第28話 D級にステップアップ
月曜日。
六時間目が終わって、教室が一気に騒がしくなった。
「一ノ瀬くん!」
隣から声がかかった。矢野だった。
「今日このあと空いてる? 西野たちとカラオケ行こうって話してて」
「あー」
行きたい。
正直に言って、めちゃくちゃ行きたい。
この前のカラオケは楽しかったし、久住とはあれ以来、妙に話が合う。今日も行けば、たぶん楽しい。
だが。
「ごめん、今日は無理。次は絶対行く」
「えー、なんで?」
「ダンジョン潜るから」
矢野の動きが止まった。
「え、今日? 平日だよ?」
「ダンジョンに平日も休日もないんだよ」
「いや知ってるけど。え、マジで行くの?」
「マジで行く」
行かなければならない。
土曜の配信で、俺はE級を25階層まで進んだ。それでレベルは2つしか上がらなかった。
このままE級を100階層まで行っても、Lv100には届かない。
つまり、格上に行くしかない。
「へえ、真面目だね」
矢野が机に頬杖をついた。
「私は見る専門だからなー。平日に潜るとか考えられない」
「潜れるときに潜っとかないと」
「一ノ瀬くん、結構ガチなんだ」
「ガチではない。ちょいガチくらい」
「ガチでしょ、それは!」
否定したいが、否定できない材料が多すぎる。
「どこ行くの?」
「千種。家から近いんだよ」
「千種?」
矢野が顔を上げた。
「千種ってD級だよね?」
「そうそう」
「えっ、一ノ瀬くんDランクなの?」
あ。
しまった。
言ってしまった。何気なく答えたが、千種はD級だ。つまりDランクでなければ入れない。
「まあ、一応、そういうことになってる」
「一応って?」
矢野が、目を丸くしていた。
「待って待って。Dって、大学生でも早いほうって言われてるやつだよ?」
「そうなの?」
「そうだよ! 私なんて登録もしてないもん」
声がでかい。前の席の堀口が振り返った。
「一ノ瀬D級なの?」
「うそ!?」
周りの奴らまで寄ってきた。やばい、完全に注目の的だ。
「え、すごくない?」
「どうやって上げたの?」
「運がよかったんだよ、たぶん」
運。
LUKは23しかないが、そこは黙っておく。
しばらく質問攻めにされて、なんとか流した。
そして、鞄を持って立ち上がったとき、矢野がぽつりと言った。
「ねえ、一ノ瀬くん」
「ん?」
「もしかして、配信とかやってる?」
心臓が跳ねた。
「な、なんで?」
「いや、平日に一人でD級潜るって、普通に本気の人じゃん!」
矢野が、スマホを弄りながら言った。
「そういう人って、だいたい配信やってるんだよね。記録残したいとかで」
なるほど。
そういう発想か。
あの黒フードやダンジョンさんぽと繋げているわけじゃない。ただ「ガチな探索者は配信をやりがち」という一般論から来ている。
危なかった。
「やってない」
「ほんとに?」
「やってたら教えるって」
嘘をついた。
これで二回目だ。一回目はギルドの職員に、二回目は友達に。
罪悪感がないわけじゃない。
だが、言えるわけがない。矢野は探索者配信を追っている側の人間だ。チャンネル名を教えた瞬間に全部繋がる。
「ふーん」
矢野はそれ以上追及しなかった。
「じゃあ、やるときは教えてよ。絶対見るから!」
「おう。そのときはな」
ちょっとだけ、胸がチクッとした。いつかちゃんと言おう。今じゃないだけだ。
教室を出て、自転車置き場へ向かった。
千種ダンジョンまでは、自転車で15分。
地元だ。
審査のときに一度だけ入ったが、あのときは姉と芝崎さんがいた。一人で入るのは初めてになる。
千種ダンジョンは、平日の夕方でも人がいた。
支店の受付には列ができているし、装備店から出てくる人も多い。学生服の姿もちらほら見える。
その中に混ざって、俺はゲートをくぐった。
配信はしない。
今日は、純粋にレベルを上げに来た。
第1階層。
審査のときに通った道だ。広い通路、高い天井、等間隔の目印の杭。
最初のオークが出てきたのは、五分後だった。
鞄から量産品の鉄剣を抜く。
1万2000円の鉄剣だ。E級では十分だったが、ここではどうか。
オークが棍棒を振り上げて突っ込んでくる。
半歩下がって、戻り際に斬った。
入った。
だが、浅い。
オークがよろけただけで、倒れない。二撃目を入れて、ようやく砂になった。
二撃か。
審査のときは、もっと深く入った。あのときは借り物の鉄剣で、Lv68だった。
今はLv71で、自前の鉄剣だ。むしろ条件はよくなっているはずなのに、浅い。
違いは、装備の質だ。
貸出用の鉄剣は、ギルドが管理している業務用だった。俺が買ったのは、初心者向けの量産品。
つまり、こっちのほうが弱い。
1万2000円をケチった結果だった。
「うわ、ケチるんじゃなかった」
通路に声が響いた。
周りを見る。誰もいない。
ここから先、オークソルジャーが出る階層まで行けば、この剣では確実に通らない。鎧の上から滑るのは、審査のときに経験済みだ。
なら、どうするか。
答えは、最初から決まっている。
俺は通路の奥へ進んで、行き止まりの手前で足を止めた。
人の気配がないことを確認する。
息を吸った。
「——無銘よ、我が手に」
空間が裂けて、黒い粒子が渦を巻く。
手の中に、抜き身の刀が収まった。
光を一切反射しない、真っ黒な刀身。
やっぱり、こっちのほうが落ち着く。
次のオークが出てきたとき、俺は考えるより先に踏み込んでいた。
斬った。
一撃だった。
抵抗が、まったくなかった。
量産品の鉄剣とは、比べ物にならない。
そこから先は、速かった。
3階層でオークソルジャーが出た。鎧の継ぎ目に刃を差し込むと、あっさり通った。
5階層。8階層。10階層。
ステータスを確認する。
Lv:74
三つ上がっていた。
E級で25階層潜って二つだったのが、D級で10階層潜って三つ。
効率が、まるで違う。
これだ。
これを続ければ、Lv100に届く。
問題は、一つだけだった。
次の日曜、俺は配信でE級に潜らなければならない。
『E級100階層踏破』と宣言してしまったからだ。
視聴者は、25階層からの続きを待っている。
いや、待てよ。
配信で、D級に来ればいいんじゃないか?
企画を変えればいい。「E級はやめてD級にします」と言えば、それで済む。
そのためには、無銘を出すことになるが。
俺は刀を見下ろした。
黒い刀身に、自分の顔が映らない。光を反射しないからだ。
まあ。
武器召喚スキル自体は、恥ずかしくない。
恥ずかしいのは、詠唱だけだ。
詠唱さえなければ、何の問題もない。
だが詠唱しないと出ないし、抑えて言っても出ないし、噛んでも出ない。本気で言うしかない。
つまり、配信でこれをやるということは、何百人の前で「無銘よ、我が手に」と真顔で言うということで。
いや。
待て。
俺は、通路の真ん中で立ち止まった。
配信を始める前に、呼んでおけばいいんじゃないか。
ダンジョンに入って、誰もいないところまで進んで、そこで無銘を呼ぶ。それから配信を開始する。
そうすれば、視聴者が見るのは「最初から刀を持っている俺」だ。
詠唱を聞かれることは、ない。
え、それだけ?
俺は、しばらくその場に立っていた。
三十分くらい悩んでいた気がする。ずっと、詠唱をどうやって隠すかを考えていた。
答えは、先に出しておくだけだった。
あまりにも単純すぎて、逆に気づかなかった。
「アホか、俺!」
誰もいない通路で、自分にツッコんだ。声が思ったより響いて、ちょっと笑った。
この頃の俺が壮大な設定を書いたせいで、俺は毎回こういうことに頭を使わされている。
まあ、いい。
方針は決まった。
次の日曜、配信でD級に来る。先に無銘を呼んで、それから配信を開始する。
あとは、聞かれたら全部「スキルです」で押し通す。どこから出したかも「分かりません」でいい。実際、分からないんだから嘘ですらない。
完璧だ。
いや。
完璧じゃないな。
俺は、手の中の刀を見た。
一つだけ、どうにもならない穴がある。
もし配信中に、これが消えたら。
弾き飛ばされたり、手放したり、何かの拍子に解除されたり。そういうことは起こりうる。エンペラーのときは、実際に槍を弾き飛ばされた。
そうなったら、呼び直すしかない。
別の武器を呼ぶ手もある。無銘が消えたからといって、無銘を呼び直す義理はない。
だが、どれを呼ぶにしても詠唱はいる。
しかも無銘の口上は一行で済む。武器の書に載っている中で、これが一番短い。槍は三行あるし、他のも大差ない。
つまり、どう転んでも詠唱は避けられないし、無銘以外を選べば、もっと長く喋ることになる。
つまり。
その瞬間、俺は何百人が見ている前で、真顔でこう言うことになる。
——無銘よ、我が手に。
「うわあ……」
想像した。
想像してしまった。
背筋に、冷たいものが走った。
いや、大丈夫だ。落ち着け。
武器を弾き飛ばされるような相手は、D級の上層には出ない。オークもオークソルジャーも、今の俺なら一撃か二撃で終わる。手放すような状況になんてならない。
ならないはずだ。
たぶん。
俺は刀を握り直して、通路を歩き出した。
考えても仕方がない。
そのときは、そのときだ。




