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風にのせて

 




 とある日、音響設備の整った部屋で汐音は発声の確認をしていた。

 前世(?)は音楽関係の仕事をしていたので、鑑賞ぐらいでしか触れてこなかった音楽にも手を出そうと考えたのだ。他の人が楽しそうにやっていたら自分もやりたくなるアレだ。


 それに歌の才能があるかもしれないのだ。おデブは歌が上手いとそう感じる人はいるだろう。

 それはおデブの方が日常的に呼吸器系の器官に負荷をかけ続けているからだ。想像してみて欲しい、身体に数十キロの重りを常時身につけているのだ。ただ、歩いているだけで筋トレしているようなものである。


 だから声量的な面で見れば歌う事においておデブは有利に働く事が多い。尤もそれが歌が上手い事に直接的に繋がるかどうかはまた別問題だ。


 しかし、汐音に限って言えばこの問題は解決する事が可能だ。記憶の記録を受け継いだ事で歌に関して言えばその道の人生一人分の経験を持っている。ただ、男性と女性とで違っている部分もあるので今はチューニングをしている所だ。

 ピアノを使って声の調子を確かめていく。



「ドレミファソラシド〜♪」



 思わぬ誤算と言うべきか声が素で良いので音程と発声すら合わせればそれっぽく聞こえるくらいには歌える。



(声は通る、・・・元々声の質は良かったし訓練すればその道でも通りそう。)



 この分ならいけそうだと汐音は判断した。


 

 姿勢を正してピアノに向き合う、アカペラでは味気ないので即興でメロディを紡ぐ。



 最初に歌うのはある想い。これは『汐音』が心に留めていたもの。



『even if the sadness is heavy in my heart

Supported by my father's warm hands



the time spend with you is a treasure

always wants to be by your side



Because you were here, I can smile

I want to convey my gratitude to you



hard to say thank you,with the melody

hope it reaches you』



 歌というより詩だ。


 藤嶺汐音は今でこそ客観的に自分という存在を見る事が出来ている。

 我が儘で、傲慢、自分という人間が世界の中心にいると以前の自分は本気で思っていた。ただ、その隣にはいつだってお父様がいた。


 自分を置いて行ったお母様、それが仕方の無い事だと分かってはいても悲しい事に変わりはない。一緒にいた時間が短くとも、抱きしめられた時の優しさを今だって覚えている。


 『藤嶺汐音』という存在の心は決して強くは無い。

 高圧的な他者への接し方は自身を守る為のもの、弱い心を隠しているに過ぎなかった。そして、そのまま成長出来てしまった。寂しがりやで隅で縮こまっているしか出来ない自分が本来の性格だ。


 どんな形であれ、お父様は私を守ってくれていた。だから、この歌は過去の私からお父様への贈り物だ。


 友人たちですらお父様という後ろ盾がいるからこそ出来たもの。彼女たちは私という個人を見ていない。甘い蜜を吸おうと近寄って来ているに過ぎない。



(心配しているから、何て言葉とお見舞いの品だけ郵送で送る何とも味気ない関係ですね。)



 今は休養が必要だから、元気になったらまたお会いしましょう何て、程のいい言い訳に過ぎない。今ならそう理解出来た。




(あの人は・・・どうか分からないけれど。)



 前世の記憶を所持しても分からない人はいた。

 天藤陽介、彼だけはずっと本心で接してくれていた気がする。ただ、それが恋だとかそういったものとは無関係だとわかっている。


 社交場で彼を見て綺麗だと口にした。気づけば許嫁になっていた。

 あの人もお父様がくれたものだと当時は本気で思っていた。人を物扱い何て失礼な話だけれど。


 近い内に彼とは会うだろう。身の振り方は、きっと変わらないけれど、彼が望むなら婚約なんて破棄してしまった方がいいのかもしれない。


 過去の私が彼に執着していたのは、お父様からの贈り物だったから?それとも・・・。




***




 様子を見に来ただけだった。藤嶺栄治は扉を開け、直ぐにこの場に自分がいる必要は無いと感じた。もし、汐音が兄からかけられた言葉を気にして泣いているのであれば、このような事はやめさせようと思っていた。無理をする必要何て無いのだから。

 しかし、聞こえて来たのはピアノの伴奏。本当に楽しんでいるのなら自分はこの部屋に入るべきではないとも思っていた。


 だから、娘の邪魔になってはいけないと来た道を戻ろうとした。



『悲しさが胸に重くても

父の温かな手に支えられた』



 扉の隙間から光が漏れている。それと同じように歌声も。思わず足を止めていた。

 優しく、それでいて物悲しげな歌声だった。それは在りし日の妻を思い起こした。



『あなたと過ごす時間は 宝物だと思うから

どんな時も あなたの傍にいたい


あなたが居てくれたから 私は笑顔でいられるの

感謝の気持ちを あなたに伝えたい


言い難い感謝の言葉をこのメロディに共に

どうか届きますように』



 壁に凭れ掛かる様に崩れ落ちる。全身から力が抜け落ちた。

 雄真の怒りを、その理由を、栄治は理解していた。今の汐音は自身の甘さが招いた結果だ。それでも、何かせずにはいられなかった。


 娘の汐音を見て、妻を重ねていた。



 本当に愛していたのだ。



 妻が亡くなって親族からは心無い言葉をかけられた事があった。今でもそれは続いている。ただ、そんな言葉を気にした事などなかった、・・・ないと思っていた。

 早くに亡くなった妻は、満足して逝けたのだろうか。やりたかった事をやれたのだろうか。


 妻にもっと何かしてあげられたのではないか、と。



 目尻から流れ落ちたそれに気づき顔を拭う。それでも止まらなくて手で顔を覆う。




 彼女の歌がまるで妻からの言葉の様に聞こえた。



(立ち止まってばかりいたら、・・・怒られてしまうな。)



 立ち上がって、そっと扉を閉じる。ゆっくりとこの場を離れた。



「いつの間にか、一人で立てる様になっていたんだな。私も、・・・立ち上がらなくては。」



 藤嶺栄治はもう一度、強く一歩を踏み出した。






 藤嶺栄治という存在はゲーム本編には殆ど出てこない。ただ、その存在は藤嶺汐音にとって最も大きなものだ。

 藤嶺雄真や天藤陽介を攻略するルートでは、藤嶺汐音に対しての所謂『ざまぁ』担当である。藤嶺雄真が現実を直視する事で、藤嶺汐音を正しく認識し、落胆する。そうして藤嶺汐音は全てを失う事になる。


 それが本来のルート。

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