閑話 宇宙の外側から十二人が見ている
宇宙の外側に、星がいくつも浮かんでいる。
どの宇宙の地図にも載っていない。どの神々の記録にも残っていない。そもそも「外側」という言葉が正しいのかどうかも怪しい場所に、それらは並んでいる。
全て、王がどこかの宇宙から引っ張ってきたものだ。気に入った星を、気に入ったから持ってきた。理由はそれだけで、それ以上の理由を誰も必要としなかった。
王と十二人の幹部が一つずつ星を持ち、それぞれの部下たちがそこで暮らしている。
その中の一つ、王の惑星。
その中心に建つ城の、一番広い広間。天井は高すぎて見えず、床は磨かれすぎて星空が映り込んでいる。本来であれば王が座るはずの玉座は、今は空席のままだ。
その玉座の前に、巨大な画面が浮かんでいた。
画面の縁は歯車でできている。大小無数の歯車が、互いに噛み合いながら静かに回り続けていて、その中央に、名古屋市千種区の住宅街にある、ごく普通の一軒家の二階の、ごく普通の部屋が映っていた。
ベッドの上で、少年がうつ伏せに倒れている。
「……動きませんな」
白髪の老執事が、紅茶を注ぎながら言った。
テホム・ラバ第二席、ヴィルヘルム・フォン・アッシェンバッハ。背筋の伸びた長身に、一分の隙もない燕尾服。注ぐ手元から糸が一本伸びて、隣のカップを音もなく所定の位置へ滑らせていく。
「妹君の『強い黒歴史になれるといいね』が、よほど効いたのでしょう。ふぉっふぉ」
「笑い事ではありませんよ、ヴィルヘルム」
答えたのは、黒い礼服の青年だった。第一席、ヴィーラ・アルケー・プロトゴノス。金の瞳を画面に向けたまま、柔らかく眉を下げている。
「王がああして落ち込んでおられるのに」
「そう仰るヴィーラ様も、先ほど少し笑っておられましたが」
「……笑っていません」
「左様でございますか」
ヴィルヘルムは何も言わずに、ヴィーラの前にもカップを置いた。
広間には十二の席がある。
その全てが、今日は埋まっていた。
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「のう、これ、どうなっておるのじゃ」
和服とゴスロリを混ぜたような白黒の服の少女が、画面の縁の歯車を指でつついた。第三席、ティアマト・レリクタ・アビュッソス。灰色の長い髪は、今日は双子の手で左右非対称の三つ編みにされている。
「主様の姿がこんなにはっきり見えるのは良いのじゃが、何で動いておるのか分からんのじゃ」
「……分からない」
答えたのは、画面の横に立つ自動人形だった。
第十二席、デウス・エクス・マキナ。球体関節の少女の姿で、背中に巨大なゼンマイ、胸の奥では歯車が透けて回っている。背の機械の翅が、ときどき小さく開いては閉じる。
「作った本人が分からんのか」
「……機械を創造し、操る。そう書いてある。だから、作れた」
「仕組みは」
「……後で、書く」
「誰がじゃ」
「……王が」
ティアマトは歯車から指を離し、ゆっくりと振り返った。
広間の隅で、四本腕の巨漢が、画面の裏側に回り込んだまま動かなくなっていた。
第六席、トヴァシュトリ・オピフェクス・アエテルヌス。全身の火傷の痕と、片方だけの目。この装置が組み上がってから、彼はもう三日、裏側を覗き込み続けている。
「……トヴァシュトリ殿、何か分かったかの」
返事はなかった。
ただ、四本の腕のうち二本で頭を抱えているのが見えた。
「分からんのじゃな」
「……繋がっていない」
低い声が、ようやく返ってきた。
歯車は回っている。だが、どの歯車も、何にも繋がっていない。繋がっていないのに、回っている。
「……それは、困るのかの?」
「困る」
トヴァシュトリは、それきりまた黙った。
職人としての何かが、深く傷ついているようだった。
「仕方ありませんわ」
眼鏡を指で押し上げながら、背の高い女性が言った。第十席、アカシャ・ノン・スクリプタ。膝の上には分厚い帳面が開かれていて、ペン先が一瞬も止まらずに動き続けている。
「アカシックレコードは、王を記録できません。閲覧しても、王の頁だけが白紙です。ですから、王を観測する手段は、この仕組みの分からない装置しかないのです。記録する者として大変に遺憾ですが、背に腹は代えられません」
「アカシャ、今日も書いておるのか」
「当然です。観察日記は本日で三百十二冊目になります」
「……王が目覚めてから、まだ一か月も経っておらんのじゃが」
「一日十冊ですので、計算は合っています」
ティアマトは何も言わずに前を向いた。
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王が目覚めた日のことは、全員がはっきり覚えている。
正確に言えば、あの日に全員が「在る」ことになった。
宇宙の外側で、長い、長い時間を過ごしてきた。何兆もの時間軸を王と共に見届けてきた。その記憶は、確かにある。だが、それと同じくらい確かな感覚として、あの春の日の夜、一冊のノートが開かれた瞬間に、自分たちの全てが始まった気もしている。
どちらが本当なのか、誰も口にはしない。
少なくとも、あの夜から、王がどこにいるのかは分かるようになった。
「では、本日も振り返りをいたしましょうか」
ヴィルヘルムがカップを置くと、画面が切り替わった。
映ったのは、春休みの夜の、同じ部屋だった。
少年が、学習机の前で、真っ黒に塗りつぶされたノートを握りしめている。
そして、ひどく小さな声で言った。
『……われが、なは、かおす・てろす・くるぬぎあす』
広間が、静まり返った。
何度見ても、ここで静まり返る。
『我が名はカオス・テロス・クルヌ……クルヌギ、アス』
「噛んだのじゃあああああ!」
ティアマトが椅子の上で転げ回った。
「主様が! 真名を! 噛んだのじゃ! 何度見ても噛んでおる!」
「ティアマト、静かに」
「ヴィーラ、お主も口元が緩んでおるではないか!」
「緩んでいません。これは、その、王のお可愛らしさに対する敬意です」
「同じことじゃろ」
その横で、黒髪と白髪の双子が、鏡合わせのように同時に肩を震わせていた。
第十一席、ノクス・ヤヌア・ゲミナと、ルクス・ヤヌア・ゲミナ。黒髪に白い瞳の姉がノクス、白髪に黒い瞳の妹がルクスだ。
「ティアちゃん、それ昨日も言ってた」
ノクスが、ティアマトの皿から焼き菓子をひょいとつまんだ。
「一昨日も言ってた」
ルクスが、自分の皿の焼き菓子をティアマトの皿に置いた。姉が取った分を、ちょうど埋める位置に。
「半分こ龍は記憶も半分こなの?」
「半分こなのは色だけじゃ! いい加減その呼び方をやめい!」
「じゃあ全部こ龍?」
「全部こって何じゃ!」
双子が声を揃えて笑った。ティアマトは顔を真っ赤にして、隣に座る男の袖を引っ張った。
「レオン! 何とか言うのじゃ!」
「……んー」
第四席、レオンハルト・アケーディア・インモータ。無精髭に半目、よれたシャツ。椅子というより、椅子の形をしたものに体を預けて溶けていた。
「いいんじゃねえの。噛むくらい」
「良くないのじゃ! 真名じゃぞ!」
「長えもん、あの名前。俺だって噛むわ」
「お主は自分の名前すら略しておるではないか!」
「そうそう。長いのは面倒だろ。王もたぶん、そう思ってんだよ」
煙草の煙が、ゆっくりと天井へ昇っていった。ヴィルヘルムが一瞥すると、煙は糸に絡め取られて音もなく消えた。
「……おっさん、今の見た?」
「見てねえ」
双子が顔を見合わせて、また笑った。
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「しかし、興味深い現象です」
アカシャのペンが、さらに速くなった。
「恥じらいを覚えると、王の力が弱まる。真顔で唱えれば、戻る。『(笑)』のテンションで唱えれば、何も起きない。つまり、王の力は王ご自身の確信の強度に比例している。これは記録上、どの神にも見られなかった性質で――」
「ねえ」
派手な髪色の少女が、盛った爪で机を叩いた。第七席、七瀬喜七奈。耳とへそで小さなピアスが光っている。
「アカシャっち、それ要するに、王サマ照れ屋ってことっしょ?」
「……身も蓋もない言い方をすれば、そうなりますね」
「かわいー」
「その一言で片付けないでいただけますか。私の三百十二冊が」
「えー、でもウチ的にはそれが一番大事だと思うけどなー」
喜七奈は画面を見上げて、頬杖をついた。
「てか王サマ、昔はあんなに照れてなかったじゃん。何兆年も何も気にしてなかったのに、人間になった途端これだよ? ウチ、王サマのこういうとこ初めて見たんだけど」
「……それは、私もです」
ヴィーラが静かに言った。
「王が何かを恥ずかしがるところなど、最初の時間軸から今に至るまで、一度も」
少しだけ間があった。
「……良いものですね」
「でしょ?」
喜七奈は、なぜか得意げだった。
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画面が切り替わる。
薄暗いダンジョンの奥。F級の金山ダンジョン、1階層の隠し通路の先。
数えきれないゴブリンの群れの中心で、王冠を被った巨大な個体が、棍棒を振り上げていた。
その前に、ボロボロになった少年が立っている。
広間の空気が、変わった。
さっきまで笑っていたティアマトが、無言で膝を抱えた。双子も喋らない。レオンハルトの半目が、ほんの少しだけ開いた。
ここは、何度見ても誰も笑わない。
『……は、は』
画面の中で、血まみれの少年が、口の端を上げた。
肋骨に二本ひびが入っている。腕も折れかけている。それなのに、笑っていた。
「――いい顔だ」
赤い髪の女が、椅子から身を乗り出していた。
第九席、イグニア・テルミナ。スカジャンの袖をまくった腕は傷跡だらけで、今にも画面の中に飛び込みそうな勢いで前のめりになっている。
「見ろよ、あの顔。死にかけてんのに笑ってやがる。あれだよ、あれ。俺が惚れたのはあの顔なんだよ」
「イグニア、座りなさい」
「座ってられるか! なあヴィルヘルム、今からでもあそこ行けねえのか。あのデカいの、俺が三秒で――」
「なりません」
ヴィルヘルムの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
だが、イグニアは口をつぐんだ。
「我々は、まだ呼ばれておりません。王のお許しなく、あちらの宇宙へ手を出すことはできませんし、してはなりません」
「……分かってるよ」
「あの日、わたくしも行こうといたしました」
広間が、少し静かになった。
「糸を一本、伸ばしかけたのです。ですが、届きませんでした。届かなくて良かったと、今は思っております。王は、ご自分の足で立っておられた」
ヴィルヘルムは、画面の中の少年に目を向けた。
「――左様でございましょう、皆様」
誰も、何も言わなかった。
イグニアは、どさりと椅子に座り直した。腕を組み、画面を睨んだまま、小さく呟く。
「……あそこで呼んでくれりゃ、良かったのに」
「王は、我々を呼べることをまだご存知ないのです」
ヴィーラが言った。
「それに、まだ呼べる段階でもない。力の解放が、そこまで進んでいませんから」
「分かってるって。言ってみただけだ」
画面の中で、王冠のゴブリンが崩れ落ちた。
少年は、その場に座り込んで、長い息を吐いていた。
「……20時間じゃったの」
ティアマトが、膝を抱えたまま小さく言った。
「主様、20時間も帰ってこなかったのじゃ。姉君が、あんなに心配しておった」
「あの姉君、強いよね」
「すごく強いよね」
双子が、珍しく茶化さずに頷いた。
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「その姉君について、なのですが」
ヴィルヘルムが、新しい茶葉の缶を開けながら言った。
「我々として、今後どのように接するべきか、そろそろ定めておくべきかと存じます」
「どのようにって」
「王の姉君でございます。最上級の礼をもって遇するのは当然として、問題は、王の妹君です」
「妹君がどうしたのじゃ」
「妹君は、王の現在のお姿を『キモい』と仰います」
広間がざわついた。
「……しかし、王が普通のお姿のときは、普通にお慕いしておられる。王もまた、妹君を大切に思っておられる」
「つまり?」
「つまり、我々が召喚されたとき、妹君の前でどう振る舞うべきか、という問題でございます」
ヴィルヘルムは、全員の顔を見渡した。
「我々の存在そのものが、王の、その、黒い歴史でございますので」
沈黙が落ちた。
全員が、なんとなく自分の服装を見下ろした。
ヴィーラは黒い礼服と短いマントを。ティアマトは白黒に分かれた和服を。喜七奈は盛った爪を。イグニアは背中に龍が刺繍されたスカジャンを。
「……妾たち、キモいのか?」
「キモくないよ!」
「ティアちゃんはかわいいよ!」
「本当か!?」
「半分こだけど!」
「そこは要らんのじゃ!」
「妹君の件は、召喚が決まってから改めて考えましょう」
ヴィーラが、少し疲れた顔で話をまとめた。
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画面が、また切り替わった。
ダンジョンの浅い層。泣きそうな顔で罠に足を取られた少女と、そこへ飛び込む黒い外套。
遠野灯を助けた日だ。
『――下がっていろ』
少年の声が、ひどく低く響く。
『――我が背に、何人たりとも至らせぬ』
「おおお……」
ヴィーラが、両手で顔を覆った。
「何度見ても……何度見ても素晴らしい……。王が、人を守るために名乗られた……」
「え、待って。女の子助けてんじゃん」
喜七奈が、身を乗り出した。
「王サマ、女の子助けてんじゃん」
「助けておるのう」
「『汝の終わりは、今日ではない』って言ってんじゃん」
「言っておるのう」
「えーーー、何それ。ずるくない? ウチも言われたいんだけど」
「俺は守られるより、隣で戦いてえな」
イグニアが即座に言った。
「で、終わったら結婚してくれって言う」
「イグニア、それ毎回言っておるのう」
「言うだろ。まだ返事もらってねえし」
照れも迷いもない顔だった。この女には、駆け引きという概念がない。
「妾も言われたいのじゃ。『下がっていろ』って言われたいのじゃ」
「ティアちゃんは下がってても前に出てくるじゃん」
「出てくるじゃん」
「うるさいのじゃ!」
「……ずるい」
ポテトを咥えたまま、アザトースがぽつりと言った。
「……わたしも、庇われたい」
「アザトース殿は、全次元で五本の指に入るのじゃぞ。庇う必要がどこにある」
「……ある。王に庇われるのは、別」
「私も異論はありません」
アカシャのペンが、ぴたりと止まっていた。
「王が他者を庇う瞬間の観測は、人間になられてからこれが初めてです。つまり、王の背に入れていただける対象は、現状、極めて限られているのです。極めて。私も、観測対象としてではなく、その、背の内側から観測したいと」
「アカシャっち、早口になってる」
「なっていません」
「なってるって」
「ぼくは王のお嫁さんになるからいいもん」
ノクスが、胸を張った。
「ぼくもなるよ」
ルクスが、当然のように手を挙げた。
「二人ともなるの?」
「なるよ。半分こするの」
「王を半分こするでない!」
ティアマトが叫んだ。
その横で、デウス・エクス・マキナの胸の歯車が、ほんの少しだけ速く回った。
「……マキナ殿?」
「……わたしの記述」
機械の翅が、小さく鳴る。
「……能力の詳細は、後で書く、になっている。召喚条件も、まだ書かれていない。性格の欄も、空白」
「うむ」
「……でも、『王のことが好き』は、書いてある」
「そこは書いてあるのか!」
「……いちばん上に。丁寧な字で」
広間が、一瞬だけ静かになった。
レオンハルトが、煙草を咥えたまま天井を見上げた。
「……なあ。前から思ってたんだけどよ」
「何じゃ」
「なんでうちの女連中って、全員王に惚れてんだ」
一拍おいて、ヴィーラが柔らかく微笑んだ。
「王ですから」
「……そういうもんか」
「そういうものです」
レオンハルトは、それ以上考えるのが面倒になったらしく、また椅子に溶けた。
そのとき。
ヴィーラの隣で、ずっと目を閉じて座っていた男が、ゆっくりと口を開いた。
背に六枚の翼。頭上に左右へ分かれて重なる光輪。第八席、アダム・オリゴ・ミュトス。
『――我を呼べ』
雷鳴のような声だった。
『王よ、雷霆の主たる我を、真っ先に呼ぶがよい。あのような小娘、我が妻に――』
アダムの右手が、自分の口を塞いだ。
しばらく、そのままの姿勢で固まっていた。
やがて、手を離す。
「……失礼しました。今のは、私ではありません」
「知っておる」
「知ってる」
「毎回それだよね」
アダムは深く息を吐いた。
「あの系統は、切り離したつもりだったのですが。女性が映ると、どうしても」
「大変ですな」
「大変です」
ヴィルヘルムが差し出したカップを、アダムは両手で受け取った。
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「それでさ」
喜七奈が、爪で机を叩いた。
「そろそろ本題いこ。誰が最初に呼ばれんの?」
広間の空気が、また変わった。
今度は、ぴりっとした方向に。
「決まっておる」
ティアマトが、椅子の上に立ち上がった。
「妾じゃ。主様に最初に拾われたのは、妾じゃからの」
「最初に仕えたのは私ですが」
ヴィーラが、にこやかに言った。
「王が最初に迎え入れてくださったのは、私です」
「迎え入れられたのはそうじゃが、拾いに来てくださったのは妾が先じゃ!」
「拾う、迎え入れる、という言葉の順序の問題になりますね」
「言葉遊びをするでない!」
「俺だろ」
イグニアが、指を鳴らした。
「王は今、強い奴と戦いたがってる。見てりゃ分かる。ダンジョン潜ってるときの顔、完全に俺と同じだもんな。だったら一緒に戦える奴を呼ぶのが一番だろ」
「イグニア様を呼んだら、ダンジョンが一つ無くなります」
「無くならねえよ。たぶん」
「たぶん、では困ります」
「ウチはさー」
喜七奈が、頬杖をついたまま言った。
「分かんないんだよね。誰が最初か」
「お主、確率が見えるのではなかったか」
「見えるよ? でも王サマのことだけは見えないの。昔からずっと」
少しだけ、笑った。
「だからウチ、この話めっちゃ好き。結果が見えないから」
「私は」
アカシャが、眼鏡を押し上げた。
「順番にはこだわりません。ただ、召喚された暁には、王ノ書の原本を拝見させていただきたいのです」
「原本?」
「はい。アカシックレコードは王を記録できません。この世界で、王について書かれた記録は、あの一冊しか存在しないのです。消しゴムの跡も、二重線の書き直しも、全て一次資料です。真名の変遷だけでも論文が十本は書けます」
「……アカシャっち、それ王サマに頼んだら、たぶん泣かれるよ」
「なぜですか」
「なぜって……」
喜七奈は、画面の中の少年を見た。ノートを抱えてベッドで悶えていた、あの夜の姿を思い出したらしい。
「……いや、いいや。頼んでみな」
レオンハルトは、椅子に溶けたまま片手を上げた。
「俺は最後でいい」
「なぜじゃ」
「呼ばれたら動かなきゃなんねえだろ。面倒くせえ」
「レオンは本当にやる気がないのう……」
「その代わり、呼ばれたら一発で終わらせてやるよ」
あくびが一つ、続いた。
その隣で、猫耳のついたパーカーのフードを被った少女が、ポテトを一本咥えたまま、静かに手を挙げていた。
第五席、アザトース・ドルミエンス・ケントルム。
「……アザトース殿?」
「……わたしも、呼ばれたい」
「おお」
「……向こうの世界、ハンバーガーの種類が、多い」
「そっちか」
「……あと、王の近くで、観察したい」
「本音はどっちじゃ」
「……両方」
アザトースは、ポテトをもう一本咥えた。ヴィルヘルムがさりげなく皿を下げようとすると、無言でその皿を抱え込んだ。
「アザトース様、そちらのお席でお菓子は」
「……許して」
「本日だけですよ」
「……ん」
「ぼくらはね」
「どこでも連れてけるよ」
双子が、声を揃えた。
「王の近くに、みんなまとめて運べる」
「吸って、出すだけだから」
「それに、向こうの世界っておいしそうなものいっぱいあるし。全部吸いたい」
ノクスが、目を輝かせた。
「吸ったのはぼくが出すから、みんなに配るね」
ルクスが、当然のように続けた。
「一番便利だよ」
「一番最初に呼ぶべきだよ」
「お主らが一番最初に呼ばれたら、妾をいじりながら来るじゃろ!」
「うん」
「うん」
「否定せんか!」
トヴァシュトリは、画面の裏から顔を出さなかった。
ただ、広間の床に、新しい刀が一振り、そっと置かれていた。いつの間に打ったのかも分からない。刀身は、画面の中の少年が使っている黒い刀――無銘に、よく似ていた。
「……トヴァシュトリ殿、それは」
「……軽すぎる」
低い声が、裏側から聞こえた。
それが、王が今使っている刀についての言葉なのだと、全員が遅れて理解した。
「……召喚されたら、それを献上するのですか」
「する」
「順番は」
「どうでもいい」
それだけ言って、トヴァシュトリはまた装置の裏に戻っていった。
デウス・エクス・マキナは、何も言わずに画面の横に立ち続けていた。
「マキナ殿はどうなのじゃ?」
「……わたしの召喚条件は」
機械の翅が、小さく鳴った。
「……まだ、書かれていない」
「……そうか」
「……だから、待つ」
ティアマトは少しだけ黙って、それから、自分の皿の上の菓子を一つ、マキナのほうへ押しやった。マキナはそれをじっと見ていたが、やがて、歯車の音をさせながら手に取った。
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「皆様」
ヴィルヘルムが、手を一度叩いた。
それだけで、広間が静まった。
「ここで一つ、アカシャ様からご報告があるそうです」
「ええ」
アカシャが、帳面を閉じて立ち上がった。
「先日、王が【書ノ保管】を解放されたことは、皆様ご存知かと思います。王が書き記した全ての記録が、自動的に虚空へ保管される力です」
「おう」
「その虚空は、王の側にあります。そして私は、半分ほど王の側におりますので」
眼鏡が、光った。
「保管された王ノ書の写しを、閲覧することができました」
広間が、どよめいた。
「まじで!?」
「で、どうなんだよ! 召喚の順番、書いてあったか!?」
「幹部を呼ぶ技は、確かに記載されていました」
アカシャは、帳面をめくった。
「【我ガ呼ビ声ニ、深淵ハ応エル】。幹部を召喚する。そして、その下に」
全員が、息を呑んだ。
「――『※順番は後で決める』と」
沈黙。
長い、長い沈黙。
「後で」
「後で決めるのじゃと?」
「後で決めるって書いてあんのかよ!」
「はい。二重線もありません。本当に、後で決めるつもりだったようです」
「そして、その後は」
「決めておられません」
ヴィーラが、両手で顔を覆った。
ティアマトが、椅子から転げ落ちた。
イグニアが、天を仰いだ。
喜七奈だけが、腹を抱えて笑っていた。
「ウケる。王サマ、ほんと王サマ」
「笑い事ではありませんよ、喜七奈……」
「笑い事だって。だってさ、ってことは」
喜七奈は、涙を拭いながら画面を指さした。
「王サマがその場で決めるってことじゃん。誰にも分かんないってことじゃん。ウチ、そういうの大好き」
少しの間があって、ヴィーラが顔を上げた。
そして、ゆっくりと笑った。
「……そうですね。王が、お決めになる」
それなら、それでいい。
そういう顔だった。
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画面が、現在に戻った。
ベッドの上の少年は、いつの間にか仰向けになって、天井を見ていた。スマホの画面には、黒い外套の男が蛙を蹴り飛ばす動画。再生数は五十万を超えている。
『明後日は、入学式だ』
少年が、ぽつりと呟いた。
『……普通の高校生になるって、どうやるんだったかな』
広間の十二人が、揃ってその顔を見ていた。
「……王よ」
ヴィーラが、画面に向かって小さく言った。
「普通の高校生、なれるとよろしいですね」
「無理じゃろ」
「無理だろ」
「無理だと思うよ」
「無理だね」
「……無理」
「確率的には、ゼロではありませんが」
「アカシャっち、王サマのことは読めないんでしょ」
「ですので、希望的観測です」
ヴィルヘルムが、ふぉっふぉと笑った。
「では皆様、明後日は入学式でございます。お茶の用意をしておきましょう」
歯車が、静かに回り続けている。
何も繋がっていないのに、回り続けている。
宇宙の外側で、十二人は今日も、王を見ていた。
呼ばれるその日を、待ちながら。




