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第21話 入学式、今日から普通の高校生

 四月八日。入学式。


 制服に袖を通すのは、3年ぶりだった。


 鏡の前でネクタイと格闘していると、廊下から声がした。


「兄さんまだー?」


「待って、今やってるから」


「遅い!」


「うるさいな。ネクタイが言うこと聞かないんだよ」


 ネクタイの結び方は昨日の夜に動画で確認した。したのに、朝になったら綺麗さっぱり忘れていた。


 三回失敗したところで、ドアが開いた。


「貸して」


 聖奈が無言で手を伸ばしてきて、10秒で結んだ。


「お前、なんでできるんだよ」


「バスケ部の先輩の卒業式で覚えた」


「やるじゃん。助かった」


「兄さんは?」


「動画で見た。昨日の夜、ちゃんと」


「見ただけじゃん!」


 ぐうの音も出なかった。


 階段を下りると、リビングで、お姉ちゃんがカメラを構えて待っていた。


「朔。そこ立って」


「いや、撮らなくていいって」


「一生に一度」


「中学のときも撮ったじゃん」


「あれは中学。これは高校」


 理屈になっていない。


 結局、玄関で3枚撮られた。母まで出てきて2枚追加された。父は出勤前にひと言「行ってこい」とだけ言って、家を出ていった。


 この家で一番言葉が少ないのに、一番効く人だと思う。


 高校は、家から自転車で二十分のところにある。


 県立で、生徒数はそこそこ多い。普通科と探索科があって、俺は普通科だ。


 探索者になるつもりなんて、正直なかった。


 ダンジョンなんて名古屋中にあるし、バイト感覚で潜る奴も多い。だが下の階層で稼げる額なんてたかが知れていて、時給で考えたらコンビニのほうがよほどいい。怪我もしないし。


 だから普通科に入った。普通に授業を受けて、普通に友達を作って、週末にちょっと潜る。そういう三年間を想像していた。


 想像していたのは、三週間前の俺だ。


 校門をくぐると、人が多かった。


 同じ制服の新入生が、同じような顔でうろうろしている。親と一緒に来ている子もいる。


 掲示板の前に人だかりができていた。クラス分けだ。


 人をかき分けて、自分の名前を探す。


 一ノ瀬 朔。1年三組。


 知っている名前は、一つもなかった。


 当然だ。中学の四人は、全員バラバラの高校に行った。大沢は隣の市の私立、山吹は探索科のある学校、三宅は推薦でスポーツの強いところ、藤堂は県内でも上のほうの進学校。


 あいつらと同じ学校に行けていたら、たぶん今日は楽だった。


 だが、これでよかったのかもしれないとも思う。


 あの四人は、俺の職業を知っている。世界初の【厨二病】であることも、中学の頃に何をやっていたかも、全部知っている。


 この学校には、誰もいない。


 つまり、ゼロから始められるということだ。


 入学式は、想像通りだった。


 校長の話が長く、来賓の話も長く、新入生代表の挨拶だけが短かった。体育館は寒く、椅子は硬く、隣の席の奴が三回あくびをした。


 式が終わって、教室に移動する。


 1年三組。窓側の後ろから二番目が、俺の席だった。悪くない。


 担任は三十代くらいの女性で、板書の字が異様に綺麗だった。


「それじゃ、自己紹介いこっか! 名前と、あと一言なんか」


 来た。


 名前と一言。職業を言う流れにはならない。普通科だからだ。


 そもそもこの世界では、探索者登録している高校生なんて珍しくもない。バイトしてる奴と同じ扱いだ。


 それでも、心臓は鳴っていた。


 名前だ。


 先週、ローカルニュースで「市内在住の15歳の少年」が報じられた。名前は出なかった。だが、ギルドの公式サイトには職業の登録者情報が載っている。


 一ノ瀬朔という名前で、誰かが検索したら。


 順番が回ってきた。


 立ち上がる。


「一ノ瀬朔です。千種区から来ました。三年間よろしくお願いします」


 座った。


 何も起きなかった。名前で反応した奴もいない。


 拍手が起きて、次の人が立ち上がって、普通に進んでいった。


 ニュースなんて数日で流れる。世間はもう別の話題に移っている。名前を聞いて「あれ?」と思う人間はいても、確信までは至らない。


 至らないはずだ。


 自己紹介が全員分終わる頃には、俺の心拍数も戻っていた。


 そして、ここからが本番だった。


 俺は今日から、普通の高校生になる。


 そのためには、まず友達だ。


 中学のときは、気づいたら大沢たちがいた。三年間ずっと同じクラスで、勝手に居場所ができていた。だが今日は誰もいない。放っておいたら、誰とも喋らないまま3年が終わる。


 そんなのは嫌だった。


 教科書の配布が始まって、教室がざわついた。


 ここだ、と思った。


 まず、前の席の男子に話しかけた。


「これ、後ろまで回すやつ?」


「あ、はい。たぶん」


「敬語じゃなくていいよ、同い年だし」


「……あ、うん」


 名前は堀口と言った。中学は東区のほうらしい。少し緊張しているのが分かったので、俺のほうから当たり障りのない話を振った。部活どうするとか、通学どのくらいかかるとか。


 次に、教科書の山を運んでいる女子を手伝った。


「それ、持つよ」


「え、いいの?」


「重いだろ?」


 名前を聞いて、覚えた。


 そのあとも、後ろの席、斜め前、廊下側の奴。配布の隙を縫って、片っ端から話しかけた。


 自分でも少し必死だと思う。


 だが、必死でいいと思った。中学の三年間を、俺は半分くらい黒歴史に使ってしまった。それはそれで楽しかったが、二度目は要らない。


 今度は、ちゃんとやる。


 一番話が続いたのが、隣の席だった。


「ねえねえ一ノ瀬くん、さっきからずーっと喋ってるよね?」


 小柄で、表情がころころ変わる子だった。髪は肩くらい。自己紹介では、矢野るい、と名乗っていた。


「うるさかった?」


「ううん! すごいなーって。もう何人いった?」


「え、数えてなかった。数えるもん?」


「数えてよ! そういうのは数えるやつでしょ」


「じゃあ……五人くらい?」


「多っ!」


 矢野が身を乗り出してきた。近い。


「なんでそんな行けるの? 私さっきからスマホ見てるだけなんだけど」


「友達作りたくて。こういうのは初日が勝負だろ」


「ストレート!」


 矢野が笑った。声がでかい。前の席の堀口が振り返った。


「私も作りたいんだって。中学の子、誰もいないんだよねこのクラス」


「一緒だ!」


「じゃあもう友達ね。決定!」


 早い。


「るいでいいよ。友達にはるいっちって呼ばれてる」


「じゃあ矢野で」


「なんでだよ!」


 行事の説明が始まって、少し静かになる。


 そのあいだに、矢野が小声で聞いてきた。


「一ノ瀬くん、探索者登録してる?」


 心臓が跳ねた。


「う、うん。まあね」


「お、じゃあ潜ってる?」


「たまにね。ほんとにたまに」


「どこ?」


「金ダンとか」


 嘘はついていない。閉鎖中だが。


「あーF級のね。正直バイトのほうが稼げるって言うよね」


「それな」


「でしょ?」


 口座に500万入っていることは、黙っておいた。


 矢野は満足そうに頷いて、スマホの画面をぐいと見せてきた。


「私さ、見るほう専門なの。配信」


 画面に、見覚えのあるサムネイルが並んでいた。


 ステラリオン。遠野灯。そして、黒い外套の切り抜き。


 全身から汗が引いた。


「これ知ってる? 今めっちゃバズってるやつ!」


「あー、うん。ちょっとだけ」


「ちょっとだけ!? 嘘でしょ、見てないの?」


「見た、見たけど」


「じゃあここ、ここ見て!」


 再生された。音量が大きい。


『——汝の終わりは、今日ではない』


 教室に、自分の声が流れた。


 やめてくれ。ここ、教室だぞ。


「ねえかっこよくない? 名乗るほどの者ではない、だよ? 言ってみたいわこんなの」


「そ、そうかな。台詞、ちょっと古くない?」


「絶対さー、何者かだよこの人。普通じゃないもん!」


「通りすがりの、ただの人かもね」


「かもね、じゃないって。こんなの誰かは分かってるはずでしょ普通!」


 分かっている人間が、今、真横で汗をかいていた。


 矢野は一切気づいていなかった。


 初日は、昼前に終わった。


 教科書を配られて、行事の説明を受けて、解散。明日から通常授業らしい。


 連絡先は、五人ぶん増えていた。矢野と、堀口と、教科書を運んだ子と、後ろの席の二人。


 初日としては、上出来だ。


 帰ろうとして、矢野と一緒に廊下に出たところだった。


 人だかりができていた。


 新入生じゃない。上級生が三人、歩いているだけだ。だがその周りに人が集まって、遠巻きにスマホを構えている奴までいる。


「え」


 隣で、矢野が固まった。


「えっ、えっ、うそ!?」


「どうした?」


「ステラリオン!」


 スマホを落としかけて、慌てて掴み直していた。


「ステラリオンだ、いる、本物だ!」


「声、声でかいって」


「だってステラリオンだよ!? ねえ知ってる? この学校に三人いるって噂あったの、本当だったんだ」


 俺は知らなかった。


 この学校を選んだとき、そんなことは一切調べていない。家から近くて、普通科があって、制服が変じゃない。選んだ理由はそれだけだった。


 そして、俺も固まっていた。


 矢野とは別の理由で。


 三人のうちの一人に、見覚えがあったからだ。


 いや、見覚えがあるどころじゃない。


 おととい、俺が助けた子だった。


 遠野灯。


 制服を着ている。当たり前だ。高校生なんだから。


 いや、当たり前じゃない。


 なんでこの学校にいるんだ。


「やばいやばい、写真撮っていいのかな?」


「やめとけって」


「だよね、やめとく。えー、でも本物だ……」


 矢野が興奮している横で、俺は静かに壁際へ寄った。


 顔は見られていない。あのとき、フードで隠れていた。声も違う。バレる要素はない。


 ないはずだ。


 三人が、すぐ横を通り過ぎた。


 遠野灯は、前を向いて歩いていた。こっちなんて見ていない。当然だ。


 通り過ぎたあと、俺は息を吐いた。


 背中に汗をかいていた。


「ねえ見た? 遠野灯ちゃん、ほんとに小っちゃかった!」


「あー、うん」


「え、一ノ瀬くんテンション低くない?」


「いや、そんなことは」


「もっと喜ぼうよ。同じ学校だよ!?」


 喜べない理由が、俺には山ほどあった。


 まずい。


 これから三年間、この学校で、あの子と同じ校舎にいることになる。


 しかもあの子は、黒い外套の誰かにお礼を言いたいと思っている。配信で本人がそう言っていた。


 探されている。


 同じ建物の中で。


 俺は自転車置き場まで無言で歩いて、鍵を回しながら、心の底から思った。


 普通の高校生になるって、どうしてこんなに難しいんだ。

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