壊れる音は何からした?
パリンッ
何かが割れた音に重い瞼を持ち上げてぼんやりとぼやけした視界を音の方に向ける。見慣れたほこりの多い部屋に珍しく人が来た。また運悪くここに回されたメイドだろうか。
「も、申し訳ありません、 様!」
「 」
口を開けて話そうとしてうんざりしてまた閉じる。重く苦しい体と息をするだけで痛む喉。つくづく生きることに向いていないこの体で何をしようというのか。
「申し訳ありません…申し訳ありません…」
必死に謝る目の前のメイドもいづれ気づく。謝った所で動きもしない人形のような僕にその謝罪は意味を持たない事なんて。
「 様?」
珍しいなとは思った。僕の名前を呼ぶひとは何年ぶりだろう。ここに閉じ込められてから随分と経つけれど久々かもしれない。
「………生きるのが、辛いですか?」
当たり前の事を言うメイドにうんざりした気分になる。当たり前すぎて怒りすらわかない。ぼんやりと天井を薄目に見て乾いた唇をかすかに動かす。それだけで激痛の走るこの体を憎んで、恨んで、嫌悪する。
「もしも、もしもです」
メイドの顔は見えない。すでに落ちきった視力では姿しか分からない。だがひどく温かな手が僕の…痩せこけた頬を撫でる。
「もしも、過去に戻れるなら、 様は戻りたいですか」
ぼんやりと目を見開き歯を食いしばる。この女は何を言っている、なんで、なんでそんなおぞましいことを僕に言える。
痛む体で無理やり手を動かして花瓶をメイドのそばに投げつける。死んでもいいじゃない、死なせてくれと思いながら生きてきたこの20年。たった…たった20年でこんなに苦しいのに。やっと緩やかな死がやってくるのに。この女は過去に戻れるなら戻りたいかと聞く。
「もどりたい、わけが…ない…だろ!」
数ヶ月ぶりにうめき声じゃない意味のある言葉を吐き、血の味が口の中に広がる。ふざけるな、ふざけるな。知りもしないで、夢物語を語って。
「……ごめんなさい」
女が泣きじゃくる。ふと、メイドの服を着ていないことに気づいた。……真っ白な、ドレス?誰だ?
「ごめんなさい、 様、それでもあなたは――」
パリンッ パリンッ
何かが割れる音がずっとしている。耳の奥で、どこかわからぬ場所で。女の声が歪んで、視界が歪んで、恨めしいほどに、気持ち悪いほどに温かな女の手が僕の頬を撫でる。
「貴方は幸せにならなくちゃ」
呪いのようなその言葉とともに僕の視界は暗転した。
――――――僕の名前は、ユーグ・アルスア。アルスア王国の末の王子。役にたたない空っぽでカラカラに干からびた名すら広がらない王子。
産まれた時は王家を象徴する紫の瞳に輝くような金の髪をもつ子として祝福された子だと持て囃され、やがて体の弱さに気づくと誰もが興味のなくした人形のように王宮の奥に押し込んだ。
父上も、母上も最初は心配そうに頭を撫でてくれていたのに自分の子供の弱った姿をみたくなかったのか、それとも興味がなくなったのか僕に会いに来ることはなくなり、兄上や姉上も僕のことなんて忘れて外で遊んでいる。
「いいなぁ…ぼくも、外で遊びたい…けほ…」
弱った体で、涙を浮かべ窓の外に張り付いてはベッドに戻される。僕はベッドが大嫌いになった。眠ることが大嫌いになった。僕の知らない場所で人が悪口を言っている気がしてうんざりした。
勉強は好きだった。ベッドの上の唯一の娯楽だったから。歴史書や指南書を読み漁っては眠ったあとに活躍する夢を見る。
勉強ができることを活かして兄上や姉上達に褒められたり、父上や母上に強くなった僕を見てもらってめいいっぱい抱きしめてもらって陽の下で笑う僕。
そして、目が覚めた時に絶望する。誰もいない部屋に、温もりのない椅子に、飾り気のない花瓶に。
泣いて、泣いて、恨んで、暴れて。でも暴れても痛くなっても誰も来てくれない。めんどくさそうなメイドが片付けて立ち去る。僕の名前すら呼ばれなくなって、僕の居場所がベッドの中だけになる。
「………しに、たい」
なんで、こんな悍ましい世界を生きなきゃいけないの。なんでこんなに苦しいのに生きていかなきゃいけないの。なんでこんなに寂しいのに、誰も来てくれないの。
諦めるまでひたすらそんな考えに飲み込まれていた。
諦めてからは楽だった。何にも期待しなくていい、何も見なくていい、目を閉じて夢の中で遊んで夢の中で笑って、夢の中の僕は幸せそうだった。この世界こそが僕にとっては悪夢だった。
やっと終わりが近づいて、この世からやっと解放される寸前で。
「ーーーーーっ!」
花を挿されることのない花瓶を手ではたき落とし肩で息をして歯を食いしばる。
「なのに、なんで…!!」
僕の体は死にかけたシワシワの20歳の身体ではなく幼い7つの頃の体に戻っていた。




