第26話 チャンネル名だけが決まらない
翌日の日曜、俺は大須にいた。
電気街のほうだ。アーケードを一本入ると、探索者向けの店が並んでいる。武器屋の隣に中古のパーツ屋があって、その向かいに配信機材の専門店がある、みたいな並びになっている。
目的はカメラだった。
店に入って、5秒で後悔した。
多い。
壁一面にドローンが並んでいる。全部似たような形なのに、値札の桁が全然違う。
「何かお探しですか?」
声をかけてきたのは、まだ若い店員だった。二十代半ばくらい。名札に「加賀」とある。
「配信用の、ドローンのカメラを」
「ダンジョン用ですね。予算はどれくらいで?」
予算。
正直に言うと、いくらでも出せる。
だが「いくらでも」と言った瞬間に、高校生が何を言っているんだという顔をされるのは目に見えていた。
「一番安いのって、いくらですか?」
「こちらですね。4万5000円です」
店員が指した棚には、手のひらより少し大きいくらいのドローンが並んでいた。
「入門機です。飛行時間が40分、画質はフルHD。追従はしますが、暗いところだと少しブレます」
「40分?」
「潜るなら、正直に言って足りないです」
「足りないって、どういう……?」
「1階層あたり、どれくらいかかります?」
「20分くらい、ですかね?」
「じゃあ2階層で切れますね」
なるほど。
「途中でバッテリー交換すればいいんじゃ」
「戦闘中に交換できます?」
「無理ですね」
「そういうことです」
加賀さんが、棚の反対側を指した。
「こちらが中位機になります。飛行時間が3時間、4K対応、暗所補正あり。追従もかなり賢いです」
「いくらですか?」
「12万円です」
12万。
480万ある口座からすれば、誤差だ。三宅の言う通り、完全に誤差だった。
「その上もありますよ」
「上?」
「こちらが上位機です。飛行時間8時間、自動障害物回避、被写体ロック、視聴者コメントの読み上げ機能付き」
「い、いくらですか?」
「58万円です」
58万。
高校生の買い物じゃない。
俺は、その場から動けなくなった。
見た目からして違った。中位機より一回り大きくて、表面が艶消しの黒。脚の部分が折りたたみ式になっていて、収納時は手のひらに収まる。
レンズの周りに、細いリングが入っている。電源を入れると、そこが青く光るらしい。
かっこいい。
「試しに飛ばしてみますか?」
加賀さんがそう言った瞬間、もう負けていた。
電源が入る。青いリングが灯る。音はほとんどしない。
浮き上がって、俺の顔の横で止まった。動きに揺れがない。手を伸ばすと、同じ距離を保ったまま横へ滑った。
「被写体ロックです。一度登録すると、走っても追いついてきます」
「走っても?」
「全力で走っても大丈夫ですよ」
だめだ。
「あと、これ」
加賀さんが操作すると、レンズのリングの色が変わった。青から、赤へ。
「録画状態が色で分かります。設定で変えられるので、好きな色にできますよ」
好きな色に。
黒い機体に、好きな色の発光リング。
この頃の俺が聞いたら泣いて喜ぶやつだった。
そして、今の俺も。
「これください!」
「58万のほうですね」
「はい、その黒いやつで」
「バッテリーはどうされます?」
「え、別売りなんですか?」
「本体に一つ付いてますけど、この機種は交換式なので。予備を持っておくと安心ですよ」
「一つ、いくらですか?」
「8000円です」
「二つください」
8時間持つらしいが、それでも100階層を一日で終えるのは無理だ。何日かに分けるにしても、予備があるに越したことはない。
「交換は簡単ですか?」
「ワンタッチです。落として、差して、10秒くらいですね」
「戦闘中は?」
「やめたほうがいいです」
それはそうだ。
言ってから、自分でも少し驚いた。
予算のことを考えていなかった。目立つかどうかも、一瞬だけ頭をよぎって、そのまま消えた。
かっこよかったからだ。
それだけの理由で、58万を出した。
厨二病、本当に卒業できているんだろうか。
「お支払いは」
「カードで」
ギルドカードを出した。残高から引かれる。
480万が、422万になった。
「あの、一ついいですか」
「はい」
「これ、映りたくないときって、どうするんですか?」
店員の手が止まった。
「映りたくない、というのは」
「顔とか。あと、その、見せたくないものとか」
「ああ」
加賀さんは特に不審がらなかった。
「よくある相談ですよ。顔出ししたくない方は多いので」
よかった。
「この機種なら、顔認識で自動的にぼかせます。アングルも指定できますし、腰から下だけ、後ろからだけ、みたいな設定も可能です」
「自動で?」
「はい。登録した顔を追跡して、リアルタイムで処理します。上位機なので精度はかなり高いですよ」
「かなり高い」
「ただ」
「ただ?」
「処理が追いつかないと、一瞬だけ素が映ることがあります」
「追いつかないのって、どういうときですか?」
「急に動いたときですね。たとえば、走りながら振り返るとか」
加賀さんが、申し訳なさそうに続けた。
「戦闘中は、正直に言って保証できません」
なるほど。
完璧ではない、ということだ。
家に帰って、ドローンを開封した。
思ったより小さい。両手に収まるくらいだ。電源を入れると、低い音を立てて浮き上がって、俺の顔の横に定位置を取った。
スマホのアプリと連携させる。ここまでは説明書通りだった。
問題は、次だった。
『チャンネル名を入力してください』
入力欄が、空白のまま光っている。
「名前かあ……」
30分、動けなかった。
いや、大げさじゃない。本当に30分、この画面の前で固まっていた。
理由は分かっている。
俺がこの手のものを考えると、絶対にろくなことにならない。
中学の頃、俺はこの作業を何十回もやった。組織名、武器名、技名、真名。何度も書いては二重線を引いて、書き直して、また引いた。
あのときの俺は、全力でかっこいい名前を考えていた。
そして今、俺はその逆をやらなければならない。
普通の名前をつけなければならない。
試しに、一つ打ってみた。
『朔のダンジョン配信』
ダサい。
いや、ダサくはない。普通だ。普通すぎて、心が何も動かない。
消した。
次に打ったのは、こうだった。
『深淵を覗く者』
3秒で消した。
何を書いているんだ俺は。
名前を変えて三回、消して三回。同じことを繰り返して、気づいたら一時間経っていた。
中学のときと、まったく同じことをしている。
違うのは、当時は書き足していたのに、今は消してばかりだということだけだ。
結局、決め手になったのは妹だった。
部屋の前を通りかかって、ノックもせずに入ってきて、画面を覗き込んできた。
「何やってんの?」
「ノックしろ!」
「したし! あ、配信やるんだ」
「まだ決まってない」
「チャンネル名で詰まってんの?」
「悪いかよ」
「一時間くらい唸ってたよね。壁越しに聞こえてた」
「聞き耳立てるなよ」
聖奈がベッドに腰かけて、スマホを操作し始めた。
「本名は出したくないんだよ」
「へえ、ちゃんと考えてるじゃん」
「当たり前だろ。ネットだぞ」
「じゃあ普通のやつにすれば?」
「その普通が難しいんだよ!」
かっこよくすると中学に戻る。地味にすると心が死ぬ。その中間が、どうしても見つからない。
聖奈は30秒くらい画面を見て、それから顔を上げた。
「じゃあ、ダンジョンさんぽでいいじゃん」
「は?」
「ダンジョンさんぽ。さんぽ、ひらがなで」
「いや……」
「かわいいでしょ!」
「かわいいとかいらないんだよ」
「兄さん」
聖奈が、憐れむような目をした。
「今のSNS知ってる?」
「な、何だよ急に」
「今、何が伸びてるか知ってる?」
言葉に詰まった。
知らない。正直に言うと、まったく知らない。俺が最後にネットの流行を追っていたのは、たぶん中学2年の頃だ。
「ゆるいのが強いんだよ。ガチガチにかっこいいやつは今きつい」
「そうなの?」
「そうなの」
妹が断言した。
「あと、名前がゆるいと、中身とのギャップで伸びる。これ基本」
「基本なのか?」
「基本」
なんだろう。
妹のほうが、俺よりはるかに賢い。
「でも、ダンジョンさんぽって」
「ほかに案ある?」
「ない。ないです」
「じゃあ決まり!」
撃沈だった。
完全な撃沈だった。
俺は無言で『ダンジョンさんぽ』と打ち込んで、登録ボタンを押した。
「あ、あと」
出ていきかけた聖奈が振り返った。
「顔は出さないんだよね?」
「出さない。絶対」
「よかった。兄さんの顔がネットに出回るの嫌だし」
「お前、意外と兄思いだな?」
「違う。私が兄さんの妹だってバレるのが嫌なだけ」
「出ていけ!」
次の週末。
俺は、E級ダンジョンの前に立っていた。
瑞穂区にある、瑞穂ダンジョン。E級、100階層。
Dランクの俺からすれば格下だが、100階層ある。一日では終わらない。
だから、企画にした。
『E級ダンジョン、全100階層踏破してみる』
これなら何回かに分けても話が繋がるし、視聴者も進捗を追える。藤堂に相談したら「悪くない」と言われた。
服装は、いつもの黒い外套ではない。
あれは着られない。あの動画に映ったやつと同じものを着て配信するのは、自分から正体を晒しにいくようなものだ。
代わりに、昨日買った灰色のパーカーを着ている。
顔は、ドローン側で処理する設定にした。自動でぼかしが入る。声は変えていない。そこまでやると、逆に怪しいと思ったからだ。
今日の俺は、王にならない。
ドローンが浮き上がって、斜め前で止まった。レンズのリングが光っている。
色は、黒に設定した。目立たない色にしようと思ったら、結局それが一番かっこよかった。
アプリに『配信を開始しますか』と出る。
指が、少し震えた。
押した。
視聴者数、ゼロ。
当然だ。誰も知らないチャンネルなんだから。
俺は、カメラに向かって口を開いた。
「えー、どうも」
声が硬い。
「ダンジョンさんぽです。今日から配信やります。E級ダンジョンを、100階層まで潜ってみようと思います」
自分でチャンネル名を口に出して、少し死んだ。
視聴者数、1。
増えた。
誰だ、と思ってコメント欄を見た。
『三宅』
『きたあああああ』
こいつ、通知設定してやがる。
ちょっと、嬉しかった。
視聴者数、2。3。
『大沢』が来た。『山吹』も来た。
『藤堂』は来ない。あいつは見ていても書き込まないタイプだ。
身内だけだ。当然だと思う。
Dランクなんて、日本に50万人いる。珍しくもなんともない。真面目に何年か続ければ届く場所だ。
そう思っていた。
視聴者数、4。
知らない名前が入ってきた。
『名無しの探索者』
『は?』
『は?』
「え、何?」
『15歳でDって書いてある』
『誤字だろ』
『Fの間違いじゃね』
コメントが、急に増え始めた。
視聴者数、6。9。14。
『ちょっと待って』
『15歳ってことは登録して1年経ってないよな?』
『F→Eで半年、E→Dで一、2年だぞ』
『最短でも17歳くらいじゃないと届かないはずなんだが』
『しかも毎日潜った場合な。普通は大学入ってからだろ』
あれ。
俺は、スマホの画面を見つめた。
おかしい。
Dランクは50万人いる。珍しくないはずだ。
だが、言われてみれば。
Dランクの知り合いなんて、俺は一人しか知らない。
遠野灯。高校2年生。あの子でも「若いのにすごい」と言われていた。
高校2年で、若いほうだったのか。
俺は、高校1年の四月だ。
『プロフ偽装?』
『さすがに詐称は無理だろ、ギルド連携してんだから』
『じゃあ本物?』
『本物ならちょっとした記録だぞこれ』
記録。
視聴者数、23。
増えている。増え続けている。
やばい。
完全に、読み違えた。
俺は「Dランクなんて誰でもいる」と思っていた。数字だけ見れば、そうだ。
だが、誰も15歳のDを見たことがない。
ドローンのレンズが、俺を追っている。
その向こうで、23人が同じことを考えている。
こいつ、何なんだ、と。
いや、落ち着け。
顔は隠れている。名前も出していない。
ただの「若いDランクの子」で済ませればいい。適当に潜って、適当に終わらせて、明日には忘れられればいい。
そう思いながら、俺はゲートにカードをかざした。
認証音が鳴る。
扉が開いて、俺は一歩踏み出した。
視聴者数、31。




