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第32話 有名になると、潜れなくなるらしい

 自動ドアの向こうでは、三島さんが待っていた。


「一ノ瀬様。お待ちしておりました」


 いつも通りの、教科書みたいに整ったお辞儀だった。髪もきっちりまとめてあるし、制服のリボンも曲がっていない。


 ただ、目の下にうっすらクマがあった。


「三島さん、こんにちは。あの、もしかして昨日から忙しかったりします?」


「……お気遣いありがとうございます」


 否定はされなかった。


「電話が、鳴り止まなかったもので」


「すみません……」


「一ノ瀬様が謝ることではございません。こちらへどうぞ」


 エレベーターで上の階へ上がる。前に来たときより、一つ上のボタンが押された。


 前より偉い人の部屋に行くらしい。


 ちょっとわくわくしている自分がいた。ギルド本部の上の階なんて、普通の高校生は一生入らない場所だ。


---


 通されたのは、壁一面がガラス張りの会議室だった。名古屋駅のビル群が見える。


 テーブルの向こうに、見覚えのある顔が並んでいた。


 副本部長。前にランクの件で会った、五十がらみの男の人だ。


 芝崎さん。昇格審査の立会いをしてくれた審査官で、相変わらず端末を手元に置いている。


 そして、その向かいに。


「朔、おかえり」


 お姉ちゃんが、座っていた。


 今日は黒いジャケットに、きちんとしたシャツ。髪もまとめている。前にここへ来たときと同じ、完全武装の格好だ。


「あ、お姉ちゃん」


「座りな」


 お姉ちゃんの隣には、もう一人知らない男の人がいた。三十代くらいで、細身のスーツ。穏やかそうな顔をしている。


「こちらは、私のクランの早瀬さん。事務方のまとめ役」


「早瀬です。凛花さんには、いつもお世話になっております」


「一ノ瀬朔です。姉が、いつもお世話になってます」


 勢いよく頭を下げたら、早瀬さんが少しだけ目を丸くして、それから笑った。


「……なるほど。凛花さんから聞いていた通りの弟さんですね」


「え、何聞いてたんですか?」


「元気で、素直で、ダンジョンが大好きな子だと」


「合ってます」


「合ってる」


 お姉ちゃんが、腕を組んだまま頷いた。


 表情はほとんど変わらない。変わらないが、分かる。これは、ドヤ顔だ。弟が褒められたときの顔だ。


---


「さて」


 副本部長が、軽く咳払いをした。


「急にお呼び立てして申し訳ありません。学業のある中、ご足労いただき感謝いたします」


「いえ、授業どうせ頭に入ってなかったんで」


 言ってから、しまったと思った。お姉ちゃんは、横でなぜか深く頷いていた。正直でよろしい、という顔だった。


 副本部長は、聞かなかったことにしてくれた。大人だ。


「単刀直入にお伺いします。昨日、千種ダンジョン15階層のトラップ部屋において、ダンジョン構造物に損傷が確認されました。映像を拝見する限り、一ノ瀬様の攻撃によるものと考えております」


「はい、俺です」


 即答した。


 今朝、教室で散々言われたので、もう覚悟はできている。嘘の利子は、朝のうちに払い終わった。


「ありがとうございます」


 副本部長が、手元の資料をめくった。


「まず、調査の結果からご報告します。今朝の時点で、ギルドの調査班が現地を確認しました。溝は実在します。長さはおよそ十八メートル。部屋の壁の端から端までです。深さは最大で七センチ」


「七センチ」


「はい。過去に記録された、あらゆる攻撃による損傷の最大値は」


 副本部長が、一拍置いた。


「ゼロです」


「ゼロ!?」


「ダンジョンの構造物は、これまで一度も傷付いたことがありません。一ミリも、です」


 ゼロと七センチ。


 比べようがない、ということだけは分かった。


「すげえ……」


 思わず口から出た。


 副本部長の眉が、ぴくりと動いた。


「あ、いや、すみません。すごいって言ったら駄目なやつでしたか」


「……いえ」


 副本部長は、少しだけ困ったように笑った。


「正直に申し上げますと、我々も昨夜から『すごい』しか言えておりません」


「え、副本部長さんたちもですか」


「そうなんです」


 隣で三島さんが、小さく頷いていた。目の下のクマが、その証拠だった。


---


「では、いくつか確認させてください」


 芝崎さんが、端末に指を置いた。


「あの剣は、一ノ瀬さんのスキルで呼び出したものですね。昇格審査のときに拝見した、黒い刀と同系統の」


「はい。武器を呼ぶスキルです」


「呼び出せる武器は、複数あるのですか」


「何本か、あります」


 武器の書に書いてあるのは何百本だが、そこは言わなかった。何本か、は嘘じゃない。


「あの剣の性能について、ご自身でどこまで把握されていますか」


「えっと」


 正直に答えることにした。


「光の斬撃を出して、範囲を一掃できる。それだけです。壁が削れるとかは、俺も知りませんでした。削れたって知ったのも、今朝クラスの友達に教えてもらってからで」


「今朝?」


「はい。昨日は通知全部切って、ぐっすり寝てたんで」


 芝崎さんの指が、端末の上で止まった。


「……壁のことを、ご存じなかった」


「全然。朝のニュースでテロップ見たときも、『千種で誰かすごい人が壁削ったんだな』って思ってました」


 会議室が、静かになった。


 早瀬さんが、口元を押さえて横を向いた。肩が震えている。


 お姉ちゃんだけは、表情一つ変えなかった。むしろ、なぜか満足そうに頷いていた。


 何に満足してるんだ、この人。


「……芝崎くん」


「はい」


「記録しておいてくれ。本人は、損傷の発生を翌朝まで認識していなかった、と」


「承知しました」


 芝崎さんが、真顔で端末を打った。


 その真顔が、逆に面白かった。


---


「剣の名前を、お伺いしても」


 副本部長が言った。


「スキルの記録として、武器の名称を残しておく必要がありまして」


 来た。


 ここで、来るか。


「名前、ですか?」


「はい」


「言わなきゃ駄目ですか?」


「できれば」


 全員が、俺を見ていた。


 副本部長。芝崎さん。三島さん。早瀬さん。そして、お姉ちゃん。


 お姉ちゃんは、いつもの無表情だった。だが、その目だけが、明らかに期待に満ちていた。


 弟の剣の名前を、本気で楽しみにしている顔だった。


「その、テン」


「テン?」


「天穿ツ、光輝です。天を、穿つ、光の、輝き」


 漢字の説明までしてしまった。


 会議室が、また静かになった。


 芝崎さんが、無言で端末に打ち込んでいる。打ち込みながら、一瞬だけ手が止まった。たぶん「穿」の変換に困っている。


「……てんうがつ、こうき」


 副本部長が、ゆっくりと復唱した。


「読みは、それでよろしいですか」


「あの。スキルの表示だと、読みが付いてて」


「読み?」


「ラディウスって、読むみたいです。本当は」


 言ってしまった。


 なんで言ったんだ俺は。聞かれてないのに。


 だが、書いたのはこの頃の俺だ。ちゃんとルビまで付けたんだから、そこまで言わないとこの頃の俺に悪い気がした。


 お姉ちゃんが、無言で親指を立てた。


「なに、その親指?」


「読みまで言えた。偉い」


「褒めるなって」


「かっこいい」


「真顔で言うな!」


 お姉ちゃんは本気だった。本気で、弟の剣の名前をかっこいいと思っている顔だった。笑われるより、こっちのほうが何倍も恥ずかしい。


 副本部長が、咳払いをした。


 その咳払いも、少しだけ震えていた。


「……ありがとうございます。記録いたしました」


---


 そこから先は、真面目な話だった。


 副本部長によると、今のところ分かっていることは三つ。


 一つ。溝は、修復されていない。ダンジョンの構造物は壊れないので、そもそも「修復」という機能があるのかどうかも分からない。ギルドは今、研究機関と一緒に、溝が今後どうなるのかを見守っている。


 二つ。千種ダンジョンの15階層は、調査のためしばらく封鎖される。それ以外の階層は通常通り開いている。


「ただ、問題は三つ目でして」


 副本部長が、窓の外に目をやった。


「千種ダンジョンの支店前に、今朝から人が集まっております」


「人?」


「探索者、配信者、記者、それから単純な野次馬。昨夜の時点で数十人、今朝には数百人。千種以外のD級ダンジョンにも、『ダンジョンさんぽが来るかもしれない』と待っている方がいるようです。市内なら名東区の猪高、天白区の平針、緑区の鳴海。市外でも、春日井や日進のD級に人が出ていると報告が来ております」


「俺を?」


「一ノ瀬様を、です」


 早瀬さんが、スマホの画面をこちらに向けてくれた。


 トリッターの投稿だった。千種の支店前の写真。人、人、人。その中に、ドローンを飛ばしている人までいる。


『千種、ダンジョンさんぽ待ちで人やばい』


『出待ちしてる配信者多すぎて草』


『平針のD級にも来てるらしいぞ』


「うわあ」


 すごい。


 すごいけど。


「それって、俺、しばらく千種潜れないってことですか!?」


「潜ること自体は、制度上止められません。ただ」


 副本部長が、言葉を選んだ。


「今、一ノ瀬様が千種に入れば、確実に囲まれます。お顔は配信では出ておりませんが、年齢と装備と声で、特定されるのは時間の問題かと」


「学校ではもう特定されました」


「……でしょうね」


 副本部長が、少しだけ遠い目をした。


「ギルドとしては、一ノ瀬様のお名前を公表するつもりはありません。個人情報ですので。ただ、世間の特定を止める手段は、我々にはないのです」


「そっか……」


 椅子の背にもたれた。


 Lv100まで、あと10。


 D級を潜り続ければ、来週には届くかもしれない。そう思っていた。


 それが、潜れない。


「うわ、それが一番困るかも」


 ぽろっと出た。


 副本部長が、少し意外そうな顔をした。


「一番、ですか」


「はい。名前バレとか、学校で騒がれるとかは、まあ、恥ずかしいけど何とかなるんで。でも潜れないのは困ります。あと10でLv100なんですよ」


「……Lv100?」


「はい。あと10です。もうすぐなんですよ」


 副本部長と芝崎さんが、顔を見合わせた。


「失礼ですが、登録から何日目でしたか」


「えっと、一か月ちょっとです」


 芝崎さんが、無言で端末に打ち込んだ。打ち込む指が、さっきより速かった。


---


「あの、よろしいでしょうか」


 早瀬さんが、穏やかに手を挙げた。


「クランとして、一つだけ申し上げたいことがありまして」


「どうぞ」


「今朝から、うちのクランにも問い合わせが来ています。弟さんを紹介してほしい、と。他のクランや企業、配信事務所からも、凛花さんへの連絡が途切れません」


「え、お姉ちゃんのとこにも?」


「100件」


 お姉ちゃんが、短く言った。


「全部断った」


「全部」


「全部」


 早瀬さんが、苦笑した。


「うちのクランとしても、正直に申し上げれば、弟さんに興味はあります。十五歳でDランク、登録一か月でLv90、そしてダンジョン構造物への初の損傷。どこのクランでも欲しがります」


「え、俺、スカウトされてるんですか?」


「されています。世界中から」


「世界中!?」


「ただ」


 早瀬さんが、お姉ちゃんをちらりと見た。


「凛花さんから朝一番に、『弟には誰も触らせないで』と、一言だけ言われておりまして」


「言った」


 お姉ちゃんが、腕を組んだまま頷いた。


「弟が決める。入るかどうかも、どこに行くかも。それまで誰にも触らせない」


 今日一番長く喋った。


「なので、うちのクランは本日、弟さんを守る側に回ります。取材や勧誘の窓口を、しばらくこちらで引き受けさせていただきたい。それを、ギルドの皆様と弟さんにご提案しに来ました」


 副本部長が、深く息を吐いた。


「……正直、助かります。ギルドにも、昨日から同じ問い合わせが殺到しておりますので」


「お姉ちゃん……」


 横を見ると、お姉ちゃんは堂々とこっちを見ていた。


 照れるとか、謙遜するとか、そういう様子は一切ない。胸を張って、当然のことをしただけ、という顔だった。


「ありがと、お姉ちゃん」


「当然」


「かっこいい!」


「知ってる」


 知ってるのか。


 早瀬さんが、微笑ましそうにこちらを見ていた。たぶん、クランでもずっとこの調子なんだと思う。


---


 話し合いは、1時間ほどで終わった。


 決まったのは、こういうことだった。


 千種ダンジョンには、しばらく近づかない。


 配信を続けるかどうかは、自分で決めていい。ただ、しばらくは場所を告知しないこと。


 取材や勧誘の連絡は、お姉ちゃんのクランが窓口になる。


 そして、溝について何か分かったら、ギルドから連絡が来る。


「最後に一つだけ」


 帰り際、副本部長が言った。


「一ノ瀬様。あの剣は、あまり人前では振らないでいただけると」


「あ、はい。それは大丈夫です。詠唱が恥ずかしいんで、基本振りたくないです」


「……それは、ありがたいです」


 副本部長が、なんとも言えない顔で頷いた。


 たぶん、ギルドの人から「振らないでくれ」と言われた理由と、俺が振りたくない理由が、全然違う。


---


 帰りは、お姉ちゃんと並んで地下鉄に乗った。


「疲れた?」


「ちょっと。でも面白かった。ギルド本部の上の階、初めて入ったし。副本部長の人も『すごい』しか言えてないって言ってたし、大人もそうなんだって思ったら、なんか安心した」


「そう」


「朔」


「ん?」


「ダンジョン、好きだね」


「好きだよ。めちゃくちゃ好き」


 今日、何回目だろう、これを言うのは。


「潜れないのが一番困るって言ったとき、副本部長さん、びっくりしてた」


「え、変だった?」


「いい」


 お姉ちゃんは、少しだけ口の端を上げた。


「さすが私の弟」


 ドヤ顔だった。俺が褒められたときより、よっぽど誇らしそうだった。


 それから、窓の外の暗いトンネルに目をやった。


「有名になると、潜りにくくなる」


「お姉ちゃんも?」


「S級になったとき、どこ行っても見られた。今も」


「そっか。今も、なんだ」


「しばらく我慢」


 それだけ言って、お姉ちゃんは黙った。


 しばらく。


 しばらくって、どれくらいだろう。


 一週間か、一か月か。


 Lv100まで、あと10なのに。


---


 家に帰ると、聖奈がソファから顔を上げた。


「おかえり、有名人!」


「その呼び方やめろ」


「ねえねえ、登録者見た?」


「見た。地下鉄で」


「15万超えたよ、今!」


「また増えてる!」


「私が名前つけたチャンネルだからね!」


「そこは感謝してる」


「もっとして!」


「めちゃくちゃ感謝してます、聖奈様」


 聖奈は得意げに胸を張ってから、スマホに目を戻した。


「あ、あと兄さん!」


「ん?」


「名古屋のD級、全部に出待ちいるって。春日井とか豊田のほうにもいるらしいよ! やばくない?」


「え、全部?」


「全部!」


 聖奈が、画面をこっちに向けた。


 トリッターのタイムラインに、写真が並んでいた。どのダンジョンの前にも、人がいる。ドローンを飛ばしている人もいる。


『ダンジョンさんぽ、今日は来ないのか』


『平日は学校だろ』


『放課後来るかもしれん』


『張り込む』


「張り込むな」


 思わずツッコんでいた。


---


 夜。


 ベッドに寝転がって、天井を見た。


 潜りたい。


 めちゃくちゃ潜りたい。


 今日一日、ギルドで壁の話をして、溝の深さを聞いて、剣の名前を言わされて、スカウトの話を聞いて。


 その間ずっと、頭の片隅で考えていたのは、「早く次のダンジョンに行きたい」だった。


 Lv100まで、あと10。


 次のスキルが、すぐそこにある。


 なのに、名古屋中のD級に、俺を待っている人がいる。


 俺が行けば、囲まれる。


 「ダンジョンさんぽ」が来た、と。


「ん?」


 そこで、引っかかった。


 ダンジョンさんぽ。


 みんなが待っているのは、ダンジョンさんぽだ。


 十五歳で、Dランクで、普通の服を着て、顔にぼかしが入っていて、声は一ノ瀬朔そのままの、あの配信者だ。


 じゃあ。


 ダンジョンさんぽじゃない奴が行ったら?


 体を起こした。


 王になれば、見た目が変わる。髪が伸びて、前髪が目にかかって、右目が黒く、左目が白くなる。


 喋り方も変わる。口調は完全に王のものになる。「〜である」「汝」「我」。一ノ瀬朔の喋り方とは、似ても似つかない。


 そして、黒い外套がある。膝下丈で、フードが深い。顔の上半分は、ほぼ隠れる。


 南陽で遠野先輩を助けた「黒い外套の人」は、世間では正体不明のままだ。ダンジョンさんぽとは、誰も繋げていない。今日だって、遠野先輩本人ですら「気のせい」で流した。


 つまり。


 王の姿で潜れば、誰にも気づかれない。


「いけるじゃん!」


 声が出た。


 王の維持時間は、今のレベルなら2時間半くらいある。放課後に行って、潜って、帰ってくるには十分だ。


 しかも、王ならD級の深い階層でも余裕で戦える。経験値は半分になるが、そのぶん奥の強い奴を倒せば釣り合う。いや、釣り合うどころか、たぶんお釣りが来る。


 平日の放課後。


 出待ちの人たちは、「ダンジョンさんぽ」を待っている。


 その横を、黒い外套の知らない奴が、すっと通り過ぎていく。


「天才か、俺」


 布団の中で、拳を握った。


 詠唱は恥ずかしい。王の口調も恥ずかしい。それは変わらない。


 でも、潜れないよりは、ずっといい。


 それに、正体がバレないなら、恥ずかしさも半分くらいで済む。知らない人に「痛い奴がいる」と思われるだけだ。一ノ瀬朔だとは、誰も思わない。


 思わない、はずだ。


 スマホを手に取って、明日の時間割を確認した。


 6時間目が終わるのは、午後三時半。


 そこから、どこへ行くか。


 Dランクの俺が入れるのは、D級まで。でも、D級は150階層ある。俺がこれまで行ったのは、15階層までだ。


 どうせなら、今まで行けなかった深さまで。


 考えているだけで、顔がにやけてきた。


 明日の放課後が、楽しみで仕方なかった。

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