第2話 捨てたはずの黒歴史が、力になる
騒ぎがようやく落ち着いた頃、俺たちは受付に呼び戻された。
「では、探索者登録の手続きに入りますね。学校で習っている内容もありますが、説明が義務づけられていますので、一通りお聞きください」
三島さんが五人分の書類を並べる。指先まで揃った動きで、紙の角がぴたりと重なった。
藤堂は背筋を伸ばして身を乗り出し、三宅は早くもあくびをしていた。
「まず、探索者ランクについてです。下からF、E、D、C、B、A、S、最上位がEX」
「八段階。上がる条件は納税額と、指定ダンジョンの最深部への到達」
藤堂が即答した。三島さんが少し驚いた顔をする。
「よくご存じですね」
「授業でやったので」
「寝てなければ知ってるやつだよな?」
大沢が三宅を見た。三宅は目を逸らした。
「補足しますと、納税額というのは、ドロップ品を売却した際に自動で差し引かれる分のことです。つまり、稼いで納めた方ほど上がりやすい仕組みになっています」
「強いだけじゃ上がらないってことすか?」
「はい。強さと実績は別物ですので」
夢がない。だが、姉が上位ランクだと知っている身としては納得もできる。あの人は強いうえに、たぶん誰よりもきっちり納めている。
「次に、ダンジョンについてです。国内で確認されているのは、現在一万二千か所以上」
「増えてんな!」
「未調査のものも含めれば、もっとあると言われています」
数字だけ聞くと多いが、実際コンビニより多いので、もはや風景の一部だ。うちの近所の公園にも、隅のほうに扉がひとつ立っている。
「ダンジョンには、それぞれ難易度の等級があります。自分のランクより上の等級のダンジョンには、そもそも扉が開きません」
「え、物理的に入れないんすか?」
「はい。ギルドカードで認証しますので」
三島さんが、カードサイズの板を5枚取り出した。薄い灰色の、何の変哲もないカードだ。
「こちらがギルドカードです。マイナンバーと紐づけられていて、身分証明書としても使えます」
「これ財布に入れっぱなしにするやつじゃん!」
「ダンジョンの入退場認証、ドロップ品の換金、電子決済、すべてこれ一枚です。換金額はカード内に貯められますし、税金は自動的に差し引かれます」
「便利すぎん?」
「便利すぎて、使いすぎる方が多いです」
三島さんが真顔で言った。実感のこもった声だった。
「大規模ダンジョンには、扉のある建物にギルド支店が併設されています。栄がその形ですね。中小規模のダンジョンは基本的に無人で、扉の前の認証ゲートだけが設置されています」
「金山とかもそうすか?」
「はい。金山ダンジョンは初心者向けのF級ですので、無人です。カードをかざせば、いつでも入れます」
金ダン、と山吹が呟いた。誰もがそう呼んでいる。正式名称は県の管理番号がついた長い名前らしいが、聞いても3秒で忘れる自信がある。
「ただし」
三島さんが、少しだけ声のトーンを落とした。
「未成年の方は、深夜の入場ができません。それと、単独での潜行は推奨されていません。入退場の記録はすべてカードに残りますので、長時間戻られない場合は自動で通報されます」
「至れり尽くせりだな!」
「毎年、必ず事故が起きますので」
笑っていた三宅が、少しだけ背筋を伸ばした。
それから、モンスターの話になった。倒すとドロップ形式で素材が出ること。肉や毛皮のような素材のほか、武器や防具、魔導書が落ちることもあること。落ちるものは階層と種類でだいたい決まっていて、換金相場はアプリで見られること。
「ちなみに、今いちばん高く売れるのは何すか?」
「時期によります。先月は、栄の40階層で出る鉱石が高騰していました。クランの装備開発で需要が出たようですね」
「クランってあれだろ? テレビ出てるやつら」
「はい。大手のクランには企業がスポンサーに付いていますので、装備も試作段階のものを使っていたりします」
「あと、高いやつはオークションだろ? 俺あれ見るの好きなんだよな!」
三宅が身を乗り出した。
「はい。高額なドロップ品はギルドのオークションに出されます。サイトはどなたでもご覧になれますし、落札額も公開されています」
「こないだ剣が八千万で落ちてたぞ!」
「見た見た。買ったのどこのクランだっけ?」
高校生が八千万の剣の話をしている。この世界では、これが世間話だ。天気の話の次くらいの位置にある。
探索者はスターだ。テレビをつければ誰かしら出ているし、配信を開けば毎日どこかの階層で誰かが戦っている。小学生の将来の夢の上位は、ずっと探索者だ。
そんな世界で、俺の職業は【厨二病】である。
「以上で説明は終わりです。カードをお受け取りください」
受け取ったカードには、自分の名前と、Lv1と、職業が印字されていた。
一ノ瀬 朔 Lv1
職業:厨二病
「うわ、カードにも書いてある!」
「そりゃ書いてあるだろ!」
「身分証に厨二病って書いてあるの、法的にどうなんだよ?」
「知らねえよ!」
俺は無言でカードを財布にしまった。深く見ないことにした。
ギルドを出て、駅で解散した。
別れ際、俺は調子に乗って「明日にでも潜ってみるか」と言ったのだが、藤堂に「装備も何もないのに何する気だ」と真顔で返され、三宅にまで「それはさすがに死ぬぞ」と止められた。結局、週末に買い物へ行くことになった。初回の潜行はそのあとだ。
電車に揺られながら、カードを取り出して眺める。
職業:厨二病。
何度見ても変わらない。当たり前だ。一度決まった職業は変わらない。授業でやった。藤堂も言っていた。
まあ、いい。落ち込んでも数値は上がらない。
家に着いたのは、夕方だった。
玄関で靴を脱いでいると、リビングから妹が顔を出した。
一ノ瀬聖奈、中学2年、バスケ部。日に焼けた腕と、高い位置で結んだ髪。俺より頭ひとつ小さいくせに、こちらを見上げる目つきだけは完全に上からだ。兄に対して一切の容赦がない。
「おかえりー! 職業なんだった?」
「……厨二病」
聖奈は3秒黙った。それから、心の底から嫌そうな顔をした。
「うわ、キモ!」
「ぐっ」
「せっかく普通の兄さんに戻ったと思ったのにー!」
「俺のせいじゃなくない!?」
「じゃあ誰のせいなの?」
誰のせいなんだろうな。俺も知りたい。
「見せて!」
「見せない!」
「見せてってば!」
結局見せた。聖奈がすかさずスマホを構えたので、全力で阻止した。
「消せ!」
「撮ってないしー!」
「今シャッター音した!」
騒いでいると、2階から足音が降りてきた。
「……朔、おかえり」
一ノ瀬凛花。俺の姉で、大学生で、探索者ランクは上位。うちで一番強い人間である。
部屋着のパーカーにすっぴん、髪は洗いざらしのまま。この格好で階段を降りてくる人が、テレビに映るような階層に潜っているのだから、世の中は分からない。
「職業、何だった?」
「……厨二病」
「へえ」
姉が足を止めた。
「世界初。すごい」
「いや、名前が」
「名前は関係ない」
あっさり言われた。
「前例がない。上限も分からない。強いかもしれない」
姉はリビングに入ってきて、冷蔵庫から麦茶を出しながら、ぽつりと付け足した。
「後から化けた職業、いくつも知ってる」
「そうなの?」
「そう。名前で判断するのは早い」
……この人は。
この人だけは、昔からこうだ。
笑わない。馬鹿にしない。ちゃんと職業として見てくれる。
嬉しい。
嬉しいのだが、その職業の名前が厨二病であることは、どうしても変わらない。
S級探索者が真顔で「厨二病は強いかもしれない」と語っている光景を、俺は今、真横で見ている。
いたたまれない。
「Lv1のステータス、見せて」
カードを渡すと、姉はしばらく眺めてから、何を思ったのかリビングの引き出しを漁り始めた。
嫌な予感がした。
そして一枚の古い診断書を取り出して、俺のカードの横に並べた。
姉のLv1の記録だった。
全項目、平均を大きく上回っていた。俺のとは、並べてはいけない種類の紙だった。
「うわ、お姉ちゃんの時と全然違うじゃん!」
「聖奈、やめろ!」
「こうして見ると、お姉ちゃんって最初から化け物だったんだね!」
「そこ!?」
「朔はこれから」
お姉ちゃんが優しく頭を撫でてくる。今日二回目だ。三島さんと同じ声色だった。
自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
まあ、いい。世界初なんだから、いいこともあるかもしれない。どうせ明日には忘れている。俺はそういう人間だ。
ただ、今日ばかりは少しだけ、昔の自分に会いたくなった。
いや、違う。昔の自分は全部捨てたのだ。先週、燃えるゴミに出した。だから会う必要はない。断じてない。
俺はクローゼットを開けた。
奥の段ボールの、さらに奥。使わなくなった教科書の下に、一冊のノートが眠っている。
引っ張り出すと、埃が舞った。
黒いマッキーで表紙を塗りつぶした、ただのノート。塗りムラがひどい。当時の俺はマッキーを3本使い切った。その上に、白いペンで書かれた文字。
†王ノ書†
The Book of the End
うわあ。
うわあ、である。
開いたら最後だと分かっていながら、俺はページをめくった。
一ページ目から魔法陣。定規とコンパスで引いた円に、読めない文字が並んでいる。二ページ目には真名の練習。同じ名前が、一文字ずつ違う書体で20回くらい書いてある。
カオス・テロス・クルヌギアス。
全ての次元、全ての宇宙、全ての時間軸の終わりに立つ、終焉の王。
その下に、びっしりと設定が続いている。起源。年表。配下の十二席。技の名前と、延々と続く説明文。ページの端には「※詳細は後で書く」と書かれたまま放置された欄がいくつもある。
中学の俺、本当に頑張っていた。
こういう職業に憧れてたなあ、と思う。最強で、誰にも届かなくて、名前が長くて、配下が12人いて。
まあ、現実の俺の職業は厨二病なんだけど。
最後のページまでめくって、俺はノートを閉じた。
そして、なんとなく口が動いた。
「……我が名はカオス・テロス・クルヌギアス」
一度動いた口は、止まらなかった。
「全ての次元、全ての宇宙、全ての時間軸の終わりに立つ者。
始まりを知らず、終わりを知る者。数多の時を閉じ、数多の神を喰らいし者。
深淵より来たりて、深淵を統べる者。
始マリノ終焉にして、終焉ヲ統ベル深淵王なり」
言ってしまった。
全部。五行、最後まで。三年間、何百回と書いた文字は、口のほうが覚えていた。
言い切ってから、3秒くらい部屋が静かだった。エアコンの音だけがしていた。
俺は無言でノートを抱えて、ベッドに顔を埋めた。
何をやっているんだ。15歳だぞ。高校生になるんだぞ。今日ギルドで、四人の前で卒業したって言ったばかりだぞ。
うわあああ、と声にならない声を出して足をばたつかせた。枕が落ちた。拾う気力もなかった。
恥ずかしい。死ぬほど恥ずかしい。誰も見ていないのに恥ずかしい。
そのときだった。
顔を上げた視界の端に、半透明の画面が浮かんでいた。
カードは財布の中だ。触ってもいない。開けと思ってもいない。
それなのに、ステータスが勝手に開いていた。
氏名:一ノ瀬 朔
真名:カオス・テロス・クルヌギアス
二つ名:始マリノ終焉
職業:終焉ヲ統ベル深淵王
STR:8(+測定不能/解放率 ???)
スキル:我ガ記シタ言葉ハ、戯言ニ非ズ
さっきまで真っ白だった欄に、一行だけ文字が載っていた。
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