第29話 D級ダンジョン攻略開始
日曜日、午前10時。
千種ダンジョンのゲートをくぐった。
ドローンは、まだ鞄の中だ。電源も入れていない。
第1階層に降りて、人のいない脇道へ入る。行き止まりまで進んで、後ろを確認した。
誰もいない。
息を吸う。
「——無銘よ、我が手に」
空間が裂けて、黒い粒子が渦を巻く。手の中に、抜き身の刀が収まった。
よし。
これで準備完了だ。
鞄からドローンを出して、電源を入れる。低い音を立てて浮き上がり、俺の斜め前で止まった。レンズのリングが黒く光る。
アプリを開いて、配信開始を押した。
視聴者数、ゼロ。
え、ゼロ?
一瞬、心臓が止まりかけた。先週は400人いたのに。
だが、次の瞬間には数字が跳ねた。
12。40。80。
開始から30秒で、130を超えた。
「おお?」
増え方が、先週と違う。
通知を切っていない人が、これだけいるということだ。
「えー、どうも。ダンジョンさんぽです」
『待ってた』
『きたー』
『先週の人だ』
『ん?』
早い。
もう気づかれた。
『背景ちがくない?』
『これ瑞穂じゃないよな』
『千種だろこれ』
「あ、バレました? そうです、千種です」
俺はカメラのほうを向いた。
「えー、急ですけど。企画、変えます」
『え』
「E級100階層、やめます!」
『ええ』
『まだ25階層だぞ』
『早くない?』
「効率が悪くて」
正直に言った。嘘をつく必要がない部分だ。
「E級の上のほう、雑魚しか出ないんで。レベルがほとんど上がらないんですよ」
『それはそう』
『格下狩っても意味ないもんな』
『で、D級に変えると』
「はい。千種のD級で、同じように150階層やろうかと」
『150!?』
『E級やめてD級150は正気か?』
『難易度上がってるんだが』
分かっている。
だが、D級なら経験値が入る。平日に来たときも、10階層で三つ上がった。
こっちのほうが、圧倒的に速い。
『てか手に持ってるやつ何?』
来た。
思ったより早かったが、来ると分かっていた。
「あ、これですか?」
刀を少し持ち上げた。
黒い刀身が、ドローンのライトを浴びても光らない。
『真っ黒じゃん』
『光反射してなくない?』
『どういう素材だよ』
「スキルです」
『スキル?』
「武器を出すスキルがあって。それで出したやつです」
『武器召喚系か』
『それ珍しいぞ』
『国内で十件もないはず』
藤堂と同じことを言っている人がいる。調べている層は、みんな同じ情報にたどり着くらしい。
『どこから出てくるの?』
「分かりません」
『分からないのかよ』
「呼んだら出てくるんですよ。ほんとに」
嘘は一つもついていない。
本当に分からない。虚空としか言いようがないし、その虚空が何なのかは、この頃の俺しか知らない。
『名前は?』
来た。
ここも、答えは決まっている。
「ないです」
『は?』
『名前ないの?』
「付けてません」
『なんで』
「なんででしょうねえ」
名前を決め忘れたまま三年が経った、とは言えない。
『無銘の刀かよ』
『かっこいいじゃん』
『逆にいいな』
やめてくれ。
山吹と同じことを言うな。
最初のオークが出たのは、五分後だった。
『来たぞ』
『オークだ』
『D級1階層の標準個体な』
オークが棍棒を振り上げる。
半歩下がって、戻り際に斬った。
砂になった。
『は?』
『一撃?』
『オーク一撃はおかしいだろ』
おかしいらしい。
だが、無銘なら一撃で入る。平日に確認済みだ。
「まあ、スキルの武器なので」
『それで説明つくか?』
『つかないだろ』
つかないよな。俺もそう思う。
そこから先は、順調だった。
3階層でオークソルジャーが出た。鎧の継ぎ目に差し込むと、抵抗なく通った。
『鎧貫通した』
『継ぎ目狙ってるな』
『今の判断速いぞ』
『素人の動きじゃない』
コメントの質が、先週と変わっていた。
先週は「速い」「すごい」だったのが、今週は「どこを狙ったか」「なぜその判断か」になっている。
見る側が、増えたんだな。
詳しい人間が混ざっている。
7階層。10階層。
視聴者数、500を超えた。
『500いったぞ』
『先週の倍じゃん』
『掲示板で回ってたからな』
掲示板。
その単語を見て、少し背筋が寒くなった。
俺は見ていない。見ないようにしている。あそこを見に行ったら、たぶん立ち直れない。
12階層。
通路の先に、今までと違うものがいた。
オークより一回り大きい。手には斧を持っていて、肩に金属の板を括りつけている。
『オークキャプテンだ』
『12階層のボス個体』
『これはちょっと硬いぞ』
ボス個体。
審査のときは3階層で終わったので、こいつは初めて見る。
ちょっと、わくわくした。
斧が振り下ろされた。
横へ避ける。風圧が頬を撫でた。
速い。オークソルジャーとは比べ物にならない。
懐に入って、刀を差し込む。
入った。だが、浅い。
金属の板に当たって、刃が滑った。
硬い。
斧が返ってくる。俺は下がりながら、刀を握り直した。
ここで、ようやく理解した。
D級の150階層。
その言葉を、俺は軽く考えていたのかもしれない。




