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第1話:『その静寂は、小人に拒まれる』

以前に「続きが思い浮かばないものを突っ込むフォルダ」に入れていた、『無機物(小物に限る)が小人のように見える人』になります。思い浮かんだので、続きました。


潜木忠敬くぐるぎただたかの視界は、いつも、ひどく賑やかだ。


平凡な日常を何よりも愛していたはずの彼は、ある時期を境に、奇妙な現象に翻弄されるようになった。身の回りの小さな無機物が、すべて「小人」の姿に映り、物理的に喋りかけてくるように聴こえるのだ。


だから、彼の朝はいつも、静寂を拒むようにして幕を開ける。


時計の針が午前7時を指す。本来なら、真っ白な目覚まし時計が機械的な電子音を刻むだけの時間だ。


――ピピピ、ピピピ、ピピピ。



だが、忠敬の目と耳には、それが全く違う光景として映り込んでいた。

白い髪に、同色のシフォンワンピースをまとった手のひらサイズの小人が、小さなメガホンを握りしめ、顔を真っ赤にして叫んでいる。


「あさですよー! おきてー、ごしゅじんさまー!」

「わかった、わかったから……」


忠敬は指先で目覚まし時計の小人を優しく宥め、這うようにしてベッドを抜け出す。洗面所に立てば、今度は歯ブラシの小人が「今日も綺麗に磨いてね!」と健十分にジャンプして己の存在を主張してくる。


お気に入りのマグカップに手を伸ばし、ブラックコーヒーを注ごうとした時だった。

「今日はカフェオレがいい~! ミルク多めの!」


陶器の色の服を着たマグカップの小人が、忠敬の気分を無視して大騒ぎを始める。無視すれば一日中いじけてしまう面倒臭さを知っている忠敬は、諦めてカフェオレを作った。せめてもの反抗として、砂糖は入れない。


彼が愛してやまない「平凡な日常」は、いつの間にか、こうして騒がしくも少しお節介な小人たちの世界に侵食されていた。


(全部、俺の脳が作り出したタチの悪い幻覚だ。気にするな、スルーしろ)


徒歩での通学路、忠敬は心の中で念仏のように唱え、歩行のピッチを上げた。今の彼に最も必要なのは、この脳内を埋め尽くす狂騒を完璧に無視できる、圧倒的なスルースキルだった。


(……今日こそは、静かに過ごすんだ)

心の中で固く誓った、まさにその刹那だった。


「痛っ! ちょっと、踏まないでよ!」


足元から、ツンと尖った生意気な声が響く。見落としてしまいそうなほど小さな、誰かの落とした消しゴムの小人が、涙目でこちらを睨みつけていた。青、白、黒の三色ストライプ柄のワンピースは、地面の土で汚れてしまっている。


「お詫びに私のご主人様、探しなさいよね! いい、私のご主人様はね、いつも筆箱の中に私をいきちんといれる丁寧な人なの。でも、最近は夜遅くに帰ることが多くて、そのたびに震えてる。……そうよ、カッターナイフの奴が言ってたわ。『最近、変な男が後ろをつけてくるんだ』って!」


ブレザーのポケットの中から、消しゴムの小人が甲高い声を上げ続けている。忠敬は話半分で、その妄想の産物(と、本人が信じているもの)の言葉を聞き流していた。


「あー、はいはい。ストーカーね。大変だね」

「ちょっと! 他人事だと思って! 早く私のご主人様見つけなさいよ!」


学校に着き、下駄箱に向かいながら忠敬はふと思う。消しゴムのストライプ柄。丁寧な仕草。そして「最近、夜遅くに帰る」。心当たりのある人物が、1人だけいた。


忠敬のクラスの学級委員長であり、毎日のように居残りで自習をしている努力家――白雪しらゆきさんだ。彼女がいつも使っている文房具が、まさにこのブランドのものだったはずだ。


「……まあ、一応確認するだけだ」

自分の脳が作り出した幻覚の整合性を確かめるような、妙な気分だった。


教室に入り、自分の席に着く。忠敬の席の右隣は白雪さん、真後ろは自転車通学の悪友、佐藤だ。数分後、ガラガラと前扉が開き、長い黒髪を揺らして白雪さんが入ってきた。いつも通り、凛とした、少し冷たさすら感じる完璧な優等生の姿だ。だが、よく見るとその表情はいつもよりほんの少し強張っており、神経質なオーラをまとっている。


忠敬はポケットから消しゴムを取り出し、隣の席の彼女へと歩み寄った。


「あの、白雪さん。これ、落とさなかった?」


差し出された消しゴムを見た瞬間、白雪さんの大きな瞳が激しく揺れた。いつもの冷静な彼女からは想像もつかないほど、顔を真っ白に強張らせている。


「あ……それ……」

「やっぱり白雪さんの? 合っててよかった――」


話の途中で慌てて自分の鞄から筆箱を取り出し、消しゴムがないことを確認した白雪さんが突然、忠敬の手首を強く掴んだ。その手は、小刻みに、しかしはっきりと震えていた。


「どこで、見つけたの?」

「え、だから、通学路の駐輪場の近くで……」

「嘘……。筆箱の中に、ちゃんとしまっておいたはずなのに……。じゃあ、誰かが私のカバンを開けて、わざわざ盗み出したの……?」


怯えきった白雪さんの言葉に、忠敬の思考がフリーズする。

カバンを開けて、盗み出した? ただの落とし物ではないのか。いや、それ以上に、忠敬の脳裏を過ったのは、ポケットの中で消しゴム小人が叫んでいた言葉だった。


『最近、変な男が後ろをつけてくるんだ』

『いつも筆箱の中に私をきちんといれる丁寧な人なの』


忠敬の背中に、冷たい汗がどっと噴き出した。


(待て。おかしいだろ。なんでコイツの言ってたことが、白雪さんの現実と一致してんだ……?)


偶然だ、と自分に言い聞かせようとしたその時。ドタドタと慌ただしい足音が廊下に響き、クラスメイトの男子が教室のドアを勢いよく開け放った。


「おい、お前ら聞いたか!? みどり公園の近くで、パン屋をやってるおじいさんが倒れて、救急車で運ばれたって! さっきパトカーも来て大騒ぎらしいぞ!」


クラス中がざわめきに包まれる。

しかし、忠敬だけは、椅子に縛り付けられたように一歩も動けなくなっていた。今朝、学校へ向かう道すがら、前を歩くOLのバッグに揺れていたスズメのストラップの小人たちが話していた言葉が、鼓膜の奥で蘇ったからだ。


『なぁ、四つ隣のおばさんがくれる飯、まじウマいらしいぜ』

『えぇ? 俺はみどり公園のじいさんのパンがウマいって聞いたけど』

『『まあ、俺らは食べられないんだけどな』』


忠敬は“みどり公園の近くで、パン屋をやってるおじいさん”の存在すら知らなかった。


スズメたちの言葉は、忠敬の妄想なんかじゃない。ただの「事実」として、あの瞬間に噂していたのだ。現実のタイムラインと、完全に一致するタイミングで。


世界はごちゃごちゃしているのではない。自分の目と耳に映る小人たちは、この世界で起きている生々しい「真実」を、容赦なく告発し続けていただけだったのだ。


「ちょっと、ご主人様が泣きそうじゃない! 何フリーズしてんのよ?」

白雪さんの手の中で、消しゴムの小人が忠敬に向かって抗議する。




平凡を愛する少年のスルースキルは、今、完全に打ち砕かれた。




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