第33話:モノクロームの奮闘記
セミの声がわんわんと響く、暑い夏休み。
幼稚園生の忠敬は、田舎にあるおじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びにきていた。
おじいちゃんとおばあちゃんは、とっても優しい。忠敬が時々、だれもいないところを指さして何かお喋りしていても、「忠敬くんはお友達がいっぱいで楽しいねぇ」と、いつもニコニコしながらお話を聞いてくれる。だから忠敬は、このお家が大好きだった。
ある日の午後、おばあちゃんが古い箪笥の引き出しをお片付けしていた。忠敬もその横で、ちょこんと座ってお手伝い(の真似っこ)をする。そのうち、引き出しの奥からちいさな木の箱が出てきた。中には、1枚の古い、どんぐりの色をした写真が入っていた。
「おや、懐かしいねぇ。忠敬、これは最初、この色じゃなくて白と黒だけだったんだよ」
台所から冷たい麦茶を持ってきてくれたおじいちゃんが、写真を覗き込んで目を細めた。写真のうしろには、なにかの葉っぱがたくさん茂った、おっきな、おっきな畑が写っていた。そこにいるのは、まだ若くてツルツルしたお顔をしかめたおじいちゃんと、それより少し背の高い男の人。男の人は、いたずらが大成功した時みたいな、元気いっぱいのお顔で笑っていた。
写真の裏には、黒い墨で何かが書かれているけれど、幼稚園生の忠敬にはまだ1文字も読めなかった。
「どんぐり色じゃなかったんだ」
忠敬はまじまじと写真をみつめた。
(……あ、いた)
忠敬は、写真のすみに目をきらきらさせた。
写真のふちからひょっこりと、忠敬の手のひらよりも小さな『小人』が顔を出したのだ。小人は、かっこいい緑色の軍服をピシッと着ている。だけど、お顔は写真の男の人そっくりで、まゆげをきゅっと上げてニカッと笑った。
『よお、ボウズ! 俺たちの写真が珍しいのか?』
小人は写真のふちにちょこんと腰掛けて、短い足をぶらぶらさせながら、楽しそうに笑う。その声は、おじいちゃんの声を少し若くしたみたいにそっくりだった。
『いいぞ、教えてやる。これはな、この隣にいる大寝坊助――宗次が、すっごく大事な学校のテストを受けた日の、大騒動の記念さ!』
小人は胸を張って、ちいさな手足をいっぱいにつかってお話を始めた。
『テストの日の朝、こいつは緊張しすぎて、なんと大寝坊しやがったんだ! 俺は慌ててさ。こいつを自転車の後ろに乗せて、全力でお芋畑の横の坂道を爆走したんだよ。「遅れるなーっ!」ってな!』
小人はその時の様子を思い出すように、ちいさな拳を突き上げる。
『だけど俺も焦りすぎてさ、カーブを曲がりきれずに、二人でお芋の畑にドッカンとおっこちちまったんだ! 泥だらけになって、頭に大きな芋の葉っぱを乗せたまま、テストの場所に滑り込んだ。みんな大笑いさ』
『この写真はな、その日テストを終えて家に帰って着替えた宗次を無理やり引っ張って俺が「記念だ!」って笑いながら撮らせたものなんだよ。だからこいつ、そんな不機嫌そうな顔をしかめて写ってんだよ。……でもな、こいつはあんな泥んこのまま、見事に合格したんだ』
小人は誇らしげに、優しく目を細めておじいちゃんを見た。
忠敬はお芋の畑にドッカンとおっこちる二人の姿が頭に浮かんで、おかしくてたまらなくなって大笑いした。写真をぎゅっと握りしめて、おじいちゃんを見上げる。
「おじいちゃん! おじいちゃん、大事なテストの日におねぼうして、お兄ちゃんとお芋の畑にドッカンしたの? お家に帰ってお洋服をきがえたあとも、まだおこってお顔しかめてたの?」
「……えっ?」
宗次は、驚いて目を丸くした。その話は、宗次が誰にも話したことのない、心の奥底に大切に仕舞っていたひみつの思い出だったからだ。もちろん、写真の裏の文字も、幼稚園生の忠敬には絶対に読めない。
「おじいちゃんを自転車に乗せたお兄ちゃんね、すっごくかっこいい服を着てるの。写真のここから、ちいさいお兄ちゃんが出てきて教えてくれたよ」
忠敬がちいさな指で写真を指さすと、おじいちゃんは涙をぽろぽろとこぼした。そして、大きな手で優しく忠敬のあたまを撫でてくれた。
「……あぁ、そうかい。忠敬には、兄さんが見えるんだね。そうだ、その通りだよ。兄さんはいつも、私のために一所懸命になってくれる、優しくて自慢のお兄ちゃんだったんだ。おじいちゃんのお兄ちゃんは、そのあと遠い戦争に行って、お家に帰ってこなくてねぇ…」
宗次にとって、それはずっと寂しい悲しみで、同時にいちばん大切なお宝物の記憶だった。
「あらあら、おじいさんったら泣いちゃって」
おばあちゃんが優しく笑いながら、新しい座布団を持ってやってきた。おばあちゃんも、忠敬のお話を嘘だなんて絶対に言わない。
「でも、正一兄さんなら本当にやりそうねぇ。忠敬ちゃん、そのちいさいお兄さんは、今はなんて言っているの?」
忠敬が写真を見ると、軍服の小人はちょっと照れくさそうに頭を掻いていた。
『へへ、宗次を泣かせるつもりはなかったんだ。よし、ボウズ。俺の代わりに、宗次に伝えてくれ。「あの時、頭に芋の葉っぱを乗せたお前は、世界一かっこよかったぞ」ってな!』
「うん、いいよ! お兄ちゃんがね、『あたまに葉っぱ乗せたそうじは、せかいいちカッコよかったぞ』って!」
忠敬がたどたどしく通訳すると、「ははは、兄さんには敵わないな」おじいちゃんが涙を拭って笑うと、写真の小人はさらに悪戯っぽくニカッと笑いました。そして、おばあちゃんの方を指さします。
『そうだ、ボウズ。ミツエのばあさんにも、とっておきの秘密を教えてやるよ。宗次のやつ、昔からミツエに首ったけだったんだ』
「みつえのばあさん?」
忠敬が首を傾げると、おばあちゃんが「あら、私のことねぇ」と目を丸くしました。
『合格発表の日にな、近くの甘味処でミツエを見かけたんだよ。そのとき、俺は兄の正一の胸ポケットにいてな。宗次のやつ、嬉しそうに食べてたお汁粉を喉に詰まらせて、盛大にフガフガ むせやがってさ! 「う、美人がいる……!」って、顔を真っ赤にして固まってたんだ。俺はそれを全部見てた。あのウブな顔、お前に見せてやりたかったぜ!』
小人はお腹を抱えてケラケラと笑っています。忠敬はそれを聞いて、おばあちゃんを見上げました。
「おばあちゃん! お兄ちゃんがね、おじいちゃんは昔からおばあちゃんにクビッタケなんだって!”ごうかくのひ”に おばあちゃんを見て、おしるこドッカンして、お顔真っ赤にして、フガフガしてたんだって!ちいさいお兄ちゃん、しょういちのポケットからみてたって」
「ま、まあ……!」
今度はおばあちゃんが、パッと顔を赤くして両手で頬を押さえました。おじいちゃんは「な、ななな、兄さん! 余計なことまで言わなくていいんだ!」と、大慌てで両手を振っています。
「宗次さん、そんな前から私のことを……? 初めてデートした時が最初だって、私に嘘をついていたのねぇ?」
「いや、ミツエ、それはその、恥ずかしくて……!」
おろおろするおじいちゃんを見て、おばあちゃんはクスリと、本当に幸せそうに笑いました。
『ひゃはは! ざまあみろ宗次! お前がどれだけ嘘をついても、正一の兄貴の形見である俺には全部お見通しなんだよ!』
軍服の小人は勝ち誇ったように胸を張り、ちいさな手でおじいちゃんの肩をトントンと叩く真似をして笑っています。
「おじいちゃんがウソついても、ちいさいお兄ちゃんにはぜんぶお見通しなんだって!」
忠敬がドヤ顔でそう伝えると、おじいちゃんはついに降参したように頭を掻いて、「ははは、本当に兄さんには敵わないな」とお腹から声を上げて笑いました。おばあちゃんも嬉しそうに相槌を打ち、写真の小人も一緒になって、満足そうに腕を組んで笑っています。
セミがミンミン鳴くお部屋の中で、おじいちゃんとおばあちゃんそして幼稚園生の忠敬と、写真のちいさな正一さん。おじいちゃんの可愛い秘密がバレて、お部屋の中はさっきよりももっと大きな笑い声でいっぱいになりました。
人間は恥ずかしくて嘘をつくけれど、物は全部覚えている。物は絶対に本当のことを教えてくれる。美味しい麦茶を飲みながら、いつまでも楽しそうに続くお話を特等席で聞きながら、幼い忠敬の胸には、そんな”物への絶対的な信頼”が静かに、けれど深く刻まれていくのでした。




