第15話 見られている前で、黒歴史を叫ぶ
審査は三日後、千種区のダンジョンで行われることになった。
千種ダンジョン。D級。推奨レベルは100まで。
家から自転車で行ける距離だが、当然、入ったことはない。
金山と違って、扉のある建物ごとギルドの支店が入っている。受付があって、買取窓口があって、装備店まである。休日のショッピングモールくらいには人がいた。
その入口で、俺は二人と合流した。
一人は姉。今日も装備一式だ。
もう一人は、初対面の女性だった。
「本日の審査を担当します、ギルド名古屋本部の芝崎と申します」
三十代半ばくらい。制服のシワ一つない。差し出された名刺は角が完璧に揃っていた。
「よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「本日の流れをご説明します。第3階層まで到達していただきます。途中の戦闘は原則ご自身で対応してください。危険と判断した場合のみ、私と一ノ瀬凛花様が介入します」
淡々としている。感情が乗っていない。三島さんとはまるで別の種類の人だった。
「なお、審査中は全行程を記録いたします」
芝崎さんが、胸元の小型のカメラを指した。
「記録?」
「はい。判定の根拠として残す必要がありますので」
撮られる。
立会人が二人いるだけでも地獄なのに、映像が残る。
「あの、それって後で誰か見るんですか?」
「審査部と、本部の管理職が確認します。外部への公開はありません」
ギルドの偉い人が見る。
最悪だった。
方針は、家を出る前から決めていた。
素で行く。
名乗らない。魔眼も使わない。使えない。
今の俺はLv68で、STRは48ある。武術は3年やった。D級の浅い層なら、それだけで通るはずだ。
というより、それ以外に選択肢がない。
第1階層は、金山とは別物だった。
通路が広い。天井が高い。壁の光り方も強くて、松明が要らない。人の手が入っているのか、道に等間隔で目印の杭が打ってある。
そして、出てくるものが違った。
「オークです」
芝崎さんが、記録用の端末に何か打ち込みながら言った。
通路の先にいたのは、ゴブリンを二回り大きくしたような体格の、灰色の生き物だった。手には木の棒ではなく、鉄の棍棒を持っている。
「D級1階層の標準的な個体です。ご対応ください」
来た。
俺は借り物の剣を握り直して、前に出た。
背後で、姉が何も言わずに立っているのが分かる。手も出さない。口も出さない。ただ見ている。
この状況が、モンスターより怖い。
オークが咆えて、突っ込んできた。
速い。だが、見える。
棍棒の軌道が見えたわけじゃない。相手の肩の動きと、踏み込む足を見ただけだ。魔眼は使えなくても、そのくらいは道場で習った。
半歩下がる。棍棒が空を切る。
戻り際に踏み込んで、剣を横に振った。
入った。
金山のゴブリンとは手応えが違う。硬い。だが、止まらずに入った。
Lv68のSTR48。借り物の剣。それだけで、D級の標準個体に刃が通っている。
二撃目で、オークが崩れた。
砂になって、灰色の牙が一本落ちる。
背後が、静かだった。
振り返ると、芝崎さんが端末に何か打ち込んでいた。姉は、腕を組んだまま俺を見ていた。
「どう?」
「無言で聞かないで。判定に影響するから」
姉が真顔で言った。ちょっと嬉しそうだった。
第2階層までは、順調だった。
オークを四体。途中で出てきた狼型を二体。全部、借り物の剣で通った。
芝崎さんは何も言わない。端末を打つ音だけがする。
問題が起きたのは、第3階層に降りてすぐだった。
通路の先に、二体いた。
オークだ。ただし、さっきまでのものとは明らかに違う。
背が高い。鎧のようなものを着ている。手に持っているのは棍棒ではなく、刃のついた斧だった。
「オークソルジャーですね」
芝崎さんが淡々と言った。
「3階層の標準個体です。武装しているぶん、上の階層のものより硬いです」
硬い。
嫌な予感がした。
一体目に斬りかかって、確信に変わった。
刃が、鎧で滑った。
金属同士がぶつかる音がして、手首に鈍い衝撃が返ってくる。相手の体は、一ミリも傷ついていない。
「っ……!」
斧が横から来る。跳んで避けた。着地のところへ、二体目が突っ込んできた。
まずい。
武器の問題だ。腕でも、レベルでもない。
貸出用の鉄剣では、この鎧は抜けない。
姉が動きかけたのが、視界の端に見えた。
介入される。
介入されたら、審査は終わりだ。
考えている時間はなかった。
俺は、岩壁を蹴って距離を取りながら、息を吸った。
「——無銘よ、我が手に」
声は、抑えた。
抑えたが、本気で言った。手を抜けば出ない。
空間が裂けて、黒い粒子が渦を巻いた。
手の中に、抜き身の刀が収まる。
借り物の剣を左手に持ち替えて、右手で刀を握った。
一体目が斧を振り下ろしてくる。
受けずに、鎧の隙間へ差し込んだ。
入った。
鎧の上からでは滑った刃が、継ぎ目にはあっさり通る。
引き抜いて、そのまま二体目の膝へ。体勢を崩したところに、もう一撃。
二体とも、砂になった。
息を整えながら、俺は最悪の事態を理解していた。
今、全部見られた。
振り返ると、姉と芝崎さんが、同じ場所を見ていた。
俺の右手だ。
「一ノ瀬様」
芝崎さんが、端末から顔を上げた。
「その武器は」
来た。
「……えっと」
「登録されている装備に、該当するものがありません。貸出品でもありませんね」
当然だ。この刀は、この世のどこにも登録されていない。中学2年の俺のノートの中にしか存在しない。
頭をフル回転させた。
「スキルです」
「スキル」
「職業の。武器を出すやつです」
嘘はついていない。本当のことも言っていない。
「診断時は空欄でしたね。レベルで生えたものですか?」
「はい。そうです」
ここは、すんなり通った。
当たり前だ。レベルが上がればスキルが生えるのは、この世界の誰にでも起きることだ。小学校で習う。
問題は、そこじゃない。
「スキル名をお願いします」
ここだ。
言えるわけがない。『我ガ記シタ言葉ハ、戯言ニ非ズ』なんて、口が裂けても言えない。
「武器召喚です」
「武器召喚」
「はい。そういう名前です」
芝崎さんがしばらく俺を見て、それから端末に打ち込んだ。
「では、その武器の名称は」
無銘。
本当の名前は無銘だ。だが、それを言うと「なぜ名前がないのか」という話になる。名前を決めていなかったからだ、なんて説明できない。
「……ないです」
「ない」
「名前は、ないみたいです」
これは本当だった。無銘。名前が無い、という名前だ。三年間ずっと付けていない。
「承知しました」
芝崎さんが打ち込む。
俺は心の中で、中学2年の自分に手を合わせた。
お前が名前を決めなかったおかげで、今日、嘘をつかずに済んだ。
視線を感じて、横を見た。
姉が、こっちを見ていた。
何も言わない。ただ、少しだけ眉が上がっている。
この人は、俺が中学のとき、どんなふうだったかを知っている。
今の詠唱を、聞いている。
「……」
「……」
お互い、何も言わなかった。
姉は視線を前に戻して、こう言っただけだった。
「先、進むよ」
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