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第33話 放課後は、王になって潜る

 火曜日。6時間目の終わりのチャイムが鳴った瞬間、俺は鞄を掴んでいた。


「一ノ瀬くん、今日カラオケ――」


「ごめん矢野、今日無理!」


「早っ! まだ最後まで言ってないんだけど!」


「また今度な。焼きそばパンは、明日三個持ってくるから」


「覚えてたんだ!?」


 覚えてる。約束は約束だ。


 教室を出ようとしたところで、矢野が身を乗り出してきた。


「待って。今日もダンジョン?」


「散歩」


「ダンジョンさんぽじゃん!」


「違う、普通の散歩」


「絶対嘘でしょ! 千種はやめときなよ、今日も人すごいって」


「千種は行かないって」


 嘘はついていない。千種には行かない。


 後ろの席から、久住が小さく手を振ってくれた。的場は「配信するなら教えろよー」と叫んでいた。しない。今日は、絶対にしない。


 廊下を早足で抜けて、自転車置き場へ向かう。


 足が軽い。


 昨日の夜から、ずっとこの時間を待っていた。


---


 行き先は、決めてあった。


 昨日の夜、トリッターで片っ端から調べた。「ダンジョンさんぽ 出待ち」で検索すると、名古屋市内のD級はほぼ全滅だった。市外でも、春日井と日進と豊田には人が出ているらしい。


 だが、一つだけ、誰も名前を挙げていない場所があった。


 瀬戸市、赤津。


 焼き物の町の、山のほうにあるD級ダンジョンだ。規模は中くらいで、周りに何もないせいか、人気はあまりないらしい。


 自転車を学校の最寄り駅に停めて、電車に乗る。大曽根で乗り換えて、名鉄瀬戸線。窓の外の景色が、だんだん住宅から山に変わっていく。


 尾張瀬戸の駅で降りて、バスに揺られること20分。


 赤津のダンジョンは、山の斜面にある古い石垣の途中に、ぽつんと扉が一枚だけ立っているような場所だった。


 周りを見回す。


 誰もいない。


 ドローンを飛ばしている人も、スマホを構えている人も、張り込んでいる人も、一人もいない。認証ゲートの横で、野良猫が一匹だけ昼寝をしていた。


「よっしゃ!」


 小さくガッツポーズをした。猫が片目を開けて、また閉じた。


 ギルドカードをゲートにかざす。緑のランプが点いて、扉が開いた。


 入場記録がカードに残る、という話を登録のときに聞いた気がするが、まあいい。あれを見られるのはギルドだけだし。


---


 第1階層は、石造りの通路だった。


 赤っぽい石が積まれていて、ところどころに陶器の欠片みたいなものが埋まっている。焼き物の町のダンジョンは、ダンジョンまで焼き物っぽいらしい。


 しばらく歩いて、入口から十分に離れた脇道に入る。


 人の気配はない。


 鞄から外套を引っ張り出して、羽織る。被ると、視界の上半分が影に沈む。


 スマホで時刻を確認した。午後四時四十分。


 今のレベルなら、黙っていられる時間は2時間半くらいある。夕飯までには帰れる計算だ。


 深呼吸を一つ。


 さて。


 誰もいない。遠慮する相手も、いない。


 楽しみで、うずうずしていた。


「――我が名はカオス・テロス・クルヌギアス」


 五行、最後まで。


 世界が、変わった。


 前髪が伸びて、視界の端で揺れる。右目が黒く、左目が白く。体の奥から、何か途方もなく大きなものが、ほんの少しだけ滲み出してくる感覚。


 ステータスを開く。


```

Lv:90

職業:終焉ヲ統ベル深淵王

STR:63(+測定不能/解放率 ???)

```


 解放率は、相変わらず伏せ字だった。


 どれくらい解放されているのかは、たぶん一生分からない。分からないが、初めて王になった日より、明らかに体が軽い。力が、奥のほうから湧いてくる量が違う。


 ほんの少しずつ、何かが開いていっている。それだけは分かる。


「――往くぞ」


 言うつもりはなかった。


 (うん、行こう)


 心の中で返事をして、俺は走り出した。


---


 千里ノ魔眼を開いた。


 視界が、一気に広がる。壁の向こう、床の下、この階層の通路の形が、地図みたいに頭の中に流れ込んでくる。下り階段の位置も分かる。


 看破ノ魔眼が、罠の位置に赤い印をつけていく。


 あとは、その間を走り抜けるだけだった。


 第1階層、3分。


 第2階層、4分。


 モンスターは出る。出るが、出た瞬間に終わる。真理ノ魔眼が名前と難易度を読むより、俺の拳が届くほうが早い。


```

クレイゴーレム

難易度:D

```


 読み終わった頃には、もう砂になっていた。


「――脆い」


 (いや、脆いのは俺のせいじゃなくて、お前が強すぎるんだって)


 自分にツッコんだ。


 口から出るのは全部王の台詞だが、頭の中は完全にいつもの俺だった。金山で初めて王になった日は、この食い違いに頭を抱えた。今はもう慣れた。慣れたどころか、ちょっと面白くなってきている。


 第5階層を抜けたあたりで、レベルが上がった。


```

Lv:90 → Lv:91

※獲得経験値は半分です(王の力を使用中)

```


 半分。相変わらずだ。


 でも、いい。半分でも、倒す数が桁違いなら関係ない。


 第10階層。第15階層。


 千種で言えば、トラップ部屋があったのと同じ深さだ。あのときは、ここに来るまでに半日かかった。


 今日は、40分だった。


「――ふむ。悪くない」


 (悪くないどころじゃないって。めちゃくちゃ速い!)


 頭の中の俺が、飛び跳ねていた。


---


 第20階層の手前で、人の気配がした。


 千里ノ魔眼が、通路の先に三つの影を映している。大人の探索者が三人。壁際に座り込んで、休憩しているらしい。


 避けるか。


 避けるには、この先の分岐を戻って、別の道から回り込む必要がある。10分はロスする。


 いや、待て。


 スキルがある。


 【我ハ、世界ニ観測サレヌ】。気配を消して、見つかりにくくなるやつだ。金山に通っていた頃に覚えてから、何度か使ってきた。


 問題は、詠唱が必要なことだった。


 名乗ってから、宣言する。つまり、人の近くで、声に出して言う必要がある。


 (小声でいけるか?)


 いけない。本気で言わないと出ない。


 (ですよね)


 腹を括った。三人との距離は、まだ五十メートルはある。この距離なら、たぶん聞こえない。聞こえても、ダンジョンの反響だと思ってくれる。


「――我ハ、世界ニ観測サレヌ」


 体の輪郭が、周りの空気に溶けていく感覚があった。


 そのまま、通路を進む。


 三人の横を、すり抜ける。


 足音は立てない。フードは深く被ったまま。


 あと三歩。二歩。


「……なあ、今なんか通らなかったか?」


 背後で、声がした。


 (うそ、気づかれた)


 足が止まりかけた。王の体は止まらなかった。


「風じゃね?」


「ダンジョンに風吹くかよ!」


「いや、黒いのが見えた気がしたんだよ。フード被った……」


 一人が、はっとしたように言った。


「おい、それ南陽の……!」


 (やばい)


 俺は、全力で走った。


 通路を曲がる。階段を駆け下りる。背後の声は、あっという間に遠くなった。


 第21階層まで下りてから、壁に背中をつけて、息を吐いた。


「――振り返るな。王は、過ぎ去りし道を顧みぬ」


 (いや、めちゃくちゃ振り返りたいわ。今の、絶対バレかけたって!)


 頭の中で叫んだ。


 でも、バレかけただけだ。バレてはいない。「南陽の黒い外套」だと思われただけで、それが一ノ瀬朔だとは誰も思わない。


 思わない、はずだ。


 (大丈夫大丈夫。フードあるし)


 気を取り直して、また走り出した。


---


 第25階層に、転移陣があった。


 床に描かれた、淡く光る円。このダンジョンを先に攻略した誰かが作ったものだ。一度たどり着いた階層なら、次からはここへ一瞬で来られる。


 ギルドカードをかざして、登録する。


 これで次は、第25階層から始められる。


「――一つ、刻んだ」


 (よし、一個登録できた)


 なんか、ゲームのセーブポイントみたいで、ちょっとテンションが上がった。


 そこから先は、空気が変わった。


 通路が広くなる。天井が高くなる。モンスターの足音が、重くなる。


```

オーガ

難易度:D

```


 身の丈が三メートル近くある、筋肉の塊みたいな鬼だった。手には、丸太みたいな棍棒。


 振り下ろされる。


 因果ノ魔眼が、軌道を線にして見せる。その線の外に半歩ずれて、懐に入って、腹に拳を一発。


 オーガが、くの字に折れて吹き飛んだ。壁に当たって、砂になる。


「――他愛もない」


 (いや、今のは他愛あったよ。棍棒でかかったよ。でも楽しい!)


 楽しい。


 めちゃくちゃ楽しい。


 千種では、一体倒すのに気を遣った。配信のカメラを気にして、詠唱を隠して、刀の振り方まで考えていた。


 今は、何も気にしなくていい。


 誰も見ていない。カメラもない。コメント欄もない。出待ちもいない。


 ただ、ダンジョンと、モンスターと、俺だけがいる。


 第30階層。第35階層。


 レベルが、面白いように上がっていく。


```

Lv:94 → Lv:95

```


 一体ずつは経験値半分でも、この深さのモンスターを片っ端から倒していけば、あっという間だった。


「――まだだ。まだ、足りぬ」


 (そうそう、まだまだ行ける)


 初めて、口と頭の意見が一致した。


---


 第40階層を過ぎたあたりで、時計を見た。


 午後六時五十分。


 王になってから、2時間10分。


 黙っていられる時間は、2時間半くらいのはずだ。


 だが、今日はずっと喋っていた。「脆い」だの「他愛もない」だの「往くぞ」だの、王の口が勝手に何か言うたびに、時間はリセットされている。むしろ、よく喋るせいで、全然切れる気配がない。


 (この頃の俺、王をおしゃべりに設定しといてくれてありがとう)


 初めて、この頃の俺に素直に感謝した。


 問題は、帰りの時間だった。


 夕飯は七時半だと、朝、母に言われている。今から戻っても、確実に間に合わない。


 スマホを出して、母にメッセージを打った。


『ごめん、ちょっと遅くなる。八時半くらい』


 送信。


 すぐに既読がついて、返事が来た。


『お姉ちゃんが、どうせそうなると思ったって言ってる』


 ついでに、もう一件。


『お姉ちゃんから伝言。ほどほどに』


 全部、お見通しだった。


---


 第50階層。


 階段を下りた先は、これまでと全然違う場所だった。


 円形の、だだっ広い広間。天井は見えないくらい高い。壁一面に、焼き物の窯みたいな穴がいくつも口を開けていて、奥から赤い光が漏れている。


 そして、広間の真ん中に、何かがいた。


```

焼成の番人(ボス個体)

難易度:D(上位)

```


 陶器でできた、巨人だった。


 全身が赤茶色の焼き物で、ところどころにひびが入っている。そのひびの奥から、窯の火みたいな光が溢れていた。高さは、オーガの倍はある。両腕が異様に長くて、手の先が鉈みたいに尖っていた。


 ボスだ。


 D級の、50階層の、ボス。


 (うわ、でっか……かっこいい……)


 素直に思った。


 こういうのが見たくて潜ってるところがある。


「――面白い」


 今日初めて、口と頭が一語一句同じことを言った。


 陶器の巨人が、腕を振り上げた。


 速い。オーガよりずっと速い。因果ノ魔眼の線が、二本同時に走る。右腕と左腕、両方が同時に来る。


 だが、線は嘘をつかない。


 一本目の線の外へ、半歩。二本目の線の下へ、身を沈める。


 鉈みたいな腕の先が、フードの数センチ上を通り過ぎていった。風圧だけが、髪を揺らした。


「――遅い」


 (いや、遅くない。めちゃくちゃ速い。見えてるから避けられてるだけだって)


 巨人が、両腕を引き戻す。今度は三本の線が走った。右の薙ぎ払い、左の突き、それから、そのどちらにも見せかけた踏みつけ。


 看破ノ魔眼が、床に赤い印をつけた。踏みつけの着地点だ。フェイントまで、全部見えている。


 右を潜る。左を半身で流す。赤い印の外へ、跳ぶ。


 巨人の足が床を叩いて、広間全体が揺れた。俺がいた場所の石畳が、粉々に砕けている。


 当たらない。


 何をされても、当たらない。


 (なにこれ、楽しすぎる)


 線が見える。印が見える。次に何が来るか、全部分かる。分かった上で、ぎりぎりのところを抜けていく。


 巨人の攻撃が、だんだん大振りになっていく。当たらないことに苛立っているみたいに、窯の光がひびの奥で激しく明滅していた。


「――汝の刃は、我に届かぬ」


 (それはそう。今日は本当にそう)


 大振りの一撃が空を切って、巨人の体勢が崩れた。


 線が、一本も走っていない。


 今だ。


 胴に、拳を叩き込む。


 硬い。オーガの比じゃない。陶器なのに、鉄を殴ったみたいな手応えが返ってきた。


 ひびが、一本走った。


 もう一発。ひびが、二本になる。


 巨人が、よろめいた。窯の火みたいな光が、ひびの奥で明滅している。


 (いける)


 三発目。


 踏み込んで、全身で、打ち込んだ。


 陶器の巨人が、胸の真ん中から砕けた。


 音が遅れて来た。窯の割れるような、乾いた、でかい音。赤い光が一度だけ強く瞬いて、それから、全部が砂になって崩れ落ちた。


 広間が、静かになった。


 床に、赤く光る塊が一つ転がっている。魔核だ。拳くらいの大きさがある。


 俺は、しばらく動けなかった。


 息が上がっている。拳が痺れている。体には、傷一つない。


 それより。


 (はあ、楽しかった)


 心の底から、そう思った。


 今日一番、いや、今までで一番かもしれない。誰にも見られず、何も気にせず、全力でやり合って、勝った。


「――見事であった」


 口が、巨人に向かってそう言った。


 (うん。お前、強かったよ)


 初めて、王の台詞に心から同意した。


---


 そのとき、目の前に画面が浮かんだ。


```

Lv:99 → Lv:100

※獲得経験値は半分です(王の力を使用中)

```


 え。


 100。


 Lv100。


 ボスの経験値で、一気に跳ねたらしい。


 (うそ、100? 100いった!?)


 頭の中の俺が、広間を転げ回っていた。体は王なので、背筋を伸ばして立ったままだった。


 そして、もう一枚、画面が浮かんだ。


```

条件を満たしました。

スキルを解放します。


【召喚】

【鑑定】

```


 召喚。


 その二文字を見た瞬間、背筋に何かが走った。


 ノートのページが、頭の中でめくれていく。配下のページ。一体分だけ設定を書いて、「こんなのがいっぱいいる」と雑にまとめた、あの兵士たちのページ。


 それから、もっと先のページ。十二の席。それぞれの名前。それぞれの見た目。


 それから、それから。


 この頃の俺が、名前のある女の子たち一人一人に、余計な一文を書き足していたページ。


 (いや、待て。待て待て待て)


 冷静になろう。召喚って書いてあるだけだ。何が出てくるのかは、まだ分からない。いきなり全部出てくるわけがない。


 たぶん。


「――時は満ちた」


 口が、勝手に言った。


 (満ちてない。まだ満ちてないから!)


---


 帰りは、第50階層の転移陣を使った。


 ギルドカードをかざすと、体が光に包まれて、次の瞬間には入口の近くにいた。カードから税金が引かれた通知が、ぴこんと鳴った。


 王を解いて、外套を脱ぐ。前髪が戻る。目の色が戻る。


 扉の外に出ると、もう真っ暗だった。


 山の夜は冷える。四月でも、息がほんのり白い。


 認証ゲートの横では、昼間の猫がまだ寝ていた。


「ただいま」


 猫に言った。猫は、耳だけ動かした。


 バス停に向かって歩きながら、ステータスをもう一度開く。


```

Lv:100

```


 三桁。


 登録してから、一か月ちょっとで。


 ポケットの中で、魔核がずしりと重い。あとで換金しよう。たぶん、けっこうな額になる。


 でも、今はそれより。


 スキル欄の一番下に、新しく増えた二文字を見た。


 【召喚】


 何が出てくるのか分からない。分からないが、この頃の俺が書いたものの中から、何かが出てくる。


 怖いのと楽しみなのが、ちょうど半分ずつ――。


 いや。


 正直に言うと、楽しみのほうが、八割くらいあった。


 バスの時刻表を見る。次は12分後だった。


 ベンチに座って、夜空を見上げる。


 明日も、学校が終わったら潜ろう。


 王になって。


 誰にも見られずに。


 俺はまだ、20階層ですれ違った三人が、その夜トリッターに何を書き込むかなんて、何ひとつ考えていなかった。

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