第1話 世界初の職業、その名も【厨二病】
三月の終わり。俺、一ノ瀬朔は厨二病を卒業した。
包帯も眼帯も、二重に巻いていた黒いリストバンドも、まとめて燃えるゴミに出した。机の奥の、表紙を黒いマッキーで塗りつぶしたノートだけは、さすがに捨てるのが忍びなかったので、クローゼットの奥に封印した。いや、しまっただけだ。封印とか言っている時点で駄目な気もするが、しまっただけだ。
四月から俺は高校生になる。普通の高校生だ。普通に授業を受けて、普通に友達と笑って、放課後は普通にダンジョンに潜る。完璧な人生設計である。
ちなみに、ダンジョンに潜る部分は一番楽しみにしている。そこは厨二病を卒業しても変わらない。むしろ小学生の頃からずっと楽しみだった。
そのために、まずはステータス診断だった。
待ち合わせは、駅前のコンビニ前に10時だった。
着いたときには、四人とも先に来ていた。
大沢健太は、ガードレールに腰を預けて缶コーヒーを転がしている。学年で三番目に背が高く、声はたぶん一番でかい。三年間ずっと隣の席だったせいで、俺の黒歴史の八割はこいつに目撃されている。
その隣で肉まんを食っているのが山吹遼。小柄で、いつも猫背で、常に何かを口に入れている。笑うと目がなくなる。悪気なく余計なことを言うのが得意で、悪気がないぶんタチが悪い。
電柱の前で意味もなく屈伸をしているのが三宅海斗。背も横幅もあって、日に焼けていて、春休みに入った瞬間に髪を刈り上げた男だ。なぜか二本目のアイスを食っている。三月末にアイスを二本食う男である。
最後の一人、藤堂悠は、ひとりだけ電柱の陰でスマホを読んでいた。細身で、眼鏡で、姿勢がいい。中学三年間、テストの学年一位をほぼ手放さなかった男で、たぶん今読んでいるのも遊びの記事ではない。
「おはよ!」
「おう。……おい、見ろよ!」
大沢が俺を指さした。四人の視線が集まる。
「なんだよ?」
「包帯ない!」
「眼帯もない!」
「リストバンドもないな!」
「捨てたからな!」
言った瞬間、全員が吹き出した。
「えっ、まじで卒業したんだ!?」
「言ったじゃん。俺はもう卒業したの!」
「いや、卒業したって言いながら三日前に『そろそろか』って呟いてたじゃん!」
「あれは天気の話な!」
「雲ひとつなかったが?」
歩き出す。ギルドまでは駅から10分ほどだ。春休みの午前中で、道には同じように診断へ向かうらしい中学卒業組がちらほらいる。
「でもさ、普通に喋ってる朔って、なんか違和感あるよな!」
山吹が肉まんの最後のひとくちを飲み込みながら言った。
「どこがだよ! 俺は昔から普通だっつの!」
「昨日までのお前、『行くぞ、我が同胞よ』って言ってたぞ!」
「言ってない!」
「言ってた!」
「言ってたな」
「証拠がある」藤堂がスマホを掲げた。「去年の文化祭の動画」
「消せ!」
三宅が腹を抱えて笑い出し、つられて大沢も笑い、最終的に横断歩道の真ん中で四人が笑っていた。俺だけが真顔で歩いた。これが普通の高校生の歩き方である。
「まあでも、いいんじゃね」
ひとしきり笑ったあと、三宅がアイスの棒を咥えたまま言った。
「高校でも一緒に潜ろうぜ。パーティ組むなら、四人より五人のほうがいいだろ」
「当たり前だろ」
「じゃあ決まりな!」
「つーか楽しみだな! 何出るんだろうな、俺」
三宅がアイスの棒をゴミ箱に放り込みながら言った。
「剣士とか出たらもう決まりだろ! 前衛やるわ俺!」
「言っとくけど、八割は一般職だからな」
藤堂が淡々と口を挟んだ。
「一般職が八割、上位職が一割ちょっと、希少職は千人に一人。あと職業は診断のとき一度きりで、あとから変わることはない」
「うわ、急に現実!」
「常識だろ」
「知ってても言うなよ、夢が減る!」
大沢が肩を落とし、山吹が笑った。藤堂は「ランクの仕組みとかは受付でちゃんと説明してくれるから、そっちで聞け」と言って、また前を向いた。
ギルドの建物が見えてきた。3階建ての、役所みたいな外観だ。卒業したばかりの中学生が診断を受けに来る時期なので、入口には同年代がそこそこ並んでいる。
自動ドアをくぐると、正面の受付に座っていた女性が立ち上がった。二十代半ばくらい。髪をきっちりまとめて、制服のリボンを曲がりひとつなく結んでいる。胸の名札には三島とあった。
「ご新規の方ですね。五名様でよろしいですか」
声も姿勢も、教科書みたいに整っていた。
「はい」
「では、あちらの椅子でお待ちください。順番にご案内します」
言われた通り、五人並んで長椅子に座る。修学旅行の事前説明を思い出す配置だ。
「職業って、変えられねえんだよな」
順番を待つ間、大沢が缶コーヒーを転がしながら言った。
「一回決まったら一生そのままだろ。怖くね?」
「怖いから考えないようにしてる」
「俺は前衛がいい! 絶対前衛がいい!」
三宅が祈るように手を組んでいる。さっき藤堂に八割の話をされたばかりなのに、この男の前向きさは一切目減りしていない。
人生で一回きりのガチャである。
こういうとき、俺はわりとテンションが上がるタイプだ。中学の三年間で学んだことがあるとすれば、期待しておいたほうが人生は楽しいということだった。
診断室に通され、水晶みたいな端末の前に一人ずつ立たされる。手をかざすと、本人の目の前にだけ半透明の画面が浮かぶらしい。ステータスは本人にしか見えない。認証して開示しない限り、たとえ真横に立たれても中身は読めない仕組みだ。
最初は大沢だった。缶コーヒーを俺に押しつけて、肩を回しながら端末の前に立つ。緊張しているときほど肩を回す癖がある。
「うおっ、なんか出た! えーと……双剣士。上位職だって!」
「出たよレア!」
「二刀流かよ、ずるいだろ!」
大沢が拳を握っている。ついさっきまで「怖くね?」と言っていた男の顔ではない。
次は山吹。最後のひとくちを飲み込んでから、袖で手を拭いて端末に触れた。画面を見て、細い目がさらに細くなる。
「火炎術師! 上位職だってよ!」
「魔法系か。お前が火使うの、普通に怖いんだけど!」
「大丈夫だって! 狙って撃つから!」
「その『大丈夫だって』が一番信用できねえんだよ!」
あのボケ担当に、一番燃えるものを持たせてしまったらしい。世の中こういうものである。
三宅は端末の前で大きく息を吸って、両手をかざした。
「頼む、前衛……重装騎士! 上位職!」
「盾だ盾! こいつ絶対死なないやつだ!」
「守るからな、お前ら全員!」
言いながら胸を張っている。似合っているのが腹立たしい。
最後から二番目、藤堂。
こいつは端末の前でも姿勢を崩さなかった。眼鏡の位置を直し、手をかざす。いつも通りの無表情。
その無表情が、珍しく固まった。黙って画面を開示すると、三島さんが覗き込んで、小さく声を上げる。
「……術式解析士、ですね。希少職です」
部屋がざわついた。他の受付の人まで顔を出してくる。
「なにそれ強いの?」
「スキルの構造を読み解いて、味方の技の効率を上げたり、敵の技の弱点を見つけたりできます。パーティに一人いると、攻略速度が変わるレベルの職業です」
「藤堂すげえ!」
「うわ、これで俺ら完全にパーティ成立じゃん!」
双剣士、火炎術師、重装騎士、術式解析士。前衛、後衛、盾、支援。見事に噛み合っている。
残るは俺だけだった。
「一ノ瀬様、どうぞ」
さて。
剣士か、槍使いか。いや、何でもいい。四人があそこまで綺麗に揃ったんだから、俺は隙間を埋める役でいい。普通でいい。普通が一番だ。
いや、嘘だ。
正直に言うと、めちゃくちゃわくわくしている。
手をかざす。画面が浮かぶ。
画面を見た。
……ん?
目を擦った。もう一回見た。
氏名:一ノ瀬 朔
Lv:1
職業:厨二病
……は?
いや、待ってくれ。
卒業したんだが。先週捨てたんだが。包帯も眼帯もリストバンドも、全部まとめて燃えるゴミに出したんだが。
まだ何か残ってたか。クローゼットのノートか。
いや、あれはしまっただけだ。封印じゃない。
気づけば、両手で頭を抱えていた。
「どうした朔?」
「え、なに、なんかヤバいの出た?」
友達が一斉に寄ってくる。三島さんまで椅子から立ち上がって「大丈夫ですか」と覗き込んできた。
「いや……なんでもない」
「なんでもない奴の顔じゃねえだろ! 見せろって!」
「そうだよ、減るもんじゃねえし!」
減る。社会的信用が減る。
いや待て。世界初の職業かもしれないだろ。誰も見たことがない職業を、俺が引いた可能性だってある。そう考えると、見せたほうが面白いのでは。むしろ見せるべきでは。
俺の意志は3秒で反転した。
「見るなよ、絶対!」
「見るために言ってんだよ!」
開示した。
一秒の沈黙のあと、ギルドの空気が変わった。
「は? 厨二病?」
「職業欄に厨二病って書いてあるぞ!」
大沢が吹き出し、山吹が床に膝をつき、三宅が腹を抱えて壁を叩いた。藤堂だけが真顔でスマホを取り出し、猛烈な速度で検索を始めている。
「……ない。過去の記録にない。朔、お前これ世界初だ!」
「世界初ぅ?」
診断室がざわついた。他の探索者まで寄ってくる。ギルド職員が奥から走ってきて、上司らしき人を呼びに行った。
「世界初です! 本当に世界初ですよ、これ!」
「記録を取らせてください。統計に載せていいですか?」
「画像、保存させていただいても?」
次々に聞かれる。
三島さんまで、さっきまでの落ち着きがどこかへ行っていた。
「すごいです! 本当にすごいことなんです!」
「そうなんですか」
「希少職ですら千人に一人なんですよ。世界初というのは、もう比べる相手がいません」
比べる相手がいない。
言われてみれば、そうだ。
人類がダンジョンに潜り始めて何十年も経って、その間に何億人が診断を受けたと思っているんだ。その全員が引かなかったものを、俺が引いた。
いや、待てよ。
世界初ということは、誰も性能を知らないということだ。
弱い前例がないのと同じくらい、強い前例もない。つまり今この瞬間、俺の職業が最強かもしれない可能性は、まだ否定されていない。
悪くない。
名前は最悪だが、悪くない。
「おい朔、世界初だってよ! すげえじゃん!」
「すげえの内訳が厨二病なんだって!」
「でも世界初は世界初だろ!」
「それはそう」
「朔、お前すげえよ!」
三宅が背中を叩いてきた。痛い。
痛いが、悪い気はしない。
いや、落ち着け。
褒められている。確かに褒められている。
だが、何を褒められているのかを考えろ。
厨二病だぞ。
職業欄に厨二病と書かれたことを、今、四人と職員三人とその他数名に囲まれて称賛されているんだぞ。
嬉しい。
嬉しいのが、一番きつい。
「でも朔なら適職では?」
「適職って言うな!」
大爆笑の輪の真ん中で、俺はもう一度頭を抱えた。こいつらは笑う。遠慮なく笑う。だが不思議と、見下してくる奴は一人もいない。笑い声が落ち着くと、三宅が普通の顔で言った。
「まあ、高校でも一緒に潜ろうぜ! 職業なんか関係ねえよ!」
いい奴らだ。本当にいい奴らなんだが、今は少し黙っていてほしかった。
騒ぎが落ち着いた頃、三島さんが俺のステータスを見ながら、そっと口を開いた。
「……大丈夫ですよ。これからですから」
声が優しかった。さっきまでの事務的な声とは別物の、慈しむような声だった。
やめてくれ。笑われるより効く。
「あの」
「はい」
「世界初ってことは、あれですよね。前例がないってことは、めちゃくちゃ強い可能性もあるってことですよね?」
「……可能性としては、ございます」
「ですよね!」
声が弾んだ。我ながら切り替えが早い。だって世界初だ。誰も持っていない職業だ。この流れ、絶対に何かある。
「たとえば、専用のすごいスキルがあったりとか」
「そういった例も、過去の希少職ではございました」
「あるじゃないですか?」
「ただ」
三島さんが、言いにくそうに画面を指さした。
「一ノ瀬様のスキル欄、空欄でして」
俺は自分の画面を見た。
空欄だった。
「今から生えたりは?」
「通常、診断時に表示されます」
「ですよね」
三島さんが目を逸らした。
俺のステータスには、称号欄もスキル欄も実績欄も、ちゃんと項目だけは存在していた。中身は何もない。全部真っ白だ。空欄というのは、こんなに雄弁だっただろうか。
「あの、もうひとつ」
「はい」
「他の人って、どれくらいなんですか? 数値」
聞かなければよかった。本当に、聞かなければよかったのだ。
三島さんは少しだけ迷う顔をしてから、画面の横に、この年の平均値を並べてくれた。
HP:22 (Lv1平均:30)
MP:14 (Lv1平均:20)
STR:8 (Lv1平均:15)
AGI:11(Lv1平均:15)
INT:13(Lv1平均:12)
LUK:7 (Lv1平均:10)
全部下だった。全部下で、INTだけがかろうじて上だった。
「……INTは、高いですね」
「そこしか褒めるところがないの、伝わってます」
背後で藤堂が「厨二病でINTが高いの、笑えないんだよな」と呟き、大沢が「やめろ、それは本当にやめろ」と止めていた。
「なあ朔、元気出せよ!」
大沢が肩を叩いてくる。まだ少し笑っている。
「職業なんて飾りだって! 強さは後から付いてくる!」
「お前さっき双剣士って出て小さくガッツポーズしてたよな?」
「見てた?」
「見てた!」
双剣士、火炎術師、重装騎士、術式解析士。上位職が三人と、希少職が一人。前衛、後衛、盾、支援。
そして真ん中に、世界初の厨二病がひとり。
「まあ、なんだ」
三宅が、俺の背中を叩きながらいつもの調子で言った。手加減という概念がないので、普通に痛い。
「世界初なんだろ? じゃあ最強かもしれねえじゃん!」
「……それは、まあ」
「だろ?」
だろ、と言われると弱い。
世界初。今日だけで何回聞いたか分からない言葉だ。数値は全部平均以下で、称号欄もスキル欄も実績欄も真っ白で、身分証に厨二病と書かれることになった。
それでも、前例がないというのは、つまり誰も俺の限界を知らないということで。
悪くない響きだな、と思ってしまったあたりで、俺はたぶんもう手遅れだった。
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