第35話 はじめての召喚
赤津から尾張瀬戸の駅までバスで戻って、名鉄瀬戸線に乗った。
名古屋方面へ、四駅。
尾張旭の駅で降りる。
スマホの地図を開いて、目的地を確認した。城山公園の裏手、住宅街と雑木林のちょうど境目に、D級の扉が一つある。尾張旭の城山ダンジョン。規模は小さめで、地元の人がたまに潜るくらいの場所らしい。
トリッターで「城山 黒い外套」と検索してみる。
ゼロ件。
「城山 ダンジョンさんぽ」でも検索してみる。
ゼロ件。
「よし」
完璧だ。
駅から歩いて15分。公園の坂を上って、裏手の雑木林を抜ける。
扉の前には、誰もいなかった。
認証ゲートの横で、今度は野良猫の代わりに、カラスが一羽だけ石の上に止まっていた。
「こんにちは」
カラスは返事をしなかった。
ギルドカードをかざして、中に入った。
---
城山ダンジョンの第1階層は、土の通路だった。
壁にうっすら木の根が張っていて、天井から時々、土がぱらぱら落ちてくる。雑木林の下にあるダンジョンは、ダンジョンまで雑木林っぽいらしい。
奥へ奥へと進んで、人の気配がない脇道を探す。足音なし。話し声なし。ランプの明かりなし。
行き止まりの小部屋を見つけた。
ここにしよう。
鞄を下ろして、深呼吸を一つ。
今日は、王にはならない。
召喚は、王のスキルじゃない。職業【厨二病】のスキルだ。Lv100で、素の俺に生えたものだ。昨日の夜、ステータスの説明欄を十回くらい読み返して確かめた。
つまり、王の口調にならなくていい。
普通に喋れる。
それだけで、ちょっと気が楽だった。
まずは、呼ぶものを確かめないといけない。
右手を前に出した。
【書ノ保管】。
Lv50で覚えたスキルだ。俺が今まで書いたものは、全部、虚空の向こうに保管されている。捨てたものも、忘れていたものも、全部。
意識を向けると、目の前に半透明の一覧が浮かんだ。
```
保管中の書
・王ノ書
・幹部の書
・部下の書
・武器の書
・技名帳
・落書き帳(小学生)
・無題のノート
・白ノ書
……ほか
```
「うわあ……」
並んでいた。
全部、並んでいた。
王ノ書。十二席の設定を書き込んだ幹部の書。その部下たちを書いた部下の書。武器の書。中二の一時期だけ使っていた、技の名前しか書いていない技名帳。小学生の頃の、竜と金髪の主人公しか描いていない落書き帳。
試しに「武器の書」に触れてみると、一覧がふわっと開いて、中から何冊も出てきた。
そうだった。武器の書は、途中で一冊に収まらなくなって、どんどん冊数が増えていったんだった。
閉じて、今度は「部下の書」に触れる。こっちも、何冊も出てきた。「幹部の書」も同じだった。
改めて開くと、量がおかしい。この頃の俺、三年間で何冊書いたんだ。
一番下の「ほか」を開いたら、小学校の自由帳とか、授業中に書いた教科書の余白の落書きとか、そういうものまで出てきそうだったので、開かないことにした。
その一つ上に、白ノ書があった。
「あ、白ノ書」
聖奈のノートだ。
昔、聖奈と二人で厨二病をやっていた頃。兄が王で、妹が聖女。リビングを世界に見立てて、二人で設定を共有していた。聖奈が「こんなのいいなー」と喋ったことを、俺が横で書き取って、絵も俺が描いた。聖奈が先に卒業してからは、クローゼットの奥にしまいっぱなしになっている。
「あったなー、これ」
懐かしい。
俺の字で書いてあるから、ちゃんと保管されているらしい。
ちょっとだけ眺めてから、目を離した。
今日は、そっちじゃない。
---
一覧の中から、一冊を選んだ。
無題のノート。
表紙に何も書いていない、ただのノートだ。王ノ書みたいに黒く塗ってもいないし、題名も書いていない。中二の夏に、設定画の練習用に使っていたやつだ。
「――来い」
手のひらに、重さが落ちてきた。
普通の、青い表紙の大学ノート。角が少し擦り切れている。
ページをめくる。
鉛筆の設定画が、何ページも続いていた。死にゲーのパッケージの鎧の騎士を、何枚も何枚も模写した跡だ。兜の形を変えたり、肩当てを大きくしたり、剣を持たせたり盾を持たせたり。
最後のほうのページで、ようやく「これだ」と思えた一枚があった。
全身鎧の兵士。兜は、目のところに細い横一文字の隙間があるだけ。肩当ても胸当ても分厚くて、ちょっと錆びたような質感まで丁寧に描き込んである。
手には、普通のロングソード。
右半分には、びっしりと字が書いてあった。
【終焉ノ兵】
・王に仕える、名も無き兵たち
・一体でも、星を一つ砕く(←強すぎ? でも王の兵ならこれくらい)
・こんなのがいっぱいいる。種類もいっぱいある(詳細は後で書く)
その下に、小さく階級のメモ。
・一番下:普通のロングソード(地味だけど我慢)
・隊長:好きな武器を選べる
・大隊長:マントがつく
・その上:右肩に星。えらくなるほど増える
・一番上:マントとロングソードと、両肩に星(原点こそ至高)
「原点こそ至高」
声に出して読んでしまった。
地味だけど我慢、と書いてある。かっこいい武器を持たせたかったけど、一番下っ端だから、普通のロングソードで我慢させたらしい。この頃の俺なりに、階級の美学があったのだ。
ページの一番下は、空白だった。
詠唱は、書いていない。この頃の俺は、設定画を描き上げたところで満足して、呼び出し方までは考えなかったらしい。
じゃあ、どうやって呼ぶんだ。
「呼ぼう」
そう決めた瞬間だった。
頭の中に、言葉が浮かんだ。
考えたわけじゃない。思い出したわけでもない。ずっと前から知っていたみたいに、するっと、二行の言葉がそこにあった。
同時に、手の中のノートが、じわりと温かくなった。
ページの一番下の空白に、文字が浮かび上がっていく。
鉛筆の、俺の字だった。中二の頃の、少し右に傾いた癖のある字。今、頭に浮かんだのと一字一句同じ二行が、まるで最初からそこに書いてあったみたいに、ページに刻まれていった。
「うわ」
声が出た。
ノートが、勝手に書き足された。俺の字で。
怖い、と一瞬思った。思ったけど、それより先に、ちょっとわくわくしていた。
また二行か、とも思った。
「よし」
ノートを左手に持って、右手を前に出す。
小部屋の中で、一人。誰も見ていない。
心臓が、どきどきしていた。怖いんじゃない。楽しみすぎて。
息を吸う。
本気で。真顔で。中二の夏の、あの机の前の俺の気分で。
「――来たれ、名も無き刃よ。終焉の旗の下、我が前に並び立て」
足元の土に、光の線が走った。
円を描く。円の中に、読めない文字が並んでいく。
見覚えがある。
王ノ書の一ページ目に描いた、あの魔法陣だ。定規とコンパスで引いた円。真ん中に、自分でも読めない文字。
それが今、ダンジョンの床に、光って浮かんでいた。
魔法陣の真ん中から、何かがせり上がってきた。
最初に見えたのは、兜の天辺だった。
それから、肩当て。胸当て。腕。腰。脚。
全身鎧の兵士が、魔法陣の中に立っていた。
身長は、俺より少し高い。鎧はくすんだ鉄の色で、ところどころに傷がある。兜の横一文字の隙間の奥は、暗くて見えない。右手には、普通のロングソード。
設定画と、まったく同じだった。
錆びた質感まで、同じだった。
兵士は、ゆっくりと顔を上げた。
兜の隙間が、俺を捉えた。
そして。
がしゃん、と音を立てて、片膝をついた。
「――王よ」
低い声だった。兜の中で少しくぐもった、若い男の声。
「終焉ノ兵、一名。御前に」
「しゃ、しゃ」
喋った。
「喋ったあああ!?」
小部屋に、俺の声が響き渡った。
兵士の肩が、びくっと跳ねた。
「え、喋れるの? ノートに喋るって書いてないよ?」
「……は、はっ」
兵士が、戸惑ったように頭を下げた。
「兵は、王の剣。剣は、主に応えるものにございます」
「かっこいい……」
素で言ってしまった。
ノートにこの台詞は書いていない。書いていないのに、この頃の俺が書きそうな台詞を、ちゃんと言ってくる。
兵士は、片膝をついたまま、兜を少しだけ傾けた。
「……あの、王よ」
「あ、はい」
「その……御口調が、書に記されていたものと、少々」
「あー……」
そうか。
この兵士が知っている王は、ノートの中の王だ。「我は」とか「汝は」とか、「終焉ヲ統ベル深淵王なり」とか言う、あの王だ。
今の俺は、ただの一ノ瀬朔だ。制服で、鞄を足元に置いて、「喋ったあああ」とか叫んでいる。
「ごめん、今、王じゃないんだ。いや、王なんだけど。なんていうか、普段はこっちで」
「……普段は、こちら」
「うん。王になるとちゃんと喋れるんだけど、今は素なんで」
兵士は、しばらく黙っていた。
それから、深く頭を下げた。
「……承知いたしました。王が、そのお姿を兵に見せてくださること。望外の誉れにございます」
「いや、そんな大げさな」
「大げさではございません」
兵士の声が、少しだけ震えていた。
「兵は、誰も、王の素のお声を聞いたことがありませんので」
そうなのか。
そう言われると、なんだか、ちょっと照れくさかった。
---
試しに、【鑑定】をかけてみた。
```
終焉ノ兵(新兵)
所属:テホム・ラバ
難易度:―
```
「お、所属ちゃんと出るんだ」
難易度は表示されなかった。味方だからか、それとも測れないのか。
「えっと、とりあえず立って。ずっと膝ついてると痛そうだし」
「はっ」
兵士が、立ち上がった。
ロングソードを、胸の前で縦に構える。敬礼みたいな姿勢だった。
かっこいい。
めちゃくちゃかっこいい。
鼻の奥が、ちょっとつんとした。
中二の夏。自分の部屋で、死にゲーのパッケージを横に置いて、何枚も模写して、ようやくこれだと思えた一枚を、あのノートに描いた。そのときの鉛筆の感触まで、なんとなく覚えている。
その兵士が、今、ここにいる。
「ねえ、戦ってるとこ見てもいい?」
「御意に」
---
小部屋を出て、通路を進んだ。
兵士が、俺の半歩前を歩く。鎧の音が、がしゃ、がしゃ、と一定のリズムで響く。
最初に出てきたのは、大きな猪だった。
```
ボアファング
難易度:D
```
牙が、俺の腕くらい太い。鼻息を荒くして、こっちに突っ込んでくる。
「お願い」
「はっ」
兵士が、前に出た。
速かった。
鎧を着ているとは思えない速さで、猪の横に回り込む。突進を半身で流して、すれ違いざまに、ロングソードを一閃。
猪が、真っ二つになって砂に還った。
一撃。
普通のロングソードで。一番下っ端の兵士が。
「つっよ!」
ノートには「一体でも星を一つ砕く」と書いた。もちろん、今のレベルでそこまでの力は出ていないはずだ。呼び出したものの力も、今の俺のレベルに合わせて抑えられている。
それでも、D級のモンスターを一撃だった。
兵士が振り返って、ロングソードを胸の前に構え直した。
「すごいな、お前。めっちゃ強いし、かっこいいし」
「……恐悦至極にございます」
兵士の声が、ほんの少しだけ弾んでいた。
兜で顔は見えない。見えないが、たぶん、嬉しそうだった。
それから30分くらい、二人で通路を回った。
兵士は強かった。強いだけじゃなくて、真面目だった。俺が「お願い」と言えば一直線に向かっていくし、「ちょっと待って」と言えばぴたりと止まる。倒したあとは、必ず振り返って、剣を胸の前で構え直す。
全部、ノートに書いていない動作だった。
書いていないのに、この頃の俺が「こうだったらかっこいいな」と思っていたことを、全部やってくれる。
途中から、俺も一緒に戦った。無銘を呼んで、兵士と並んで。
「右、いける?」
「はっ」
「じゃあ俺、左」
兵士が右の一体を斬って、俺が左の一体を斬る。
楽しい。
一人で潜るのも楽しいけど、誰かと並んで戦うのは、別の楽しさがある。五人で守山に潜ったときも思った。今日も、思った。
---
小部屋に戻ってきて、スマホで時間を確認した。
午後六時半。そろそろ帰らないと、また遅くなる。
兵士が、小部屋の真ん中で直立していた。
帰ってもらわないと、いけない。
呼び戻し方は、ノートには書いていなかった。だが、なんとなく分かる。呼んだときと同じ感覚で、逆をやればいい。
「今日は、ありがとう。すっごく楽しかった」
「はっ」
兵士が、また片膝をついた。
足元に、あの魔法陣が浮かび上がる。光の線が、兵士の足元から、ゆっくりと上っていく。
鎧の脚が、光に溶けていく。
「王よ」
兵士が、顔を上げた。
「一つだけ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「うん、どうぞ」
「最初にお呼びいただいたこと、終焉ノ兵の誉れとして、皆に伝えます」
「皆?」
「兵の皆も。隊長たちも、大隊長たちも」
光が、兵士の腰まで上ってきていた。
「それから、幹部の皆様方も。皆、ずっと、王のお呼びを待っておりましたので」
「え?」
幹部の、皆様方。
「特に、第三席様と、第九席様が、大変お待ちかねでした。第十席様は、日誌をつけておられました。第七席様の御配下の方々は、王の御姿が映るたびに――」
「ちょ、ちょっと待って!」
「はっ」
「幹部って……皆って……え、いるの? どこに?」
兵士は、光に包まれながら、少しだけ首を傾げた。
兜の奥で、たぶん、不思議そうな顔をしていた。
「宇宙の外に、皆おります。王が、そうお書きになりましたので」
光が、兜の天辺まで上った。
「それでは、王よ。またのお呼びを、お待ちしております」
魔法陣が、消えた。
小部屋には、俺一人だけが残った。
---
「え」
声が、小部屋の土壁に吸い込まれていった。
「えっ、皆いるって……?」
誰も答えなかった。当たり前だ。今、ここには俺しかいない。
宇宙の外に、皆いる。
王が、そう書いたから。
書いた。
確かに書いた。
王ノ書の年表のページに。王は宇宙の外側に惑星をいくつも引っ張ってきて、そこに部下たちが暮らしている、と。中三の冬、受験勉強の合間に、社会の資料集の世界地図を見ながら書いた。宇宙の地図も欲しくなって、途中まで描いて、飽きて、やめた。
それが、ある。
本当に、ある。
いや、それだけじゃない。
あの年表には、他にも書いた。王が無から生まれたこと。何兆もの時間軸を終わらせたこと。神々を喰らったこと。最初の時間軸で、ただ一人忠誠を誓った勇者がいたこと。
全部、「あったこと」になってるのか?
十二席も。
第一席の、元勇者の騎士。第二席の、糸を使う老執事。第三席の、白黒の龍。だるそうなおっさん。猫耳パーカーの、別の宇宙の神様。四本腕の鍛冶師。ギャル。翼と光輪だらけの、神話の書き手。戦闘狂。眼鏡の司書。ブラックホールとホワイトホールの双子。途中までしか設定を書いていない、機械仕掛けの女の子。
その部下たちも。七元徳の騎士団も。七つの大罪も。神話の神様たちも。教室みたいな九人の女の子たちも。
全部。
全員。
この頃の俺が、授業中にノートの端に書いて、休み時間に友達に隠して、夜中に布団の中でにやにやしながら書き足した、あの全部が。
今この瞬間、宇宙の外で、本当に生きてる。
しゃがみ込んだ。
膝を抱えて、土の床を見た。
自分の黒歴史が、実在している。
ノートの中だけの話だったはずのものが。燃えるゴミに出そうとして出せなかったものが。高校生になるから卒業すると決めたものが。
宇宙の外で、ちゃんと存在して、ちゃんと生きていて。
しかも、俺のことを見てる。
「見てる?」
顔を上げた。
さっき兵士が言いかけていた。王の御姿が映るたびに、と。
映る。つまり、見られている。今日だけじゃなくて、たぶん、ずっと。
ギルドで職業【厨二病】が出て、友達に大爆笑された日も。布団の中で真名を噛んだ夜も。金山で死にかけた日も。南陽で「汝の終わりは、今日ではない」と言った日も。千種で二行叫んだ日も。
全部。
「うわあああああああああ!」
両手で顔を覆って、土の床に転がった。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。今までで一番恥ずかしい。
ノートを読み返されるより恥ずかしい。書いた本人たちに、書いた本人が、ずっと見られていた。
しかも、その本人たちの中には。
いや。
今は思い出すな。十二席のページの、女の子たちのところに何を書いたかは、今は絶対に思い出すな。
思い出したら、たぶん立ち直れない。
転がったまま、しばらく天井を見ていた。
木の根が、土の天井から垂れ下がっている。ぱらぱらと、土が落ちてくる。
でも。
ふと、思った。
さっきの兵士。
かっこよかった。
ちゃんと喋って、ちゃんと戦って、帰り際に「またのお呼びを、お待ちしております」と言った。
あいつみたいなのが、宇宙の外に、いっぱいいる。
隊長がいて、大隊長がいて、星をつけた偉い人たちがいて。その先に、十二席がいる。
全員、俺が書いた。
全員、俺が呼ぶのを待っている。
「会ってみたいな」
ぽつりと、呟いていた。
怖い。めちゃくちゃ怖い。特に第三席と第七席と第九席。あと第七席の部下の子たち。
でも、会ってみたい。
この頃の俺が、あんなに一生懸命考えた奴らに。
起き上がって、制服についた土を払った。
鞄を拾って、青い表紙のノートを虚空に戻す。
小部屋を出る前に、一度だけ振り返った。
誰もいない。
でも、たぶん、見られてる。
「えっと」
なんとなく、天井に向かって手を振ってみた。
「またね」
返事は、なかった。
でも、宇宙の外のどこかで、誰かが椅子から転げ落ちた気がした。




