 完全に、ドヤ顔だった。


 なんで分かるんだよ、あの人。


 聖奈が、トーストを咥えたまま俺とお姉ちゃんを交互に見た。


「え、なに? なにが?」


「なんでもない」


「なんでもないって顔じゃないでしょ二人とも!」


---


 学校に着いても、にやけは止まらなかった。


 自転車を漕いでいる間も、昇降口で靴を履き替えている間も、階段を上がっている間も、ずっと頭の中で考えていた。


 召喚。


 何が出てくるんだろう。


 ノートのページを、頭の中でめくっていく。兵士たち。十二の席。その部下たち。


 どれが出てくるのか、全然分からない。


 分からないのが、楽しい。


「へへ」


「一ノ瀬くん!」


 教室の扉を開けた瞬間、矢野と目が合った。


 矢野は、俺の顔をじっと見た。


「……何かいいことあった?」


「え?」


「顔が。すごいことになってる」


「そんなに?」


「そんなに。廊下から見えた。にやけながら歩いてくる人がいるなと思ったら一ノ瀬くんだった」


「うわあ……」


 恥ずかしい。恥ずかしいが、にやけは止まらない。


「で、何があったの?」


「ちょっとね」


「ちょっとって顔じゃないでしょ。彼女?」


「なんでみんなそれ聞くんだよ」


「みんな?」


「妹にも聞かれた。朝一で」


「妹さんにも言われてるんだ……」


 矢野が、ちょっとだけ同情した顔をした。


 そこへ、堀口が振り返った。


「宝くじ当たった?」


「当たってない」


「じゃあ登録者? 20万いった?」


 的場が、後ろの席から身を乗り出してきた。


「いってない。いや、分からん。見てない」


「見ろよ! 自分のチャンネルだろ!」


「見たら今日一日にやけが倍になりそうだから見ない」


「今でも十分にやけてるよ」


 西野が、笑いながら言った。


 みんなが口々に「何?」「何があったの?」と聞いてくる。俺は「ちょっとね」を繰り返した。言えるわけがない。レベルが100になって、中学のときに書いた配下を呼べるようになったから、なんて。


 そのとき、後ろの席から低い声がした。


「……レベル?」


 久住だった。


 全員が、久住を見た。


 久住は、机に頬杖をついたまま、俺をじっと見ていた。


「……当たり?」


「当たり」


 観念して頷いた。


 この男は、なんでいつも核心を突いてくるんだ。カラオケでハモったときからそうだ。


「え、レベル上がったの?」


「いくつ?」


「えっと……」


「言えないくらい上がったの?」


「実は、100」


 教室が、一瞬静かになった。


 それから、爆発した。


「ひゃく!?」


「三桁!」


「待って、一ノ瀬くん、登録したの三月だよね?」


「一か月で100!?」


「一ノ瀬、お前バケモンかよ!」


 矢野が、机をばんばん叩いていた。


「そりゃにやけるよ! にやけるに決まってるよ! なんで言わないの!」


「言ったら騒がれると思って」


「騒ぐよ! 今騒いでるよ!」


 騒がれていた。


 でも、なんだか悪い気はしなかった。みんな、驚いてはいるけど、笑っている。すごいって言ってくれている。


 やばい。


 にやけが、さらに止まらなくなった。


---


 1時間目の数学。


 黒板に書かれていく数式を、俺はにやけながら見ていた。


 2時間目の英語。


 知らない単語が並ぶ教科書を、俺はにやけながら見ていた。


 3時間目の途中で、担任に名前を呼ばれた。


「一ノ瀬くん」


「はい」


「……大丈夫? 授業中、ずっと笑ってるけど」


 クラス中が、くすくす笑った。


「だ、大丈夫です」


「何かいいことでもあったの?」


「ちょっとだけ、ありました」


「そう。それはよかった」


 担任は、板書と同じくらい綺麗に笑った。


「でも、ノートはちゃんと取ってね」


「はい……」


 ノートを見下ろした。


 ほぼ真っ白だった。


 かろうじて書いてあったのは、端っこの小さな落書きだけだった。無意識のうちに描いていたらしい。


 魔法陣だった。


 定規もコンパスも使っていないのに、妙に綺麗な円だった。中学の三年間で、手が覚えていた。


 卒業、したんだけどな。


 慌てて消しゴムで消した。


---


 休み時間に、【鑑定】を試してみた。


 素の状態でも使える、簡易版の鑑定だ。王の真理ノ魔眼の劣化版で、モンスターの名前と難易度くらいが分かる、らしい。


 こっそり、机の上の焼きそばパンに向けてみた。約束の、矢野への三個のうちの一個だ。


```

対象外

```


 だよな。モンスターじゃないもんな。


 ついでに、隣の矢野に向けてみた。


```

対象外

```


 よかった。モンスターじゃなかった。


「一ノ瀬くん、今なんで私のこと見て安心した顔したの?」


「してない」


「した!」


「あ、ほら、焼きそばパン三個。約束のやつ」


「わーい! ……ごまかしたでしょ今」


「ごまかしてない」


 ごまかした。


---


 昼休み。


 購買から戻ってきたところで、廊下がざわついた。


 また、人だかりができていた。


 その真ん中を、遠野先輩が歩いてきた。


 今日は、クラスの誰も俺を売らなかった。売る前に、遠野先輩がまっすぐ俺のところへ来たからだ。


「一ノ瀬くん」


「あ、遠野先輩。こんにちは」


「……機嫌、いいね」


「え、分かります?」


「分かる。顔に書いてある」


 遠野先輩にまで言われた。


「何かいいことあった?」


「ちょっとだけ」


「そう」


 遠野先輩は、それ以上は聞かなかった。代わりに、スマホを取り出した。


「一昨日の続き。トラップ部屋の話、もう少し聞きたくて。それと」


 画面を、こっちに向けた。


 トリッターの投稿だった。


『瀬戸の赤津D級で、例の黒い外套見たかもしれん。20階層で休憩してたら、真横を何か通った。フード被ってた。南陽のやつじゃね?』


 げ。


 にやけが、一瞬で引っ込んだ。


「これ、知ってる?」


「いえ、初めて見ました」


「昨日の夜の投稿。もう何万も拡散されてる」


 遠野先輩の目が、少しだけ光っていた。


「南陽で、私を助けてくれた人。たぶん、その人」


「へ、へえ。そうなんですか」


「名古屋の外に出たんだ。瀬戸」


 遠野先輩が、画面を見つめたまま言った。


「私、会ってちゃんとお礼が言いたいの。あのとき、ちゃんと言えなかったから」


「そう、なんですね」


 声が裏返りかけた。必死に抑えた。


 背中を、汗が一筋流れていった。


 いや、落ち着け。バレてない。遠野先輩は、「黒い外套の人」を探している。一ノ瀬朔を探しているわけじゃない。


 目の前にいるけど。


「一ノ瀬くんも、D級潜るなら、もし見かけたら教えて」


「は、はい、もちろん!」


 遠野先輩は、不思議そうに首を傾げた。


 それから、一昨日の話の続きをした。トラップ部屋の壁際の話、湧き場所の話。俺は身振りつきで答えた。答えているうちに、だんだん楽しくなってきた。ダンジョンの話は、やっぱり楽しい。


 話し終わる頃には、にやけがちょっと戻ってきていた。


「……ありがとう。参考になった」


「いえいえ。こちらこそ」


「また来る」


「はい。いつでも」


 遠野先輩が去ったあと、矢野が崩れ落ちた。今日で二回目だ。


「二回目……遠野灯と二回目……」


「矢野、大丈夫か?」


「大丈夫じゃない……」


---


 放課後になる前に、スマホが震えた。


 中学のグループだった。


 大沢『おい朔』


 大沢『トリッター見たか』


 大沢『瀬戸に黒い外套出たって』


 大沢『南陽のやつ』


 三宅『見た! かっけえよなあの人』


 山吹『正体誰なんだろうね』


 山吹『朔知らない? D級潜ってるでしょ』


 朔『知らない』


 送信してから、少しだけ胸がチクッとした。


 ごめん山吹。本人です。


 既読が四つついた。


 少し間があって、一件だけ、新しいメッセージが来た。


 藤堂『朔』


 藤堂『お前、昨日の放課後どこにいた』


 ぎくっとした。


 スマホを、机に伏せた。


 天井を見た。


 藤堂は、いつも一番最初に気づく。


 しばらく考えてから、スマホを表に返した。


 朔『散歩』


 藤堂『……そうか』


 それだけだった。


 それ以上、藤堂は何も聞いてこなかった。


 聞いてこないのが、一番怖い。


 いや、でも。


 藤堂は、聞いてこなかった。気づいても、聞かないでいてくれる奴なんだ。


 そう思ったら、ちょっとだけ、嬉しくなった。


---


 6時間目のチャイムが鳴った。


 鞄を掴んで、立ち上がる。


「一ノ瀬くん、今日も散歩?」


 矢野が、焼きそばパンの最後の一個を齧りながら聞いてきた。


「散歩、散歩」


「元気だね今日!」


「元気だよ。めちゃくちゃ元気」


「何かいいことあったんだもんね!」


「あったよ!」


 隠す気が、もうなかった。


 教室を飛び出して、自転車に乗って、駅へ向かう。


 今日は、召喚を試す日だ。


 行き先は、昨日と同じ。瀬戸市、赤津。25階層と50階層の転移陣はもう登録してある。人のいないところまで一瞬で行ける。


 大曽根で乗り換えて、名鉄瀬戸線。


 尾張瀬戸の駅で降りて、バスに乗る。


 20分揺られて、赤津のバス停で降りる。


 あとは、少し歩くだけだ。


 山の斜面の、古い石垣の途中に、扉が一枚だけ立っている。昨日と同じ、静かな場所。認証ゲートの横で、野良猫が寝ている場所。


 石垣の角を曲がった。


「え」


 足が止まった。


 人がいた。


 一人や二人じゃない。


 認証ゲートの前に、二十人くらい。ドローンを飛ばしている人。三脚にカメラを立てている人。スマホを構えている人。折りたたみ椅子に座って、明らかに長期戦の構えをしている人。


 手書きの紙を掲げている人までいた。


『黒い外套さん ここで待ってます』


 ゲートの横で、野良猫が迷惑そうに毛づくろいをしていた。


 俺は、石垣の角に身を隠したまま、しばらく動けなかった。


 昨日、この場所には誰もいなかった。


 昨日、俺はここで「誰にも見られずに潜れる」と思っていた。


 今日、ここには、黒い外套を待っている人が二十人いる。


「まじかあ」


 小さく呟いた。


 にやけは、さすがにもう出てこなかった。


 代わりに、ちょっとだけ笑いが出た。


 なんだこれ。一ノ瀬朔を待つ人から逃げて、黒い外套になったら、今度は黒い外套を待つ人が集まってきた。


 どっちに逃げても、誰かが待っている。


 スマホを取り出して、地図を開いた。


 瀬戸市、赤津。ここは駄目だ。


 じゃあ、次は。


 指で地図をスクロールしていく。尾張旭。長久手。日進は昨日、出待ちがいた。豊田も。


 いや、待て。


 張り込んでいる人たちは、「昨日黒い外套が出た場所」に集まっている。


 つまり、黒い外套が「まだ出ていない場所」なら、誰もいない。


 俺は、地図の上で指を止めた。


 にやけが、また戻ってきた。


 いいじゃん。それなら。


 毎日、違う場所に行けばいい。


 今日は、ここじゃないどこか。

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