第20話 妹が持ってきた動画に、俺が映っていた
家に帰り着いたのは、夕方だった。
母の「おかえり」にも、聖奈の「なんか顔色悪くない?」にも、適当に返して部屋に入った。
ドアを閉めて、鍵はないので椅子を寄せて、ベッドに腰を下ろす。
スマホを出した。
手が汗ばんでいる。
配信アプリを開く。探索者向けの、一番使われているやつだ。
検索欄に指を置いて、止まった。
何を打てばいい。
あの子の名前を知らない。年齢も所属も知らない。分かっているのは、南陽ダンジョンで、今日の午後で、軽装備で、細身の剣を使っていたということだけだ。
仕方なく「南陽ダンジョン」で調べた。
一件目で、出てきた。
『【ソロ挑戦】ステラリオン遠野灯、D級ダンジョンに一人で潜ります』
ステラリオン。
聞いたことがある。というか、知っている。名古屋のプロダクションが立ち上げた探索者アイドルで、テレビにも出ているし、駅の広告にも顔が貼ってある。
五人組。全員が名古屋にいる。
俺が助けたのは、その一人だったらしい。
遠野灯。名前を確認して、ようやく顔と一致した。
そして、その下の数字を見た。
再生回数、42万。
は? 42万?
もう一度見た。減っていない。増えていた。
昨日までのこのチャンネルの平均が、たぶん数万だったはずだ。ソロ配信なんて企画は特に多くない。
それが、42万。
嫌な予感しかしなかった。
サムネイルは、配信中の彼女の笑顔だった。だが、その下に並んでいる関連動画のほうが問題だった。
『【衝撃】謎の人物、素手で14体を瞬殺』
『「汝の終わりは、今日ではない」』
『黒フードの人、正体考察まとめ』
切り抜きだ。
もう上がっている。しかも3本とも、数万回は回っている。
俺は無言でスマホを置いて、天井を見上げた。
逃げてはいけない。
確認しないと、何も分からない。
俺はアーカイブを開いて、シークバーを終盤まで飛ばした。
画面の中で、遠野灯が罠にかかっている。蛙が集まってくる。見ていられない。俺は少し飛ばした。
そして、黒いものが画面に入ってきた。
うわ。
映っていた。当たり前だが、映っていた。
黒い外套。膝下丈。裾が走るたびに揺れている。
顔は、見えなかった。
フードの影が、鼻から上を完全に覆っている。カメラの角度が下からなのもあって、闇しか映っていない。
息が漏れた。
バレていない。少なくとも、顔では特定できない。
ほっとしたのも束の間だった。
『——案ずるな』
スマホから、自分の声がした。
『汝の終わりは、今日ではない』
「——ぶっ」
スマホを落とした。
膝の上に落ちて、それでも再生は続いた。落としても止まってくれなかった。
『——下がっていろ』
「やめろ」
『——我が背に、何人たりとも至らせぬ』
「やめろって」
慌てて拾って、一時停止を押した。押したのに、指が滑ってもう一度再生された。
『——我が背に、何人たりとも』
「うわあああああ!」
枕に顔を埋めて、足をばたつかせた。ベッドが軋んだ。
自分の声で、自分の書いた台詞が、42万回再生されている動画から聞こえてくる。
人生でこんな拷問があるとは思わなかった。
30分ほど死んでから、俺はスマホを拾った。
コメント欄を開く。開かないほうがいいと分かっていたが、開いた。
『この人誰???』
『素手で14体は普通に異常』
『台詞が古すぎて笑ったけど動きは本物』
『顔隠してるってことは訳ありだろ』
『引退した上位ランクの人説ある』
『名乗らないのがかっこいい』
『「名乗るほどの者ではない」で完全に持っていかれた』
『灯ちゃん無事でよかった』
考察されている。
大人たちが、真剣に考察している。
違う。全部違う。
Lv69の高校生が、口が勝手に喋るせいで、ああなっただけだ。
そのとき、ノックもなしにドアが開いた。
「兄さん兄さん兄さん!」
「うおっ!?」
俺はスマホを伏せた。ベッドに叩きつける勢いだった。
「ノックしろって何回言えば分かるんだ、お前は」
「したもん! 二回した」
「聞こえてねえよ」
「兄さんが聞いてないだけでしょ!」
聖奈がずかずか入ってくる。手にスマホを持っている。目が完全に光っていた。
「ねえこれ見て! 今日めっちゃバズってんの」
「見たくない」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「お前がその顔で持ってくるやつに、ロクなものがあったためしがない」
「いいから!」
画面を顔面に押しつけられた。近い。
黒い外套が、蛙を蹴り飛ばしていた。
知ってる。それ、俺。
「ね、すごくない? 素手なんだよ素手。14匹だよ14匹!」
「へ、へえー。すごいなー」
「反応うっす!」
「疲れてんだよ、今日は」
「じゃあこれ聞いて。ここ、ここ!」
聖奈が音量を最大にした。
『——汝の終わりは、今日ではない』
俺の声が、俺の部屋に、最大音量で響いた。
やめろ。本当にやめろ。
聖奈が顔を上げた。
満面の笑みだった。
「兄さんと同じ人種がいたよ!」
「ちょっ、音量! 音量下げろって」
「なんで?」
「近所迷惑だろ」
「今までで一番どうでもいい理由で怒られた」
聖奈がベッドの端に飛び乗って、楽しそうに動画を巻き戻す。
「もっかい聞こ!」
「聞くな」
「『汝の終わりは、今日ではない』」
「真似すんな」
「兄さんも言ってたじゃん。『我が右腕が疼く』って」
「言ってないって」
「言ってた! 録音あるよ」
「は?」
「中二の夏。風呂上がりに鏡の前で」
「——いつ撮ったんだよ!! 消せ、今すぐ消せ」
「きゃー!」
「棒読みやめろ」
聖奈はスマホを頭上に掲げて逃げ、俺は肋骨のひびが治りかけの体で追いかけた。ベッドの上でもみ合いになって、二人でずり落ちた。
「痛い痛い痛い! 俺まだ怪我人なんだぞ」
「あ、そうだった」
「そうだったじゃねえよ」
聖奈が体を起こして、床に座ったまま動画を再生し直した。反省の色が一ミリもない。
「でもさ、絶滅したと思ってたのに、まだいたんだね」
「絶滅って言うな」
「しかもこの人、強いんだよ。そこがずるい!」
「ずるい?」
「兄さんの黒歴史は弱かったじゃん。この人は強いから許されてるんだよ」
俺は天井を見た。
今、妹が一番残酷なことを言った。しかも本人に自覚がない。
「強さって大事だね」
「14歳が到達していい真理じゃないだろ、それ」
「そう?」
言ってやりたかった。その強い人、俺だぞと。
言った瞬間に、この部屋で俺の人生が終わる。
「ねえ兄さんもやってみたら?」
「は?」
「今流行ってるし。黒いマント買ってさ」
買った。
昨日、18万で買った。
「いや、俺はもう卒業したから」
「ふーん」
聖奈が、こっちをじっと見た。
嫌な間があった。
「じゃあなんでそんな汗かいてるの?」
「暑いからだよ」
「四月だけど」
「俺は暑がりなの。昔から」
「去年の四月は寒いって言ってたよね?」
「記憶力を捨てろ!」
騒いでいたら、階段を上ってくる音がした。
「……どうしたの?」
お姉ちゃんだった。部屋着のパーカー。髪は洗いざらし。いつもの人だ。
「お姉ちゃん聞いて! 今日バズってる動画があってね」
「聖奈やめろ!」
「兄さんの同類!」
「だから同類じゃねえって」
やめろ。
この人にだけは、本当に見せるな。
だが聖奈は、俺の制止をまるごと無視して画面を差し出した。
お姉ちゃんが覗き込む。
黒い外套が蛙を蹴り飛ばし、『我が背に、何人たりとも至らせぬ』と言った。
3秒、沈黙があった。
「……へえ」
お姉ちゃんが、顔を上げた。
そして、俺を見た。
目が合った。
何も言わなかった。眉が少しだけ上がって、それから戻っただけだ。
背中に汗が伝った。さっきの比じゃない。
「ね、兄さんと同じでしょ?」
「そうだね」
「でしょ!?」
「うん。そっくり」
聖奈がガッツポーズをした。この子は何も分かっていない。何も分かっていないから強い。
「ちょっと待って、お姉ちゃんまで乗るの?」
「乗る。似てるし」
「似てねえ!」
「似てる似てる!」
お姉ちゃんは笑いながら、画面に目を戻した。
そして、少しだけ声を落として言った。
「強い人だね」
「そう、だね」
「素手であれは、私でも無理」
やめてくれ。
この人は、あれが俺だと分かっている。分かっていて、妹の前では何も言わない。それが一番怖い。
「明後日から学校。もう寝な」
「はーい!」
しばらくして、二人は部屋を出ていった。
ドアが閉まる直前、聖奈が顔だけ戻してきた。
「兄さんもいつか、強い黒歴史になれるといいね」
「出ていけ!」
「きゃー!」
「だから棒読みやめろって」
ドアが閉まった。
俺は布団に倒れ込んで、しばらく動かなかった。
強い黒歴史。
妹の言い方は毎回ひどいが、今回のは特にひどい。ひどいのに、否定できる要素が一つもない。
スマホを手に取って、もう一度だけ画面を見た。
再生数は、50万を超えていた。
明後日は、入学式だ。
普通の高校生になるって、どうやるんだったかな。
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