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第30話 何百人の前で黒歴史を叫ぶ

 硬い。


 だが、硬いだけだ。


 斧の軌道は単純だった。大振りで、戻りが遅い。金属の板も、肩と胸を覆っているだけで、関節は剥き出しになっている。


 二度目の斧をくぐって、膝の裏に刃を入れた。


 体勢が崩れる。


 首へ。


 砂になった。


 『倒した』


 『は?』


 『キャプテン二分かからなかったぞ』


 『普通パーティで10分はかかる』


 そうなのか。


 俺は刀を下ろして、少し息を吐いた。


 正直に言うと、ちょっと楽しかった。オークもオークソルジャーも一撃で終わっていたので、久しぶりに二手以上かかった。


「よし。次、行きます」


 視聴者数、520。


 先週の配信から、少しずつ増えている。掲示板で拡散されたぶんが、そのまま残っているらしい。


 ちなみに今日は、四人とも来ていない。


 三宅は部活で、大沢はバイト。山吹は自分のダンジョンに潜っていて、藤堂は何をしているか知らないが、たぶん課題か何かだろう。


 毎回見られているわけじゃない。それはそうだ。


 むしろ、そのほうが気楽だった。


 この調子なら、今日中に20階層は行けるはずだった。


 15階層。


 広い部屋に出た。


 四方が壁で、奥に下り階段が見える。途中に何もない、ただの通過点みたいな場所だった。


 俺は普通に歩いた。


 何も考えずに、部屋の中央を横切った。


 足が、何かを踏んだ。


 石畳が、沈んだ。


「え!?」


 背後で、重い音がした。


 振り返る。


 入ってきた通路が、消えていた。石の壁が天井から降りてきて、床に噛み合う音がする。


 奥の階段も同じだった。


「いや、まじかよ!」


 走って壁に手をついた。押してみる。びくともしない。


 閉じ込められた。


 『うわ』


 『罠だ』


 『モンスタートラップだこれ』


 『15階層にあるやつな』


 床の紋様が、赤く光り始めた。


 部屋の四隅から、地面が盛り上がる。


 出てきたのは、オークだった。


 一体じゃない。四体。


 いや、八体。十二体。


 まだ増えている。


 床の光が強くなるたびに、新しい個体が湧いてくる。


 『やばいって』


 『これ全部倒さないと出られないやつ』


 『ソロで踏むもんじゃない』


 『誰か知り合い呼べ』


 『切り抜き回してくる』


 視聴者数が、動いた。


 520が、600になった。


 700。850。


 知っている。


 いや、知らなかった。


 俺は、この罠の存在を知らなかった。


 千種のデータは事前に調べた。出現するモンスターも、階層ごとの構造も、全部見た。


 だが、罠の位置までは載っていない。


 載っているわけがない。そういうものは、自分の目で見つけるものだからだ。


 見つける手段なら、あった。


 看破ノ魔眼。罠の位置が分かるやつ。持ってる。俺は持ってる。


 王になってれば見えてた。絶対見えてた。踏むわけなかった。


 なってないけど。


 なれるわけないけど。


 800人。800人が見てる。この状況で名乗れるか? 無理だろ。無理に決まってる。


 くそ。


 くそ、くそ。


 自分のせいだ。分かってる。分かってるけど、それとこれとは別で、腹立つもんは腹立つんだよ。


 最初の三体は、問題なかった。


 踏み込んで、斬る。無銘なら一撃で入る。


 四体目、五体目も同じだった。


 正直に言うと、楽しくなってきていた。


 囲まれているのに、一体ずつ確実に減らせている。全部の動きが見えている。振るたびに手応えがある。


 こういうの、好きなんだよな。


 だが、六体目を斬ったとき、床が光った。


 新しい個体が、四体湧いた。


 『補充されてる』


 『倒すたびに湧くのか』


 『総数が決まってるはずだけど』


 総数。


 この手の罠は、決められた数を倒し切れば終わるはずだ。問題は、その数が分からないことだ。


 十体目。


 十五体目。


 まだ湧く。


 視聴者数を見た。


 1200。


 増えている。


 『拡散されてきた』


 『これライブで見るやつだろ』


 『15階層の罠ソロってマジ?』


 人が、集まってきている。


 こっちは必死なのに、向こうからすれば見世物だ。


 文句を言う筋合いはない。俺が自分で配信すると決めたんだから。


 一体ずつなら、何の問題もない。今の俺なら、オーク程度は一撃で終わる。


 だが、同時に相手をするとなると話が変わる。


 前に三体、右に二体、左に二体。背後にも回り込まれている。


 一か月前と、同じ構図だった。


 あのときも、俺は囲まれた。


 槍を持っていて、一体ずつなら倒せて、それでも数には勝てなかった。


 二十体目を斬ったところで、背中に衝撃を受けた。


 棍棒だった。


 息が、全部抜けた。


 視界が跳ねて、膝が石畳を打つ。


「っ——、が、あ」


 いっ、たぁ……。


 息が入らない。肺が動いていない。


 立て。このままだと死ぬ。


 膝に力を入れた。入った。


「は、はは」


 笑ってしまった。


 何がおかしいんだ、と自分でも思う。背中を殴られて、息もできなくて、囲まれていて、何一ついい状況じゃない。


 それなのに、立てた。


 昨日の俺なら、たぶん立てていない。


 『当たった』


 『まずい』


 『これ本当にまずいって』


 立て直す。刀を振り回して、周囲を薙いだ。


 二体が飛ぶ。空間ができる。


 だが、床がまた光った。


 終わらない。


 倒しても湧いてくる。あと何体いるんだ。


 HPは。


 確認する暇がない。110しかないんだぞ。上位職なら同じレベルで倍はある数字だぞ。さっきの一撃でどれくらい持ってかれた? 三十? 四十?


 分かんない。分かんないけど、あと何発も受けられないのは分かる。


 手が震えてる。


 息が浅い。


 あ。


 これ、一か月前と同じだ。


 一体ずつ倒してるうちに囲まれて、気づいたら壁に叩きつけられてた、あれ。


 嫌だ。


 あれをもう一度は無理だ。肋骨にひびが入って、二十時間帰れなかった。二度とごめんだ。


 まとめて消すしかない。


 手段はある。


 あるのに。


 視界の端で、ドローンが俺を追っていた。


 レンズのリングが、黒く光っている。


 視聴者数、1800。


 増え続けている。


 一か月前、俺は死にかけた。


 あのとき、恥ずかしいとか、そういう感情はどこにもなかった。


 人間、本当に死ぬときは照れない。


 今は、どうだ。


 死ぬほどじゃない。まだ動ける。HPも残ってる。


 つまり。


 まだ、照れる余裕がある。


 最悪だ。


 なんで。なんで今なんだよ。あと一発食らってたら、たぶん何も考えずに叫べてた。中途半端に余裕があるせいで、脳の隅っこが「いやでもさあ」って言ってくる。


 やりたくない。


 聖剣だ。この頃の俺が、聖剣のページの一番上に、一番気合いを入れて書いた一本。


 それを、1800人の前で、真顔で二行叫ぶ。


 無理だろ、それは。


 オークの一体が跳んだ。


 避ける。着地際に、別の一体の棍棒が肩をかすめた。


「っ、つぅ……!」


 痛い。


 いや。


 いや、何やってんだ俺は。


 迷ってる場合か。死ぬぞ。


 恥ずかしいのと死ぬの、どっちがマシか。そんなの考えるまでもないだろ。


 考えるまでもないのに、三秒迷った。


 三秒だ。命がかかってる場面で、恥ずかしさのために三秒使った。


 我ながら、どうかしてる。


 だが、もう決めた。


 俺は息を吸った。


「——集え、光。宿れ、我が刃に」


 自分の声が、石の部屋に響いた。


 言った。


 言っちゃった。


 無銘が、手の中から消える。


 代わりに、白いものが形を作り始めた。


 あ、やめるなら今かも。まだ一行目だし。


 いや、無理だ。今やめたら武器が何もない。


「影も形も残さず、終わらせろ」


 言い切った。


 顔が熱い。戦ってる最中なのに、顔だけが完全に別の理由で燃えてる。


 二行。無銘は一行なのに。


 たった一行増えただけで、体感が三倍になった。


 手の中に、剣が収まる。


 白銀の直剣だった。刀身が長く、まっすぐで、光を吸うのではなく放っている。無銘と正反対の剣だ。


 【天穿ツ光輝】。


 構えた。


 刀身が、鳴った。


 音が、部屋の空気を震わせている。


 光が集まっていく。剣先から溢れて、部屋の暗がりを押しのけて、壁まで届く。オークたちの影が、床に長く伸びた。


 眩しい。自分で持っているのに、正視できない。


 オークが、一斉にこちらを向いた。


 まだ湧いている。壁際で、床の紋様から新しいのが這い出してきている。


 残り六十体。


 いや、まだ増えてる。


 まあ、いい。


 全部だ。


 振った。


 光が、部屋を横切った。


 音はしなかった。


 ただ、白い線が走った。


 線が通った場所から、順に消えていく。前にいた三体も、右の二体も、左の二体も、壁際で這い出しかけていた個体も。


 断たれたのではない。灼かれたのでもない。


 白に触れたものが、そのまま無くなっていた。


 線は壁まで届いて、そこで消えた。


 部屋の光が、ゆっくり消えていく。


 床の紋様が、赤から元の色に戻った。


 塞がっていた壁が、上がっていく音がした。


 終わった。


 俺は、剣を下ろした。


 息が上がっている。背中も痛い。肩もかすられた。


 だが、生きている。


 助かった。


 膝に手をついて、何度も息をした。心臓がまだうるさい。生きてる。ちゃんと生きてる。


 あ。


 そこで、思い出した。


 血の気が、引いた。


 ゆっくり、顔を上げる。


 ドローンが、いた。


 レンズがまっすぐ俺を向いていて、録画中のリングが黒く光っている。


 あー。


 撮られてた。


 当たり前だろ。配信中なんだから。何のために持ってきたと思ってるんだ。


 一行目から。


 二行目まで。


 全部。


 コメント欄が、止まっていた。


 一秒。二秒。


 そして、流れ始めた。


 『は』


 『は?』


 『今の何』


 『待って』


 『待って待って待って』


 『六十体消えたんだが』


 『一振りで?』


 『いやそれより壁』


 『壁見て』


 『は?』


 『傷付いてる』


 『ダンジョンの壁って壊れないよな?』


 『壊れない』


 『壊れないはずなんだが』


 『今の見た人、全員証人になってくれ』


 壁、という単語が何度か流れた気がする。


 だが、俺の目は別のところにあった。


 『聖剣じゃん』


 『詠唱した』


 『「集え、光。宿れ、我が刃に」って言った』


 『言った』


 『確かに言った』


 視聴者数が、跳ねた。


 1800が、3000を超えた。


 4000。5000。


 止まらない。


 朝は520人だった数字が、十倍になっていた。


 俺は、白銀の剣を持ったまま、その場に立ち尽くしていた。


 何か言え。


 何か言わないと。このまま黙ってたら、もっと変なことになる。


 えっと。


 「今のは演出です」? いや誰が信じるんだよ。命かかってたのに演出する余裕あるわけないだろ。


 「そういうスキルなんです」? ……それは本当だ。本当なんだけど、じゃあなんで二行も喋るんだって話になる。


 なんで二行にしたんだ、この頃の俺。一行でよかっただろ。一行で。


 口を開いた。


 何も出てこなかったので、閉じた。


 もう一回開いた。


 また閉じた。


 終わった。


 さっきとは、別の意味で。


 結局、俺が言えたのはこれだけだった。


「きょ、今日は、ここまでにします」


 『え』


 『早くない?』


 『説明』


 『説明して』


 『待って行かないで』


「疲れたんで」


 嘘じゃない。


 背中は痛いし、肩もかすられているし、何より精神的に限界だった。ここにいたら、絶対に余計なことを喋る。


「また来週です。お疲れさまでした」


 配信終了のボタンを押した。


 コメントが最後まで流れていたが、読まなかった。読んだら立ち直れない。


 地上に出たのは、午後三時前だった。


 千種の支店でドロップを換金して、ベンチに座る。


 まずは金額だ。


 オークの牙が七十八本。オークソルジャーの鎧片が二十三枚。あとはキャプテンの斧の破片が一つ。


 トラップ部屋で湧いたぶんが、そのまま乗っている。


 合計、11万4000円。


 おお。


 E級で5時間半潜って4200円だったことを考えると、二十七倍だ。


 半日で11万。


 時給に直すと2万円近い。高校生が稼いでいい額じゃない。


 いや、探索者ってそういう仕事か。


 次はステータスだ。


 画面を開いた。


```

Lv:90

```


「は?」


 思わず声が出た。


 今朝は74だった。


 十六。


 十六も上がっている。半日で。


 E級で25階層潜って二つだったのが、D級の15階層で十六。


 いや、待て。


 あのトラップのせいか。


 部屋に閉じ込められて、九十体近く倒した。しかも湧いてくるやつは、通常個体より明らかに強かった。


 罠は最悪だったが、経験値の効率だけで言えば、あれ以上のものはない。


 むしろ、探しに行きたいまである。


 いや、それは駄目だ。死ぬ。


 数値も確認した。


```

HP:136

MP:79

STR:63

AGI:72

INT:93

LUK:26

```


 全部上がっている。LUKだけ相変わらず伸びが悪いが、それはもう諦めた。


 Lv90。


 Lv100まで、あと10。


 近い。


 次のスキルが、もう目の前にある。


 この調子でD級を潜り続ければ、来週には届くかもしれない。


 俺はスマホをしまって、自転車に向かった。


 背中は痛い。だが、悪くない一日だった。


 今日の配信で何が起きたのか、そのときの俺は、まだ半分も理解していなかった。

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