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閑話 宇宙の外側から十二人が見ている

 宇宙の外側に、星がいくつも浮かんでいる。


 どの宇宙の地図にも載っていない。どの神々の記録にも残っていない。そもそも「外側」という言葉が正しいのかどうかも怪しい場所に、それらは並んでいる。


 全て、王がどこかの宇宙から引っ張ってきたものだ。気に入った星を、気に入ったから持ってきた。理由はそれだけで、それ以上の理由を誰も必要としなかった。


 王と十二人の幹部が一つずつ星を持ち、それぞれの部下たちがそこで暮らしている。


 その中の一つ、王の惑星。


 その中心に建つ城の、一番広い広間。天井は高すぎて見えず、床は磨かれすぎて星空が映り込んでいる。本来であれば王が座るはずの玉座は、今は空席のままだ。


 その玉座の前に、巨大な画面が浮かんでいた。


 画面の縁は歯車でできている。大小無数の歯車が、互いに噛み合いながら静かに回り続けていて、その中央に、名古屋市千種区の住宅街にある、ごく普通の一軒家の二階の、ごく普通の部屋が映っていた。


 ベッドの上で、少年がうつ伏せに倒れている。


「……動きませんな」


 白髪の老執事が、紅茶を注ぎながら言った。


 テホム・ラバ第二席、ヴィルヘルム・フォン・アッシェンバッハ。背筋の伸びた長身に、一分の隙もない燕尾服。注ぐ手元から糸が一本伸びて、隣のカップを音もなく所定の位置へ滑らせていく。


「妹君の『強い黒歴史になれるといいね』が、よほど効いたのでしょう。ふぉっふぉ」


「笑い事ではありませんよ、ヴィルヘルム」


 答えたのは、黒い礼服の青年だった。第一席、ヴィーラ・アルケー・プロトゴノス。金の瞳を画面に向けたまま、柔らかく眉を下げている。


「王がああして落ち込んでおられるのに」


「そう仰るヴィーラ様も、先ほど少し笑っておられましたが」


「……笑っていません」


「左様でございますか」


 ヴィルヘルムは何も言わずに、ヴィーラの前にもカップを置いた。


 広間には十二の席がある。


 その全てが、今日は埋まっていた。


---


「のう、これ、どうなっておるのじゃ」


 和服とゴスロリを混ぜたような白黒の服の少女が、画面の縁の歯車を指でつついた。第三席、ティアマト・レリクタ・アビュッソス。灰色の長い髪は、今日は双子の手で左右非対称の三つ編みにされている。


「主様の姿がこんなにはっきり見えるのは良いのじゃが、何で動いておるのか分からんのじゃ」


「……分からない」


 答えたのは、画面の横に立つ自動人形だった。


 第十二席、デウス・エクス・マキナ。球体関節の少女の姿で、背中に巨大なゼンマイ、胸の奥では歯車が透けて回っている。背の機械の翅が、ときどき小さく開いては閉じる。


「作った本人が分からんのか」


「……機械を創造し、操る。そう書いてある。だから、作れた」


「仕組みは」


「……後で、書く」


「誰がじゃ」


「……王が」


 ティアマトは歯車から指を離し、ゆっくりと振り返った。


 広間の隅で、四本腕の巨漢が、画面の裏側に回り込んだまま動かなくなっていた。


 第六席、トヴァシュトリ・オピフェクス・アエテルヌス。全身の火傷の痕と、片方だけの目。この装置が組み上がってから、彼はもう三日、裏側を覗き込み続けている。


「……トヴァシュトリ殿、何か分かったかの」


 返事はなかった。


 ただ、四本の腕のうち二本で頭を抱えているのが見えた。


「分からんのじゃな」


「……繋がっていない」


 低い声が、ようやく返ってきた。


 歯車は回っている。だが、どの歯車も、何にも繋がっていない。繋がっていないのに、回っている。


「……それは、困るのかの?」


「困る」


 トヴァシュトリは、それきりまた黙った。


 職人としての何かが、深く傷ついているようだった。


「仕方ありませんわ」


 眼鏡を指で押し上げながら、背の高い女性が言った。第十席、アカシャ・ノン・スクリプタ。膝の上には分厚い帳面が開かれていて、ペン先が一瞬も止まらずに動き続けている。


「アカシックレコードは、王を記録できません。閲覧しても、王の頁だけが白紙です。ですから、王を観測する手段は、この仕組みの分からない装置しかないのです。記録する者として大変に遺憾ですが、背に腹は代えられません」


「アカシャ、今日も書いておるのか」


「当然です。観察日記は本日で三百十二冊目になります」


「……王が目覚めてから、まだ一か月も経っておらんのじゃが」


「一日十冊ですので、計算は合っています」


 ティアマトは何も言わずに前を向いた。


---


 王が目覚めた日のことは、全員がはっきり覚えている。


 正確に言えば、あの日に全員が「在る」ことになった。


 宇宙の外側で、長い、長い時間を過ごしてきた。何兆もの時間軸を王と共に見届けてきた。その記憶は、確かにある。だが、それと同じくらい確かな感覚として、あの春の日の夜、一冊のノートが開かれた瞬間に、自分たちの全てが始まった気もしている。


 どちらが本当なのか、誰も口にはしない。


 少なくとも、あの夜から、王がどこにいるのかは分かるようになった。


「では、本日も振り返りをいたしましょうか」


 ヴィルヘルムがカップを置くと、画面が切り替わった。


 映ったのは、春休みの夜の、同じ部屋だった。


 少年が、学習机の前で、真っ黒に塗りつぶされたノートを握りしめている。


 そして、ひどく小さな声で言った。


『……われが、なは、かおす・てろす・くるぬぎあす』


 広間が、静まり返った。


 何度見ても、ここで静まり返る。


『我が名はカオス・テロス・クルヌ……クルヌギ、アス』


「噛んだのじゃあああああ!」


 ティアマトが椅子の上で転げ回った。


「主様が! 真名を! 噛んだのじゃ! 何度見ても噛んでおる!」


「ティアマト、静かに」


「ヴィーラ、お主も口元が緩んでおるではないか!」


「緩んでいません。これは、その、王のお可愛らしさに対する敬意です」


「同じことじゃろ」


 その横で、黒髪と白髪の双子が、鏡合わせのように同時に肩を震わせていた。


 第十一席、ノクス・ヤヌア・ゲミナと、ルクス・ヤヌア・ゲミナ。黒髪に白い瞳の姉がノクス、白髪に黒い瞳の妹がルクスだ。


「ティアちゃん、それ昨日も言ってた」


 ノクスが、ティアマトの皿から焼き菓子をひょいとつまんだ。


「一昨日も言ってた」


 ルクスが、自分の皿の焼き菓子をティアマトの皿に置いた。姉が取った分を、ちょうど埋める位置に。


「半分こ龍は記憶も半分こなの?」


「半分こなのは色だけじゃ! いい加減その呼び方をやめい!」


「じゃあ全部こ龍?」


「全部こって何じゃ!」


 双子が声を揃えて笑った。ティアマトは顔を真っ赤にして、隣に座る男の袖を引っ張った。


「レオン! 何とか言うのじゃ!」


「……んー」


 第四席、レオンハルト・アケーディア・インモータ。無精髭に半目、よれたシャツ。椅子というより、椅子の形をしたものに体を預けて溶けていた。


「いいんじゃねえの。噛むくらい」


「良くないのじゃ! 真名じゃぞ!」


「長えもん、あの名前。俺だって噛むわ」


「お主は自分の名前すら略しておるではないか!」


「そうそう。長いのは面倒だろ。王もたぶん、そう思ってんだよ」


 煙草の煙が、ゆっくりと天井へ昇っていった。ヴィルヘルムが一瞥すると、煙は糸に絡め取られて音もなく消えた。


「……おっさん、今の見た?」


「見てねえ」


 双子が顔を見合わせて、また笑った。


---


「しかし、興味深い現象です」


 アカシャのペンが、さらに速くなった。


「恥じらいを覚えると、王の力が弱まる。真顔で唱えれば、戻る。『(笑)』のテンションで唱えれば、何も起きない。つまり、王の力は王ご自身の確信の強度に比例している。これは記録上、どの神にも見られなかった性質で――」


「ねえ」


 派手な髪色の少女が、盛った爪で机を叩いた。第七席、七瀬喜七奈。耳とへそで小さなピアスが光っている。


「アカシャっち、それ要するに、王サマ照れ屋ってことっしょ?」


「……身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますね」


「かわいー」


「その一言で片付けないでいただけますか。私の三百十二冊が」


「えー、でもウチ的にはそれが一番大事だと思うけどなー」


 喜七奈は画面を見上げて、頬杖をついた。


「てか王サマ、昔はあんなに照れてなかったじゃん。何兆年も何も気にしてなかったのに、人間になった途端これだよ? ウチ、王サマのこういうとこ初めて見たんだけど」


「……それは、私もです」


 ヴィーラが静かに言った。


「王が何かを恥ずかしがるところなど、最初の時間軸から今に至るまで、一度も」


 少しだけ間があった。


「……良いものですね」


「でしょ?」


 喜七奈は、なぜか得意げだった。


---


 画面が切り替わる。


 薄暗いダンジョンの奥。F級の金山ダンジョン、1階層の隠し通路の先。


 数えきれないゴブリンの群れの中心で、王冠を被った巨大な個体が、棍棒を振り上げていた。


 その前に、ボロボロになった少年が立っている。


 広間の空気が、変わった。


 さっきまで笑っていたティアマトが、無言で膝を抱えた。双子も喋らない。レオンハルトの半目が、ほんの少しだけ開いた。


 ここは、何度見ても誰も笑わない。


『……は、は』


 画面の中で、血まみれの少年が、口の端を上げた。


 肋骨に二本ひびが入っている。腕も折れかけている。それなのに、笑っていた。


「――いい顔だ」


 赤い髪の女が、椅子から身を乗り出していた。


 第九席、イグニア・テルミナ。スカジャンの袖をまくった腕は傷跡だらけで、今にも画面の中に飛び込みそうな勢いで前のめりになっている。


「見ろよ、あの顔。死にかけてんのに笑ってやがる。あれだよ、あれ。俺が惚れたのはあの顔なんだよ」


「イグニア、座りなさい」


「座ってられるか! なあヴィルヘルム、今からでもあそこ行けねえのか。あのデカいの、俺が三秒で――」


「なりません」


 ヴィルヘルムの声は、いつもと変わらず穏やかだった。


 だが、イグニアは口をつぐんだ。


「我々は、まだ呼ばれておりません。王のお許しなく、あちらの宇宙へ手を出すことはできませんし、してはなりません」


「……分かってるよ」


「あの日、わたくしも行こうといたしました」


 広間が、少し静かになった。


「糸を一本、伸ばしかけたのです。ですが、届きませんでした。届かなくて良かったと、今は思っております。王は、ご自分の足で立っておられた」


 ヴィルヘルムは、画面の中の少年に目を向けた。


「――左様でございましょう、皆様」


 誰も、何も言わなかった。


 イグニアは、どさりと椅子に座り直した。腕を組み、画面を睨んだまま、小さく呟く。


「……あそこで呼んでくれりゃ、良かったのに」


「王は、我々を呼べることをまだご存知ないのです」


 ヴィーラが言った。


「それに、まだ呼べる段階でもない。力の解放が、そこまで進んでいませんから」


「分かってるって。言ってみただけだ」


 画面の中で、王冠のゴブリンが崩れ落ちた。


 少年は、その場に座り込んで、長い息を吐いていた。


「……20時間じゃったの」


 ティアマトが、膝を抱えたまま小さく言った。


「主様、20時間も帰ってこなかったのじゃ。姉君が、あんなに心配しておった」


「あの姉君、強いよね」


「すごく強いよね」


 双子が、珍しく茶化さずに頷いた。


---


「その姉君について、なのですが」


 ヴィルヘルムが、新しい茶葉の缶を開けながら言った。


「我々として、今後どのように接するべきか、そろそろ定めておくべきかと存じます」


「どのようにって」


「王の姉君でございます。最上級の礼をもって遇するのは当然として、問題は、王の妹君です」


「妹君がどうしたのじゃ」


「妹君は、王の現在のお姿を『キモい』と仰います」


 広間がざわついた。


「……しかし、王が普通のお姿のときは、普通にお慕いしておられる。王もまた、妹君を大切に思っておられる」


「つまり?」


「つまり、我々が召喚されたとき、妹君の前でどう振る舞うべきか、という問題でございます」


 ヴィルヘルムは、全員の顔を見渡した。


「我々の存在そのものが、王の、その、黒い歴史でございますので」


 沈黙が落ちた。


 全員が、なんとなく自分の服装を見下ろした。


 ヴィーラは黒い礼服と短いマントを。ティアマトは白黒に分かれた和服を。喜七奈は盛った爪を。イグニアは背中に龍が刺繍されたスカジャンを。


「……妾たち、キモいのか?」


「キモくないよ!」


「ティアちゃんはかわいいよ!」


「本当か!?」


「半分こだけど!」


「そこは要らんのじゃ!」


「妹君の件は、召喚が決まってから改めて考えましょう」


 ヴィーラが、少し疲れた顔で話をまとめた。


---


 画面が、また切り替わった。


 ダンジョンの浅い層。泣きそうな顔で罠に足を取られた少女と、そこへ飛び込む黒い外套。


 遠野灯を助けた日だ。


『――下がっていろ』


 少年の声が、ひどく低く響く。


『――我が背に、何人たりとも至らせぬ』


「おおお……」


 ヴィーラが、両手で顔を覆った。


「何度見ても……何度見ても素晴らしい……。王が、人を守るために名乗られた……」


「え、待って。女の子助けてんじゃん」


 喜七奈が、身を乗り出した。


「王サマ、女の子助けてんじゃん」


「助けておるのう」


「『汝の終わりは、今日ではない』って言ってんじゃん」


「言っておるのう」


「えーーー、何それ。ずるくない? ウチも言われたいんだけど」


「俺は守られるより、隣で戦いてえな」


 イグニアが即座に言った。


「で、終わったら結婚してくれって言う」


「イグニア、それ毎回言っておるのう」


「言うだろ。まだ返事もらってねえし」


 照れも迷いもない顔だった。この女には、駆け引きという概念がない。


「妾も言われたいのじゃ。『下がっていろ』って言われたいのじゃ」


「ティアちゃんは下がってても前に出てくるじゃん」


「出てくるじゃん」


「うるさいのじゃ!」


「……ずるい」


 ポテトを咥えたまま、アザトースがぽつりと言った。


「……わたしも、庇われたい」


「アザトース殿は、全次元で五本の指に入るのじゃぞ。庇う必要がどこにある」


「……ある。王に庇われるのは、別」


「私も異論はありません」


 アカシャのペンが、ぴたりと止まっていた。


「王が他者を庇う瞬間の観測は、人間になられてからこれが初めてです。つまり、王の背に入れていただける対象は、現状、極めて限られているのです。極めて。私も、観測対象としてではなく、その、背の内側から観測したいと」


「アカシャっち、早口になってる」


「なっていません」


「なってるって」


「ぼくは王のお嫁さんになるからいいもん」


 ノクスが、胸を張った。


「ぼくもなるよ」


 ルクスが、当然のように手を挙げた。


「二人ともなるの?」


「なるよ。半分こするの」


「王を半分こするでない!」


 ティアマトが叫んだ。


 その横で、デウス・エクス・マキナの胸の歯車が、ほんの少しだけ速く回った。


「……マキナ殿?」


「……わたしの記述」


 機械の翅が、小さく鳴る。


「……能力の詳細は、後で書く、になっている。召喚条件も、まだ書かれていない。性格の欄も、空白」


「うむ」


「……でも、『王のことが好き』は、書いてある」


「そこは書いてあるのか!」


「……いちばん上に。丁寧な字で」


 広間が、一瞬だけ静かになった。


 レオンハルトが、煙草を咥えたまま天井を見上げた。


「……なあ。前から思ってたんだけどよ」


「何じゃ」


「なんでうちの女連中って、全員王に惚れてんだ」


 一拍おいて、ヴィーラが柔らかく微笑んだ。


「王ですから」


「……そういうもんか」


「そういうものです」


 レオンハルトは、それ以上考えるのが面倒になったらしく、また椅子に溶けた。


 そのとき。


 ヴィーラの隣で、ずっと目を閉じて座っていた男が、ゆっくりと口を開いた。


 背に六枚の翼。頭上に左右へ分かれて重なる光輪。第八席、アダム・オリゴ・ミュトス。


『――我を呼べ』


 雷鳴のような声だった。


『王よ、雷霆の主たる我を、真っ先に呼ぶがよい。あのような小娘、我が妻に――』


 アダムの右手が、自分の口を塞いだ。


 しばらく、そのままの姿勢で固まっていた。


 やがて、手を離す。


「……失礼しました。今のは、私ではありません」


「知っておる」


「知ってる」


「毎回それだよね」


 アダムは深く息を吐いた。


「あの系統は、切り離したつもりだったのですが。女性が映ると、どうしても」


「大変ですな」


「大変です」


 ヴィルヘルムが差し出したカップを、アダムは両手で受け取った。


---


「それでさ」


 喜七奈が、爪で机を叩いた。


「そろそろ本題いこ。誰が最初に呼ばれんの?」


 広間の空気が、また変わった。


 今度は、ぴりっとした方向に。


「決まっておる」


 ティアマトが、椅子の上に立ち上がった。


「妾じゃ。主様に最初に拾われたのは、妾じゃからの」


「最初に仕えたのは私ですが」


 ヴィーラが、にこやかに言った。


「王が最初に迎え入れてくださったのは、私です」


「迎え入れられたのはそうじゃが、拾いに来てくださったのは妾が先じゃ!」


「拾う、迎え入れる、という言葉の順序の問題になりますね」


「言葉遊びをするでない!」


「俺だろ」


 イグニアが、指を鳴らした。


「王は今、強い奴と戦いたがってる。見てりゃ分かる。ダンジョン潜ってるときの顔、完全に俺と同じだもんな。だったら一緒に戦える奴を呼ぶのが一番だろ」


「イグニア様を呼んだら、ダンジョンが一つ無くなります」


「無くならねえよ。たぶん」


「たぶん、では困ります」


「ウチはさー」


 喜七奈が、頬杖をついたまま言った。


「分かんないんだよね。誰が最初か」


「お主、確率が見えるのではなかったか」


「見えるよ? でも王サマのことだけは見えないの。昔からずっと」


 少しだけ、笑った。


「だからウチ、この話めっちゃ好き。結果が見えないから」


「私は」


 アカシャが、眼鏡を押し上げた。


「順番にはこだわりません。ただ、召喚された暁には、王ノ書の原本を拝見させていただきたいのです」


「原本?」


「はい。アカシックレコードは王を記録できません。この世界で、王について書かれた記録は、あの一冊しか存在しないのです。消しゴムの跡も、二重線の書き直しも、全て一次資料です。真名の変遷だけでも論文が十本は書けます」


「……アカシャっち、それ王サマに頼んだら、たぶん泣かれるよ」


「なぜですか」


「なぜって……」


 喜七奈は、画面の中の少年を見た。ノートを抱えてベッドで悶えていた、あの夜の姿を思い出したらしい。


「……いや、いいや。頼んでみな」


 レオンハルトは、椅子に溶けたまま片手を上げた。


「俺は最後でいい」


「なぜじゃ」


「呼ばれたら動かなきゃなんねえだろ。面倒くせえ」


「レオンは本当にやる気がないのう……」


「その代わり、呼ばれたら一発で終わらせてやるよ」


 あくびが一つ、続いた。


 その隣で、猫耳のついたパーカーのフードを被った少女が、ポテトを一本咥えたまま、静かに手を挙げていた。


 第五席、アザトース・ドルミエンス・ケントルム。


「……アザトース殿?」


「……わたしも、呼ばれたい」


「おお」


「……向こうの世界、ハンバーガーの種類が、多い」


「そっちか」


「……あと、王の近くで、観察したい」


「本音はどっちじゃ」


「……両方」


 アザトースは、ポテトをもう一本咥えた。ヴィルヘルムがさりげなく皿を下げようとすると、無言でその皿を抱え込んだ。


「アザトース様、そちらのお席でお菓子は」


「……許して」


「本日だけですよ」


「……ん」


「ぼくらはね」


「どこでも連れてけるよ」


 双子が、声を揃えた。


「王の近くに、みんなまとめて運べる」


「吸って、出すだけだから」


「それに、向こうの世界っておいしそうなものいっぱいあるし。全部吸いたい」


 ノクスが、目を輝かせた。


「吸ったのはぼくが出すから、みんなに配るね」


 ルクスが、当然のように続けた。


「一番便利だよ」


「一番最初に呼ぶべきだよ」


「お主らが一番最初に呼ばれたら、妾をいじりながら来るじゃろ!」


「うん」


「うん」


「否定せんか!」


 トヴァシュトリは、画面の裏から顔を出さなかった。


 ただ、広間の床に、新しい刀が一振り、そっと置かれていた。いつの間に打ったのかも分からない。刀身は、画面の中の少年が使っている黒い刀――無銘に、よく似ていた。


「……トヴァシュトリ殿、それは」


「……軽すぎる」


 低い声が、裏側から聞こえた。


 それが、王が今使っている刀についての言葉なのだと、全員が遅れて理解した。


「……召喚されたら、それを献上するのですか」


「する」


「順番は」


「どうでもいい」


 それだけ言って、トヴァシュトリはまた装置の裏に戻っていった。


 デウス・エクス・マキナは、何も言わずに画面の横に立ち続けていた。


「マキナ殿はどうなのじゃ?」


「……わたしの召喚条件は」


 機械の翅が、小さく鳴った。


「……まだ、書かれていない」


「……そうか」


「……だから、待つ」


 ティアマトは少しだけ黙って、それから、自分の皿の上の菓子を一つ、マキナのほうへ押しやった。マキナはそれをじっと見ていたが、やがて、歯車の音をさせながら手に取った。


---


「皆様」


 ヴィルヘルムが、手を一度叩いた。


 それだけで、広間が静まった。


「ここで一つ、アカシャ様からご報告があるそうです」


「ええ」


 アカシャが、帳面を閉じて立ち上がった。


「先日、王が【書ノ保管】を解放されたことは、皆様ご存知かと思います。王が書き記した全ての記録が、自動的に虚空へ保管される力です」


「おう」


「その虚空は、王の側にあります。そして私は、半分ほど王の側におりますので」


 眼鏡が、光った。


「保管された王ノ書の写しを、閲覧することができました」


 広間が、どよめいた。


「まじで!?」


「で、どうなんだよ! 召喚の順番、書いてあったか!?」


「幹部を呼ぶ技は、確かに記載されていました」


 アカシャは、帳面をめくった。


「【我ガ呼ビ声ニ、深淵ハ応エル】。幹部を召喚する。そして、その下に」


 全員が、息を呑んだ。


「――『※順番は後で決める』と」


 沈黙。


 長い、長い沈黙。


「後で」


「後で決めるのじゃと?」


「後で決めるって書いてあんのかよ!」


「はい。二重線もありません。本当に、後で決めるつもりだったようです」


「そして、その後は」


「決めておられません」


 ヴィーラが、両手で顔を覆った。


 ティアマトが、椅子から転げ落ちた。


 イグニアが、天を仰いだ。


 喜七奈だけが、腹を抱えて笑っていた。


「ウケる。王サマ、ほんと王サマ」


「笑い事ではありませんよ、喜七奈……」


「笑い事だって。だってさ、ってことは」


 喜七奈は、涙を拭いながら画面を指さした。


「王サマがその場で決めるってことじゃん。誰にも分かんないってことじゃん。ウチ、そういうの大好き」


 少しの間があって、ヴィーラが顔を上げた。


 そして、ゆっくりと笑った。


「……そうですね。王が、お決めになる」


 それなら、それでいい。


 そういう顔だった。


---


 画面が、現在に戻った。


 ベッドの上の少年は、いつの間にか仰向けになって、天井を見ていた。スマホの画面には、黒い外套の男が蛙を蹴り飛ばす動画。再生数は五十万を超えている。


『明後日は、入学式だ』


 少年が、ぽつりと呟いた。


『……普通の高校生になるって、どうやるんだったかな』


 広間の十二人が、揃ってその顔を見ていた。


「……王よ」


 ヴィーラが、画面に向かって小さく言った。


「普通の高校生、なれるとよろしいですね」


「無理じゃろ」


「無理だろ」


「無理だと思うよ」


「無理だね」


「……無理」


「確率的には、ゼロではありませんが」


「アカシャっち、王サマのことは読めないんでしょ」


「ですので、希望的観測です」


 ヴィルヘルムが、ふぉっふぉと笑った。


「では皆様、明後日は入学式でございます。お茶の用意をしておきましょう」


 歯車が、静かに回り続けている。


 何も繋がっていないのに、回り続けている。


 宇宙の外側で、十二人は今日も、王を見ていた。


 呼ばれるその日を、待ちながら。


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